ソドミー法違憲判断の詳細
えー、この前予告したソドミー法の何たるか、違憲判断の何たるかは、毎日インターナショナルのウェッブサイトのほうに掲載しました。
興味のある方は読んでください。
http://www.mainichi.com/
ここで左のバーからDays In USAというのを選んで、そこの「北丸雄二のアメリカ談議」というのをクリックすると出てきますよん。
えー、この前予告したソドミー法の何たるか、違憲判断の何たるかは、毎日インターナショナルのウェッブサイトのほうに掲載しました。
興味のある方は読んでください。
http://www.mainichi.com/
ここで左のバーからDays In USAというのを選んで、そこの「北丸雄二のアメリカ談議」というのをクリックすると出てきますよん。
書き込んだ後でしばらくしたら朝日・コムが書いてたね。
というか、あれは朝日と提携してるcnn.co.jpが書いたからでしょう。
そういうことなんです。ええ。
本日(26日)午前、連邦最高裁が米国でずっと続いているソドミー法は違憲だという判決を下しました。本来はテキサス州のソドミー法(刑法は州法なので、州によって違うのです)に関する最高裁判決だったのですが、それを意見だと言うだけでなく、その他の州のソドミー法も違憲だと宣言してしまったのです。これは、すごい判決でした。
ソドミー法というのは、同性間セックスを犯罪と規定している法律です。
これが憲法違反のプライバシーの侵害に当たるという判断なわけで、ここから米国の同性間結婚の問題まですぐなのですね。オランダとかベルギーとかカナダとか、同性間結婚を合法化する動きというのは報道されていますが、今チェックしてみたところ、日本のメディアはこのソドミー法違憲のニュースを、少なくともウェッブサイトのニュースではどこも報道していない。どうしてなんでしょう?
わたしもプロのジャーナリストです。このニュース判断は、どう考えても解せません。
アメリカがこうなるということは、これは「事件」なのです。
これを報道しないなんて、バカじゃないだろか。
違憲判断の詳報はまた別に書きます。
えー、書き込みを怠るとけっこうこれって、すぐに間が空いてしまうものなのだね。ってぜんぜん当たり前だわな。
さて、今年のNYゲイプライドのテーマは「ピースとプライド」っていうんですね。「ピース」って出してくるわけですよ。ふむ。アメリカの平均的な国民とは正反対に、イラク戦争に半数以上が反対したニューヨーク市民ならびにゲイ市民になんとふさわしいテーマでありましょうか。
プライド週間初日の22日(日)には、42丁目の市立図書館の裏手のブライアントパークで午後2時から4時間にわたって歌あり踊りあり朗読ありの「ザ・ラリー」という祝祭イベントがありました。13丁目のゲイコミュニティーセンターでは映画会やレクチャーやパーティーなど連日いろんな企画が行われています。
この29日(日)にはすでにこれも恒例の「ウェディング・パーティー」が午前10時から五番街の59丁目、プラザホテル前のグランドアーミープラザで執り行われます。これは同性間でも結婚と同じ社会的利益と保証を、というプロパガンダですね。ところでカナダが同性間結婚を合法化しちゃうっていうんで、もう、アメリカのゲイカップルたちはこの夏は休みを利用してカナダで結婚しようとウズウズしてるんですが、アメリカは宗教かつ政治的なパワーゲームが続いていて、結婚はまだ先ですね。
そしてもちろんその後は数十万人のプライドマーチ。そのマーチの終点、ワシントン・ストリートのクリストファーとスプリング・ストリート間で、朝11時から夜10時半まで「プライドフェスト」と名付けられた露店も並んでいます。
恒例のダンスパーティーも準備万端。ハドソン川と13丁目のぶつかるピア54で、午後4時から夜11時まで「ダンス・オン・ザ・ピア」の開催です。10時半からの花火も見もの。ここはチケット($54、$124)が必要。詳細は「www.nycpride.org」まで。
ということで、私たち日本人もプライドマーチを歩きます。例によって浴衣姿。
もし参加したければ、29日日曜日の当日、53丁目の五番街とマディソンの間に午前11時半までにぷらぷら集まってください。そこにAPICHAというアジア人向けのエイズ支援団体の一行が集合することになっています。私たちも「ジョーズ(JAWS=Japanese AIDS Workshop Series」という団体でそれにくっついて歩くわけです。ま、浴衣のない人でも普段着で参加けっこうですよ。あるいはすごいコスチュームでいらしてもウェルカム。つまり、だれでもウェルカム。だって、このマーチはみんな違うってことを認め合うのがテーマですからね。
日テレのSMAPの特番で、「中国・瀋陽の日本総領事館で起きた北朝鮮の『ハンミちゃん一家駆け込み事件』をパロディーにしたコーナーが放送され、同局に100件を超える抗議電話が寄せられた」っていうのがニュースになっていて思ったんだが、昨日の書き込みといい、おとついの書き込みといい、けっきょく、根っこは同じコレなんだわね。
つまりさ、物事を揶揄するとき、パロディーにするとき、あるいはジョークのネタにするとき、それが自分より強いものか弱いものかっていうのが重要な判断の分岐点になるわけさ。つまり、相手が権力を持っているかいないかが肝心な要素なの。権力を持っているものには揶揄していいのだよ、ぜんぜんかまわない。ところが、その相手が弱者の場合、揶揄とかパロディーはたんなる脳天気な弱いものいじめや差別や侮辱に直結する危険をまとうわけさね。
そういうことを考えたことがないんだ、昨日のプロデューサー氏もこの日テレの同様氏も。でもそれって、本当はメディアに働く者はきちんと押さえなければならないところなのよ。だって、そういうこと考えてないのって、かっこわるいもの。そういうかっこわるいことは、とても放送でパブリックに流すことなんてできない。そうでしょ? 飲み屋でのプライヴェートな戯れ言じゃないんだからね。
さて、そうすると次に弱者とは何か、権力とは何か、という話になるけど、ま、それはここではまだいいね。
本日は眠たいのでここまで。
いま、ニューヨークでも金曜の夜に放送している日本のお笑いバラエティ番組で、タレント同士で恥ずかしい秘密を打ち明けて笑い合うコーナーに「カミングアウト」というタイトルが付いているんだよね。ココリコがやっている番組。日本じゃ終わった番組なのかなあ。放送時期がずれるからよくわからないけど、まあしかし、その番組の中ではゲストのタレントが自分の秘密を「さあ、カミングアウトして!」とやんやとはやし立てられるわけ。
「カミングアウト」が日本では流行語みたいに扱われている。それが「ゲイ」関連用語だということはもういまじゃほとんどの人が知っているはずだよね。にもかかわらず、あるいは、だからこそ、こうしておチャラけた使い方をされてしまうんだなあって、見てて思いました、わたし。
でもこの言葉はほんとうはそういう言葉じゃないのだよ。ゲイであることは「恥ずかしい秘密」でも「笑い合う」エピソードでもないでしょ? その証拠に、カムアウトという動詞は目的語なんかとらないのですね。つまり「秘密を」カムアウトする、とは言わない。じゃあ、主語が「秘密」かというとそうでもない。「カムアウト」の主語は「秘密」ではなく、これまでクローゼットに閉じ込められていた一個丸ごとの人間なのね。カムアウトというのは、だからいっしゅの人間宣言なわけよ、“オカマ”という“人非人”の。
「カムアウト」というとても政治的なメッセージを含んだ言葉が、日本のテレビであっというまに無化されてしまうのを目の当たりにすると、日本のゲイの人たちがここニューヨークですらもカミングアウトしにくい理由がわかるような気がしますね。
憲法9条といいこのカムアウトの問題といい、日本では重要なメッセージがきちんと力を持つ前になんとなく腐らせられてしまう。有事法制やイラク新法を通した政治家と、そしてこのココリコの番組プロデューサーは、その意味で似てるんだわなあ。
まあ、なんと平和な国だろうことよ……。
堀川哲さんという方の書いた『ニューヨークで暮らすということ』(PHP新書)という本があるんですがね、ウェッブ上の書評などを読むと「さすがに現地にいた人でないとわからない情報が色々書かれてあって実に興味深い」なんて書いてあるんですよ。でも私の感想はまったく違いました。「ああ、こういう人は、実際に『ニューヨークで暮ら』してみても、結局はなにもわかろうとしなかったのだなあ」というもの。
6月はゲイ(同性愛者)のプライド月間ですね。ニューヨークに暮らしていても、日本人のコミュニティーで生活していると「ゲイのこと」というのがどうもわからないのが実情です。事実、6月がゲイの人たちのプライド月間だということも、なぜ「プライド(誇り)」なのかも、さらには6月の最終日曜日にどうして毎年百万人近い人たちが繰り出してパレードをするのかの意味も知らない人がほとんどでしょう。
冒頭の堀川さんは札幌大学の先生だそうですが、この先生もご多分に漏れず「ゲイのこと」についてとんでもない記述をしていらっしゃる。まず、「ホモ」という、英語をきちんと話される方なら誰でも知っているはずの侮蔑語を臆面もなくお使いになる。ビレッジのシェリダン・スクエアにあるジョージ・シーガルの石膏像をこれまた「ホモの像」とお呼びになる。あれは「ゲイ・リベレイション(同性愛者解放)」という立派なタイトルが付いているんですが、「ホモの像」ではその歴史的、政治的かつ人道的意味合いを不可視にしてしまうどころか、まったく正反対のメッセージまで発信してしまいます。さらにあ然とさせることに、その近くにある「GAY STREET」を「ゲイ・ストリートというものまである」と揶揄するのか何なのか、よくわからないまま書き捨てていらっしゃるのです。あれは米国の奴隷制廃止論者シドニー・ハワード・ゲイの名前にちなんで付けられた通りなんですよ、センセエ。同性愛の「ゲイ」とはまったく関係ない。これじゃまるで、欧米人にはよくある「ゲイ」という名前の同級生をからかう小学生のいじめっこのレベルじゃないですか。
こんなにお間違えになって、いったい他の部分はどうなんだろうと、私はとてもじゃないがこの本を基になにかを書くのも話すのもやめようと思いました(というか、これだけはしっかり書いてるんですけど)。ま、当てにならない。信用できない。こういう本を出したPHPの編集者の責任もあるでしょうが、あるいはここは「ホモ」の部分だから適当なことを書いてもよいだろうと思われたのか。
ならばなおさら、この堀川先生は「ニューヨークで暮らすということ」の意味をな〜んにもわかっていらっしゃらなかったのだなあとの思いを強くするのです。まったく、どーしたもんでしょねえ。
しかし、とにかく先生のご本は昨年のベストセラーだそうです。そんなにたくさん売れたってことは多くの日本人にまたまた誤った「ホモの像」をまき散らしちまったってことです。まったくね、そういうものの尻ぬぐいをしなくちゃならない私みたいな者の身にもなってほしいですわな。
こんな例、ごまんとあるわけで、そんなことばっかりここに書きつづっていってもしょうがないんだけど、まあ、そういうことにもきちっと落とし前を付けていくのは大切なんだろうなあとも思うわけで、はい。
ではまた。