ハーヴィー・ミルク高校
ニューヨークが、市としてLGBTの市立高校を設立して、それを現在あるヘトリック・マーティン・インスティテュートの特設カリキュラムであるハーヴィー・ミルク高校(これは学校そのものが存在するのではなくて、そこで受けた授業を正式単位として認めるという制度だったのだね)に取って代わらせる、という計画を発表した。
ふむ。
さて、これは難しい問題だね。いや、保守派のバカどもが反対する、というのとはぜんぜん別の理由で、こういうことにつねにつきまとう問題。つまり、これって、隔離政策じゃないか、という問題があるわけだ。隔離政策、これは英語ではセグリゲーションっていってさ、アメリカでは60年代まで続いた白人と有色人種(colored)の分離政策をつよく連想させちゃうのね。
ヘトリック・マーティンのカリキュラムは、いわば緊急避難的に設置された、いじめられ、はみ出されたLGBTの生徒たちのための教育制度なわけ。本来はね、おんなじ学校でストレートもゲイもクイアもいっしょに勉強するってのがこの世のあり方にいちばん近いわけでしょ。だからそれがいいのさ。ところがだ、それが分けて教育を受ける。これが示すことは、つまりいまもまだ、LGBTが疎外され、いじめられ、つまはじきにされる現状があるということだ。そっちの現状をどうにかして、クイアがきちんと受け入れられる状態をこそ造らねばならない、これこそがまず第一の課題なわけよ。ちがう?
だからね、これをあくまで緊急避難的なものとして位置づけることが肝要なのだ。つまりね、「そうはいってもいま現実問題として、普通校に通えないほどにとんでもなく傷ついた少年少女がいる。その子たちのための学校が必要なのよ。なんだかんだ手を打っているうちにもその子たちの修学年は過ぎてしまうのだ」というものに対する、いまでなくてはだめだ、という、そのための対策。だから、LGBTはみんなこっちに来ればいいというのとはぜんぜん違うのだ。そんなの、自然じゃないだろ?
LGBTの解放とはね、ストレートの連中を真っ当な人間に治してやるための運動なのよ。わかりますか? そういう発想を徹底しないとダメね。
まだ、この高校構想に関してゲイメディアの反応はあまり出てないけど、さて、どういう反応なんだろうね。という間に、これって新学期、つまりは夏休み明けの新学年度9月から始められるわけで、そんときにはわたしもぜひ取材してみようと思ってる。