市中引き回し
朝日のオンライン
http://www.asahi.com/column/aic/Fri/d_forum/20030718.html
に「市中引き回し」に賛同する投書が7割もあったということが載っていました。けっこう鴻池のおっちゃんのあの発言、人気なんですな。
何なんでしょうかね、こりゃ。ブッシュ化は日本でも進行中なのか。
というより、そういうおバカなことを堂々と披瀝して得意顔でいるのを許す、あるいは面倒なのでただ言わせておく、そのうちに大したことでなくなるのを待つ、といった風潮が蔓延してるんでしょうかね。
わたしゃ悲しいわ。同時に、けっこう恐いわ。
話をするということは面倒なことを考えるということなんです。
しかし、この人たちは面倒なことを考えないで話をする。勢いで語る。だもんで陶然となる。引っ込みが付かなくなる。そんでもって、面倒なこと考えてる間にも人は殺されるんだ、とか言うんでしょうな、そん中の弁の回る小賢しいのは。面倒なこと考えないから人殺しなんかしちゃうんですよ。
リンチについてとか、考えたことがないんでしょう。
集団暴行を加えて人を殺す連中と、自分が同じだということに気づいていない。
そんな大人たちあれば、あんな子供たちあり、ですな、まったく。
そうして、そういう連中は常に自分が多数派に属しているという妄想を、自分の思いは絶対的に善だという虚妄を信じて疑わない。
こういう連中が、ナチスを支持し、天皇にひれ伏し、ブッシュに快哉を叫び、イラクや北朝鮮に核を落とせと言うのです。
「市中引き回しのうえ打ち首」というのは、そういう論理です。
何様だと思ってるんでしょね。
わたしなんぞ、そういう連中には第一に引き回されちゃうでしょう。
対して、私はそういう連中がいても引き回したりしない、というのが絶対的な不公平ですが、この絶対的な不公平を引き受けねば私の論理を完遂できないというのが、こりゃまた絶対的な不公平で、つらいところだがしょうがない。