ちらほらあーっとクリスマスカードの届く季節と相成っています。
そうそう、日本だとクリスマスカードはクリスマス、年賀状はお正月、とその時に合わせて送るものだけど、こっちのグリーティングという概念はちょっと違って、メリー・クリスマスってのは「メリークリスマスを送ってね」という意味だし、「ハッピーニューイヤー」ってのも「明けましておめでとう」という意味でゃなくて、「明けましたらおめでたいようにね」という、未来への願望なんだね。だから、その時期のずっと前に届くの。
はい、また一つ、英語のおべんけうでしたね。
でも、こういうさ、なんちうのかなあ、新しいことを憶えていくのはいいことなんだ、正しい知識というのは憶えていかなくてはならないんだ(はい、ここで今回のちょっとした論理の飛躍というかひきつけがあります)、ということを当然の人生の態度として共有していない人というのがけっこう多いのかなあ、と思ってしまったのが、例のハンセン氏病のもと患者の宿泊拒否問題でした。
当該の熊本県南小国町の「アイレディース宮殿黒川温泉ホテル」、8日の朝日・コムでは「ホテルを経営する「アイスター」(本社・東京)は8日、同社のホームページで「社の正式見解」として「『宿泊拒否はホテル業として当然の判断』との主張になんら変更はありません」と掲載した。県や元患者らは反発を強めている。」ということらしいね。病膏肓に入るって、こういう人たちの方をこそいうの、とか非難するのは簡単だが、非難しても始まらないのが面倒くさいところ。聞く耳を持たない頑迷なこうした妄想を、それでも辛抱強く折伏していかなければならない。そういう作業をだれかがやらなくてはね、イラクを叩くブッシュと同じことになってしまうのだわ。
それともう一つ、この宿泊拒否された「菊池恵楓園入所者自治会」のほうに、なんだか、すごい電話や手紙が舞い込んでいるらしい。
12/5付けの東京新聞の特報面(これが近年、また読ませて面白いんだわ)によると
http://www.tokyo-np.co.jp/00/tokuho/20031205/mng_____tokuho__000.shtml
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(ホテル側の謝罪を)入所者側は謝罪文の受け取りを拒否。この場面がテレビのニュースで放映されると、その後三日間にわたり全国から百本以上の電話がかかってきた。「ほとんどが批判、中傷でした。『ごう慢だ』『裁判に勝ったって社会は受け入れてない』などで、年配の人が多かった」
電話が一段落すると、手紙が届くようになった。こちらも中傷の方が多い。「これはひどかった」と太田さんがいう、はがきの中央に、変形した顔の写真をはり付けたはがきがあった。「人々に嫌悪され、国が差別していたのを謝罪したのをたてにとりいい気になっているが、中央の写真を見よ。これが他の人間と同様か」
その他の手紙にも、入所者らの気持ちを刺すような言葉が並ぶ。「調子に乗らないの」「謝罪されたら、おとなしくひっこめ」「私たちは温泉に行く暇もなくお金もありません。国の税金で生活してきたあなたたちが、権利だけ主張しないでください」—。差出人は名前が書いてあるものもあるが、「善良な一国民」「女性代表」など、匿名も目立つ。
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ね、すごいっしょ。
こういうの書いちゃえる人たちって、基本的に、「人生への態度」が違うんだなあって、思わない? 正しさ、とか、そういうこと、端から持ってないというか、諦めちゃってるというか、バカにしてるというか、「世の中、そんなもんじゃねえんだよ」ってドラマの中で言うやつぁ視聴者にはだいたい悪者・いじめ役だって思ってたのだけど、こういう輩って、主人公より、そういういじめ役のほうに感情移入してるのかねえ。
いや、あたしだってね、「正しさ」のもうどうしようもない「おこがましさ」とか「イヤらしさ」ってのは知ってるさね。しかし問題は、そういうのって、「正しさ」が権力を持ったときの話で、だって、あーた、ハンセン氏病に関する「正しさ」って、権力なんて持ったことないでしょね。かわいらしい、それこそ、すぐへなってしまいそうな正しさなんだわ。それを「おこがましい」とは、どの面下げて言えるんだえ? ってことなの、言いたいのは。
でも、そこでふと気づくのよ。
なんだか、こういう抗議文、トーンが一緒で、ちょっと待てよ、またこれ“組織票”なんでないの? まあ、よくある陰謀説みたいに受け取られるかもしれねえけどな。
逆に、組織票だったら納得できるけど、自然発生的にこうもトーンが同じだったら、恐いわねえ。ハンセン氏病元患者はもう病原体を持ってるわけじゃないんだから感染するわきゃないけど、「アイスター」ウイルスは感染するんだ、というか、ナントカ子さまの帯状疱疹のように、他が弱くなったら一気にぼわっと体の表面に出てくるのだね。
あのね、ニューヨークってね、街をエレファントマン病の人とか、五体不満足な人とか、いろいろ平気で歩いてたりするの。市バスなんかも、車いすの人、ばんばん乗せるしね。いま、地下鉄駅(これが古いから)、あちこちで改装工事中なのは、みんな車いす用のエレベーター設置のためなのだ。ま、そういうもんだよ。
先の記事で「中央の写真を見よ。これが他の人間と同様か」ってはがき送った人もね、慣れなのよ。慣れ。初めはびっくりするけど、慣れるの。この「慣れ」にはいろんな条件が必要なんだけどさ。
昔はさ、「中央の写真を見よ。これが他の人間と同様か」って、きっと黒人とかさ、ホッテントットとか、牛女とか、ヘビ女とか、小人症の人とかさ、ジャイアント馬場とかさ、カルホーンとかさ(う、古いな)、平気で言えてた時代があったんだと、思うよ。
でもね、「新しいことを憶えていくのはいいことなんだ、正しい知識というのは憶えていかなくてはならないんだ」という積み重ねでさ、「これが他の人間と同様か」っていう突きつけに、いまはやはり平然と、「そうなんだよ、おぢさん」と応えるのが、気持ちいい人生への態度なんだと、選択したいのだ。