インセキュア
あちこちで同性婚の火の手が上がっていて、それと同じニュース画面でこの一週間はメル・ギブソンの「Passion of the Christ(「キリストの受難」っていう意味)」の封切りもあってキリスト者たちがうんざりするくらいテレビに出てた。
ローマ法王に向かってあいつはまだカトリックさが足りないなんて思っているメル・ギブソンにしてもそこまでは臆病で言えないし言う頭もないジョージ・ブッシュにしても、いまガチガチに宗教的な人間ってのはよく見るとみんな過去にアル中だったり自棄的だったりした連中でさ、どうしようもないやつだったのが神様に治してもらったって言ってるの。でも、実はいまも治ってないんじゃないかって思うところが多々あってね、ギブソンなんてひどいもんだよ、あっちこっちで怒鳴り散らしたり人を罵倒したり四文字言葉は吐くしホモはとんでもない、フェミニズムはダメだ、ユダヤ人は裏切り者だってな攻撃ばかりの人生。ブッシュだって辺り構わず武力行使。ああ、罪深いねえ。しかしカトリックもプロテスタントも楽なもん。神父さんに懺悔したり日曜礼拝に行けばそれで罪は購われちゃうわけ。やつらがどうして宗教的なのか、つまりはそういうことなのね。
そんでもってそういう連中に限って同性婚は社会を脅かす、神聖な結婚を脅かすって叫んでる。いったい何が怖いのか。そいつがいまひとつわからんなあとつらつら考えていたらわかった。
そういう連中って、そういえばなんにでもギャーギャー騒いで、そんで自宅や車の中に銃を大量に置いておくような輩じゃないの、ふと気づけば。もともとヒステリックなんだわ。そんじゃなきゃ銃なんてふつう持たんでしょう。そういう連中が「脅かされる」って、あんた、なんにでも脅かされて銃を構えるんだからね、いちいち相手にしてたらバカ見るわ。同性婚って、あんなの何を脅かすの?って聞くことは、ほんとはそんな質問は意味ないの。関係ないのよ。同性婚であろうが枯れススキであろうが同じなのよ。ぜんぜんだいじょうぶなんだよ、って諭してやっても聞く耳持たずにまた銃を買い込むようなやつらなんだから、なんであってもいいのよ。とにかく仮想敵にひとりでビビってるわけ。
これって、かんぺきにビョーキだわさ。神経症? 過剰防衛症? 被害妄想症? 何なんだろうなあって思うに、とどのつまりはさ、そういうやつらって基本的にまずもって自分自身がどうしようもなくインセキュア(insecure)なんだわなあ。自分自身が不安で不安でしょうがないの。自分に自信がなくて、いつもびくびくして、ひとのやることにいちいち疑心暗鬼なの。だから何にでも脅かされると騒ぐわけ。そういう「悪魔のささやき」に、そういうやつらはじつはだれでもない自分が唆されるんじゃないかって、怖いのかもね。余計なお世話だわなあ。他の人はあんたみたいにインセキュアじゃないから、ぜんぜんビビったりしてない。ビビってるのはあんただけで、それの道連れにしないでほしいわ、ってなもんよ。
問題はだから同性婚ではないんだわな。問題は彼らのそういうインセキュアネスなのね。それってセラピーの対象よ、立派に。そう思わへん?
さ、今週はそんでもメル・ギブソンの「passion of the Christ」を見に行ってこようっと。彼のインセキュアさがその映画にどう影響してるかとっても興味があるのよ。