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February 29, 2004

インセキュア

あちこちで同性婚の火の手が上がっていて、それと同じニュース画面でこの一週間はメル・ギブソンの「Passion of the Christ(「キリストの受難」っていう意味)」の封切りもあってキリスト者たちがうんざりするくらいテレビに出てた。

ローマ法王に向かってあいつはまだカトリックさが足りないなんて思っているメル・ギブソンにしてもそこまでは臆病で言えないし言う頭もないジョージ・ブッシュにしても、いまガチガチに宗教的な人間ってのはよく見るとみんな過去にアル中だったり自棄的だったりした連中でさ、どうしようもないやつだったのが神様に治してもらったって言ってるの。でも、実はいまも治ってないんじゃないかって思うところが多々あってね、ギブソンなんてひどいもんだよ、あっちこっちで怒鳴り散らしたり人を罵倒したり四文字言葉は吐くしホモはとんでもない、フェミニズムはダメだ、ユダヤ人は裏切り者だってな攻撃ばかりの人生。ブッシュだって辺り構わず武力行使。ああ、罪深いねえ。しかしカトリックもプロテスタントも楽なもん。神父さんに懺悔したり日曜礼拝に行けばそれで罪は購われちゃうわけ。やつらがどうして宗教的なのか、つまりはそういうことなのね。

そんでもってそういう連中に限って同性婚は社会を脅かす、神聖な結婚を脅かすって叫んでる。いったい何が怖いのか。そいつがいまひとつわからんなあとつらつら考えていたらわかった。

そういう連中って、そういえばなんにでもギャーギャー騒いで、そんで自宅や車の中に銃を大量に置いておくような輩じゃないの、ふと気づけば。もともとヒステリックなんだわ。そんじゃなきゃ銃なんてふつう持たんでしょう。そういう連中が「脅かされる」って、あんた、なんにでも脅かされて銃を構えるんだからね、いちいち相手にしてたらバカ見るわ。同性婚って、あんなの何を脅かすの?って聞くことは、ほんとはそんな質問は意味ないの。関係ないのよ。同性婚であろうが枯れススキであろうが同じなのよ。ぜんぜんだいじょうぶなんだよ、って諭してやっても聞く耳持たずにまた銃を買い込むようなやつらなんだから、なんであってもいいのよ。とにかく仮想敵にひとりでビビってるわけ。

これって、かんぺきにビョーキだわさ。神経症? 過剰防衛症? 被害妄想症? 何なんだろうなあって思うに、とどのつまりはさ、そういうやつらって基本的にまずもって自分自身がどうしようもなくインセキュア(insecure)なんだわなあ。自分自身が不安で不安でしょうがないの。自分に自信がなくて、いつもびくびくして、ひとのやることにいちいち疑心暗鬼なの。だから何にでも脅かされると騒ぐわけ。そういう「悪魔のささやき」に、そういうやつらはじつはだれでもない自分が唆されるんじゃないかって、怖いのかもね。余計なお世話だわなあ。他の人はあんたみたいにインセキュアじゃないから、ぜんぜんビビったりしてない。ビビってるのはあんただけで、それの道連れにしないでほしいわ、ってなもんよ。

問題はだから同性婚ではないんだわな。問題は彼らのそういうインセキュアネスなのね。それってセラピーの対象よ、立派に。そう思わへん?

さ、今週はそんでもメル・ギブソンの「passion of the Christ」を見に行ってこようっと。彼のインセキュアさがその映画にどう影響してるかとっても興味があるのよ。

February 26, 2004

死ねというのと同じ

ゲイ団体などが長く支援してきたシェイダさんの難民認定裁判で、先日、東京地裁の市村陽典裁判長がシェイダさんに「死刑」に等しい判決を下した。
ぼくは鳥肌が立った。

朝日のサイトから引用する。
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「同性愛は死刑」とイラン人の難民申請、東京地裁退ける

 「同性愛者の自分が強制送還されると本国で死刑になる」と言って、イラン人男性(40)が、政府に強制退去処分の取り消しなどを求めた訴訟の判決が25日、東京地裁であった。市村陽典裁判長は「公然と同性間の性行為をしない限り刑事訴追される危険性は相当低く、迫害を受ける恐れがあるとは言えない」と述べて本国への送還を適法と判断し、原告側の請求を棄却した。

 同性愛者を難民と認めるかについて初の司法判断となった。原告側の代理人は、欧米では、自国での同性愛者に対する迫害を理由に難民と受け入れる例が相次いでいるのに、人権を無視した判決だとして控訴する方針を明らかにした。

 判決によるとイラン人男性は91年に来日。そのまま不法残留し、00年に出入国管理法違反容疑で逮捕された。このあと強制退去処分の手続きが始まったため、難民認定を申請したが認められなかった。

 市村裁判長は、イラン刑法では男性同士が性行為を行い、それが4人以上の目撃証言で裏付けられると死刑になるとし、最近も2件の死刑が報道されたことを認定した。

 しかし、男性が来日前は同性愛者であることを隠して普通の生活を送っていたことを踏まえ「訴追の危険を避けつつ暮らすことはできる」と指摘。「自分が望む性表現が許されないことをもって難民条約にいう迫害にはあたらない」と判断し、原告側の主張を退けた。
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 朝日のこの記事からしかいまのところ判決文はわからないが、様々な所与の環境をすべて認定した上での本国送還。市村裁判長の認識になにが欠落していたのか。それは、「自分が望む性表現が許されないことをもって難民条約にいう迫害にはあたらない」という文言からは判断するに、同性愛を「望んだり望まなかったりできる性表現」でしかないと思っていることの誤謬なのだと思う。市村さん、あんた、異性愛者にも同じことを言えるのか? 女が好きなことを、表現しさえしなければいいんだと、ほんとうにそう思っているのか?

 「公然と同性間の性行為をしない限り刑事訴追される危険性は相当低く」というのは、とても法律の勉強をした者とは思えない無知だ。米国でのソドミー法の例をとるまでもなく、ソドミー法というのは一般に、「同性愛」という頭の中のことを裁けないがために、その“次善”の策として、同性間性行為を裁こうというものである。頭の中を裁けるものならやつらはほんとうはこの愛を裁きたいのだ。だからオスカー・ワイルドは裁判でその愛を名前で呼ぶことを避けたのである。あえてその名を呼ぶことをしない愛(The love that dare not speak its name)、とはそういうことなのだ。

 そうしてソドミー法はその刑罰の対象である性行為をはるかに突き抜けて、その人間全体を否定するように機能するのである。そこにあるのは神への罪である。大文字のSINだ。このsinnerに対して、迫害がないと、市村さん、あんた、よく言えたな。刑法の処罰を逃れられるだと? 逃れてそこにあるのは、法ですらないリンチである。私刑である。それ以上の迫害を、たったひとつの例でよい、歴史上、挙げられるものなら揚げてみよ。「4人以上の目撃証言」など、それをねつ造することこそが神への忠誠だと叫び上げるような社会に送り返すというのは、コロシアムでライオンの前に引きずり出される奴隷たちへの処遇と同じだ。そうして彼らを殺したのは私ではなくライオンだと言い張るのである。市村さん、あんた、その後でピラトよろしく手をすすぐのか?

 こんなに腹立たしく、こんなに情けなく、こんなにも身の毛のよだつ判決をぼくは久しく知らない。「イランには同性愛者への死刑がない」というのではないのである。そういう種類の無知蒙昧ではない。「最近も2件の死刑が報道されたことを認定した」上での、確信犯的な無知の選択だ。アムネスティなど先進的国際社会がすでに明確に認定している事実への敢えての無視である。もし頭の中を裁けるのなら、わたしは市村さん、あんたのその無知と怠慢と、そうしてその無知と怠慢をどうにもしようとしないあんたの持続的な努力とを、この手でぎたぎたに引き裂いてやりたい。

February 19, 2004

蛇にピアスのホモフォビア

いま「蛇ピア」読んでみました。文芸春秋、こっちの紀ノ国屋書店で買ったら14.50ドルもするんだよ。ちょっと取り過ぎだよねえ、倍以上だなんて。

ところでその「蛇ピア」ですが、読み始めて、また新たな地平を指し示してくれるのかなあ、なんて期待させる感じでしたんですけどね、なんだか読み進むうちに字面とはぜんぜん違ってずいぶんとまた古風な作品だわなあーと思えてきちゃうのですよ。ピアスだの入れ墨だのと日本の若者にとっての道具立てがじつに“ナウイ”だけで、あの主人公の女の子も、じつに古風な反抗の仕方と古風な人の愛し方をしていて、なるほど、この子(作者)はいい子なんだなあ、と思えちゃいました。だいたい、いい子じゃないとこういう小説は書かない。ほんとうに怖い女の子は『パルタイ』なんていう題の小説を書くもんです。

小説としてどうか。

わたしは、買わないなあ。前述のとおり、ぜんぜん新しくない、というのが一つ。おまけに作り過ぎで、伏線も幼くて、思惑が透けて見えてしまう。

それに、こんなの書いて賞を穫らせたら、欧米では必ずボイコット運動が起きます。作家はもちろんですが、選考委員会にも抗議が行くでしょう。何かと言うとね(ネタバレですから読んでいない人はゴメンです)こういうホモフォビックなものを無自覚に書けてしまう作家は、たとえ幼いのだとしてもまずはダメなんだよって言ってやらねばならんのだと思うわけですよ。クィアを犯人に仕立てあげちゃいけないというのではありません。しかし、もうこの時代、そうしたいならばそういう綿密な知的な詰めの作業が必要なのですよ。70年代じゃないんだからね。変質者が殺人を犯すのは当然だろうってな無自覚を拠り所にして表現なんかできないっしょ。両性愛者を犯人に仕立て上げたいならば、それはもうどこから攻められても対処できるような、確信犯的な伏線の積み上げが必要なわけです。ガキの作文じゃないんだからね、もう。権力なんだもん。

肛門にキュウリ突っ込んで首つり自殺するのと、チンポコの尿道口にお香のスティック入れられたまま殺されるのと、その二つはまるで違う。こんなにも文学は後退してしまってよろしんでしょうか? そういうことに気づかない、あるいは気づいていても問題としない芥川賞の選考委員会ってのは、なんじゃらほい? 詠美ちゃんも龍ちゃんも、おまけにわが尊敬する池澤夏樹先生も、どうしちゃったんでしょうね。些末なことなのかしら? 違うんですよ、それは。

February 15, 2004

少子化を助長しないために

昨日のサンフランでの同性婚は14日のバレンタインデイということもあって、市庁舎をぐるっと取り巻くほどの多数の申請者がいたそうである。

やっぱりね、ニューヨークの日本人社会でもそれを話題にする人たちが出てきましたね。ニュースででかでかと取り上げられているからね。それでも、これまでの蓄積がないから、この事象に対応するのはやはり大変なんだと思う。こんなにもいろんな前兆があって、伏線もあって、攻防もあからさまだったにもかかわらず、知らんぷりしてきたからいまになっていったい何だ何だと慌てることになる。

そんで本日もまたそんな方とこの件で話をしてみたのだが、いや、彼はこれで「世の少子化を助長することになるんじゃないか」と本気で心配なさっていた。

そんときに気づいたんだが、まあね、ゲイビアンなんてのはまあ人口でいえば5%〜10%でしょ、そんで、そういうのとは関係ない90-95%の社会が少子化に“悩んでいる”のかもしれないけど、ゲイビアンはもとより数字に入っていないのだから、どうしようが少子化は関係ないのだ。で、しかし、「多子化」には関係できるって、気づいてた?

もとより数字に入ってなかったゲイビアンが結婚するでしょ。するってえと安定した次にはやっぱり子供が欲しくなるってなもんよ。するとビアンたちは人工授精で子供を産もうとするわね、さらに雄のゲイカップルたちも養子もらいたいと思ったり自分の精子の落ち着き先つまり代理母を求めたりするわね。するってえと、子供産まれるわ。これって、ゲイビアンの結婚を認めることは、たった5〜10%の援軍だけれど、少子化を防ぎたいと声高に唱えるものたちの味方になるってことですわ。

同性婚は少子化を助長するどころか、それとは逆の効果をもたらす。

これ、結構使える言い方でないかしら? ま、それもこれも、「同性愛は少子化を助長する」ってなバカな妄想をもってるような連中のためにバカな論理を持ち出して折伏するしかないという、そういうレベルでの話だけどね。

February 14, 2004

サンフランシスコ同性婚!

すごいことをやりますね、あの若い市長さん。ギャヴィン・ニューソムっていうんだよ。36歳だってさ。いやあ、わかいねえ。それもなかなかハンサムなのだ。見たい?
http://www.sfgov.org/site/mayor_index.asp?id=22014
なんか、頭のてっぺんが水平一直線なのがおかしいけど、ま、関係ないやね。

そうそう、同性婚、市で証明書発行しちゃったわけ。
カリフォルニア州は例の連邦法のDOMA(結婚防衛法)と同じに州法で結婚を男女間に限ると規定しているわけです。例のハワイの同性婚のうねりがあったときからの同じ流れでワーって決まっちゃったんだね。だから、その下の自治体であるサンフランシスコという一「市」が同性婚を認めたっていっても、州法に照らしてそれは違法ということになるんだけど、このニューソム市長、今朝のテレビのニュースインタビューなんかでも「州法といっても、州憲法で差別はいけないって決まっているんだからそっちを尊重するほうが先で、そうすると当然同性婚を認めなければいけない」っていう論法ですっぱり明快に断じていました。

先日、再び最高裁がダメを押して「同性婚でなければダメだ」って言ったのはマサチューセッツ州だけど、これも同じ論理なんだ。つまり、ドメスティックパートナーシップとかシヴィルユニオンとかっていうので妥協すると、矛盾が出てくるというのである。その辺の詳細はバディにでも書きますのでそれを参考に。あ、それと17日に発売の『情況』というかつてのサヨク誌めいた思想誌にアメリカでの同性婚の攻防戦について結構長く書いてあります、わたしが。それもご興味のある方はどーぞ。なんたって、原稿料が図書券2000円分だっていうぞ、まだ届いてないけど。書いてくれって頭下げられなきゃ書かんわ。

いや、本日言いたかったのは、サンフランシスコ、同性婚証明書発行して、つまり同性婚が行われて、メディアみんな騒いでるけど、この件の大切なおさえどころは「ねえ、これでなんか不都合あった?」って、それが新しい地平なんだって示せることなんだと思うわけさ。

同性婚、やっちゃったぜ、でも、なんか変わった? 変わってねえしょ。だいたい、他人のこと、そんないちいち関係ないっしょ。なんでそんなことに口出して心配して、でもぜんぜんだいじょうぶでしょ、ってこと。何大騒ぎしてるの? ってなこと。

いやいや今後もっと増えれば大変だ、と心配性の人は言うかもしれないけど、前述のニューソム市長、こう言ってました。「ほんの数十年前まで、黒人と白人は結婚できなかった。キリスト教徒と異教徒も結婚してはいけなかった。それは差別だった。差別はいけないと、いまは当然みんなわかっているじゃないか」。そうだね、黒人と白人との結婚で、みんな社会が混乱に陥るとパニックになったが、けっきょくはそんな混乱は起こらなかった。それは純粋にプライバシーの問題だった。他人がとやかく言うことでもないし心配することでもない。社会はむしろ、それによってよくなったのですからね。

同性婚、目が離せませんよー。

February 10, 2004

学歴疑惑

例のあの古賀なにがしとかいうやつの学歴詐称問題から、今度は安倍幹事長やら小泉首相の大学留学に疑義ありってな具合に、日本じゃ問題になってるらしいね。

そしたら小泉さん、単位を取ろうが取るまいが、「留学は経験が大事だ」なんてまたとぼけたことを言い始めました。この人の詭弁はまったく困ったもんだ。

留学でも入学でも在籍でも何でも、欧米では卒業しなければ何の意味もないのです。それが証拠に、首相官邸のウェッブサイト(www.kantei.go.jp)に入ってみたら、小泉さんの日本語での履歴紹介である「足跡」(http://www.kantei.go.jp/jp/koizumiprofile/2_sokuseki.html)というページでは「1967年 ロンドン大学留学」というのが記述されていますが、英文のサイトの相当ページ「milestone」(http://www.kantei.go.jp/foreign/koizumiprofile/2_milestones.html)ではそれに相当する英文がそっくり割愛されています。英語サイトでは慶応卒業しか書いていないの。面白いでしょ。なによ、これ。

推察するに、英文サイトの英語を監修した英国人もしくは米国人なりが、この「留学」には何の意味もなく、たんに「卒業していないという恥をさらすだけだ」と判断して削除したのでしょう。そういうもんです。留学経験という大事な経験を積んでいながら、そんな常識もわからない留学経験がなんぼのものなのか? 「留学は経験が大事」という言葉自体もでたらめだということがこれでわかるというもんです。

安倍さんの南カリフォルニア大学だってたった1年。

こうなるとお二人とも、お「家筋」がよろしいお金持ちのボンボンのご遊学でしょ。ふつうは「留学」だなんて恥ずかしくて書けない。それより、書いたら叱られますよ。しかし政治家の履歴にはそれがしっかりとはったりの自慢になる。おかしなもんです。これでは、くだんの古賀さんも「卒業」ではなく「留学」と書いておけばよかったわけだ。「留学」というのに何の意味もないと、それを書くのがはばかれて、「卒業」とウソをついてしまったのなら、「留学」といけしゃあしゃあと書き連ね、これで国民は誤解するはずだとシレッとしてる輩とどっちが正直なのか、いや、どっちが不正直なのか、わかったもんじゃないね。これは明白に、詐欺罪の、未必の故意です。

小泉のやばさに、いや、貢献はあるよ、小泉のおかげで政治家がすこしは言葉を話すようになった。しかしそれが詭弁だらけなんだ、とみにこのごろ。自衛隊派遣の詭弁、大量破壊兵器の詭弁、「大量破壊兵器が存在しないということをイラクが証明しなかったから悪い」って、あーた、物事ってのはね、「存在証明」は可能だが、「非在」は直接的には証明できないのだ。それが論理というものです。

小泉はヤバいっす。このヤバさを衝けない民主党はこれまたヤバいくらいにバカだが、このヤバさをチャンスにしなきゃあねえ。小泉以後になってまた森みたいな間抜けが出てきたら衝くにも抜けるだけでぜんぜん衝けないんだから。