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May 26, 2004

アルカイダなの?

アルカイダの関連グループのメンバーとされるリオネル・デュモンがドイツで逮捕されたせいで日本で接触のあった外国人が逮捕されましたね。しかし、こういう公安事件というのは訴追の手順がとてもひどいことが多くて、わたしも実は若いころ警視庁の公安担当記者を2年ほどやっていたんですが、普通は逮捕しないよなあということを、公安警察だと逮捕できちゃうんです。というか逮捕しちゃうんだな。そうして未決勾留をぼんぼんつけて、裁判なんか関係なしにずっと拘束しておく。アメリカのグアンタナモみたいな、あるいはイラクのアルグレイブみたいなことをやってるわけです。考えたら怖いよな、これは。

今回も逮捕された人たちを見ると、バングラデシュ国籍の中古車販売会社の社長さんとか、ほとんど逮捕容疑はいちゃもんですね。まあ、不法入国した人もいるけど、こういうのはみんないわゆる「別件逮捕」。新聞ももう別件逮捕に異議を挟まなくなってしまいました。そういうもんだって、玄人になっちゃって、疑念を持たなくなっちゃってるんですね。困ったことです。

取材したわけじゃないから本当にこの逮捕の五人がアルカイダとつながっていないのかどうかわかりませんが、なんだか単にデュモンのネットワークの解明だけのために逮捕された感もしないではありません。中古車とか売りさばいて金を稼いでいた。それをアルカイダの資金に流した。でも、これって、それ自体は犯罪じゃないでしょう。アルカイダの資金に流したというところが外為法かなんかに引っかかる可能性はあるかもしれませんが、それにしても逮捕容疑にはなくて、新聞は“玄人”っぽく見出しで先読みをしてみせるが、ほんとうはそれはジャーナリズムじゃないし、ひょっとしたら嫌疑不十分でまさに微罪での略式起訴、釈放、罰金、国外追放で終わりかもしれません。で、アルカイダ? という「誤報」の汚名は晴らされることなく、日本人の記憶にシミとして残るのです。

なんかそこまで見えると、ネットで逮捕の模様の映像を見ていてこの五人、かわいそうな気がします。とくに、フジTVのニュースって、どうしてあんなにナレーションがおどろおどろしいんだろう。声優なんか雇っちゃダメだよねえ、ニュースに。本当にアルカイダとつながっているならば、それが立証され判明した時点で調査報道すればよいのです。おどろおどろしくする必要はまったくない。

そうそう、それと蓮池さん、地村さんの帰国家族の報道も、フジテレビだけじゃないかもしれないけど、スーパーで何を買っただのこれと同じものだの、と、すごい踏み込むのね。踏み込むって、どこに踏み込むのかっていうと、彼らの生活にです。彼らの家にずかずかと入り込んでいくのと同じなのです。こういうの、やめることはできないのかしら。

これって何かというと、身内志向なんだなあって思います。みんな身内になりたがっているような、だからずかずか入り込んでもだいじょうぶなんだっていう、でも、それは奢りです。

プライバシーとかいう横文字の問題ではなくて、東アジア型の社会ってこういう「身内かよそ者か」という二つしかないのかもなあ。アルカイダつながりのあの五人はもちろん「よそ者」。だから何を書いてもいいんだ。
あとじつはもう一つあって、それは「お客さま」という領域ね。他人にはこの「よそ者かお客さまか」しかない。そしてこの二つはなんの根拠もなくとつぜん入れ替わったりするから気が抜けない。

ところで拉致被害者家族会に、小泉首相を「あなたにはプライドがあるのか」って詰問したことなどに関して批判が殺到しているそうな。例のイラクの拉致人質事件と似た「バッシング」のメールや電話ですね。わたしも蓮池さんのお兄ちゃんには「この人、だれ?」って思うことはあるけど、それにしても批判の優先順位としてははるかに低い。ましてやあの「プライド」発言なんかは、逆にああ言わざるを得ない残された家族会の精一杯の、弱者としての意思が込められていて、そういうもんだろうなあとしか思えませんでした。

にもかかわらずすぐこうして、たとえ弱い者でも「分を越えた物言いは許さない」といったいじめに流れる世論がある。もうひとつ、これは身内から身内への叱責の仕方にも似ているなあとも気づきました。一個の別人格としての他人への批判というより、そういう人格を無視しての身内的な頭ごなしの一喝という感じがします。なんだか、ひどくさもしくあさましく、卑しくつまらない人びとがたくさんいるのか、と。

この、バッシングの欲望というか、ネガティブな悪意というか、そういうのが日本社会に渦巻いているのでしょうか。もしそうだとすると、それはそのままでよいのでしょうか。decent, decentって書き連ねる大江健三郎がここ最近、なんだかずっと厭われているようなのもこの社会だからなのかもね。

ついでに言ってしまえば、あの雅子さんの人格否定発言をした皇太子に関しても、なんか、まあタブーですから表面には出ていないでしょうが、そういうふうにバッシングしたい向きがたくさん潜んでいるような気がします。
これ、いつか吹き出すんじゃないでしょうか。
皇室って、ヒロヒト亡き後、じつはいまの保守反動右翼勢力にとっては、目の上のたんこぶみたいな存在になっているんですよ。じつに逆説的に、いまの皇室ほど平和憲法を体現して平和志向である存在はないんですもの。しかも雅子さんの「基本的人権」だ。

May 20, 2004

北風と太陽

 イラク人虐待写真でくわえタバコで写っていた女性兵士が口をとがらせながら「あれは上官の命令だったのだから自分が悪いのではない」と言い張っているのを見て、小学校5年生のときに見た(再放送ですよん)『私は貝になりたい』というドラマを思い出しました。

 若い人は知らないかもしれませんが、第二次大戦中、上官の命令で捕虜の米兵を殺し(実際には銃剣で怪我をさせただけだったのですが)、東京裁判で死刑判決を受けたC級戦犯の床屋さんの物語です(C級というのは、A級とかB級とかと違って下士官、下っ端兵隊の戦犯を指します)。あのドラマでも、フランキー堺演じる戦犯とされた床屋さんは「上官の命令は天皇陛下の命令。つまり神様の命令です」と弁明していました。連合国によるアメリカ人検事はそれが理解できない様子で、たしか「しかし人間としてあなたはそれはやってはいけないことと判断できたのではないか」と詰め寄る。

 そうそう、飢えた捕虜によかれと思ってゴボウを食べさせてやったのを、人間の食べ物ではない木の根を食わせたと断罪されてもいた。その記憶があったせいで、ニューヨークでゴボウを「バードック」と呼んで売っているのを初めて見たときには複雑な気持ちになったものです。くだんの床屋さんは、そんなこともなにも通じないままに死刑に処される直前、こんなことなら人間に生まれ変わりたくなんかない、牛馬にだって人間にいじめられこき使われるだけだからいやだ、いっそ、そうだ、深い海の下の、人間に見つからずに黙ってしずかに命を送れる、私は貝になりたい、と思うのです。

 ブッシュ大統領がアルグレイブでの失策を「民主主義も間違うことがある」と演説したとき、こんなことで民主主義に汚名を着せるなんてひどい話だなあと思いましたが、いまでは上官の命令、あるいはラムズフェルド国防長官の虐待承認という報道まで出てきて、これは間違いというより確信犯だったのだという見方が強まっています。というか、これが戦争の正体なのですね。

 こうなると、この戦争で一つひとつどこがどうひどい話なのかとあげつらってもすでにきりがないように思います。ドミノ倒しのようにバタバタとみんな破綻してきて、最初のボタンの掛け違いがここまで来てしまった。イラク開戦でいえば、すでにあまり口にもされなくなった「大量破壊兵器の開発」という「難癖」からでしょうか。いやそもそも、9・11からイラクにまで飛び火させた、ブッシュ政権の基本的なスタンスこそが間違いだったのかもしれません。

 アメリカ人のほとんどは、イソップ寓話の「北風と太陽」の話を知りません。力ずくの強制がなんの解決にもならないのだということは、72年のミュンヘン五輪でのテロ以来、強硬策一筋で突き進んでいるイスラエルにいまだ平和が訪れていないことでも明らかなはずなのに、目先を変えたいのかブッシュ大統領は今度は「キューバのカストロ政権を転覆させる」と改めて言いはじめました。「北風と太陽」の話が私たち日本人の共通認識になったのは戦後の平和教育のせいかもしれません。でもそれは、血気盛んなネオコン政府には負け犬の哲学のように映るのでしょう。

 ただし、北風に衣服をはぎ取られ恥ずかしい写真まで撮られた者たちは、今後もアメリカに憎悪を持ち続ける。そしてそんな彼らがサダム後のイラクを作るのです。これを、日本政府はどう見ているのでしょう。

 平和と民主体制の達成ということを考えたら、キューバにしろイラクにしろ、そして北朝鮮にしろ、その国自身が内発的に変わっていくような状況を作り出していくしかない。それは大統領選挙用の4年とかいうスパンの話ではないのです。

 イラク撤兵のタイミングと理屈とを、アメリカも、そしてそれに追随してしまった自民党政府も、そろそろ考えるときが近づいているような気がしますね。

 まったく、憂鬱な5月です。憂鬱の原因の一つは、明日がまたまたわたしの誕生日だということもあるんですけど。

May 17, 2004

我も人の子、彼も人の子

 アルグレイブでの虐待がラムズフェルドの承認を得ていたという記事がニューヨーカーに載っていました。

 86年の三井物産マニラ支店長若王子信行さん誘拐事件のときに、犯人グループと接触しようとルソン島の山奥の村々を徘徊したことがあります。反政府組織の巣窟だなどとの情報でいったいどんなにヤバいところなのかと内心穏やかではありませんでしたが、しかしじっさいに現地に入ってみるとどこででも人は生活していて家庭を持ち子供は遊び、なんのことはない、これが人間なんだといまさらながら気づかされました。

 その印象はボスニア戦争でも同じでした。人は家庭人であり、そして狙撃手でもある。ペルーの日本大使館人質事件でも現地入りした親友が教えてくれた印象は同じでした。殺された犯人たちはみな若くテレビも見たことのない山村の青年団みたいな者たちだった。

 ぼくらはついついこの種のことを忘れがちです。この世にはショッカーみたいな純粋な「悪者」がいて、こいつらはなんらの背景も持たずに闇雲に「われわれ」を倒すことだけを考えている。それはハリウッドが描いたかつての「インディアン」であり、安物ギャング映画の悪漢像です。

 東京新聞のウェッブサイト(www.tokyo-np.co.jp/kousoku/)で、「拘束の三日間」という連載を読むことができます。バグダッド郊外で武装グループに拉致されたジャーナリスト安田純平さん(30)の手記です。拘束の模様を、安田さんは次のように書いています。

 「監視役として、私たちの傍らに座ることの多い家主のひざの上では五歳の男の子が寝ている。近所の子どもたちが珍しいもの見たさに集まってくると、家主が追い払った。近隣から続々と人々が訪ねてくる」「アラブの布クフィーヤを使った覆面の仕方を教えてもらった。大喜びした家主は、客人が訪ねてくるたびに『やってみせろ』と私を促す。やってみせると、部屋に笑いが広がった」「食後に移動した草原の星空の下で、新たに訪ねてきたイラク人男性が英語で言った。『米軍の攻撃で千人を超える死傷者が出ていることを知っているか。われわれの生活を脅かすならば、戦う』」

 テロだテロリストだというメディアの連呼に、ぼくらはついついプロの殺人鬼のような「敵」像を形作りがちです。アメリカにいる私たちにはファルージャで、ナジャフで、米軍に殺されている人たちの情報はまるで入ってきませんし。それどころか戦死米兵の情報すら具体的ではなく、やっとABCのテッド・コッペルが『ナイトライン』でイラク開戦以来の721人の犠牲者の顔を映し出し名前を読み上げ、USAトゥデイが一面トップを犠牲者の顔写真で埋め尽くすなどし始めたばかりです。

 人間のことなど考えていたら戦争はできません。だから死者たちは「数」に貶められ、捕虜たちは性的に拷問される。いったい、何のための戦争だったのでしょうか。

 4月のイラク側の死者は1361人。昨年3月の開戦以降、月間で最悪の数字だそうです。この1361人の顔と名が世界に読み上げられることは、おそらくありません。

May 07, 2004

イラクとベトナム

アメリカのメディアは連日、例のイラクの刑務所の性的拷問・虐待問題で大変。
当のアメリカ人はというと、困ってる感じなのですね。どう反応したらいいか。そりゃ、けしからんとは思ってるし、ひどい、とかって言うんだけどさ、でも、困ってる、当惑、ってのが近いかね。

外国に送っている兵士たちってのは、アメリカ人にとってはヒーローなわけだよね。そんなヒーロー像が瓦解するわけだから、まあ、いってみればバットマンが実は覆面の変態強姦魔だったって新聞でスッパ抜かれるときの子供たちの反応を思い浮かべればいいの。

これってね、ベトナム戦争のときのソンミ村を連想しました。1968年の事件だからわたしゃここにゃいなかったわけで実際は知らないのだが、きっと、同じような反応があったんじゃないかなあ、と。

ソンミ村ってのは、カレー中尉ってのが(ほんとはカリー中尉って発音するんだけど、当時の日本の新聞はみんな「カレー」ってやってた。カレーライスに引っ張られたんだわね)ソンミ村の非戦闘員の村民を皆殺しにしちゃったっていう事件。

ベトナム反戦運動の一つのモメンタムになった事件でね、イラクのこのアグレイブ刑務所問題も、ともするとラムズフェルド更迭、米軍撤兵、ということに結びつくかも。でも、まあ、所期の目的も達成せずに撤兵なんてことになったらブッシュはつぶれるけどね。