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我も人の子、彼も人の子

 アルグレイブでの虐待がラムズフェルドの承認を得ていたという記事がニューヨーカーに載っていました。

 86年の三井物産マニラ支店長若王子信行さん誘拐事件のときに、犯人グループと接触しようとルソン島の山奥の村々を徘徊したことがあります。反政府組織の巣窟だなどとの情報でいったいどんなにヤバいところなのかと内心穏やかではありませんでしたが、しかしじっさいに現地に入ってみるとどこででも人は生活していて家庭を持ち子供は遊び、なんのことはない、これが人間なんだといまさらながら気づかされました。

 その印象はボスニア戦争でも同じでした。人は家庭人であり、そして狙撃手でもある。ペルーの日本大使館人質事件でも現地入りした親友が教えてくれた印象は同じでした。殺された犯人たちはみな若くテレビも見たことのない山村の青年団みたいな者たちだった。

 ぼくらはついついこの種のことを忘れがちです。この世にはショッカーみたいな純粋な「悪者」がいて、こいつらはなんらの背景も持たずに闇雲に「われわれ」を倒すことだけを考えている。それはハリウッドが描いたかつての「インディアン」であり、安物ギャング映画の悪漢像です。

 東京新聞のウェッブサイト(www.tokyo-np.co.jp/kousoku/)で、「拘束の三日間」という連載を読むことができます。バグダッド郊外で武装グループに拉致されたジャーナリスト安田純平さん(30)の手記です。拘束の模様を、安田さんは次のように書いています。

 「監視役として、私たちの傍らに座ることの多い家主のひざの上では五歳の男の子が寝ている。近所の子どもたちが珍しいもの見たさに集まってくると、家主が追い払った。近隣から続々と人々が訪ねてくる」「アラブの布クフィーヤを使った覆面の仕方を教えてもらった。大喜びした家主は、客人が訪ねてくるたびに『やってみせろ』と私を促す。やってみせると、部屋に笑いが広がった」「食後に移動した草原の星空の下で、新たに訪ねてきたイラク人男性が英語で言った。『米軍の攻撃で千人を超える死傷者が出ていることを知っているか。われわれの生活を脅かすならば、戦う』」

 テロだテロリストだというメディアの連呼に、ぼくらはついついプロの殺人鬼のような「敵」像を形作りがちです。アメリカにいる私たちにはファルージャで、ナジャフで、米軍に殺されている人たちの情報はまるで入ってきませんし。それどころか戦死米兵の情報すら具体的ではなく、やっとABCのテッド・コッペルが『ナイトライン』でイラク開戦以来の721人の犠牲者の顔を映し出し名前を読み上げ、USAトゥデイが一面トップを犠牲者の顔写真で埋め尽くすなどし始めたばかりです。

 人間のことなど考えていたら戦争はできません。だから死者たちは「数」に貶められ、捕虜たちは性的に拷問される。いったい、何のための戦争だったのでしょうか。

 4月のイラク側の死者は1361人。昨年3月の開戦以降、月間で最悪の数字だそうです。この1361人の顔と名が世界に読み上げられることは、おそらくありません。

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