北風と太陽
イラク人虐待写真でくわえタバコで写っていた女性兵士が口をとがらせながら「あれは上官の命令だったのだから自分が悪いのではない」と言い張っているのを見て、小学校5年生のときに見た(再放送ですよん)『私は貝になりたい』というドラマを思い出しました。
若い人は知らないかもしれませんが、第二次大戦中、上官の命令で捕虜の米兵を殺し(実際には銃剣で怪我をさせただけだったのですが)、東京裁判で死刑判決を受けたC級戦犯の床屋さんの物語です(C級というのは、A級とかB級とかと違って下士官、下っ端兵隊の戦犯を指します)。あのドラマでも、フランキー堺演じる戦犯とされた床屋さんは「上官の命令は天皇陛下の命令。つまり神様の命令です」と弁明していました。連合国によるアメリカ人検事はそれが理解できない様子で、たしか「しかし人間としてあなたはそれはやってはいけないことと判断できたのではないか」と詰め寄る。
そうそう、飢えた捕虜によかれと思ってゴボウを食べさせてやったのを、人間の食べ物ではない木の根を食わせたと断罪されてもいた。その記憶があったせいで、ニューヨークでゴボウを「バードック」と呼んで売っているのを初めて見たときには複雑な気持ちになったものです。くだんの床屋さんは、そんなこともなにも通じないままに死刑に処される直前、こんなことなら人間に生まれ変わりたくなんかない、牛馬にだって人間にいじめられこき使われるだけだからいやだ、いっそ、そうだ、深い海の下の、人間に見つからずに黙ってしずかに命を送れる、私は貝になりたい、と思うのです。
ブッシュ大統領がアルグレイブでの失策を「民主主義も間違うことがある」と演説したとき、こんなことで民主主義に汚名を着せるなんてひどい話だなあと思いましたが、いまでは上官の命令、あるいはラムズフェルド国防長官の虐待承認という報道まで出てきて、これは間違いというより確信犯だったのだという見方が強まっています。というか、これが戦争の正体なのですね。
こうなると、この戦争で一つひとつどこがどうひどい話なのかとあげつらってもすでにきりがないように思います。ドミノ倒しのようにバタバタとみんな破綻してきて、最初のボタンの掛け違いがここまで来てしまった。イラク開戦でいえば、すでにあまり口にもされなくなった「大量破壊兵器の開発」という「難癖」からでしょうか。いやそもそも、9・11からイラクにまで飛び火させた、ブッシュ政権の基本的なスタンスこそが間違いだったのかもしれません。
アメリカ人のほとんどは、イソップ寓話の「北風と太陽」の話を知りません。力ずくの強制がなんの解決にもならないのだということは、72年のミュンヘン五輪でのテロ以来、強硬策一筋で突き進んでいるイスラエルにいまだ平和が訪れていないことでも明らかなはずなのに、目先を変えたいのかブッシュ大統領は今度は「キューバのカストロ政権を転覆させる」と改めて言いはじめました。「北風と太陽」の話が私たち日本人の共通認識になったのは戦後の平和教育のせいかもしれません。でもそれは、血気盛んなネオコン政府には負け犬の哲学のように映るのでしょう。
ただし、北風に衣服をはぎ取られ恥ずかしい写真まで撮られた者たちは、今後もアメリカに憎悪を持ち続ける。そしてそんな彼らがサダム後のイラクを作るのです。これを、日本政府はどう見ているのでしょう。
平和と民主体制の達成ということを考えたら、キューバにしろイラクにしろ、そして北朝鮮にしろ、その国自身が内発的に変わっていくような状況を作り出していくしかない。それは大統領選挙用の4年とかいうスパンの話ではないのです。
イラク撤兵のタイミングと理屈とを、アメリカも、そしてそれに追随してしまった自民党政府も、そろそろ考えるときが近づいているような気がしますね。
まったく、憂鬱な5月です。憂鬱の原因の一つは、明日がまたまたわたしの誕生日だということもあるんですけど。