予想されたこととはいえ
かわいそうなことです。
ご冥福を祈ります。
憎悪の種子が、またどこかで芽吹くのかもしれません。
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かわいそうなことです。
ご冥福を祈ります。
憎悪の種子が、またどこかで芽吹くのかもしれません。
情報の錯綜に翻弄される家族の心情を思い遣るといたたまれません。
本人の生命が危機に瀕していることは、連絡のあった遺体が別人とわかっても同じなのですから。
まだ頭が整理できていませんが、次のようなことは書き留めておいてよいと思います。
1)イラクには、このように人間の死体があちこちでみつかるのだということ。
2)おそらくそのうちの少なからぬ人たちが、死因も身元も確認されぬまま葬られるのだということ。
3)「香田さん発見」という報を出したアメリカ軍は、「一見、明らかに」イラク人だという遺体と日本人との区別もつかないのだということ。
4)その前日までにあった「遺体発見」のロシア情報や中国情報には飛びつかなかったにもかかわらず、対米追従の日本政府は、アメリカの情報はとにかくまずは正しいという固定観念を持っているらしいということ。
5)おそらくそれが、イラク開戦における「大量破壊兵器の存在」という誤情報への追随とも関連しているのだということ。
クウェートに搬送されたあの遺体は、いったい誰なんでしょう。彼はこれから、どうされるのでしょうか。
遺体が香田さんのものではない、と細田官房長官。
いったい、どうなっているのだろう。
先日の新潟の母子の生存情報の混乱といい、じつにお粗末な話だ。
ひとの生死に関わる情報が、こうも軽んじられている。
香田さんには、生きていてほしいものだ。
だめでしたか。ご両親、ご家族、そして本人も、無念でしょう。
今回の場合は、日本の国内でもおそらくあまり同情論は見られないのでしょう。
あんなところに、こんな時期に、しかも半ズボン、長髪ででかけたら、さあ捕まえてください、殺してくださいと言うようなものだ、というのはだれもがわかる物言いです。だれもが言える。おまけにイスラエルを経由して入っているということは、その形跡が見つかれば有無を言わさずにこれは彼らにとってはスパイです。
でも、だれにも言えることはその「だれにも」に任せておきましょう。
もっと本質的なことは、そもそも、ひとはこうして殺されてよいものなのか、という問いです。もっと突き詰めれば、先日、米軍によるイラク空爆や攻撃で、これまでに民間人10万人が死んだという推計が出ました。そのことです。そんな中でこの殺害が行われました。
前回はザルカウィ一派と書きましたが、香田さん拉致殺害の実行グループはなんとなく違うような気もします。心情的には一派なんでしょうが、なにか、血気盛んな周辺グループが日本のことも自衛隊のこともあまりわからないままとにかくザルカウィ本流と「同調的な行動」をとった、ということのような感じもします。
そういう闇雲な憎悪が生まれています。
こういう私自身も、もしイラクに生まれていたら、アラブに生まれムスリムだったら、おそらくアメリカを強く憎悪しているだろうと思うのです。で、その中で日本人を殺しているかもしれない。それが大義だと思っているかもしれません。
ひとは、大義がないとひとなど殺せないのです。殺せる人は怒りや嫉妬や憎悪で我を忘れていて、かつ、その憤怒が殺害実行中も持続するようなひとです。ふつうはとちゅうで揺らぎます。そうして意識や論理や理性を頭に上らせる。でも、それが大義だった場合、意識と論理と理性でも殺害の大義はなおさら補強されてしまう。みんな、正義の人になっているのです。
正義のひとブッシュは、そうやってイラクを攻撃しました。
アメリカの対イラク攻撃はじつは9/11の八つ当たりで、たまたま都合の良い標的だったのです。大義はここにも存在していました。大量破壊兵器の隠匿です。攻撃は正義だった。しかもビンラーデンとつながっている、と来れば、大義を為すのに何の躊躇もない。(でも、じっさいは石油利権というお金の問題が深く関与していたのですが、それはブッシュのへらへら笑いの奥に隠れたネオコン連中のお仕事でした)
そうして、イラクは絶対にゲリラ化して内戦状態になる、ということを多くのひとが予測し警告し開戦を急ぐなと繰り返していたのに、その後の始末を考えずにブッシュ政権は沙漠で10ドルのテントを1億円のミサイルで攻撃するという愚を冒さなければならないビンラーデンから矛先を変えて、建物も立派な目に見える攻撃対象イラクを選んだのです。
9/11はさかのぼればイスラエルとアラブ、パレスチナの問題が根です。
そうしてイスラエルとパレスチナではイラクと同じようなことが起きている。
ブッシュは、もうひとつのパレスチナ問題をイラクに移植してしまっただけなのです。それが軍事産業と石油屋を永遠に儲けさせるサイクルを作っている。
そして、ひとはそんな中で殺され合ってよいものなのかという問いがここに重なるのです。
よいはずがありません。イラク人だって、パレスチナ人だって、ユダヤ人だってアメリカ人だって日本人だって、そもそも、そうやって殺されてはいけない。
その状況の解決法はまた別の問題ですが、いま言いたいことは、殺された香田さんを馬鹿だとか呆れるだとか自業自得だという物言いは、じつはまったく意味のないことだということなのです。
合掌。
リチャード・ギアの米国版を見てきました。なんとも、オリジナルの周防監督版にとても敬意を払ったつくり方で、しかもいい意味で米国映画で、とてもよかったです。
周防版を見たときにどこかに書いたのですが、この「Shall We ダンス?」はじつは本質的にカミングアウト映画でした。社交ダンスをやっていることが恥ずかしいことでどうしても周りにいえない。それをそんなことはない、恥ずかしいなんていうのは変だ、とだんだんと自信を持ってくる。そうして最後の大団円、大カムアウトへと向かうわけですね。カムアウトというのが、英語では社交界へのデビューという意味があるのも面白い符合ですが、まあ、それは周防さんの意図したところではないでしょうけれど。
さて、アメリカ版はおそらくそのカムアウトの部分を腑分けしたのだと思います。社交ダンスが、そんなに日本ほどは恥ずかしいものではない環境で、これはカミングアウト映画というよりラブストーリーにする必要があった。そこで、カミングアウトの部分はしっかりとゲイの伏線、といいますか、ゲイのサイドストーリーを用意してそれに任せることにして、主たるストーリーラインはリチャード・ギアと奥さん役のスーザン・サランドンの結婚生活を基盤にして進めて行く、いや、というより、最終的に結婚生活にフォーカスするように進めて行く、という感じです。
アメリカ映画ですから、日本映画にあった言葉ではないニュアンスのやりとりはより明確に言葉や態度や行動でスクリーン上に示されるようになります。それでとてもメリハリの利いた映画になりました。
それでいて全体の雰囲気は周防版とそっくりなのです。なにせリチャード・ギアだって役所広司に似ている。いっしょにダンスを習う、なんでしたっけ、あの濃い俳優、そうそう、竹中直人、それにおでぶちゃんのコメディアンがやった役も、渡辺えり子の役もそっくりアメリカ版で取り入れられています。ダンス教室のオーナーのおばちゃん先生もなんだか不思議に似ています。草刈民代はジェイ・ローに置き換わっていて、あ、これはイメージが違うなと思っていたのですが、そのジェイ・ローがずいぶんと抑えた演技をしていて、これもなかなかよかった。
私立探偵に夫の素行調査を依頼するスーザン・サランドンが「人はどうして結婚するのか知ってる?」と自問するくだりがあります。そのセリフを聴いていて泣けてしまいました。そうだよなあ、と、ざらついた心を反省したい、そんな感じ。
ひとを、ながく好きでいたいと思わせてくれるような映画ですよ。
ひとを信じられなくなったときは、プロザックよりもこういう映画がいいですね。
こちらの大統領選挙のことばかり考えていたら、日本では台風に続いて新潟が大変なことになっています。ニューヨークにいると限られた情報しか入りませんが、知り合いの新聞記者たちの携帯にかけてもきっと新潟に行っているんでしょう、なかなかつながりません。
そんな中で、こちらの日本語放送で西武の優勝騒ぎが週明けの昨夜、スポーツニュースで流れていました。十数年ぶりの優勝はそれは“お祭り”騒ぎでしょうが、でも、どうして所沢から200キロ、祝賀会の名古屋からだって400キロしか離れていない土地で寒さと疲労に震えている10万人という人がいるのに、ああいうふうになんの思いも持たずにビールを掛け合えるのか、いや、せめて、せめてです、今夜は乾杯で静かに勝利を噛みしめよう、という人がいなかったのか。ま、いたのかもしれませんね。しかしそれもスポーツ乗りとでもいうのでしょうか、そういう勢いになきに等しかったのかもしれない。
でも、敢えていわせてもらうなら、あれは「西武」です。いま、世間で反社会的な株式売買で非難を受けている会社です。そりゃ、選手は“関係ない”というのかもしれませんが、彼らは組合も持っている(個人契約主ながら)西武の“従業員”でもあるのです。
せめて、乾杯だけにしようと言っていたら、この野球人たちは昔と違って、ロールモデルになり得ただろうになあ、と思います。まあ、そういうものをそもそもスポーツ選手に期待していないのかもしれませんが、なんとなく、なさけない、というか、かなしいというか。ぼくらはテレパシストじゃないのだから、いろんな思いは、言葉や態度や行動に表さないと、何の意味も持たないのです。いい人は、ただいい人だからいい人なのではなくて、いいことをするからいい人なんです。ビール掛けしかやらないやつは、ビール掛けしかやらないやつなのです。
そうこうするうちに今夜は日本人がイラクでザルカウィ一派に拉致されたというニュースが入ってきました。思わず知り合いのジャーナリストじゃないかと心配してしまうのはあまりにも心が小さいとは思いますが、そういうのはどうしようもありません。いったい、この時期、だれが入っているのでしょうか。男性のようですが、「長髪」という報道で、なんでイラクに長髪で入るかなとも思ってしまいます。
いまのところ、だれなのか私にはわかりませんが、この男性がだれであれ、日本政府というのは日本人の総意として形成されている組織なのですから、邦人の安全のためにあらゆる手段を講じなければなりません。これは前回の女性を含む三人、またほかの二人のジャーナリストの拉致の際でも同じことです。危険を承知の自己責任ではあるが、一旦危険な目にあったならば絶対にそれを救わねば、それこそ政府としての責任を果たしていないことになります。それをいちはやく「自衛隊の撤退はない」と手の内を明かしてしまって、いったいこの政府は外交もしくは交渉というのを何だと考えているのでしょう。
もっとも、ザルカウィの一派は前回の日本人拉致事件のイラク人たちとは違いますから(イラク人ですらないのです)、交渉など無理でしょうが。これは12月の自衛隊派遣期限を睨んでの計画的な揺さぶり行為です。そう、もちろん、アメリカの大統領選挙への挑発でもあります。
かわいそうに、としかいえません。
選挙が近づくと投票権のない私のところにまで投票を促す電話やEメールが届きます。ときには面白いジョークや興味深い資料が届いたりもします。
ジョークと言えばコメディ番組「サタデーナイトライブ」で副大統領候補のエドワーズが登場し、TV討論会のときのブッシュ大統領の背中の四角い盛り上がりを「あれはブッシュの電池さ」と言ったのには笑いました。もちろん番組の台本作家が考えたんでしょうけれどね。
メールにあるリンクをクリックするとコンピュータ投票もどきのウェッブサイトが現れて、ブッシュとケリーのクリックボタンが並んでいるのもありました。それでケリーのボタンを押そうとするとそれがどんどんカーソルから逃げ回ってぜんぜん押せない。で、結局はブッシュのボタンをクリックするハメになる、というものです。前回のフロリダの混乱の、新たな陰謀を連想させる仕組みで、これは同種のものがいくつかあります。だいたい、民主党支持者の有権者登録がごっそりと捨てられていたなんていうニュースがあるくらいですから、本当に国際的な選挙監視団が必要なほどの険悪な陰謀が仕組まれているのかもしれませんな。
イリノイ州上院議員のハワード・キャロルさん(民主党)から、というメールも回送されてきました。これは民主、共和両党に関係する大物政治家や論客たちがどれほど従軍経験があるかを列記したものでしてね、なかなか面白い。
それを見るとケリー、エドワード・ケネディら、共和党から「超リベラル」と“非難”されている人たちはけっこう従軍しているのですが、共和党の右派といわれる人たちはあまり軍隊経験がないんですね。ブッシュのインチキ疑惑は周知のところですけど、チェイニー副大統領や、例の「四角い盛り上がり」でブッシュに“話す内容を無線で教えていた”との噂が出ていたカール・ローブ大統領顧問の二人はなんとベトナム徴兵を忌避しているし、タカ派のアシュクロフト司法長官もまるで軍隊経験なし。ネオコンの黒幕ポール・ウォルフォウィッツ国防副長官もない。さすがにラムズフェルド国防長官は海軍で飛行指導教官を3年やっているんですが、かつて1996年の共和党副大統領候補だったジャック・ケンプは、むかし膝が悪いと言って軍隊には行かなかったのにNFLで8年も活躍していたという“強者”っす。
面白いのはパット・ブキャナン、ビル・オライリー、マイケル・サベージ、ラッシュ・リンボーといった威勢の良い右派のトーク番組ホストや論客に軍隊経験がないことですね。
従軍したこともないのにやたら戦争を煽るタカ派の連中を俗語で「チキンホーク(chickenhawks)」といいます。もともとはベトナム戦争時代に、反共を標榜しながら徴兵を忌避した人たち(チェイニーやローブ?)のことを指した言葉です。チキンは映画「理由なき反抗」でも出てきましたが「臆病者、小心者」という意味。アメリカのマッチョ文化では男に対する最大の侮辱語です。一方、ホークは「タカ」ですね。だから合わせると、「自分は肝っ玉が小さいくせにやたら若者を戦争に送れと吠えているタカ派人間」ってことですわ。
今回の選挙では徴兵制復活への疑心暗鬼も話題です。かつてない数の若者たちが続々と有権者登録をしているのはそんな背景もあるようです。
コメディアンのビル・マーがまた面白いことを言っていました。「9・11を境に世界は変わってしまったと言う人がいるが、そんなことはない。世界は変わってなんかいない。アメリカが初めて世界に加わっただけだ」。
なるほどね。さてその世界に、次の4年、アメリカはどう向き合うつもりなのでしょう。私の予想では、若者たちが投票すればケリーは勝ちます。登録だけで思ったほど投票に行かなければブッシュの勝ちですね。
次の大統領が重要なのは、じつは「大統領職」だけに限ったことではなく、アメリカの連邦最高裁の判事がみんな高齢化していて、数人、変わるということが大きいのです。そのときに、新しい判事を大統領が指名するわけですよ。ここでリベラルな判事になるか、ネオコン判事になるか、これで世界史はかなり変わっちゃうのです。もちろん例の同性婚のはなしも次の4年で最高裁の出番になるかもしれない。
あと8日です。
しかし、西武鉄道・コクドのあの株の売り抜け、というか、自社株だから配分調整なんでしょうが、それにしてもあんな絵に描いたようなインサイダー売却はありませんね。堤義明さん、これで逮捕されなかったら、マーサ・スチュワートがかわいそうです。そのマーサはいま、キャンプ・カップケーキという通称のある“かわいい”軽犯罪者用刑務所で5カ月の禁固刑に服しています。控訴はしてますが。堤さんはそれでは済まないでしょう。これは経済システムを揺るがすほどの重罪なのですが、日本のご祝儀情実証券市場では、こういうことはままあるのかもしれません。しかし、もうそういう時代ではない。
ところで大統領選挙、あと12日後です。
そんな状況下、テレビ討論会は3回ともケリーの“勝ち”という評価なのに、どうしてまだブッシュに投票するという人が減らないどころか逆に増えたりするのか、民主党支持者の多いニューヨークにいるとそれがどうもよくわからんのです。日本にいたらもっとわからないでしょうね。
ブッシュの強さの一因は「セキュリティ・ママ(Security Moms)」だという意見があります。自分の子の安全を第一に考えて行動する母親たち、というような意味です。テロの脅威のなんとはなしの不安を抱えるそんな「セキュリティ・ママたち」が、対テロ強硬派のブッシュの人気の後ろ盾だというわけです。
でも、そうかなあと考えてしまいます。各種調査でも、ブッシュのイラク戦争の手法で「アメリカはより危険になった」と考えるひとは逆に多くなっている。おまけに女性層ではやはりケリー人気が根強い。
じゃあこのブッシュ人気はいったい何なんでしょう。わたしにはどうもこれは、この国に潜在する反インテリの気運のような気がするのですね。論理に対する感情の巻き返し、または不信、あるいは疲れ、のような感じですか。
あのテロを経て、さらに泥沼のイラク戦争を観て、なんだか、なにをやってもうまく行かないんじゃないか。考えても結論なんか出るわけないんじゃないか。えらそうなこと言っても、いったん始めたことは最後までやるしかないんじゃないか。面倒くさいこと考えてる暇があったら体を張って家族を守り敵を倒す、それがアメリカ人の精神の必要不可欠の一部だったのではないか……そんな感情です。そうして、それを体現しているのはアッケラカンのブッシュであって、難しい顔をして論理を尽くそうとするケリーではない。
ラジオのトーク番組はそういうトーンであふれています。なによりCNNを抜いて視聴率1位のFOXニュースの論調はそれです。
ぜんぜん関係ないんだけど、料理専門TVのフードチャンネルでエメリル・レガシというシェフがいます。やたら威勢がよくて「バン、バン!」とケイジャンスパイスを皿に勢いよく投げつけたりしてあっというまにものすごい人気者になりました。でもこの人の料理、よく見ていると勢いだけでけっこうデタラメなんですね。言っていることも繰り返しが多くボキャブラリーは限られ、しかもそれでもときどき言い間違う。元気がよいのにふととても頼りなさげでそんなときは鼻歌でごまかしたりする。巻き簾で日本の巻き寿司を作ろうとしたときなんて、えらそうに解説しながら海苔といっしょに巻き簾まで巻き込んでいたくらいです。
もっと論理的で丁寧でおいしそうなシェフはたくさんいるんですが、しかし彼が同局の一番人気なんですわ。「エメリル・ライヴ」というスタジオ公開料理ショーには、ニンニクや料理用の酒が登場するとそれだけでやたら腕を振り回し雄叫びを挙げて狂喜する男性客(女性連れ)でいっぱいなわけです。
この人を見るたびにわたしはなぜかいつもブッシュのことを思い出してしまうんですね。面倒くさい料理の組み立てのことなんか放っておいて、ニンニクとバーボンで味つけて最後にうまくなりゃそれでいいじゃねえかよ、なあ、みんな! というノリでしょうか。
で、かのブッシュの後ろには先述のセキュリティ・ママよりも、このスタジオ・オーディアンスのような、アドレナリン過多の、そんなスクリーミング・ダディーたちが五万と控えているんじゃないのか、と、あまり論理的じゃない連想をしてしまうのです。
これは手強いです。
なんせ、言葉が通じないんですもの。
参りましたね、また言葉が通じないそんな四年間を、世界は甘受しなくてはいけないのかもしれません。
アラン・ホリングハーストちんが英国文学の権威であるブッカー賞をとうとう受賞してしまいました。「スイミングプールライブラリー」でサマセット・モーム賞、次作の「フォールディングスター」でブッカー賞候補、そんで、一個、「スペル」っていう作品が入って、そんで今回の四作目での受賞。アランちゃんとはスイミングプールの翻訳のときにNYでお会いしました。ベジタリアンで、一緒に行くレストラン選びが大変だった。せっかく選んだインド料理屋がまたマンハッタンらしくにぎやかで騒がしくて、そんでアランは太い低い声でいらして、おまけにイングランド英語なものですから、わたしゃあのときゃほとんどやつが何言ってるのかわかりませんでしたね。おれのこと、あいつ、バカだと思ったと思うわ。ま、スイミングプールの翻訳は素晴らしいということになってるから、それは伝わってるだろうけど(でも、一個だけ、痛恨の誤訳があるの……内緒)。
以下、共同配信
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ホリングハースト氏が受賞 英ブッカー賞
【ロンドン20日共同】英国で最も権威がある文学賞「ブッカー賞」の今年の受賞作品に19日、英国の作家アラン・ホリングハースト氏(50)の小説「ザ・ライン・オブ・ビューティー」が選ばれた。賞金は5万ポンド(約980万円)。
受賞作は、主人公のゲイの若者を通じ、サッチャー保守党政権下の1980年代の英国を皮肉を込めて描いた作品。英PA通信などによると、ゲイを扱った小説が同賞の受賞作になるのは初めてという。
ロンドン在住の同氏は英南西部グロスター州出身でオックスフォード大卒。94年の作品「ザ・フォウルディング・スター」ではブッカー賞の候補に上りながら受賞を逃した。他に英国のゲイ社会を扱った「スイミングプール・ライブラリー」(88年)など。
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「フォウルディングスター」は早川書房が私に翻訳を依頼しておきながら、編集者が変わっちゃって、翻訳を終了しても出版不況とゲイブームが去ったと言って本にしていない作品。これで出版の運びになるなんてことが起きてくれないかしらむ。しかし、こいつのはほんと、翻訳が大変なんだ。今度のブッカー賞のも訳してみたいが、文学翻訳って、しかもこの難物の翻訳となるとなおさらコストパフォーマンスがひどく悪い。
早川との頓挫によってその後はアランちんには最近、目配せしてなかったけど、まあ、読むだけ読んでみましょうか。
まあ、いちいちコメントすべきことでもないんだろうけどさ。
スポニチの記事だって、これ。
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オダギリ“経験”生かして演技
オダギリジョー(28)、柴咲コウ(23)主演の映画「メゾン・ド・ヒミコ」(監督犬童一心)の製作発表が19日、都内のホテルで行われた。
フィリピンに実在するゲイ専門の老人ホームに着想を得たオリジナルストーリー。米留学時代のルームメートがゲイだったというオダギリは「すごいショックでしたが、タブーを乗り越える何か、普通の生活では感じ得ないものに興味はあった」と、初挑戦の役どころに“経験値”で勝負する構え。ホームの住人役で本物のゲイも出演しており、柴咲は「話し方やしぐさがきれいで、“負けた”と思いました」と苦笑い。来年公開予定。
(スポーツニッポン) - 10月20日
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バカじゃないの、このコメント? スポニチの記者の引用間違いじゃないなら、何言ってるか、意味通じないが、何を言いたいんだろ? 柴咲も「負けた」で笑い取る時代じゃないだろがねえ。これ、原稿自体がアナクロなんだなあ。「本物のゲイ」って、あはは、力抜けちゃう。「経験値で勝負する」って何なんかしら?
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って思ってたら、やっぱ、他のスポーツ紙もみんな同じような書き方でござんした。オダギリジョーの発言もぜんぜんニュアンスが各紙でまちまち。そのへんのことを意識しないで発言しちゃうと、こんなふうにバイアスがかかるわけです。ま、みなさん、頭っからそういう文脈なんでしょね。
いちいち目くじら立てるほどじゃあないのかねえ。もともと、ジャーナリズムじゃないんだもん。スポーツ紙の芸能部って、ほんと、業界癒着の最たるもんだから。音楽担当なんて、レコード会社から送られてくるサンプルCDを自分のうちに持って帰って、貯まりに貯まったそのCDの重みで二階の床が抜けたってひとを私、知っております。太鼓持ち、提灯記事。たしかに芸能欄ってのはそういう輩の書くような記事の吹きだまりです。
またまたマサチューセッツの別荘に来ています。(って、ひとのうちだけど)
この週末、紅葉が見事だというので車で3時間かけて連れてきてもらいました。
それはそれはきれいです。ここらあたりはアパラチア山脈の一部で、1000mくらいを最高になだらかな山々が続いています。赤、黄色、橙、茶色と、さまざまにグラデーションをもって山々が暖色のセーターを着ているようです。そうそう、アメリカ人って紅葉狩りとか紅葉詣でとかしないというけど、けっこうみんな車で山を回ってた。あちこちで車を止めては外に出てうわーきれいとかいって写真撮ったりとか。まあ、花見も月見も紅葉観賞も、ファッション(風習)にはならんが、個人的にはみなさん、楽しんでいるのでしょうね。こういう文化背景を必要としないきれいなものはだれもがきれいと思うもんです。そんなのは当然だわ。
ところで、この家から車で30分ほど行ったところに、ウィリアムズ・カレッジという18世紀から続く私立の大学があり、町の名もウィリアムズタウンという瀟洒な家並みの続く(というか敷地が広いんで家並み、の「並み」はじつは途切れ途切れで続いてない……うーん、家並みが続く、というのはとても日本的な表現であったか)町があります。そこに、クラーク美術館という、ミシンで有名なシンガーの創設家のクラーク家の一員でスターリング・クラークという、20世紀の大金持ちのコレクションで作ったこじんまりとした美術館があるのですが、これがとてもいいのですわ。
とにかくサイズがよい。メットみたいに大きいと見ている方が疲れてしまいますが、ここはほんと、1〜2時間で見て回れる大きさ。しかも、そこにモネやシスレーやルノワール、ドガ、ゴーギャンなどの印象派の佳作がずらっと飾られているのです。そればかりではありません。
サー・ローレンス・アルマ=タデマ
http://www.clarkart.edu/museum_programs/collections/nineteenth_eur/content.cfm?marker=9&nav=1
ジョン・シーガー・サージェント
http://www.clarkart.edu/museum_programs/collections/amer_paintings/content.cfm?ID=146&marker=1&start=1&nav=1
ジャン-レオン・ジェローム
http://www.clarkart.edu/museum_programs/collections/nineteenth_eur/content.cfm?marker=7&nav=1
これら、もう、あーた、知らなかった逸品がずらり。
日本から連れてきてあげたい友達がたくさんいるなあ。しかも、いまかの安藤忠雄がこの美術館の別館を作るんですってよ。なるほどねえ。
ちなみに寝起きしておるこの別荘は建坪で100坪(300平米)、それで三階建てだから床面積は計1000平米っすもん。ゴージャスを絵に描いたような家で、紅葉真っ盛りの庭の先にはのどかにゴルフコースですもんね。
おいしいワイン、おいしい食い物。よい週末を過ごさせてもらってますわ。
しかし人生、どこで間違ったかねえ。
清貧、悔いることなし、ではあるが。
ブッシュが勝ちそうだけど、そうなったら、あたしゃもう俗世から足を洗ってあちこち旅行して回ろっと。どーせ、ひとりだもんね。心はいつも孤独な旅人よ。くそ。
案の定、というか、どうしてなのか、というか、例の「もしチェイニー氏の娘さんに訊いたら、わたしはこうやって生まれてきたのだと言うでしょう」と答えたケリーの発言が槍玉に挙がっています。昨日も言ったように、まずはFOXの保守論者たちが問題にしたのだが、じつはチェイニーの奥さん、つまりはマリーさんの母親であるリン・チェイニーが噛み付いたのが大きい。
彼女、ディベートが終わってからすぐに、「This is not a good man(こいつはとても上質の人間とは言えない)」と苦虫をかみつぶしたように発言、さらに「なんて安っぽく卑劣な政治的な引っかけかしら!(What a cheap and tawdry political trick!)」とまで言い切ったのです。
これでFOXだけではなく各局とも一応問題にしなければならなくなりました。
ケリーはこれに対して「わたしは(レズビアンであるということを)何らかのポジティブなこととして言おうとしたのだ」と釈明し、一部で突きつけられている謝罪はしていない。
謝罪なんかしてはいけませんよね。
「セクシュアリティという、そういう個人的な事情をテレビで言挙げすべきではない」という言い方はとうに破産している言い方です。だって、そういう個人的な事情を言挙げしない限り、政治課題としてのゲイ・イシューは議論できない。しかも、質問は「ホモセクシュアリティは選択の問題だと思うか」というものです。これに対して、異性愛者であるケリーがなんら具体的な証拠を示さずに自分の判断を言って何になるのでしょうか。もちろん、「わたしがヘテロセクシュアルなのは選択の問題ではない(つまりどうして同性愛だけが選択の問題なのか)」と言い換えて答えることも可能でしたが、まあ、そう言って理解できるひとが多いとは思えませんし。
そうしてとにかく問題なのは、昨日も書いたように、どうして「マリーはレズビアンだ」ということが、なにか言ってはいけないタブーであるかのように扱われてしまうのかという、まさにその点なのです。
「マリーはレズビアンだ」ということがマリーにとっての汚辱でも不名誉でもないような状態を目指すためには、まず、「マリーはレズビアンだ」ということを汚辱でも不名誉でもなく言い募ることが不可欠なのです。
それを、卑劣で安っぽい言挙げだと非難するのは、その非難者自体が「レズビアン」という言葉を下劣で恥ずべき言葉だと思っていることを露呈しているにほかなりません。
チェイニーの妻、リン・チェイニーはじつはたいへんな反動右翼保守主義の女性でして、ネオコンの巣窟であるところのアメリカン・エンタープライズ・インスティチュート・フォー・パブリック・ポリシー・リサーチ(米国エンタープライズ公共政策調査研究所)の上級研究員の肩書きを持つほか、2001年までは一大軍事企業ロッキード・マーティンの重役だった、という人。でも、80年代初めまではフェミニズムの闘士で、公には共和党の記録には載っていないものの、男性憎悪ともいうべきレズビアン小説「Sisters(姉妹たち)」を出版してもいるのです(いま、アマゾンで確認したら、古本で500ドルのプレミアムがついてた)。その抜粋が下記のサイトで見られますよ。(ホワイトハウスとなっていて紛らわしいけど、ブッシュ批判団体のサイトです)
http://www.whitehouse.org/administration/sisters.asp
それが一転、反フェミニズム、反人権、愛国一辺倒に転向した。その軍事産業との結びつきや愛国保守反動ぶりはチェイニー以上ともいわれている、こわーい女性なのですね。
この母親は、当のマリーさんが自分でレズビアンだと公言しているのに「娘がそんなこと(レズビアンであること)を宣言したことなど一度もない」と頑なにその事実の受け入れを拒んでいるのです。これは2000年の、前回の大統領選挙で話題になったことですが、テレビのインタビューで「そんなことを話題に上らせるなんて信じられない」とインタビューアーに食ってかかったほど。つまり、前回と同じなんですね、今回のケリー発言に対する反応も。
なんか、わたしは三島の未亡人のことを思い出しました。いや、百倍、リンのほうが怖いですけど。
前々回でしたか、旦那のチェイニーのことを怖いなあと書きましたが、なんか、最近、チェイニーの言ってることをよく聴いていると、ありゃ、あんまり大したこと言ってないですね。言ってるように見えるだけなんだ、あの風貌から来る見た目の印象で、あるいはブッシュとのコントラストがあまりにあり過ぎで。でも、言ってること、ガキみたいに結構ばりばりに単純です。そんなもんだわね、ネオコンなんて。
個人的なことは政治的である、とは、リン・チェイニーもフェミニズムをかじったことがあるなら知ってるはずなんですがね、そのへんを頬かむりできる不誠実が転向者の転向者たる所以なのでしょう。
ふうむ、先ほど終了。わたしにはケリーがはるかに勝ったように見えたが、贔屓目かね。ケリーはちゃんとテレビ視線だったしね。ブッシュは質問者の方を向いて話しながらも、その質問に答えてないんだもの。たとえば最低賃金の引き上げに関しても、なんで子供たちの教育の話になるかなあ、ってな感じでしたね。しかもその話をほかの質問でも繰り返してた。
でも、ま、信仰に関しては、あのたどたどしさが逆にシンパには正直者だと思われたでしょうね。面白かったのは「ホモセクシュアリティは選択の問題か」という質問。ブッシュは「わからない。わたしは知らない」と判断を保留。わからねえんだったら自分で判断をするなよって突っ込みが入って然るべきだが、まあ、これも保守派にはぎりぎり容認でしょう。対してケリーはチェイニーの娘さんのマリーさんを持ち出して、「彼女はレズビアンだ。あなたが訊いたら、それは選択ではなくそう生まれたのだと答えるだろう。選択の問題ではない」と明確に答えていたこと。
そうしたらさ、おどろいたことにFOXニュースチャンネルでは、ここは保守派右翼の論陣が並ぶすごい偏向局なんだが、アメリカ大衆からの人気はCNNより高いんですね。そこのコメンテーターたちが、「そんなことを言うのはフェアではない」「明日、謝罪するハメになるだろう」とかって言ってやがるのだ。まあ、レズビアンであるということをいまだスティグマとしてしか考えていな連中の言いそうなことだわな。
あ、いまCNNのポールが出てきた。ケリー53%、ブッシュ39%でケリーの勝ち。ふむ、よしよし。みんな、ブッシュのバカさ加減にやっと呆れはじめたようである。
しかし、FOXに出てくるコメンテーターといいニュースキャスターといい、すっげえ悪人顔してるのはどうしてなんだろう。みんな、ふつうじゃなくひどい顔をしているのである。悪の頭領みたいなのだ。
ということで、ディベート直後の書き込みでした。対して深い分析はなし。それはあとからね。
昨日は、気色ばんだときのチェイニーの迫力に気圧されして(ありゃ、テレビ画面を通してでもびびったね)、書くべきことをじゃっかん書き忘れた。
副大統領討論で、じつは2候補に呆れたこともあった。
あまりにイラクとか税金とか医療保険とかに気を取られていたのだろう、あるいはそもそも関心のうちになかったのかもしれない。司会者の黒人女性が、アメリカ国内でアフリカ系アメリカ人のHIV感染者が増えているが、どういう対策を考えているか、と質問した時のことだ。
最初に2分間、チェイニーが答え、つぎに90秒でエドワーズが反論する、というやり方だが、チェイニーは驚いたことに、さんざん型通りのエイズ対策予算の説明をしてから最後に「アフリカ系で増えているという数字は知らなかった」と口にしたのだ。
アフリカ系、ヒスパニック系、しかもその若い世代でまた再びHIV感染が増えているというのは何度もニュースに上っていることだし、もう常識と言ってよい。なのにこの回答。
じゃあエドワーズはどうかというと、こちらもアフリカ系ではなくアフリカでのエイズ禍についてしゃべくるという始末。アメリカ国内の問題としても紋切り型の言葉しか発せられなかった。
エイズはすでに政治課題ではなくなっているのか。そんなことはない。エイズは安全保障の問題ですらあるのだから、重要な国際課題でもある。だが、アメリカの国内問題としては、質問されるとすら思っていなかったのだろう。そんな“慢心”がありありと見て取れた。なんかね、さぶいなあ。人は攻撃的であるとき、弱者を忘れるんだわね。昨日の討論会はじつにともに攻撃的だった。
同じことはもう一点、イスラエル・パレスチナ問題にもいえる。
ブッシュ政権のイスラエル一辺倒の政策はすでに世界から批判を受けているものの、数はそう多くないとはいえ国内のユダヤ票を抱える政治家としては票にもならないパレスチナに同情しても何の役にも立たないということなのだろう。イスラエル問題を質問されたエドワーズも「押さえていなければならないのは、イスラエルには絶対的な自衛権があるということだ」と強調して、パレスチナ人による自爆テロへの反撃の権利だけを言い募っていた。いったい、パレスチナ人の自衛権はどこにいったのか。そんな簡単なことじゃないからこんなにも泥沼化しているのに、それをわかっていながらそうしかいえないどうしようもなさ。
ガザに侵攻したイスラエル軍の即時撤退を求める国連安保理決議案に5日、アメリカはまた拒否権を使った。ことし3月には、イスラエルがハマスの指導者ヤシン師をあんなにあからさまにミサイルで暗殺した時の非難決議でも拒否権を行使している。おいおい、そりゃあねえだろーと思ったよね、あんときゃ。
ケリー・エドワーズになってもこの状況は簡単には変わらないだろう。
しかし、エドワーズが口にしていた「fresh startを切るべき時だ」というのは、イスラエル・パレスチナ和平でもいままた望まれる課題なのだとつよく思う。
いやあ、チェイニー対エドワーズ、闘志むき出しの気迫いっぱいの討論でした。最初っからビシバシ火花が飛んでいましたね。ケリー対ブッシュの先週の討論が霞むくらいに両者真っ向からがっぷり四つ、90分間、わたしはまさに息を詰めてみていました。
とはいっても内容的には目新しいことはあまりなかったんですがね、でも、ケリー対ブッシュのときと同じように、ずっと両陣営の主張をトラックしているわれわれジャーナリストでもない限りはこういうふうにまとめて真剣に主張を聞く機会なんてふつうは初めてでしょうから、これでいいんだとおもいます。その意味では両者の口からぼこぼこ数字は出てくる、相手陣営を具体的に貶める、売り言葉に買い言葉もあって、じつに面白かった。
これは両者引き分けでしょう。でも、あの史上最強の副大統領を相手に引き分けに持ち込んだエドワーズがよくやったと見られるかもしれません。
面白かったのは、両者、同性婚に関しては意見は割れなかったということです。
ゲイの娘を持つチェイニーは、そのマリーさんが聴衆の中にいたということばかりではなく、本来はそんなものを憲法で禁止するなんていうブッシュ政権の方針には政治家としてよりも父親として組みしがたいところがあったんでしょう。エドワーズが「娘さんのこともあろうから、これに関しては副大統領も同じ思い(憲法で禁止すべきではないということ)だと思います」と言ったに対して、30秒の持ち時間があったにもかかわらず彼は単に「ありがとう、わたしの家族のことを気にかけてくれて」とのみ答えるだけでした。対してエドワーズも了解済みという顔で頷きながら「You are welcome」を何度も繰り返していました。
そんなこんなで1時間半が濃密に流れていきました。
じつはそれ以前に、今日は大きなニュースもあったのです。
バディの今月号にも送ったルイジアナ州での州憲法修正による同性婚の禁止なんですが、締め切りはもう終わっていて書き直せないんですけど、これは先月半ば、78%もの賛成多数で憲法修正が決まった。ところがきょう、判事がこの住民投票による憲法修正は無効だと判断したんですね。
とうのも、この修正条項には二つの違う目的が含まれていて、それを同等に禁止することが住民投票として正確にある一つの民意を反映しているとは言えない、というのが理由なのです。
じつはこの憲法修正で禁止するのは「同性婚」と同時に「内縁関係(civil union)」とも書かれていて、本来はこの二つを別々にして州民投票にかけなければならなかった、という論理なんですね。
なるほどね、その辺の法律的な精確さに欠けたということか。まあ、わたしは知りませんでしたが、言われてみればそのとおりです。
11月の大統領選挙のときには同時に総選挙も行われるし、同様のゲイ結婚禁止のための州民投票もほか11州で実施されます。
この政治へのダイナミズムは、ほんと、アメリカっていう国を面白くさせていますね。
特に今回は若い連中がとっても意欲的に投票行動に出ようとしています。ケリー・エドワーズが勝つようなことがあれば、これはクリントンの時と同じように若者票が重要な要因となるはずです。