やっぱりそうでした
だめでしたか。ご両親、ご家族、そして本人も、無念でしょう。
今回の場合は、日本の国内でもおそらくあまり同情論は見られないのでしょう。
あんなところに、こんな時期に、しかも半ズボン、長髪ででかけたら、さあ捕まえてください、殺してくださいと言うようなものだ、というのはだれもがわかる物言いです。だれもが言える。おまけにイスラエルを経由して入っているということは、その形跡が見つかれば有無を言わさずにこれは彼らにとってはスパイです。
でも、だれにも言えることはその「だれにも」に任せておきましょう。
もっと本質的なことは、そもそも、ひとはこうして殺されてよいものなのか、という問いです。もっと突き詰めれば、先日、米軍によるイラク空爆や攻撃で、これまでに民間人10万人が死んだという推計が出ました。そのことです。そんな中でこの殺害が行われました。
前回はザルカウィ一派と書きましたが、香田さん拉致殺害の実行グループはなんとなく違うような気もします。心情的には一派なんでしょうが、なにか、血気盛んな周辺グループが日本のことも自衛隊のこともあまりわからないままとにかくザルカウィ本流と「同調的な行動」をとった、ということのような感じもします。
そういう闇雲な憎悪が生まれています。
こういう私自身も、もしイラクに生まれていたら、アラブに生まれムスリムだったら、おそらくアメリカを強く憎悪しているだろうと思うのです。で、その中で日本人を殺しているかもしれない。それが大義だと思っているかもしれません。
ひとは、大義がないとひとなど殺せないのです。殺せる人は怒りや嫉妬や憎悪で我を忘れていて、かつ、その憤怒が殺害実行中も持続するようなひとです。ふつうはとちゅうで揺らぎます。そうして意識や論理や理性を頭に上らせる。でも、それが大義だった場合、意識と論理と理性でも殺害の大義はなおさら補強されてしまう。みんな、正義の人になっているのです。
正義のひとブッシュは、そうやってイラクを攻撃しました。
アメリカの対イラク攻撃はじつは9/11の八つ当たりで、たまたま都合の良い標的だったのです。大義はここにも存在していました。大量破壊兵器の隠匿です。攻撃は正義だった。しかもビンラーデンとつながっている、と来れば、大義を為すのに何の躊躇もない。(でも、じっさいは石油利権というお金の問題が深く関与していたのですが、それはブッシュのへらへら笑いの奥に隠れたネオコン連中のお仕事でした)
そうして、イラクは絶対にゲリラ化して内戦状態になる、ということを多くのひとが予測し警告し開戦を急ぐなと繰り返していたのに、その後の始末を考えずにブッシュ政権は沙漠で10ドルのテントを1億円のミサイルで攻撃するという愚を冒さなければならないビンラーデンから矛先を変えて、建物も立派な目に見える攻撃対象イラクを選んだのです。
9/11はさかのぼればイスラエルとアラブ、パレスチナの問題が根です。
そうしてイスラエルとパレスチナではイラクと同じようなことが起きている。
ブッシュは、もうひとつのパレスチナ問題をイラクに移植してしまっただけなのです。それが軍事産業と石油屋を永遠に儲けさせるサイクルを作っている。
そして、ひとはそんな中で殺され合ってよいものなのかという問いがここに重なるのです。
よいはずがありません。イラク人だって、パレスチナ人だって、ユダヤ人だってアメリカ人だって日本人だって、そもそも、そうやって殺されてはいけない。
その状況の解決法はまた別の問題ですが、いま言いたいことは、殺された香田さんを馬鹿だとか呆れるだとか自業自得だという物言いは、じつはまったく意味のないことだということなのです。
合掌。