This is not a good man
案の定、というか、どうしてなのか、というか、例の「もしチェイニー氏の娘さんに訊いたら、わたしはこうやって生まれてきたのだと言うでしょう」と答えたケリーの発言が槍玉に挙がっています。昨日も言ったように、まずはFOXの保守論者たちが問題にしたのだが、じつはチェイニーの奥さん、つまりはマリーさんの母親であるリン・チェイニーが噛み付いたのが大きい。
彼女、ディベートが終わってからすぐに、「This is not a good man(こいつはとても上質の人間とは言えない)」と苦虫をかみつぶしたように発言、さらに「なんて安っぽく卑劣な政治的な引っかけかしら!(What a cheap and tawdry political trick!)」とまで言い切ったのです。
これでFOXだけではなく各局とも一応問題にしなければならなくなりました。
ケリーはこれに対して「わたしは(レズビアンであるということを)何らかのポジティブなこととして言おうとしたのだ」と釈明し、一部で突きつけられている謝罪はしていない。
謝罪なんかしてはいけませんよね。
「セクシュアリティという、そういう個人的な事情をテレビで言挙げすべきではない」という言い方はとうに破産している言い方です。だって、そういう個人的な事情を言挙げしない限り、政治課題としてのゲイ・イシューは議論できない。しかも、質問は「ホモセクシュアリティは選択の問題だと思うか」というものです。これに対して、異性愛者であるケリーがなんら具体的な証拠を示さずに自分の判断を言って何になるのでしょうか。もちろん、「わたしがヘテロセクシュアルなのは選択の問題ではない(つまりどうして同性愛だけが選択の問題なのか)」と言い換えて答えることも可能でしたが、まあ、そう言って理解できるひとが多いとは思えませんし。
そうしてとにかく問題なのは、昨日も書いたように、どうして「マリーはレズビアンだ」ということが、なにか言ってはいけないタブーであるかのように扱われてしまうのかという、まさにその点なのです。
「マリーはレズビアンだ」ということがマリーにとっての汚辱でも不名誉でもないような状態を目指すためには、まず、「マリーはレズビアンだ」ということを汚辱でも不名誉でもなく言い募ることが不可欠なのです。
それを、卑劣で安っぽい言挙げだと非難するのは、その非難者自体が「レズビアン」という言葉を下劣で恥ずべき言葉だと思っていることを露呈しているにほかなりません。
チェイニーの妻、リン・チェイニーはじつはたいへんな反動右翼保守主義の女性でして、ネオコンの巣窟であるところのアメリカン・エンタープライズ・インスティチュート・フォー・パブリック・ポリシー・リサーチ(米国エンタープライズ公共政策調査研究所)の上級研究員の肩書きを持つほか、2001年までは一大軍事企業ロッキード・マーティンの重役だった、という人。でも、80年代初めまではフェミニズムの闘士で、公には共和党の記録には載っていないものの、男性憎悪ともいうべきレズビアン小説「Sisters(姉妹たち)」を出版してもいるのです(いま、アマゾンで確認したら、古本で500ドルのプレミアムがついてた)。その抜粋が下記のサイトで見られますよ。(ホワイトハウスとなっていて紛らわしいけど、ブッシュ批判団体のサイトです)
http://www.whitehouse.org/administration/sisters.asp
それが一転、反フェミニズム、反人権、愛国一辺倒に転向した。その軍事産業との結びつきや愛国保守反動ぶりはチェイニー以上ともいわれている、こわーい女性なのですね。
この母親は、当のマリーさんが自分でレズビアンだと公言しているのに「娘がそんなこと(レズビアンであること)を宣言したことなど一度もない」と頑なにその事実の受け入れを拒んでいるのです。これは2000年の、前回の大統領選挙で話題になったことですが、テレビのインタビューで「そんなことを話題に上らせるなんて信じられない」とインタビューアーに食ってかかったほど。つまり、前回と同じなんですね、今回のケリー発言に対する反応も。
なんか、わたしは三島の未亡人のことを思い出しました。いや、百倍、リンのほうが怖いですけど。
前々回でしたか、旦那のチェイニーのことを怖いなあと書きましたが、なんか、最近、チェイニーの言ってることをよく聴いていると、ありゃ、あんまり大したこと言ってないですね。言ってるように見えるだけなんだ、あの風貌から来る見た目の印象で、あるいはブッシュとのコントラストがあまりにあり過ぎで。でも、言ってること、ガキみたいに結構ばりばりに単純です。そんなもんだわね、ネオコンなんて。
個人的なことは政治的である、とは、リン・チェイニーもフェミニズムをかじったことがあるなら知ってるはずなんですがね、そのへんを頬かむりできる不誠実が転向者の転向者たる所以なのでしょう。