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December 23, 2004

あるクリスマス、ある新年

 クリスマスの週の夕食会の後、友人とさらに飲み直そうといことになってミッドタウンのバーに入った。カウンターで飲んでいるうちに右どなりの男性の話が耳に入ってきた。イラクから帰ってきて、来週またイラクに戻るのだという。
 その彼はジェリーさんといった。39歳、離婚したが2歳と4歳の子供がいる。その子らに会うのが今回のクリスマス休暇の目的だ。
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 米兵ではない。例のハリバートンの子会社KBRのイラク建設事業に、自分で建設請負会社を設立して参画し、04年3月からバグダッドに入っている。危険は厭わない。
 「ニューヨークで生きてきたんだ。いまじゃここもアメリカで最も安全な街の一つになったが基本は同じ。後ろに注意する。周りをよく見る。知らないやつは信じない」
 イラクで仕事をするには3つの「P」があるという。「Be Professional(プロであること)」「Be Polite(地元の人間に丁寧に接すること)」、そして「Be Prepared to kill(ひとを殺さなければならないときは躊躇なく殺せるようにいつでも心構えしておくこと」。この3Pを怠ったときは、自分が殺される(かもしれない)ときだ。
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 そんなところに身を投じたのは、90年代の証券市場やレストラン事業での失敗を「イラク」という大きなビジネスチャンスでオセロゲームよろしく一発逆転させるためだった。「イラク」はいま、どんなものでも求めている。そこに入り込めれば、一攫千金は夢ではない。危険は頭を使えば回避できる。
 日本人が殺されたのも知っている。斬首されたアメリカ人の通信技術者も、仕事仲間から聞いた話では「いいやつ過ぎた」らしい。「だめなんだ、それじゃ」と彼はいう。
 至る所に反米勢力のスパイはいる。仕事を通じて親しくなったイラク人に結婚式によばれたこともある。行かなかった。信じていないわけではない。しかしそういうときは万が一のリスクでも回避する方を取る。それだけのことだ。だいたい、危険だといっても2年近く戦争をしてきて米軍側の死者が1300人というのはけっこういい数字じゃないかと彼はいう。アメリカでは交通事故で年間4万人以上が死ぬのだ。
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 バグダッドでは米軍基地に暮らす。軍関連の仕事を請け負うハリバートンの関係だ。イラク復興事業に関与するイギリスやトルコなど数カ国の民間事業者もその米軍基地を拠点として活動するようになっている。ほかに安全なところがないからだ。危険なところに放置して拉致され、救出しなければならないとなったらなおさら厄介だからだ。
 橋やビルや学校など建設事業はKBRが一括管理し、その都度下請けの入札や談合が行われる。そこにジェリーさんのようなさまざまな中小事業者が仕事を求めて群がる。
 ジェリーさんの会社がビル建設を落札したら、そこから地元バグダッドの個人建設会社を孫請けにしてイラク人労働者を雇い入れ、工事に着手する。1万ドルあれば引退して悠々自適の生活ができるというイラクで、今年初めの労賃は1日3ドル以下だったのが、その後5ドルになり、10ドルになり、いまでは20ドルに近づいているという。
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 イラクの人々は「スウィートだ」とジェリーさんはいう。やさしい人びと。だが、そうやって割のいい仕事を求めて群がる彼らが、子供までもが物乞いのように雇用を懇願する。それを見るのは忍びない。だが、それが現実だ。
 「現実ってのは、これからどうするかってことだよ。アメリカ人がイラクにいる権利は本当はないのかもしれない。だが、もういるんだ。もしいまアメリカが手を引けば、この無政府状態のイラクにイランが侵攻してくるだろう。するとトルコもイランに攻め込むかもしれない。するとヨルダンがどう動くか。そんなことになったらまたアメリカがイラクに戻ってこなくてはならなくなる。そうなったらいまよりひどい混乱が起きるだけだ」
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 砂嵐は二度経験した。外になど出ていられない。それよりも怖かったのはゴルフボール大の雹(ひょう)の嵐だ。米軍宿舎がごんごんごんごん音を立てるものだから何だと思ったら雹だった。その雹よりいやなものが虫だ。凶暴なハエ。透明なサソリ。そして毒蛇。「おれはやっぱりニューヨーカーなんだ」と笑う。
 この経験は自分にとって何になるかと聞いてみた。「よりよい人間になると思う」と即答された。
 よりタフな人間?
 「いや、ベターな人間さ。ものをよく考え、状況を判断し、そして、ひとを裏切らない人間」。なぜなら、「なんといっても、イラクでの仕事の魅力は友情、同志愛なんだ。あそこくらい男の世界はないからな」
 すべて仕事が終わったら金を持ってニューヨークに戻ってくるのか? 「次はイランだな、イランに行く」
 そこまで聞いて零下11度の未明に別れた。
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 まだ酔いの残る翌朝、ベッドから起き上がってニュースをチェックすると、イラク北部、モスルの米軍基地がロケット弾で攻撃されたという記事が飛び込んできた。昼食中の米兵ら22人が死亡。ハリバートンの子会社KBRの社員4人も死亡していた──バグダッドではないとはいえ、それはジェリーさんの語った軍とKBRの話そのものだ。その話をしていた1時間後、時差8時間先での出来事だった。
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 ジェリーさんの話には数字のウソがある。
 米国の交通事故死は3億人の総人口に対する値だ。イラク派兵数は15万人。15万人当たりの交通死者は年20人に過ぎない。
 そしてもうひとつ。「P」はおそらく3つでは足りない。
 新しい年はイラクにもやってくる。ただしそれは、私たちの新年とは違うのも確かだ。

December 19, 2004

スポーツ・芸能ジャーナリズム

NBAのサンズが田臥勇太を解雇してしまいました。

スポーツ報道を見ていてなんとなく思うんですが、アメリカで活躍する日本人選手を、日本のスポーツジャーナリズムはけっこう贔屓目で書いているんだなあ。日本のスポーツ新聞までいちいちチェックしてないけど、共同とか時事の(客観報道であるはずの)配信記事を読んでいても、田臥にかぎらずけっこう上げ底なんでしょうかね、あるときとつぜん「解雇」とか「放出」とかのニュースが出てきて、え、なんか調子のいいこと書いてあったのを読んだばかりなのに、どうして? って思うことがしばしばあります。まあ、日本人活躍のそういう威勢の良い記事を読みたいという暗黙の読者圧力ってのがあるのかもしれんが、そうじゃないとわかったときの落差がひどい。伏線がないんだもの。小説だったら欠陥商品だわね。「本当のところ」を知りたいって読者もたくさんいるだろうに。

芸能はもっとそうですね。
宇多田ヒカルの全米デビューを華々しく書き上げてはいたんだが、こっちにいると、何それ?って感じで、何の話題にもなってない。松田聖子のときも同じで、ハリウッドに出たとか日本のメディアでは騒いでいたが、なに、おバカな買い物狂いのニホン人役で最初にちょこっと出てきただけでキャーキャー言ってる間に崩れてきたビルのせいで死んじゃった、とか、こっち版の、なんちゅうんでしたっけ、「ビデオシネマ」? そんな感じのしょぼい映画で喫茶店の外を掃除してる女の役とかで出てきて、なんじゃこりゃ、と思ったことがありました。藤原紀香と噂のあった加藤雅也なんか、ハリウッドで俳優活躍中とか書かれていたときに、こっちの深夜テレビで「レッドシューズ・ダイアリー」とかいうこれもそのVシネマっぽい半分エロのなまめかしシリーズをやってるのを見てたらなんと半裸で出てきて金髪女優と絡まってました。あらら、活躍ってこういうことなのねって感じですわ。

ハリウッドとかブロードウェイとかメジャーリーグとかNBAとか、本当に活躍して評価を受けているのはイチローと松井秀喜と野茂くらいのもんです。あとはみんな上げ底だね。

でも、おれ、イチローってこっちに来る前に主婦との不倫騒ぎがあって、そのときの、女なんかどうにでもできるって感じの不遜さがどうも記憶に残っていて、野球はすごいなあとは思うが好きになれないんだなあ、ああいう男。人間として、なんて常套句は使いたくないけど、生理的にダメなんだ。そういうこと言ってたら世界の一流になれない、っていう物言いもあるが、そんなの関係ないやね。そんなら一流人はみな不実、背信的かね。必要十分条件だ。

ああ、そうそう、今年の夏にリンカーンセンターの特設歌舞伎小屋でやった平成中村座の中村勘九郎は、あれはほんとうによかった。勘九郎の小さいときからのハードワークが、歴史というか、そういうものにも裏打ちされてきちんと具体化してるって思いました。

NYタイムズにしたってじつは、日本からのそういうお客さまに対しては一般的にお客さま扱いの丁寧な記事で対応しますよ。なんせ、自分の知らない文化を背負っているわけですから、いちおう謙虚さは示す。でも、ウソは書かない。あの平成中村座は、まさにタイムズもひれ伏してましたものね。なんといっても面白かったし、演出も凝っていた。しかし、日本のジャーナリズムの日本人活躍記事は、芸能・スポーツに関してはほとんどがウソだ。そう思っていたほうがいいかもしれません。

December 17, 2004

年末年の瀬年の暮れ

年末年始の原稿の締め切りに追われて、といってもそのおかげで年末年始は原稿を書かなくてもいいんですけど、しかしいずれも締め切り間際までぜんぜん書くモードに入れず、書いては休み書いては眠り書いては飲んで、なんかちんたらちんたら引きこもりでうちから一歩も外に出ない日が続きます。どうせ外は寒いからね、とか言っても、じっさいは冷凛たる外気に当たればそれはそれでしゃきっとして、じじつ今週初めにタイムズスクエアに出たときなんか気持ちよかったなあ。北海道で生まれ育ったから、きんきんに冷えるとぷはーってはじけたくなるんですわ。外に出ないとなあ。

9月以来の鬱屈した精神状態もどうにか時間とともに風化してくるような感じがして、そうね、ここは年内でどうにか浮き上がって、来年はきれいに息をしたいなあと思ってます。

英語で好きな言い回しにね
Today is the first day of the rest of your life.
ってのがあってね、そうだよなあ、って思いませんか。
きょうは、残りのじぶんの人生の、最初の日。

好きつながりでかっこいいと思ってる英語の格言に
The noblest vengeance is to forgive.
ってのもあります。
最も崇高な復讐は、ゆるすことである。
涙が出るね。

そんでもって最近ずっとiTunesが奏でているのがJay-Jay Johansonっていう歌手の声です。先月はずっとクラシックだったけど、この2週間は一転こんなメローさ。このひと、Queer as Folk の第2シリーズだったかなあ、たしか最後のシーンで流れたんですよね、Suffering っていう曲。歌詞がね、いいんだ。どこの国のひとなんだろ。英語がすごく聞き取りやすいんで、アメリカ人じゃないんだろうな。

そうそう、例のジャーナリストネットの方達とも、東京関係は私の今回の一時帰国(渡米12年目にして初めて日本で年越しをします)のさいに声をかけてお会いできる方にはお会いしたいなと思います。明日の夜もじつはニューヨークで声をかけてくれた写真をやっている方とお会いして食事がてら話をしてくる予定です。おお、外に出るじゃないか。

なんか、ずいぶん久しぶりの近況報告モード……。
もともとこのブロッグは「ブルシット」といって、たわけなヨタ話=「たわごと(bullshit)」を余所さま構わずに書き殴る、あるいはたわけな余所さまの話を「bullshit!!」と罵倒する、という趣旨で始めたんだけど、とちゅうからけっこうひとが読んでるということがわかって、けっこう大人しくなっちまいました。小心者です。

いつからを晩年と呼ぶや冬銀河 (母親の俳句を盗用改作)

December 10, 2004

アレキサンダー・ザ・ファビュラス

「アレキサンダー」を見てきました。
オリバー・ストーンは苦手な監督なのです。というより、いつも「オリバー・ストーン」が前に出てきすぎで、どうも好きになれない。ちょうどロバート・デニーロがいつも「ロバート・デニーロ」になっちゃうみたいに、きっと名人なんだろうけど、臭いんだよなあ、という感じ。

で、「アレキサンダー」です。
登場人物は多いし、おまけに英語の名前と教科書で習った名前と発音が違うものだからだれがだれなのか、一回見ただけでははっきりとはわからなかったんですが、いまさっきまで映画サイトで配役名をおさらいしていたらなんとなく記憶がつながりはじめ、やっとああそうだったかと全体像がわかりかけてきたところ。でもしかしだが、わたし、これ、オリバー・ストーンが何を作りたかったのか、いまでもわからないのです。何を映画にしたかったんだろう。「オリバー・ストーン」がわからないのです、この映画は。

というのも、これ、完全にホモセクシュアル映画なのです。
ギリシャの弁護士が「アレキサンダーはホモじゃない」って抗議して事前試写を要求したというニュースがあって、そんでそれを見た結果、「懸念していたようなきわどい性描写シーンはなかったとして、公開中止を求めるようなことはしないと発表を撤回」したらしいけど、「おまえらの目は節穴か!!!」って「!」が付くくらい、完璧にホモセクシュアル。基底音として全編を通じて流れている感性がずっとホモセクシュアルなのです。

ストーンはホモセクシュアリティを描きたかったのか?
うーん、そうじゃないんだろうなあ。ではアレキサンダーの人となり? あるいは偉業の裏の人間性?
何なんでしょう?
登場人物のだれもに対して、感情移入が難しい。
なんであんなにも無理してインドまで遠征したのか。どうしてあんなに人殺しをしたのか。一方でなぜああも被征服者たちに寛容で異人種間結婚をも奨励したのか。3時間弱の大作ですが、それでも描き切れていない……。

いや、そうじゃないのかもしれません。ひょっとするとこれは大変な傑作なのかもない。ハリウッドの文法を用いながらも、ミシェル・フーコーがやったように、史実を現代の文脈上でとらえようとすることを回避したら、こういう描き方しかできなくなるのかもしれません。ホモセクシュアリティも戦争も殺戮も侵攻も奸計も人の生き死にも、「それはそのようにして予め在った」という描き方なのかもしれない。フーコーはそこに降り立って解釈して提示してくれるけれど、ストーンは映画だから解釈なしに提示するしか方法がなかった、ということかもしれない。

ただね、わたしとしては「ハリウッドの文法を用いながら」そんなことが可能なのか、というところが引っかかっているのです。そう、いわば、どこまでハリウッドで、どこからが「零度」(by ロラン・バルト)の史実なのか、というところが気にかかっているのだと思います。で、ストーンは、どちらを、あるいはその「零度」と「ハリウッ度」のあいだのどこら辺を言いたかったのか、それがわからんのです。

殺戮とか、人殺しの意味なんて、いま私たちが感じることとはぜんぜん違ったんだということはフーコーの「監獄の誕生」なんかで明らかにされました。ホモセクシュアリティも、フーコーによって「ゲイ」とは違うって教わりました。で、ストーンの描くアレキサンダーとヘパイスティオンの「愛」は、ありゃ、ホモセクシュアルなのかゲイなのか、どっちなんだろう、なんて考えちゃうのですよ。

こないだ日本に帰る便でブラッド・ピットの「トロイ」をやっていて、あれを見ながら、いやあ、すごいソープオペラを作ったもんだと思いました。もともと「イリアス」自体がおバカな話で、あんなのトロイの王子パリスがスパルタの王妃ヘレネを不倫お持ち帰りしたことから始まっちゃう戦争の話で、まさにソープ好みなんですが、あちらは完璧なハリウッドで、ブラピのアキレスとパトロクロスは本当は恋人だったのに映画では従兄弟という設定に変えられていました。パトクロスがヘクトルに殺されちゃったんでアキレスがそのヘクトルを仇討ちするんですわね。あれは恋人を殺された男の復讐だったのに、それが映画では家族愛になっちゃってた。ブラピはどう見てもあの映画ではハリウッドの定番としてストレートの権化だったわけです。ロック・ハドソンのようにクローゼットですらないまっさらのヘテ公ですわ。

ところがこの「アレキサンダー」は違うのです。
父と息子の葛藤、母親と息子の愛情、父親と母親の確執、そういうオイデプスめいた描写がちょっとハリウッド臭くて言わずもがなでしたが、これはハリウッドの超大作で歴史上初めてホモセクシュアルのヒーローを登場させ、しかもその彼を臆面もなくホモセクシュアルに描いている映画なのです。なにがホモセクシュアルかって、カメラがホモセクシュアルなのですから確信犯ですよ。たとえば、コリン・ファレル登場のペルシャ遠征へ出かける前の宴のシーンで、戦に行く前に女とやれと囃されるアレキサンダーが困り顔で見つめた相手、それをカメラが追うと、ヘパイスティオンがいるんです。2人のそのときの視線の交錯がすごくホモセクシュアルなのです。また、アレキサンダーがペルシャを征服して、彼が側近たちとともにその王宮の側女たちのたむろする広間を訪れる場面があるのですが、色とりどりに着飾り化粧した女たちをカメラが舐めるように映し出していくその中でカメラがふと射止めるのは、美しい宦官たちの一群ですよ。ここでアレキサンダーは生涯のファックバディであるバゴアスに目を付ける、という場面です。このバゴアス、きれいです。その後の彼のダンスのシーンなんか、おいおい、そんなふうに踊ってきみの俳優生命、だいじょうぶなの、っていうくらいエッチでなまめかしい。ちなみに、この俳優、フランシスコ・ボッシュっていうらしいです。写真、張り付けようかな。

あと、美形ジョナサン・リース・マイヤーズが演じるカサンドロスも微妙な位置関係で、なんともおいしい。
コリン・ファレルのアレックスとヘパイスティオンの2人のキスシーンもセックスシーンもカットされたらしくて登場しては来ないのですが、しかしそのセリフたるや日本のやおいマンガならさもありなんと思われるようなガップリ四つです。「今夜は一緒にいてほしい」とか、「おまえは、私を私自身から救ってくれたんだ」とか、「もしおまえが殺されたら、たとえマケドニアが王を失うことになっても私はおまえのかたきを討つ」だとか、「死ぬときは一緒だ」とか、「最後までおまえだけを愛している」だとか、もう満載。そうそう、さっき書いたバゴアスに出会うシーンではペルシャの王妃が命乞いを兼ねて登場し、最初、このヘパイスティオンをアレキサンダーだと思って話しかける。みんなくすくす笑いをしてその勘違いを放っておくと、やがて王妃も間違いに気づくのですが、そのときに大王さまはその愛するヘパイスティオンを指して「いいのだ、そいつもまたアレキサンダーだから」なんてことを言うのですわ。

あまりにはっきりしすぎていて、クイアリーディングなどまったく必要じゃないくらいです。バゴアスとのベッドシーンではコリン・ファレルがバット・ネイキッドとなってベッドに入り、そんでバゴアスに右手を差し伸べ、夏木マリ真っ青の指先ドゥルルン呼び込みサインを行うといった具合。とてもじゃないが書き切れない、全編こればっかり。バイセクシュアルというより、ストーンはぜったいにホモセクシュアルとして描いているのです。セクシュアルじゃないときは戦争でスプラッターです。

そんでね、もう一つ特筆すべきことは、史実としてアレキサンダーってのはアリストテレスを家庭教師に育つんですが、ヘパイスティオンとの恋はギリシャのソクラテスも説いたものから見てちょっと違うんですね。ソクラテスはあれ、年下の男の子を年上の男たちが正しく導いてやるためにお付き合いしなくちゃならないんだっていってるんですが、アレキサンダーとヘパイスティオンは史実として同年齢の男同士、しかも身分も違わなく王族・貴族ということでタブー破りでもあったはずです。また、映画ではアレックスとヘパイスティオンのキスはないのですが、ほかには男同士のキスはかなりある。それも奴隷や年下ではなくけっこう同等の連中同士でのキスです。こちらは映画なので、史実かどうかはわからん。まあ、史実は「(無敵無敗の)アレキサンダーが唯一敗北したのは、ヘパイスティオンの太ももだ」という記述があるということですね。このへんの史実は、最近出た「Alexander the Fabulous」という本に詳しい。タイトルはもちろん大王を示す「Alexander the Great」のもじりですね。

もう一回見ないとわからんかなあ。セリフも聞き逃しがたくさんあったし。

制作費1億5500万ドルもかけて、でも、客はぜんぜん入ってませんでした。
映画評がみんなさんざんだったからかしら。
それとも、ホモのアレキサンダーなんてだれも見たくねえよってことなのでしょうか。
なんか、そんな気もしますね。あの大統領選挙やゲイ結婚禁止の州憲法改正住民投票で示されたのは、そういうことでしたからね。
なんかまたぐったりするような結語になってしまったなあ。

December 04, 2004

酷評

宮本亜門の「太平洋序曲」が時事では「NYタイムズも大絶賛」とかってなっていて、え? と思ってもういっかいタイムズを読んでみたんだけど、やっぱりどう読んでもこれは酷評です。時事の記者は最初の段落しか読んでないんだな。それで「絶賛」となったんだね。ところがその批評文はどんどん辛辣になっていって、最後にゃ、「断片断片をまとめあげ、ソンドハイムが喜ぶであろう筆舌に尽くしがたいハーモニーを作った瞬間はほんのわずかに過ぎない」と結んでいるのです。

で、時事はろくにタイムズの記事も読まずに

宮本亜門がブロードウェー征服」NYタイムズ大絶賛

 【ニューヨーク3日=時事】米紙ニューヨーク・タイムズは3日、ブロードウェーで始まった宮本亜門さん=写真=演出のミュージカル「太平洋序曲」について、「宮本亜門氏という日本人の演出家が米国、少なくともブロードウェーと呼ばれる小さいながらも華麗な街道を征服した」と絶賛した。
 同紙は、1976年に初演されたオリジナル作品と比較し、「西欧の帝国主義に対する外部者による冷静な視点を提供している」と解説。「宮本氏は、太平洋序曲のマジックを再び成功させる要素を持っている」と同氏の演出を評価した上で、「敬意の賛辞」を保証できる作品だと結論付けた。

でもって、共同通信は以下のように

亜門氏演出の「序曲」酷評 NYタイムズ紙

 【ニューヨーク3日共同】3日付の米紙ニューヨーク・タイムズは、日本人演出家としてブロードウェーに初進出した宮本亜門氏演出のミュージカル「太平洋序曲」を取り上げ、「太平洋を渡る飛行機で眠れず、時差ぼけに苦しむ人のような、かすんで混乱した」内容だと酷評した。
 同紙は、ステージ上には「自信喪失の危機」が漂っていると指摘。出演者が、優しく歌い愛想笑いを振りまいていても「わたしはここで何をしているのだろう」と自問しているかのように見える、と痛烈に批判。振り付けは「ぶざまに感じる」とこき下ろした。

まったく正反対の記事でしょ。
NYタイムズだけではなく、同じ日に配信されたAPの評も「太平洋で難破?」「粗雑」「不安定」「コミカルな部分ははずしっぱなしで犯罪的」とまでさんざん。昨年の日本語版では激賞されたのに、英語版でこうも違うのはどうしてなんでしょうね。

ジェンダーベンダーの要素もあると聞いていて、落ち着いたらこっそり見に行ってみようかなとも思っていたのですが、もういいっすわ。

しかし、なにより、なにが似合わないかって、宮本が自分のことを「オレ、オレ」とことさらに自称するのがひどく気持ち悪い。どーでもいいんですけど。

December 03, 2004

平井堅って

ニューアルバムのSENTIMENTALoversを聞いていたら、「鍵穴」でのけぞりました。
あまりにまんまで、もうちょっとひねればいいのに、とおもったけど、まあ、右曲がりってことでひねってるのかもね。

平井堅って、いろいろ縁があって、直接はまだ会ったことはないんだけど、彼のNYのアパートメントビルディングって私がいちばん初めに住んでいたところだったり、ビンビン話が入ってくる。まあ、どこまでほんとかは知らんが。

「鍵穴」でゆいいつ微妙なところは鍵穴を「新しい世界こじあけたい」「きみが隠してる鍵穴にジャックしたいな」と表現してるところでしょうか。女の子のカギ穴だったら、べつに「新しい世界」じゃないだろうし、「隠して」るわけじゃねえだろ、って感じの読みができる。でもまあ、まんまの解釈だからなあ、あんまり知的な重層性はないわけで。

平井堅の歌で面白いのは「even if」です。
あれ、カシスソーダとバーボンが出てきて、てっきり「ぼく」がバーボンを飲んでいて、終電で帰ってしまう「きみ」がカシスソーダを飲んでいると思ったら、最後の最後で、「残りのバーボンを飲み干して、時計の針を気にした」のは、「きみ」のほうなんです。逆なんですね。
これには、やられました。

そういうクイアリーディングができるのはあと、サザンの「恋のジャックナイフ」です。
これも、色濃くゲイです。桑田がこの曲を作った当時、やっぱりそういうLGBTへの応援歌を作ろうという時代の雰囲気があったんでしょうね。そういうものに、松任谷由実とか桑田とかはさすがに敏感なんだなあと思いました。

さて、例のジャーナリズムネットですが、またすこしメールが届いています。
うれしいことです。

そんな中、遅れていた今月のバディの原稿を昨日やっと出しました。
今回は、アメリカのジャーナリズムにおける最近のおかしな報道のありかたを取り上げました。

一つはマシュー・シェパード事件を先日、ABCの「20/20」が取り上げ直したその取材と報道の仕方についてです。「6年後の新事実」というその謳い文句のいい加減さについて書いています。
もう一つは同じく先日、ニューヨークタイムズが宮本亜門(こちらでいま「太平洋序曲」という彼による初の日本人演出ブロードウェイミュージカルが始まったところです)の人物紹介をやったその長文の記事の書き方のいやらしさについてです。

両方とも、なんともブッシュ再選以降のアメリカのジャーナリズムのろくでもなさを象徴するような報道でした。お読みくだされ