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January 26, 2005

インド洋大津波

 きのう銀行に小切手を入れに行って、自動振込機の初期画面がインド洋大津波の寄付金を呼びかける画像だったのに驚きました。

 インド洋大津波から今日で1カ月です。アメリカのテレビでは元大統領のブッシュ父と前大統領のクリントンとが2人仲良く並んで被災者支援の募金を呼びかける公共広告が流れています。いわく「起きたことは変えられません。しかし、これから起きることは(あなたの支援で)変えられます」。

 正月に日本に一時帰国していたのですが、同じアジアでの大災害にも関わらずこうした支援呼びかけはあまり目につきませんでした。中越地震の支援で目一杯だったからなのでしょうか。対してアメリカに帰ってみると、企業も芸能界もこぞってお金を出したり集めたりして遠いアジアの被災国に送ろうとしています。というか、その広報、プレゼンテーションの仕方がじつにうまいんですね。

 同じようなことを9・11のときにも感じました。あのテロの直後、米国企業のホームページは一斉に追悼を表したものに書き換えられましたが、米国内にある日系企業のホームページはまるでなにもなかったかのようにいつまでも“平時”の宣伝ページのままだったのです。企業広報というか、社会事象に対する対応の仕方がまるで鈍いのです。

 今回の大津波もそうです。これ聞こえよがしに「寄付をした」と吹聴はしていませんが、米国企業のウェッブサイトにはさりげなく自社の寄付実績が書き添えられ、同時に赤十字などへの寄付金の案内が書き加えられるようになりました。コカ・コーラは1000万ドル(10億円強)を寄付、同じくペプシコもインド、インドネシア、スリランカなどでボトル飲料水の無料配給など多大な寄付を行っているようです。アメリカン・エクスプレスは社員が100万ドルを集め、社としてもそれに同額の100万ドルを追加して計200万ドルを寄付しました。AOL、アマゾン、アップル・コンピュータ、ヤフーなどのホームページでもみんな義援金団体へのリンクが貼られ、テレビ各局も寄付を募る緊急番組をプライムタイムにCMなしで放送しました。ラジオもそうですね。クリア・チャンネルも全米1200局のラジオ網を使ってユニセフの広報キャンペーンに協力していました。

 ハリウッドの大物俳優たちや音楽家たちもノーギャラでそれに出演しては視聴者からの寄付金の電話を受け取ったりしているのです。NBCテレビですが、インド洋大津波の被災者救済のための募金2時間特番「ツナミ・エイド」をロサンゼルスのユニバーサルスタジオからCMなしで生中継しました。
 この番組にノーギャラで出演したのは音楽界からはマドンナやエルトン・ジョン、グラミー賞歌手のノラ・ジョーンズら。映画界からはお膝元とあってブラッド・ピット、レオナルド・ディカプリオ、マット・デイモン、ベン・アフレック、ニコラス・ケイジ、トム・セレック、ジェームズ・カーン、モーガン・フリーマンといったそうそうたる顔です。番組ではクリント・イーストウッドらが地震から津波発生までの過程や被災状況を報告し、数々の悲劇を言葉で再現しました。マドンナは犠牲者への哀悼を示して黒衣でジョン・レノンの「イマジン」を歌い上げ、ブラッド・ピットら多くのセレブは自ら電話オペレーターとなって視聴者からの寄付金の電話を受け付ける、といった演出です。

 じつは米国企業ではこうした“危機”あるいは“大事”に対処する部署が決まっていて、その場合にどうするかのマニュアルがシステムとして確立しています。このマニュアルは必要なものです。「まずいことをやらなかった」からよしとする消極的な対応は「よいこともしなかった」と同義であって、企業にとっては社会的怠慢と受け取られます。それはいまや減点の対象なのです。

 日本企業が、あるいは日本政府がいまひとつ世界にその存在感をアピールできないのは、こうした社会的責任へのアプローチを示すのに怠慢だからだと思えてなりません。やっと大企業が動き出していますが、おかしなことになんだかそろってついこのあいだ、1月24日付けでHPを書き換えているところが多い。はて、談合でもあったのかしらん。

 NHKで辞職なさるエラいさんの退職金が1億円だとかそれ以上だとか言われていますが、全部とはいわないけれど半分くらいポンとそれを寄付したりしたら、ずいぶんと汚名返上になるでしょうにね。

January 24, 2005

やっと起き出した

しかしすごい風邪でした。まる5日間、寝っ放し。
本日起き出して、冷蔵庫に食うものがほとんどなくなったんで買い物に出かけたら、途中でめまいがしてきました。ニューヨークは一面の雪でして、きらきらと遠近感がなくなるというか、目の焦点調整がうまくいかないというか、そんでもってぶっ倒れそうになってしまって。両手には重いショッピングバッグだし。

でもまあ、こうやって書き込んでいるんですから。

さて、ずいぶんと時間が経ってしまいましたが例のジャーナリストネット、15日に東京の方々で時間のある方と2丁目のアクタでお会いしました。フジテレビ、TBS、にじ書房の永易さん、東京新聞の特報部デスク、岐阜聖徳学園大学非常勤講師(ジャーナリズム)の5人プラス私が顔合わせしました。1時間の予定が、なんだかんだと話し込んで3時間にもなりました。

その中で気づいたことは、メディアの現場にいると、社会の雰囲気というか時代の匂いというか、そういうものがふだん気づくやり方とは別の感じ方で気づかされるという実感です。たとえば最近のテレビで、政府自民党に噛み付く評論家がだんだん外されて来ているというようなこと、きづけばそういう評論家はみんな権力に都合の良いコメント、当たり障りのない意見を言う連中に偏ってきてしまっている。そんなことをみんなで話したりしました。

まあ、LGBTのジャーナリスト、あるいはテレビ人、新聞人という固定した観念というより、よりよいジャーナリスト、テレビ人、新聞人であれば自ずからLGBTあるいはひろく少数者たちの感覚を共有できるのでしょう。あるいは、LGBTであるということから鍛えられたそうした足場を持ちつつ、プロのメディア人として仕事をこなしている人たち。

このジャーナリストネットワークも、たとえば30人、40人という数になれば(現在は14人です)かなりの影響力を持つのではないかと思います。そこからたとえば新聞協会なりにLGBTをジャーナリズムで扱う場合での基準、コード作りなどを働きかけることもできると思われます。

さて、そうこう話しているうちになんとなく見えたのは、とにかくもう少し参加者を募ろうということ。NHK、朝日、読売、毎日、共同からもぜひ参加してほしいものです。さらに、日本でのこのネットワークの拠点を、大学内のジャーナリズム専攻のどなたかの研究室に置いて、日本の新しいジャーナリズムの動きとして研究がてら参加・協力してもらう、という方法をとりたいということでした。社会学としてLGBTを扱っている先生たちは多いのですが、ジャーナリズムとしてLGBTを研究している先生はいまのところ日本ではいないのではないかということです。その意味ではとても面白い研究テーマでもあるでしょうし。

さて、そのうえでどうにかこの夏ごろまでにはネッッとワークの形を作りたいと思っています。そうして、�外部の人を呼ぶメディア関連の勉強会を開催する�ネットワーク内でのワークショップを開く�大学生を対象に講演会を開く�一般を対象にLGBT関連の啓発活動を行う�LGBT関連の事象(同性婚、憎悪犯罪、人権運動、歴史)についてプロのジャーナリストや研究者が活用できるようなデータベース・資料サイトを構築して公開する�ネットワーク参加者相互の情報交換のサイト(mixiなんかどうかしら?)を作る……などの活動を具体化していくということになろうかと思います。

じつはこの顔合わせの後で、わたしは別のネットワークの主催者と会いました。
それは女性ジャーナリストのネットワークで、数年前に立ち上げてすでに100人からの参加者がいるそうです。ネットワークの名前はなんと「薔薇トゲ」という、じつにキャンピーでビッチーで、オキャマ心をそそる命名ですが、主催者の女性はぜんぜんそういう意識はなくて、わたしと会って「そうね、そっちと提携しても面白いですよね」などと言ってくれました。この女性ジャーナリストネットも定例でいろんな著名人を呼んで勉強会を開いているそうです。「ビアンはいないの?」と聞いたら、「調べたことないわ」ということですが、まあ、アメリカの高校や大学でよくあるゲイ&ストレート・アライアンス(ゲイであろうがストレートであろうがいっしょに性的少数者の人権を守ろうと活動する同盟運動体)みたいな感じになればよろしいかと。

こうやって考えてみると、なかなか面白い活動ができそうです。
そう思いません?

さあ、もう少しリクルート活動を展開しようと思っています。
皆さんも是非ご協力ください。

January 19, 2005

風邪

日本から帰ってきました。
ですが、飛行機を降りたとたん、風邪を引きました。
15日のジャーナリストネットの顔合わせの報告をしたいのですが、頭がぼやぼやで、ダメです。当日は1時間程度と思っていたのが3時間びっしりとみなさんとお話しすることになり、とても面白かったです。やはりメディアの内部にいると、様々なものが見えてくるようです。それをともに書き留めておかなければならない必要性、またその種の情報交換や確認作業、また情報発信の必要性をひしひしと感じました。イッシューはLGBTにとどまりませんでした。同時に、互いに勉強会もしていきたいものです。
なんとなく、方向性も自ずからみえてくるような。
詳しくはもうちょっとお待ちください。
いまはとりあえず寝てます。
あー、つらい。

January 11, 2005

東京入り

実家のオンライン環境は電話線の接続のためぜんぜんここにもアクセスできませんでした。
先ほど東京入り。いやあ、札幌では飲み明かしました。

とはいえ、昨年クリスマス前からの右胸の赤いポツポツ、各種の軟膏を塗ってもいっこうによくならず、だんだん痛くなってきて病院に行ったらあっさりと「帯状疱疹」だっていわれちゃいました。原因は過労、ストレス、老化。ほな、老化かいな、と思いきや、先生曰く、「それって70歳くらいのことよ」。

ふうむ、年末の原稿ダッシュのせいかや? でもね、それって毎年のことだからべつにたいしたことないし、昨年は逆にちょっとお怠けしてネタのたらい回しみたいなことやっちゃったからけっこう楽だったわけで。ほな精神的なストレスなんじゃわなあ。なるほどねえ、あちきもけっこうやわい心を持って、というか、心と肉体とはこうして連動してたんですねえ。

生命って、閉鎖回路の中の複雑な現象の絡み合いの結果みたいなもんなんですよね。そんで、その命あっての意識ってのは、そりゃ、その現象系のセルフモニタリング機能のループ状の現象の結果なんだわなあ、と。

というわけで、オンライン復帰。

さて、例のジャーナリストネットの途中報告です。
ネットにはこれまで12人の方々から参加へのご関心を表明していただきました。内訳はテレビ局関係が3人、新聞関係が3人、文筆業が2人、ラジオが1人、学術関係が1人、他分野2人、学生2人(カテゴリー重複あり)です。プラス、私です。

で、産經新聞でHIV/AIDSを追ってきた友人の宮田一雄さんにも参加をお願いしたところ快諾いただきました。このネットはしたがって、セクシュアル・アイデンティティの如何によって門戸を閉じたりはしないことにしたいと思います。

で、いろいろとみなさんからのメールを受け取り、文面をうかがいつつなんとなく見えてきたことは、このネットにおける活動の概要はLGBTのジャーナリズム活動の相互啓発・情報共有・意見交換・後進教育・情報発信、ということになろうかということです。

なにせ私はふだんはニューヨークですので、会員同士でのコミュニケーションを司るためのメディアも、たとえば会員専用の掲示板なりが必要だろうとも思います。正式に発足する前に、発足メンバー同士もどこまで自分についての情報を開示できるかも確認し合わなくてはならないでしょう。その辺りの、確認事項について、あるいは何を確認事項とすべきかなどについて、みなさんのお知恵を拝借したいと思っています。また、このネットワークの名称も決めていませんしね。

この東京滞在中の1月15日(土)の午後に、ご都合のよい方々とお会いすることになっております。引き続き、メンツを募集しております。活動の具体はまだ先になりますが、基盤は大きい方がよいですからね。ご興味のある方はメールを下さい。ではでは。