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April 25, 2005

MS続報、っていうか……

こないだのNYタイムズの報道の続きです。
まずは訳しましょうか。

***
Microsoft C.E.O. Explains Reversal on Gay Rights Bill
マイクロソフトのCEO、ゲイ人権法案への支持撤回を説明
By SARAH KERSHAW (記者署名サラ・カーショー)

Published: April 24, 2005

SEATTLE, April 23 - The chief executive of Microsoft, Steven A. Ballmer, sent what company officials described as an unusual e-mail message on Friday evening to roughly 35,000 employees in the United States, defending Microsoft's widely criticized decision not to support an antidiscrimination bill for gay people in Washington State this year.

シアトル23日─マイクロソフトのCEOスティーヴンAボルマーが金曜夜、アメリカ国内の約35000人の社員に、同社側言うところの"異例の"eメールを送信した。そのメールの中で彼は、広く批判されているマイクロソフトの決定、つまりワシントン州のゲイに対する反差別法案への今年の支持撤回決定を擁護してるってわけさ。

The e-mail message came as company officials, inundated by internal messages from angry employees, withering attacks on the Web and biting criticism from gay rights groups, sought to quell rancor following the disclosure this week that the company, which had supported the bill in past years, did not do so this year. Critics argue that the decision resulted from pressure from a prominent local evangelical Christian church.

このeメール・メッセージが送られてきたのは、同社側が、怒り心頭の社員からの社内メッセージやウェッブ上でのびびっちゃうような攻撃、ゲイ人権グループからの噛み付かれちゃいそうな批判なんかに圧倒されちゃって、どうにかしてこの、去年まではこの法案を支持してきたのに今年はそうじゃなくしたって今週明らかになったあとで起こってきた敵意みたいな感情を鎮めたいなあと思ってのことなんだわ。

In his message, posted on several Web logs on Saturday and confirmed by company officials, Mr. Ballmer wrote that he had done "a lot of soul searching over the past 24 hours." He said that he and Bill Gates, the founder of Microsoft, both personally supported the bill but that the company had decided not to take an official stance on the legislation this year. He said they were pondering the role major corporations should play in larger social debates.

メッセージってのはこの土曜日にいくつかのウェッブログでポストされてて、そんでもって同社側も確認した本物なんだけど、そのメッセージの中でミスタ・ボルマーは「この24時間にわたって魂の追求みたいな厳しい思索」を行ったと書いている。彼が言うのは、彼もビル・ゲイツも、マイクロソフトの創設者ね、ともに個人的にはこの法案を支持している、でも会社としては今年はこの法案に対して公的な立場を取らないことに決めたんだっていうわけ。ふたりはね、大きな企業というのが大きな社会的議論になっているようなことでどのような役割を演じるべきかについて熟考してたんだってさ。

"We are thinking hard about what is the right balance to strike - when should a public company take a position on a broader social issue, and when should it not?" he wrote. "What message does the company taking a position send to its employees who have strongly held beliefs on the opposite side of the issue?"

「なになにが正しいバランスの取り方なのか、私たちは懸命に考えている─公的な企業がある広範な社会問題に対して一つの立場を取るべきなのはいかなる時なのか、あるいはいかなる時には取るべきではないのか?」って書いてるのね。「ある立場を取っている会社が、その問題に対して反対の信念を強く持っているような従業員たちに対してはどのようなメッセージを送るのか?」って。

The bill, which has been debated in the Legislature for years and would have extended protections against discrimination in employment, housing and other areas to gay men and lesbians, failed by one vote on Thursday.

問題の法案はワシントン州議会で何年も議論されていたもので、雇用や住宅やその他の分野でのゲイ男性とレズビアンたちへの差別に反対して、法的保護を広げるはずのものだった。

Critics, including some Microsoft employees and a state legislator, who said they had conversations with company officials about their decision, said a high-level Microsoft executive had indicated that the company withdrew its support because of pressure from a local minister, Ken Hutcherson. Dr. Hutcherson opposed the bill and said he had threatened a national boycott of Microsoft.

マイクロソフトの従業員や州議会議員も含む複数の批判者は、今回のこの決定について会社側と話をして、会社が支持を引っ込めたのは地域の牧師のケン・ハッチャーソンの圧力によるものだとマイクロソフトの上の方のエラいさんが言っていたよって話している。ハッチャーソン博士(神学者なんだろうね;訳注)はこの法案に反対していてマイクロソフトに全米で不買運動をするぞと脅していたわけだしさ。

Company officials have denied any connection between the threatened boycott and their decision not to support the bill.

会社側は今回のこの法案不支持の決定とボイコットの脅しとは無関係だと否定してるけどね。

Microsoft, which is based in Redmond, Wash., east of Seattle, has long been known for being at corporate America's forefront on gay rights, extending employee benefits to same-sex couples. In his e-mail message, Mr. Ballmer said, "As long as I am C.E.O., Microsoft is going to be a company that is hard-core about diversity, a company that is absolutely rigorous about having a nondiscriminatory environment, and a company that treats every employee fairly."

マイクロソフトはワシントン州レッドモンド、シアトルの東ね、そこに本社を置いてるんだけど、長いこと“アメリカ株式会社”のゲイ人権に関する最先端を行っていたことで知られてたわけさ。従業員の福利厚生を同性カップルにも拡大したりしてさ。eメールのメッセージの中でミスタ・ボルマーは「私がCEOでいるかぎり、マイクロソフトは多様性に関して筋金入りの中心的存在になるし、差別のない環境を作ることに絶対的に厳格に取り組む会社になるし、そしてすべての従業員を公正に扱う会社になる」と言ってる。

Mr. Ballmer described the antidiscrimination measure as posing a "very difficult issue for many people, with strong emotions on all sides." He wrote, "both Bill and I actually both personally support this legislation," adding, "but that is my personal view, and I also know that many employees and shareholders would not agree with me."

ミスタ・ボルマーはこの反差別法案のことを「多くの人たちにとって、どんな立場であっても強い感情を伴うとても難しい問題」を投げかけるもの、としている。彼は「ビルも私も実際、個人的にはともにこの法案を支持する」と書き、続けて「しかしそれは私の個人的な意見であり、その私に賛成しない多くの従業員や株主がいることも知っている」と言うのね。

Blogs and chat rooms on the Web were filled Saturday with lively debate about Microsoft's actions, including postings from people who said they would now buy products from other software companies and encourage others to do the same.

ブログやウェブのチャットサイトは土曜日、マイクロソフトのこの動きに関して活発な議論で埋まった。そん中には、もうこれからは他のソフトウェア会社の製品を買うからみんなもそうしようと呼びかける人からの書き込みもあった。

One posting Friday on a Web log run by "Microsophist," who promises "an unfiltered and unfettered view of Microsoft from the inside," said of Mr. Ballmer's memo: "When I read the mail, I felt some relief (the situation wasn't as bad as I'd first thought) followed by disappointment as he's basically saying he doesn't want to do anything that might cross the religious right."

マイクロソフトに関する検閲も足かせもない内部からの見方を約束するという「マイクロソフィスト(マイクロソフトのソフィスト、つまりマイクロソフト学者ってなシャレかね;訳注)」という人の運営するあるブログの金曜の書き込みは、ミスタ・ボルマーのメモに関して「メールを呼んだとき、なにか安心した(最初に思ったほど事態は悪いわけじゃなかった)けど、その後でがっかりした。だって彼、基本的には、宗教的な権利とぶつかるかもしれないようなことはぜんぶ避けて通りたいって言ってるわけだからさ」

A gay Microsoft employee who read the e-mail message from Mr. Ballmer on Saturday and spoke on the condition of anonymity out of fear of retribution said: "Overall it's a good thing that Steve is reaffirming the company's commitment to it's internal anti-discrimination policies. But I'm disappointed that he would give equal weight to the views of employees or shareholders who would condone discrimination as to those who would be the subject of discrimination."

土曜日にミスタ・ボルマーからのメッセージを読んだゲイのマイクロソフト従業員は仕打ちが怖いという理由で匿名で話してくれた、「全体的に見て、スティーヴが会社の社内的な反差別方針への取り組みを再確認しているということはいいことだ。でも、これって差別を黙認するような社員や株主の意見は、差別の対象になるような人々の意見と同じだけ等しく重要だという判断なわけで、それは失望だよ」

***

あらら、思いのほか時間がかかってしまいました。長いしね。

記事の書き方ってもんがありますが、もとよりそれは公平なんてことはあり得なくて、どうしたって書き手の立場が反映してしまいます。この記事もそうで、まず、報道として取り上げるということ事態が一つの意思表明なわけですよね。そういうことも含めてフーコーは書くこと自体が権力になると言っていました。それはたしかにそうで、では、じゃあ、権力に汚されていないニュートラルな状態は何なのか、そのへんが読解のカギになるのです。

このボルマーさん、それはきっと難しい決断だったのだと思いますよ。で、これこそが「正しいバランス」の取り方だ、と思った。ほんとかなあ。

だってさ、「支持を取りやめる」という行為は「中立に戻る」というニュートラルな行為ではないのですもの。それは「在るもの」を「無くする」という積極的なマイナスの行為なのです。それはメッセージなのです。宣言です。どうしたってそうなってしまう。つまり、マイクロソフトはこうすることで結果的に、「積極的に差別を肯定する」のと実質的に同じメッセージを送ってしまったことになるのです。

「いやいや、そんなことは言っていない」とボルマーさんは言うでしょうけれど、問題は、言っている中味ではない。支持を取りやめると「言う」行為のことです。「支持を取りやめる」というアクションのメッセージ性のことなのです。(ほんとうは支持取りやめを発表しないでそっと黙っていたかったのかもしれないけれど、そんなこと、不可能ですものね。おまけにそれが公表されてしまってからもこのメールメッセージです。2回も「言」っちゃっている)。

ビル・ゲイツだってボルマーだって、(いくら理系だからといって)こうしたことに気づいていないわけはない。すっごく頭はいいはずですもんね。にもかかわらずそういうアクションを取った。これも「一つの立場」なわけで、「ニュートラルな立場」なんてあり得ないのです。ニュートラルなら、「立場」すらないんですよ。ふわふわ漂って、その「広範な社会問題」自体にコミットなんかしないで、どこにいるのかわからない、人々に意識すらさせない、これを社会問題におけるニュートラルなあり方というのです。中立なんてないのです。あるのは「支持」か「不支持」か、「考えてない」かです。あるいはもうちょっと踏み込んで「そんなのくだらん」と問題そのものを否定する立場。

たとえばナチスです。ナチスに対するニュートラルな立場、というのは何を意味しているのでしょうか。ふわふわ漂って、コミットしないで、なんにも考えていない、というならわかります。それはただのバカです。しょうがない。そうじゃないなら、ナチスに対する支持か不支持しかあり得ない。困っちゃって黙って隠れているというのはあります。あとは「どうせ他人事」というのもあるでしょう。でも、「私はナチスに対して中立でいたい。なぜなら、その支持者も不支持者も大いに感情的になってしまって、賛否両論、大きく分かれているからだ」というのは、つまりナチスを黙認してる、ってことと実質的に同じになってしまうでしょう。第二次大戦中のローマ法王がそうだった。そんでもって、けっきょく法王庁は戦後何十年もたってから謝罪することになるのです。ザマァミロ、と思った人は少なくなかったはずです。

でもって、ボルマーさん、社内的には同性カップルにも平等な環境を与えると言っている。なんじゃらほい? そういうのに反対の株主や従業員だっているでしょうに、それは問題ではないのかしら。これは偽善とか詭弁とかっていうもんじゃないかしらん? 

NYタイムズのこのサラさんは、この原稿の終わりに「これって差別を黙認するような社員や株主の意見は、差別の対象になるような人々の意見と同じだけ等しく重要だという判断なわけ」ってことだよね、というコメントを持ってきています。これがこの記事の結論でもあります。この皮肉と逆説と反語とがすべてを語っているのだと思います。

しかし、ほんとにボルマーとゲイツ、頭いいんだろうか……。

April 23, 2005

マイクロソフト

いやいや、まったく、「全米規模での福音派のマイクロソフト製品不買運動」と、全世界規模での性的少数者たちのMS製品ボイコット運動と、どっちがビジネスとして深刻な問題なのかなあ。ゲイは平和的だからボイコットしないって思われてるのかしら。いったい、どういう判断なのか、ほんとうに、よくわからんというのが正直な感想です。だって、どう考えたってこれって、MS側にとっては大変なイメージダウンですからねえ。

現場の担当者の判断ミスってのじゃないのかなあ。時代に逆行してるとかって、大げさに言うのが恥ずかしいくらいのベタな選択だもの。それとも、あれ? もう法王の影響? って、福音派って保守派とはいえプロテスタントで、カトリックじゃないんだから。あはは。ま、いずれにしてもブッシュ再選の重要なカギだった連中には違いないのだが。

でも、これはこうやって報道されたら、法案の否決は変わらないにしてももう一回なんかあるような気もしますな。

NYタイムズのオンライン・フォーラムにはすでに読者から1万件を越える書き込みがあるみたいです。いまざっと眺めてきたけど、しかしすごい数だ。おまけにNYT22日の記事はいま現在「最もeメールの来た記事」の3位だって。さすがにNYTの読者は反応が早いね。もちろん、MSはバカじゃないの、ってのが多いみたいだなあ。

あなた、まだウィンドウズですか? そろそろ考えた方がよくな〜い? iPodもあることだしさ。うふふ。

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マイクロソフトに非難 同性愛権利擁護法案支持撤回で

 米紙ニューヨーク・タイムズ電子版が22日伝えたところによると、これまで社内での同性愛者の権利擁護に努めてきた米ソフトウエア大手マイクロソフトが、キリスト教右派の「福音派」からの圧力に屈し、同性愛者への差別を禁じるワシントン州法案に対する支持を撤回したとして、自社社員や同性愛者権利擁護団体などから非難を浴びている。同法案は21日、州上院で1票差で否決された。

 圧力を加えたのは、同州レドモンドにある同社本社から数ブロックにある著名な福音派教会という。マイクロソフトは2年間にわたり同法案を支持してきたが、最近これを撤回した。

 同教会のハッチャーソン牧師は、マイクロソフト側と会合を持ち、全米規模でマイクロソフト製品の不買運動を起こすと伝えると、法案に対する支持を撤回した、と語った。マイクロソフト側は、支持撤回と教会とは無関係と否定している。(共同)

April 19, 2005

新法王 ラツィンガー

新法王に選ばれたヨーゼフ・ラツィンガーについて、「Becoming a Man」というポール・モネットの半自叙伝に次のような記述があります。彼は24年にわたって教理省長官を務め、教義において超保守的とされた前法王ヨハネ・パウロ2世の側近中の側近でした。バチカンのこの20数年間の超保守主義を形作って恥じなかった人物です。エイズ禍初期の80年代に、いかにひどい憎悪の言葉が彼らの口から発せられたか。そういう男が今度の法王です。

ただし、違う読みもあります。ラツィンガーはいま78歳。法王としてもっても数年でしょう。このラツィンガーで保守派の生き残り連中のガス抜きをして、改革派は次を狙っている。それが今回のコンクラーベ、比較的早く決まった理由だと。とりあえず花を持たせておいて保守派の顔も立て、さて、次がどうなるか。じつはバチカンの次回のコンクラーベはすでにいまこの時から始まったと言ってもいいのだと思います。

****以下、「Becoming a Man--男になるということ」からの抜粋訳

 「ローマ・カトリックの問題点は」と、ある司祭が残念そうにぼく【註;ポール・モネット】に語ってくれたことがある。「ずっと逆上ってアクィナス【註:トマス・アクィナス。中世イタリアのローマ・カトリック神学者でスコラ哲学の大成者。主著「神学大全」】に帰結する」と──13世紀カトリックのあの野蛮人。女性とゲイに関するやつの煮え滾ぎるナンセンスが聖書と同等の権威になったのだ。これは憶えておく価値がある。最初の千年王国では、教会はゲイとレズビアンをも歓迎する場所だった。既婚聖職者を受け入れていたと同じようにゲイとレズビアンをも受け入れていたのだ。さらにもう一つ、優しきヨハ2ネ23世【註:1958〜63年のイタリア人ローマ法王。62〜65年にかけ、第2ヴァチカン公会議を開催。キリストの死に対する新約聖書中のユダヤ人の「罪」を否定したことで有名】時代に、偏見と頑迷さとが俎上に上りそうになった瞬間があったことをぼくは知っている。第2ヴァチカン公会議が光を注いでいたそのときに、フェミニズム運動とストーンウォール革命とがあの家父長制度の目の前でぼくらへの鞭打ち刑を打ち砕いたのだ。その二つの出来事が時期を同じくしたのはけっして偶然ではない。

 しかし第2公会議は自らを去勢した。いまやバラ色の60年代ではすでになく、新たな異端審問が咆え声も高らかに全速力で疾走している。率いるのは錦織の法衣を着た狂犬病のイヌ、ローマ法王庁の枢機卿ラツィンガー【註:こいつが今度の法王】だ。ゲイを愛することは「本質的な邪悪である」という御触れを発布した悪意のサディスト神学者。エイズ惨禍のこの10年間、ぼくは道徳的堕落に関するグリニッジ標準時のごとき存在としてのあのポーランド人法王【註;ヨハネ・パウロ2世】の教会に何度か足を運んだ。ぼくなりのささやかなやり方でナチ突撃隊長【@シュトゥルムフューラー】ラツィンガーへの返礼をするために。法王の植民地の手先どもが一週間でもいいから黙っていてくれることはまずない||ニューヨークではオコーナー【註;1984年から2000年までNYのローマ・カトリック教会大司教で、法王の最高顧問である枢機卿の一人だった。2000年5月死去】が、ロサンゼルスではマホーニー【註;同じくLAの大司教・枢機卿】が、自分らの女性恐怖症と同性愛恐怖症とを辺りかまわず吐き散らかしている。セックスはついには死に至るのだと勝手に勝利に呆けながら。

 けれどぼくは、たとえそうでもカトリックそのものを憎むことはしないように努めている。これに関しては、神は罪は憎むが罪人を憎むのではないという法王さまたちご自身のお言葉に倣うのだ。そうしてぼくはミサにやってくるかよわい老婦人たちのために、あのブロケードの法衣の向こうにどうやるのか神を見ようとする貧しい異国の人々のために、さらには遠慮がちにこの恐怖の時代はやがて終わりますとぼくに手紙を寄越した怯える司祭たちのためにすら、舌を噛んでじっと言葉をこらえるのだ。

April 08, 2005

スワジランドって知ってる?

本日は次のような衝撃的なニュースが。

More than half of young Swazis are HIV-positive

According to the 9th HIV Sentinel Survey, conducted by the Swaziland National AIDS Task Force, 56% of the nation's adults ages 25-29 are infected with HIV. Data for the survey were taken from pregnant women who attended prenatal clinics in 2004; this group is considered a valid model for projecting the adult population's overall HIV rate. According to the survey, the HIV infection rate among people ages 19-49 rose to 42.6% from the 38.6% recorded last year. Helping to drive the epidemic, activists say, is a reluctance to test for HIV and a cultural taboo against admitting illness. Reuters obtained a copy of the report, which is to be released later this month by the health ministry. (Reuters)

スワジランドっていうのは南アフリカの中に包まれるようにあって、モザンビークと隣接している世界最貧国のひとつです。モザンビークはその4倍くらい貧乏ですけど。

上記のニュースはそのスワジランドのエイズ調査で、全国の25〜29歳の成人の56%がHIVに感染していることがわかったというものです。2004年に産婦人科に訪れた妊娠女性の追跡調査からわかったもので、19〜49歳の感染者は前年の38.6%から42.6%に上昇。感染拡大の原因はHIV抗体検査をなかなか受けないことと、病気であることを認めるのが文化的なタブーになっていること、だと書いてあります。詳細は今月中に保健当局から発表されるって。

しかし、56%って、すごすぎないか。 国が滅びるぞ、ほんと。

米国CIAの調べではスワジランドはキリスト系の土着信仰が40%、カトリッックが20%、英国国教会とかメソジストとかモルモンとかユダヤ教といった厳格宗教が合わせて30%だそうです。つまり、ポープの教えと似たり寄ったりでコンドームは使っちゃいけないというのもあるはず。というか、こういうところではコミュニティーの機能として教会が進んでコンドームを配布しないことには新しいコンドームも手に入らないし、そうすると古いのを使い回しして大変なのです。

ニューヨークのセントルークス病院でエイズ研究を80年代初期から続けている稲田頼太郎先生は最近毎年ケニアに入って地域医療検診を行ってエイズ教育にも力を入れてるんだけど、ぜんぜん追いつかないんだよ、って暗い表情です。先生のいつも行く地域でも、30代の女性の感染率が40%近いとか言っていました。とんでもない数字です。そうして、これらの数字のうしろには、ひとりひとりの悲劇がひとりひとりの名前とともに山積みになっている。

われわれにできることはなにか?
即効性のあることなんかほとんどありません。稲田先生のように現地に乗り込んでコンドームを配ったりする人もいるでしょうが。でもまずは事実を知ること。それを人口に膾炙させること。そこから動き出すものを信じるしかないのです。そうして各自が、各自でできることをやるしかない。

April 07, 2005

会社は誰のもの?

 しかし、堀江さんもずいぶんと嫌われたもんです。フジもソフトバンク陣営を持ってくるとはえげつないことやりますわなというのが第一印象でしたが。ライブドアとフジTVの攻防戦はどこまで続くのでしょう。ソフトバンクもライブドアも、そう変わらんでしょうにね。

 まあ傍目で見ている分には面白いのですが、フジやニッポン放送にはじつは友人も何人かいて、あまり軽々しくはいえないのです。ただ、私の友人たちが一様に示す堀江社長への不快感ってものの一因は、「株式会社は商法上は株主のものですから」と言ってのけたこと(に如実に表れているマネーゲーム感覚)にもあるようです。

 そう言われて私なんぞは「ふうむ、そういえばそうだったかな」とあらためて気づかされた口ですが、でもいまのこの巨大企業、巨大資本の時代、あながちそうとも言い切れないのではないかと思い直しているのです。

 株式会社はたしかあの東インド会社あたりを起源としています。つまり金持ちたちが資金を出し合って船を用意し、さらに船員を契約で雇って東インド(インドネシア)から香辛料などを運ぶ航海を企画する。そして結果として儲かった金を元々の出資者同士で配分するのです。そのうちにこの出資と航海と利益分配の図式が恒常的組織になった。それが会社であり、そう考えるとたしかに会社は出資者(株主)のものです。

 ただ、そう言い切られるとなんだかさみしい。つまりは社員なんてみんな契約社員ってことで、その都度の仕事が終われば解約されてもしょうがないシステム。出資者の金儲けのために必要な道具、というわけです。でも、これって17世紀のオリジナルでしょう? 歴史とともに社会も経済も成熟してきて、いまは違う意味合いを持っていなくちゃおかしいはずですよね。

 日本ではそれが終身雇用制みたいな(これは成文化なんかされていないけど)慣例として育ってきて、会社とは社員全員が創り上げているもの、というような感覚になっていました。株主なんか、どこか「自分たちの毎日の業務を儲けのタネにしているだけのやつら」みたいな感覚だってなきにしもあらず。だから社長なんてほんとうは株主が決めるものなのですが、社長は社員というか取締役会が、あるいはつまりいまの社長が次の社長を決める、というような状態が続いているのですね。そういうところから、「愛社精神」などという英語はありませんが、日本ではずいぶんとそれを育まされてきました。「会社のため」という文言も何度も聞いてきました。それもこれもひとえに「会社は働いている私たちすべてのもの」という、商法にもどこにも保証されていない幻想に基づいていたのです。

 逆にさっきもいったように、そういう会社本位制、社員本位制のようなニッポン株式会社では株主の存在があまりにも軽んじられていたという弊害があります。バブル崩壊で企業不祥事が一気に表面化したことも、あまりにも閉鎖的に社内のみで経営を処理してきたことの結果でした。社外、つまり出資者や社会全体への責任を明らかにせず、せっせせっせと社内的な保身に奔走する。そうしてどうにか定年までを乗り切る、そしておさらば、というわけです。そういうところから総会屋などという、外国では存在し得ないおかしな職業までが幅を利かせている始末なのです。

 株主が弱いと取締役会へのチェックが機能しません。もっとも、株主が強いといわれる米国でもエンロンのとんでもない粉飾決済事件があり、しかもアーサー・アンダーセンという米国最大手の会計事務所まで粉飾に関与していたとわかってからは、いったいどうなっているのと唖然としました。ストックオプションの利便性を悪用して八百長で株価をつり上げたりするなど、これもどうしてどうして、マネーゲームのうまみを利用したじつに現代的な犯罪でした。堤義明もとんでもないですけれど、こっちのエンロンのかんぺきな犯意に基づく犯罪に比べると、なんだかエンロンのCEOは居直り強盗だけど堤は電車の中の痴漢みたいなちまちました感さえしますね。

 さて、そんなふうにここまで企業が大きくなってしまうと、それはすでにあるひとつの利益カテゴリーの単なる所有物ではなくなるのではないか。それが最近よく耳にする「ステークホルダー(stakeholder)」の概念なのでしょう。

 つまり会社は、株主や従業員だけではなく消費者や地域住民などすべての利害関係者のものという、準公的な存在なのだ、ということです。そうでなければ不正や害悪を垂れ流したときの損害があまりにも大きくなってしまいます。そうやって四方八方から相互監視しつつ利益を配分・還元していくことこそが、これからの企業に求められていることなのだというわけです。

 でも、べつにこれはまたまた、成文化した「商法」なんかに取り決められているものではなくて、あるひとつの考え方に過ぎません。それでもアメリカでは、単なる一例ですが、大企業を中心にドメスティックパートナー制度を認めてLGBTの社員にも平等な福利厚生を与えたりしている。義務なんかじゃないのに、です。これって優秀な人材を確保するためでもありますがそれだけでの意味ではもちろんなく、地域や社会への責任ということなのでしょう。というか、利益を確保するためにはそうした寛容で公正な企業イメージが必要、という“しがらみ”機能でもあって、社会とか経済の活動分野ではおうおうにしてその種の共同幻想が法より先に機能したりするのですね。

 堀江さんには私はかねてから経営者としての手腕などは期待していなくて、既成のものを引っ掻き回していろんなことを私たちに気づかせてくれる、それがありがたいと思っています。今回も、「会社は株主のものだ」と言いのけて私たちにそんなことを気づかせてくれたかれのトリックスターとしての力は、じつにまったく捨て難いなあと思った次第です。

 でも、最近のかれ、TVニュースの画像でしか知りませんが、なんか顔が妙に脂ぎっていませんか? 東京はもうずいぶん暑いみたいですけど。

April 06, 2005

マンデート難民の取り扱い変更か?

朝日ウェッブ版に次の記事を見つけました。

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国連認定難民は強制収容せず 法務省が新方針

2005年04月07日00時05分

 法務省は、国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)から難民と認定された外国人(マンデート難民)について、今後は原則として強制収容せず、在留特別許可を柔軟に与えていく方針を決めた。同省はこれまで「UNHCRの認定基準は、国が批准した難民条約と目的や対象が異なり、一律に扱えない」として本国へ強制送還するなどして、国際的な批判を浴びていた。

 関係者によると、国内には約25人のマンデート難民がいるが、03年ごろからは国連も新たなマンデート難民認定を日本ではしておらず、取り残された形だ。同省は、こうしたケースに一定の理解を示す一方、UNHCRにも他国への定住あっせんなどの努力を求め、問題解決をねらう。

 マンデート難民をめぐっては、今年1月、UNHCRが認定したクルド人アハメッド・カザンキランさん親子を政府がトルコへ強制送還。UNHCRや国際的な人権団体・アムネスティ・インターナショナルから「国際法の原則に反する」などと抗議を受けていた。

 このため法務省は対応を検討。難民認定の基準は変えないが、国連側との情報交換を増やすことで「新たな事実が判明したり、くむべき事情が明らかになったりした場合」などには、在留特別許可を与えることにした。

 また、難民認定をめぐる訴訟などで国側が勝った場合も強制退去とはせず、UNHCRと協力し、安全な第三国への定住をはかる。

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さて、「今後は」とありますが、これがはたしていつからの話なのか、シェイダさんは該当するのか、とても気になるところです。近々に支援グループからも報告があると思います。

それにしても1月にトルコに強制送還されたクルド人父子、その後、どうなっているのでしょうか。追跡調査はしているのでしょうか。ひょっとしたら外務省、法務省の追跡調査で収監されたとわかって急きょこの取り扱い変更に結びついたのでなければいいのですが。新聞各紙のトルコのカバーはどこの海外支局がやっているのかなあ。ぜひ取材してほしいです。

April 05, 2005

ゲイ向け広告急増中

先日のNYタイムズに、ゲイ向けの印刷メディア(雑誌とか新聞のことですね。調査は139の出版物を対象にしているそうです)における広告出稿量が2004年はそれまでの3年連続の落ち込みを一気に回復する、前年比28.4%増の2億700万ドル(推定値)に達した、という記事が載っていました。

もっともこれは2000年の2億1100万ドルよりはまだ少ないんですけれど、2001年の9/11テロがあってからは景気も大変でしたから、まあ、すごい数字といっていいのかもしれません。というのも、社会が動くときはかならず経済が先に動いているもんなんで、まあ、去年は同性婚のこともあったし、LGBTが社会的にも元気だったのを背景にしているのでしょう。そうしてその流れは今年2005年にもなんらかの形で現れるかもしれません。

あ、そうそう、ぜんぜん違う話ですが、マンハッタンのタイムズスクエア近くにあった「ゲイエティ」という男性ストリップの劇場が3月末にとつぜん予告なく閉鎖されたそうです。30年もそこで営業していたのに、どうもビルの新しいオーナーがリース契約を更新させてくれなかったらしい。まあ、家賃の高騰も背景にはあるんでしょうがね。

残念なことに、私はいちどもそこに行ったことがないのです。こんなことなら行っておけばよかったなあ。
42丁目以北の8番街あたり、そこらは前市長のジュリアーノが率先したタイムズスクエア周辺の浄化作戦で、ポルノショップやストリップ小屋がどんどんなくなっていたのですが、最近のリポートではまたポルノショップがオープンしてきているとかいうのを読んだばかりです。はて、それは何を意味してるんでしょうね。

なんか、とりとめもないニュースブログでした。はい、ではもう寝ます。
おやすみなさい。

April 03, 2005

法王死す

ヨハネ・パウロ2世を「最低の法王」って書いたら、「やっぱりその理由をきちんと書かなくてはダメですね」っていうような意味のことをおそらく言っているんだろう人から罵詈雑言メールが来たんで、アカウンタビリティーっていうのとはちょっと違うけど、でも、まあ、これだけポープ礼賛コメントが溢れる中、流れに棹さすのも対抗文化的には意味がないことではないと思うので、メモ書きのように書き残すのもいいかしらと思いました。とはいえ、わたしはいままたブーレイに行って3人でおいしいワイン4本飲んで帰ってきたばかりなので、幸せにヨッパゲていますので、書くことも幸せな感じになってしまうかもしれません。差し引いてお読みください。(今日が万愚節ならいいんだけど)

共同電がこんなことを報じています。
「国営イタリア放送は2日、ローマ法王ヨハネ・パウロ二世は死の瞬間まで意識があり、最期の言葉は「アーメン」だったと報じた。」

ひとりの有名な人間の死に関してある好ましい物語を付随させようというのはわからないことではありません。しかし偶像化はかの宗教も、なかでもカソリックは嫌うことではなかったか。とくに最期に際しては、すでに声も出なくなっていたと報じられたポープがとつぜん「アーメン」とどうやって「言葉」にしたのか、その辺はどうなのでしょう? いつの時点での「最期の言葉」なのか。

いえいえ、しかし問題はそういう、言ったか言わないか、ではないのです。「最期の言葉は「アーメン」だったと報じ」ること、もしくは「報じ」させることが期待する、人々に与える効果、の物語性なのです。ひとはそれを単なる事実としては聞かないでしょう。つまり、「あ、そうなの」では終わらない。「ああ、やっぱりそうだったか」となり、そこから始まって「いやいやさすが法王だよね」となって、カソリックにおける「敬虔」という意味を補強する契機となる。ま、そんなのはあたりまえですがね。そのつもりで発表してるんだから。わたしがいやなのは、その演出なのです。

これが或るカリズマ的な俳優ていどの人の死だったりしたときにはべつにわたしもかまいません。しかしポープの後ろには11億人がいるのです。11億人への演出。ひとりの人間の死に哀悼の意を表するのはやぶさかではありませんが、かれは「ひとりの人間」ではありませんでした。そういう地位を、かれは選んだのです(選ばれたといっても、互選ですからね、それをよしとしたわけです)。

ヨハネ・パウロ2世の功績として26年間の在位でポーランドの「連帯」を支持して旧ソ連・東欧の崩壊にも積極的に関わった、というのがあります。89年のベルリンの壁の崩壊は、いまでもくっきりとおぼえています。あのときに法王がどんな役割を果たしたのだったか。
そんなの、たいしたもんではありませんでした。あの当時の世界中の新聞を読んでごらんなさい、どこにも法王がどうしたこうしたから、とは書いてありません。あのあとです、そういえば法王も祖国ポーランドの自主労組「連帯」を支持してたよね、共産主義を非難してたよね、あ、そうなんだ、ヨハネ・パウロ2世も、世界史としてあの激動の時代に関わっていたんだよね、……と「記述」されたのは。

でも、待ってください。あの当時、イタリアもそうですけど西側社会でポーランドの「連帯」を支持していなかった「指導者」はいませんでした。ポープがそのone of themだったからといって、それは功績でしょうか? ベルリンの壁は、わけのわからないうちに民衆の力と情報の力によってたたき壊されたのです。法王は関与していたか? そう、まあ、せいぜい多く見積もって、というかカソリック教徒でハンマー持って壁まで繰り出していった連中のことを考慮に入れるとコンマ何%くらいは、というものでしょう。

毎日ウェッブサイトにはこうも書いてあります。「キリスト生誕2000年を祝う「大聖年」を主宰し、分裂したキリスト教会の和解や異宗教との対話に力を入れていた。」

これは2000年3月12日の「赦しを請う日」ミサで、ヨハネ・パウロがカトリック教会が過去にユダヤ人や女性、異端者、原住民などに対して残酷な扱いをしたことを「7つの罪」として謝罪したことを指しています。その7つは「一般的な罪」「真理への奉仕において犯した罪」「『キリストの体(教会)』の一致を傷つけた罪」「イスラエルの民に対して犯した罪」「愛と平和、諸民族の権利と文化・宗教の尊厳を犯した罪」「女性の尊厳・人類の一致を犯した罪」「基本的人権に関する罪」だそうです。かれはイスラエルにも訪問しましたしね。とくにナチス統治下で、カソリック教会がナチスの手下になってユダヤ人虐殺にも関与していたことを指すとはされますが、まあ、“懺悔”はまったく具体的ではありませんでした。

その点を問題にして、ニューヨークタイムズは「法王、2000年間の過ちに赦しを求める」という見出しでユダヤ人問題を中心にものすごく大きな記事を特集で掲載しました。ユダヤ人の数多く住むアメリカだからなのですが、第二次大戦中に当時の法王ピウス12世らカソリックの教会指導者がホロコーストに対して沈黙どころか黙認さえしていたのに、ヨハネ・パウロ法王とそれに続く枢機卿たちの謝罪の言葉に、具体的にホロコーストを示す言葉がひとつもなかったとユダヤ人たちが「失望」しているという話でした。

いえ、でもこれもべつにそんなことは問題ではないとわたしは思います。

だって、具体的にいおうがいうまいが、ホロコーストに当時のバチカンがかかわっていたというのは周知の事実ですし、問題はむしろ、そんなことをなぜ2000年まで(在位26年でなんと21年目の出来事です)はっきり謝らずに放っておいたのか、ということではないか。赦しを請うなら、もっと早くしていてこそ「ああ、さすがヨハネ・パウロだ」というものではないか。なぜならすでに1962年から65年にかけて、ヨハネ23世が開いた第2ヴァチカン公会議がキリストの死に対する新約聖書中のユダヤ人の「罪」を否定しているからです。もっとも、ヴァチカンはそのあとで再び反動期に入りましたけれど。

ヨハネ・パウロは病弱になった1994年ごろからさかんにカソリック教会の謝罪を口にしているのですが、謝罪する勇気があるからえらいのでしょうか。湾岸戦争やイラク戦争にもつよく反対していたのですが、それがえらいのかしら。だって、あなただってわたしだって反対していましたよ。法王だって反対するでしょう、そりゃ。聖職者として戦争に反対するのは当然のことですしね。ましてや、かつてナチスに加担した宗教ならばなおさらのこと。

わたしは「いまのヨハネ・パウロはこの時代にあって過去の遺物のような最低の法王だった」と書きました。振り返って見ると、かれは時代の流れに合わせて最後にのこのこと出てきて行動しているだけだからです。そんなのはだれでもできることではないのか。それをしたからといってえらいわけではないんじゃないか。それが「この時代にあって」と書いた理由です。「この時代」とはどんな時代だったか。それは、東西冷戦の激化を受けた時代であり、米ソの均衡が崩れた時代であり、エイズの襲った時代であり、新たな概念の宗教戦争およびテロが勃発しつつある時代でもあります。そのときに、かれは時代をなぞったかもしれないが、時代を新しく導くことはしなかった。数多くの人が知っている、もしくは信じたいことがらは言葉にしたが、そういう人々の誤謬を指摘する知恵と勇気は持たなかった。精力的に世界中を旅し、日本を含む130以上の国・地域を訪問して「空飛ぶ聖座」といわれた、と報じられてもいますが、そりゃこの時代、どの時代よりも空路が発達したのだから、聖座だって高級マグロだってかつてなく空を飛ぶでしょう。明仁天皇だって、歴代のどの天皇よりも外遊してるんじゃないでしょうか。そういうことです。

これが、ヨハネ・パウロを強いて評価する必要を感じない理由です。
では、「この時代にあって最低」と敢えて貶めるのはどういうことか。
それはね、ま、あまりにもマンマなんで、わざわざ書く必要もないでしょう。この手で書き記すことさえ汚らわしい。
ええ、そう、あなたも知っているとおり、そういうことです。

ここまで書いたら、さすがに酔いもすっかりさめてしまいました。
ああ、もったいない。くそ。

April 01, 2005

ローマ法王

こちらはただいままだ4月1日なわけで、そんなところに「ポープが死んだ」というニュースがものすごい勢いで米国メディアでもただいま取りざたされています。しかしバチカンはまだ死んでいないと発表するし、CNNも「ちょっとお待ちください」などと冷静を呼びかけているし、「しかしHe is dyingはまちがいないわけで」とか言っちゃうし。
なるほど、いずれにしても死期は近いからということでだれかがエイプリルフールに力を得てやっちゃったんだかも。こりゃ、四月でバカにされたかもしれませんな。

いまのヨハネ・パウロはこの時代にあって過去の遺物のような最低の法王だったとわたしは思っているけれど、彼が死んだからといって次がまともということはまあ、あり得ないことだと思います。宗教とは、いかに過去にしがみつくかをその存在のダイナミズムにしているからです。むしろこんな時代だからといってさらに保守的な法王が選出される、あるいは選ばれたひとが自分でそう思い込んでしまうというようなことになるのではと危惧しています。もちろん、そうならないことを望んではいますが。

それにしても、昨日のテリ・シャイボさんの尊厳死問題と合わせて、アメリカはこれでまた翼賛的なキリスト教礼賛が始まるのではないかと不安です。たしかに1人の法王の死は宗教右派にとっては確実に大きなモメンタムになるわけで、テリさんの栄養チューブを元に戻さなかった裁判所の判事たちへもいままた「過激派の判事」なる、あの同性婚のときのブッシュ政権からの攻撃と同じような心情を基にした非難が社会ばかりか議会でも渦巻いているような雰囲気です。バックラッシュというのでしょうか、反動というのでしょうか、後の世に、なるほどこういう時代だったのだと振り返られるような、そんな過ちはいまのうちから警戒しなくてはならないでしょう。テレビではすでにヨハネ・パウロの「いかに偉大だったか」「いかに庶民的だったか」「いかに若者に好かれていたか」についての、歯の浮くようなコメントが溢れはじめています。

テレビがクールメディアだと言ったのはどこのだれの嘘でしょう。