新法王 ラツィンガー
新法王に選ばれたヨーゼフ・ラツィンガーについて、「Becoming a Man」というポール・モネットの半自叙伝に次のような記述があります。彼は24年にわたって教理省長官を務め、教義において超保守的とされた前法王ヨハネ・パウロ2世の側近中の側近でした。バチカンのこの20数年間の超保守主義を形作って恥じなかった人物です。エイズ禍初期の80年代に、いかにひどい憎悪の言葉が彼らの口から発せられたか。そういう男が今度の法王です。
ただし、違う読みもあります。ラツィンガーはいま78歳。法王としてもっても数年でしょう。このラツィンガーで保守派の生き残り連中のガス抜きをして、改革派は次を狙っている。それが今回のコンクラーベ、比較的早く決まった理由だと。とりあえず花を持たせておいて保守派の顔も立て、さて、次がどうなるか。じつはバチカンの次回のコンクラーベはすでにいまこの時から始まったと言ってもいいのだと思います。
****以下、「Becoming a Man--男になるということ」からの抜粋訳
「ローマ・カトリックの問題点は」と、ある司祭が残念そうにぼく【註;ポール・モネット】に語ってくれたことがある。「ずっと逆上ってアクィナス【註:トマス・アクィナス。中世イタリアのローマ・カトリック神学者でスコラ哲学の大成者。主著「神学大全」】に帰結する」と──13世紀カトリックのあの野蛮人。女性とゲイに関するやつの煮え滾ぎるナンセンスが聖書と同等の権威になったのだ。これは憶えておく価値がある。最初の千年王国では、教会はゲイとレズビアンをも歓迎する場所だった。既婚聖職者を受け入れていたと同じようにゲイとレズビアンをも受け入れていたのだ。さらにもう一つ、優しきヨハ2ネ23世【註:1958〜63年のイタリア人ローマ法王。62〜65年にかけ、第2ヴァチカン公会議を開催。キリストの死に対する新約聖書中のユダヤ人の「罪」を否定したことで有名】時代に、偏見と頑迷さとが俎上に上りそうになった瞬間があったことをぼくは知っている。第2ヴァチカン公会議が光を注いでいたそのときに、フェミニズム運動とストーンウォール革命とがあの家父長制度の目の前でぼくらへの鞭打ち刑を打ち砕いたのだ。その二つの出来事が時期を同じくしたのはけっして偶然ではない。
しかし第2公会議は自らを去勢した。いまやバラ色の60年代ではすでになく、新たな異端審問が咆え声も高らかに全速力で疾走している。率いるのは錦織の法衣を着た狂犬病のイヌ、ローマ法王庁の枢機卿ラツィンガー【註:こいつが今度の法王】だ。ゲイを愛することは「本質的な邪悪である」という御触れを発布した悪意のサディスト神学者。エイズ惨禍のこの10年間、ぼくは道徳的堕落に関するグリニッジ標準時のごとき存在としてのあのポーランド人法王【註;ヨハネ・パウロ2世】の教会に何度か足を運んだ。ぼくなりのささやかなやり方でナチ突撃隊長【@シュトゥルムフューラー】ラツィンガーへの返礼をするために。法王の植民地の手先どもが一週間でもいいから黙っていてくれることはまずない||ニューヨークではオコーナー【註;1984年から2000年までNYのローマ・カトリック教会大司教で、法王の最高顧問である枢機卿の一人だった。2000年5月死去】が、ロサンゼルスではマホーニー【註;同じくLAの大司教・枢機卿】が、自分らの女性恐怖症と同性愛恐怖症とを辺りかまわず吐き散らかしている。セックスはついには死に至るのだと勝手に勝利に呆けながら。
けれどぼくは、たとえそうでもカトリックそのものを憎むことはしないように努めている。これに関しては、神は罪は憎むが罪人を憎むのではないという法王さまたちご自身のお言葉に倣うのだ。そうしてぼくはミサにやってくるかよわい老婦人たちのために、あのブロケードの法衣の向こうにどうやるのか神を見ようとする貧しい異国の人々のために、さらには遠慮がちにこの恐怖の時代はやがて終わりますとぼくに手紙を寄越した怯える司祭たちのためにすら、舌を噛んでじっと言葉をこらえるのだ。