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法王死す

ヨハネ・パウロ2世を「最低の法王」って書いたら、「やっぱりその理由をきちんと書かなくてはダメですね」っていうような意味のことをおそらく言っているんだろう人から罵詈雑言メールが来たんで、アカウンタビリティーっていうのとはちょっと違うけど、でも、まあ、これだけポープ礼賛コメントが溢れる中、流れに棹さすのも対抗文化的には意味がないことではないと思うので、メモ書きのように書き残すのもいいかしらと思いました。とはいえ、わたしはいままたブーレイに行って3人でおいしいワイン4本飲んで帰ってきたばかりなので、幸せにヨッパゲていますので、書くことも幸せな感じになってしまうかもしれません。差し引いてお読みください。(今日が万愚節ならいいんだけど)

共同電がこんなことを報じています。
「国営イタリア放送は2日、ローマ法王ヨハネ・パウロ二世は死の瞬間まで意識があり、最期の言葉は「アーメン」だったと報じた。」

ひとりの有名な人間の死に関してある好ましい物語を付随させようというのはわからないことではありません。しかし偶像化はかの宗教も、なかでもカソリックは嫌うことではなかったか。とくに最期に際しては、すでに声も出なくなっていたと報じられたポープがとつぜん「アーメン」とどうやって「言葉」にしたのか、その辺はどうなのでしょう? いつの時点での「最期の言葉」なのか。

いえいえ、しかし問題はそういう、言ったか言わないか、ではないのです。「最期の言葉は「アーメン」だったと報じ」ること、もしくは「報じ」させることが期待する、人々に与える効果、の物語性なのです。ひとはそれを単なる事実としては聞かないでしょう。つまり、「あ、そうなの」では終わらない。「ああ、やっぱりそうだったか」となり、そこから始まって「いやいやさすが法王だよね」となって、カソリックにおける「敬虔」という意味を補強する契機となる。ま、そんなのはあたりまえですがね。そのつもりで発表してるんだから。わたしがいやなのは、その演出なのです。

これが或るカリズマ的な俳優ていどの人の死だったりしたときにはべつにわたしもかまいません。しかしポープの後ろには11億人がいるのです。11億人への演出。ひとりの人間の死に哀悼の意を表するのはやぶさかではありませんが、かれは「ひとりの人間」ではありませんでした。そういう地位を、かれは選んだのです(選ばれたといっても、互選ですからね、それをよしとしたわけです)。

ヨハネ・パウロ2世の功績として26年間の在位でポーランドの「連帯」を支持して旧ソ連・東欧の崩壊にも積極的に関わった、というのがあります。89年のベルリンの壁の崩壊は、いまでもくっきりとおぼえています。あのときに法王がどんな役割を果たしたのだったか。
そんなの、たいしたもんではありませんでした。あの当時の世界中の新聞を読んでごらんなさい、どこにも法王がどうしたこうしたから、とは書いてありません。あのあとです、そういえば法王も祖国ポーランドの自主労組「連帯」を支持してたよね、共産主義を非難してたよね、あ、そうなんだ、ヨハネ・パウロ2世も、世界史としてあの激動の時代に関わっていたんだよね、……と「記述」されたのは。

でも、待ってください。あの当時、イタリアもそうですけど西側社会でポーランドの「連帯」を支持していなかった「指導者」はいませんでした。ポープがそのone of themだったからといって、それは功績でしょうか? ベルリンの壁は、わけのわからないうちに民衆の力と情報の力によってたたき壊されたのです。法王は関与していたか? そう、まあ、せいぜい多く見積もって、というかカソリック教徒でハンマー持って壁まで繰り出していった連中のことを考慮に入れるとコンマ何%くらいは、というものでしょう。

毎日ウェッブサイトにはこうも書いてあります。「キリスト生誕2000年を祝う「大聖年」を主宰し、分裂したキリスト教会の和解や異宗教との対話に力を入れていた。」

これは2000年3月12日の「赦しを請う日」ミサで、ヨハネ・パウロがカトリック教会が過去にユダヤ人や女性、異端者、原住民などに対して残酷な扱いをしたことを「7つの罪」として謝罪したことを指しています。その7つは「一般的な罪」「真理への奉仕において犯した罪」「『キリストの体(教会)』の一致を傷つけた罪」「イスラエルの民に対して犯した罪」「愛と平和、諸民族の権利と文化・宗教の尊厳を犯した罪」「女性の尊厳・人類の一致を犯した罪」「基本的人権に関する罪」だそうです。かれはイスラエルにも訪問しましたしね。とくにナチス統治下で、カソリック教会がナチスの手下になってユダヤ人虐殺にも関与していたことを指すとはされますが、まあ、“懺悔”はまったく具体的ではありませんでした。

その点を問題にして、ニューヨークタイムズは「法王、2000年間の過ちに赦しを求める」という見出しでユダヤ人問題を中心にものすごく大きな記事を特集で掲載しました。ユダヤ人の数多く住むアメリカだからなのですが、第二次大戦中に当時の法王ピウス12世らカソリックの教会指導者がホロコーストに対して沈黙どころか黙認さえしていたのに、ヨハネ・パウロ法王とそれに続く枢機卿たちの謝罪の言葉に、具体的にホロコーストを示す言葉がひとつもなかったとユダヤ人たちが「失望」しているという話でした。

いえ、でもこれもべつにそんなことは問題ではないとわたしは思います。

だって、具体的にいおうがいうまいが、ホロコーストに当時のバチカンがかかわっていたというのは周知の事実ですし、問題はむしろ、そんなことをなぜ2000年まで(在位26年でなんと21年目の出来事です)はっきり謝らずに放っておいたのか、ということではないか。赦しを請うなら、もっと早くしていてこそ「ああ、さすがヨハネ・パウロだ」というものではないか。なぜならすでに1962年から65年にかけて、ヨハネ23世が開いた第2ヴァチカン公会議がキリストの死に対する新約聖書中のユダヤ人の「罪」を否定しているからです。もっとも、ヴァチカンはそのあとで再び反動期に入りましたけれど。

ヨハネ・パウロは病弱になった1994年ごろからさかんにカソリック教会の謝罪を口にしているのですが、謝罪する勇気があるからえらいのでしょうか。湾岸戦争やイラク戦争にもつよく反対していたのですが、それがえらいのかしら。だって、あなただってわたしだって反対していましたよ。法王だって反対するでしょう、そりゃ。聖職者として戦争に反対するのは当然のことですしね。ましてや、かつてナチスに加担した宗教ならばなおさらのこと。

わたしは「いまのヨハネ・パウロはこの時代にあって過去の遺物のような最低の法王だった」と書きました。振り返って見ると、かれは時代の流れに合わせて最後にのこのこと出てきて行動しているだけだからです。そんなのはだれでもできることではないのか。それをしたからといってえらいわけではないんじゃないか。それが「この時代にあって」と書いた理由です。「この時代」とはどんな時代だったか。それは、東西冷戦の激化を受けた時代であり、米ソの均衡が崩れた時代であり、エイズの襲った時代であり、新たな概念の宗教戦争およびテロが勃発しつつある時代でもあります。そのときに、かれは時代をなぞったかもしれないが、時代を新しく導くことはしなかった。数多くの人が知っている、もしくは信じたいことがらは言葉にしたが、そういう人々の誤謬を指摘する知恵と勇気は持たなかった。精力的に世界中を旅し、日本を含む130以上の国・地域を訪問して「空飛ぶ聖座」といわれた、と報じられてもいますが、そりゃこの時代、どの時代よりも空路が発達したのだから、聖座だって高級マグロだってかつてなく空を飛ぶでしょう。明仁天皇だって、歴代のどの天皇よりも外遊してるんじゃないでしょうか。そういうことです。

これが、ヨハネ・パウロを強いて評価する必要を感じない理由です。
では、「この時代にあって最低」と敢えて貶めるのはどういうことか。
それはね、ま、あまりにもマンマなんで、わざわざ書く必要もないでしょう。この手で書き記すことさえ汚らわしい。
ええ、そう、あなたも知っているとおり、そういうことです。

ここまで書いたら、さすがに酔いもすっかりさめてしまいました。
ああ、もったいない。くそ。

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