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せまい日本、そんなに急いで

 じつはいまでも列車の先頭車両のいちばん前に立って迫り来る景色を見ているのが好きなんですが、だけど鉄道の運転士に憧れたことはなかった。あの「指差確認」というのがすごくいやだったんですね。子供のころ、初めてそれを見たとき「このひと、変な独り言をいってる」と思って窓の景色そっちのけでじっと観察してしまった。日本ではタクシーの運転手さんでもそうやって声を出しながら指差確認をしているひともときどきいて、それもなんか苦手なんだなあ。

 まあ、それもこれももちろんじゅうぶんに有効性の確かめられた安全対策なので好き嫌いの問題じゃあないんですけどね。そんなことでもしないと安全が確保されないような、高度に複雑な交通システムの中で私たちは暮らしているということですから。

 もっとも、ニューヨークにいると地下鉄もバスも、郊外列車のハーレムラインとか長距離のアムトラックまで、大げさにいえば時刻表どおりに動いたためしがなく、いや地下鉄なんぞはそもそも時刻表自体があるのかどうかも疑わしいと思ってしまいます。ホームのどこにもそんなもの見当たりませんしね。

 もちろん地下鉄にだって内部的にはちゃんと運行表があるそうです(そりゃそうだ、なきゃ走れるもんじゃない)。でも後ろが詰まれば前の列車は勝手に駅を飛ばして“急行”になっちゃうし、グランドセントラルでもペンステーションでも列車が到着した順番にホームを割り当てるもんだから毎日つねに発車番線が違っていて、最初はずいぶん戸惑います。保線状況だって惨たんたるもので、線路は波打っているし揺れはひどいし、ATSなどという上等なものもありません。

 そんな鉄道事情の国ですから、NYタイムズも尼崎のJR事故には解説を付けることを忘れませんでした。いわく「日本の列車は通常かくも正確な時刻表どおりの運行をしているので、乗客はとても複雑な旅程をウェブサイトで組むこともできるほどだ。遅れというものがないから乗り換えでミスをするということもないと知っている」と。時刻表の知識を駆使する鉄道ミステリーという推理小説の一分野は、脈々と培われた鉄道への信頼によって成立している、アメリカでは存在し得ない分野なんです。

 そんなハイスタンダードを維持するために、日本では人間ならばだれでもがもつような詰めの甘さを、極限まで排除する指差確認のようなシステムまで導入して事故を防いできたんだなあと思います。あの指差確認って、じつはすごく画期的なものだったんじゃないだろうか。いったい、だれが考えたんでしょうね。オリジナルって、なんだったんだろ?

 一方、お寒い環境ながら曲がりなりにもこれまで「大惨事」というような事故を起こさずに日々ニューヨークの地下鉄が走ってこれたのは逆に、「遅れるのが普通さ」という、人間の持ついい加減さのおかげだったような気がします。ここの地下鉄は開通が1904年ですから、もう100年を越えました。たしか線路の総延長が世界でも1、2の巨大システムじゃなかったっけかなあ。これを維持するのは、前述したようにとにかくその場その場で運行の仕方が変わるんですから、かっこよくいえば「臨機応変」、まあ実際は「その場しのぎ」。というか、まずはあんまり高度に複雑にしない、という基本姿勢なのかもしれませんね。尼崎事故のように、90秒の遅れを取り戻すために疾駆するNYの地下鉄だなんて、考えるだに恐ろしい。

 JR西の23歳の運転士に宿った時速108kmの焦りは、いい加減さをゆるさない会社の、ひいては世間のプレッシャーを反映していたのかもしれません。90秒の遅れは、そうしてついに到着を果たせない永遠の遅れになった。

 犠牲になられた方々、怪我を負われた方々に心からのお悔やみ、お見舞いを申し上げます。

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