« May 2005 | Main | August 2005 »

June 29, 2005

今年2月より入院治療中だった弟は6月28日午後8時7分、敗血症のため千葉市の千葉東病院にて他界しました。メールなどでのみなさまのお心遣いに深く感謝しつつ、謹んでお知らせさせていただきます。

なお、遺体は30日午前10時より千葉市緑区の千葉市斎場で荼毘に付し、同日午後に羽田より空路、遺骨として居住地の北海道に持ち帰って1日午前10時より葬儀を執り行うこととなりました。
30日の火葬終了後はそのまま北海道に行き、1日の葬儀を行い、3日には東京に戻って翌4日にNYへと帰米いたします。その後2週間ほどNYにてたまった仕事を処理してから再度、ややしばらく北海道江別市の実家に滞在するつもりでおります。

落ち着いたらまたブログを再開します。

June 22, 2005

へなちょこでも弱虫でも

 じつは日本への一時帰国の飛行機で、偶然、同じテーマを扱った映画を見ました。「ミリオンダラー・ベイビー」と「海を飛ぶ夢」です。前者は今年のオスカーで圧倒的な受賞率だった佳作、後者も同じく今年度オスカーの外国語映画賞を受賞した力作です。(以下“ネタばれ”になりますのでこれからの方はご注意を)

 二つともが全身麻痺を患った人の、尊厳死を扱った映画でした。「ミリオンダラー・ベイビー」はボクシングで首の骨を折ってしまった女性。「海を飛ぶ夢」は、引き潮の海へダイブして海底でやはり首の骨を折った男性の話です。

 その二作で、全身麻痺の主人公たちは同じように自らの命を絶つことを望みます。前者の主人公はだれも自死を手伝ってくれないと知ると自分で舌を噛み切ったりします。後者の主人公は尊厳死を求めて裁判に訴えます。しかし聞き入れられず、ついには自ら青酸カリを飲めるように用意してくれる組織の手助けで命を絶つのです。

 両映画の中で何度も「生」の意味が問い返されます。それは重く説得力があるだけにとてもやるせない。その土台にあるのは「個人の尊厳」という考え方でしょう。「自分の人生は自分で決める」という強靭な意志こそが現代の欧米社会の成立の基盤になっている。そうした「強い個人」が尊ばれているのです。

 尊厳死の問題では米国では最近ではあのテリー・シャイボさんのすったもんだもありました。けっきょく彼女も「生前の希望だった」と夫が説く尊厳死を“選んだ”形で栄養供給装置がはずされ、餓死という結末を迎えました。

 「死」に際しても「強い意志」で「自分で決める」。それはとても立派で潔い半面、わたしなんぞから見るとなんだかすごく疲れる、というか、そこまで頑張らなくてもいいのに、という感じがしてしまうのです。

 介護する周囲の人びとへの思いもあるし、なによりそうした身動きならぬ自分への苛立ちや無辺の絶望もあるでしょうから、当事者ではないわたしがなにかいえるものではないかもしれません。ただこうも「尊厳死」を英雄的に描くと、逆に「尊厳死を選ばない尊厳」というものも描いてくれないと、ちょっとつらい思いをする人もいるだろうなあ、と思ったりするのです。そこまで「意志」を介在させなくてもいいのに、と。ある意味で、そんな「意志」尊重主義が逆に自分への苛立ちや絶望を加速させる部分だってあるだろうに、と。

 へなちょこで弱よわしくて「尊厳死」などとても選べずにただ生きるしかない、そんなだっていいじゃないか。意識の定まらない弟に付き添いながら、日々その思いが強くなります。

June 15, 2005

緊急帰国

弟の病状悪化で、こないだNYに帰ってきたばかりなのに再度東京入りしています。
そういうわけで、定期的な締め切りのあるルーティーン以外の仕事、遅れています。
各出版社の関係者の方々、ごめんなさい。
今月末のNYプライドもパスの可能性大。
こちらにも、あまり書き込みをアップできないと思います。
せっかくお立ち寄りのみなさん、申し訳ありません。
しばらく、おちつくまでご寛恕のほどを。

June 02, 2005

傭兵、反日、第9条

 こちらに帰ってくる間際、イラクで負傷・拉致されたという齋藤昭彦さん(44)が死亡したという情報が流れました。それ以後、その話はどうなったのでしょう。日本政府は、齋藤さんのような存在に対してどういう立場を取るのでしょう。それとも、死んだままで終わりなのでしょうか。ここまで届くニュースにはそのへんのことはまったく触れられていません。

 やまぬばかりかいまもなお激化する自爆テロに、イラクでは米英軍も自兵の犠牲者を出してはならじと、自軍を第三国の傭兵部隊に守らせるというなんとも倒錯的なやり方を採用しはじめました。英国系“警備”会社の齋藤さんはそんな中で襲撃され拉致されたのです。

 日本では齋藤さんを「ボスニアでも活躍した傭兵」「フランス外人部隊にも所属」と、なんだか奇妙に思い入れがあるような、あるいは“超法規的”な存在への興味を拭えないような伝え方をしていました。
 「警備会社」に勤務の「警備員」といいますが、戦時における、しかも前線における警備員とはあるしゅの兵力に他なりません。それを「傭兵」と呼びます。
 しかし「傭兵」というのは国際法上では不法な存在なのです。戦争とは国家間にのみ存在し、その国家の正規軍のみが武力の行使権を有します。相手が撃ってきたときに撃ち返す正当防衛はだれにも認められますが、傭兵は私兵であり、人を殺せばテロリストと同じであって超法規的な存在ではない。傭兵が作戦行動として相手を殺害したらこれは殺人罪が適用されます。傭兵に法的な後ろ盾はありません。ジュネーブ条約で認められる「捕虜となる権利」も持っていません。ただ現実として、戦争の混乱の中で罪の有無がうやむやにされるというだけのことなのです。

 いやそれよりもなによりも「戦争の放棄」を謳う憲法を持つ国の国民として、齋藤さんは二重の意味で私たちとは異なる。もし彼がいまも日本国籍を持つ日本国民だとしたら(それは確認されています)、齋藤さんは日本憲法にも国際法にとっても「背反者」なのです。はたしてその認識が、私たちにあるのかどうか。彼には、ぜひ生きて還ってきてほしかった。そしてその特異な存在の、この世界でのありようを、ぜひわたしたち日本人に突き付けてほしかった。そこで明らかになる「日本」と齋藤さんとのねじれを、わたしたちの次の思索のモメンタムにしたかったのですが、政府も、報道も、そのへんについてはすでに終わったものとして扱っているような感じです。
             *
 ところで、アメリカの軍隊もじつは傭兵みたいなものだという意見があります。裕福な白人層はもう従軍などせず、米軍ではイラク開戦前は黒人が24%を占めていました。イラクでの犠牲者が増えるにつれ現在ではそれが14%にまで落ちていますが、ブッシュ政権はボーナスや傷痍金・死亡手当の増額など、金銭的報奨によって兵員志願を“買おう”としているというわけです。
 米国籍を持っていない者でも米軍には入れます。少しは国籍取得に有利になるのでは、という不法移民の心理にも働きかける策ですが、正規軍とはいえ、これでは傭兵「外人部隊」と同じでしょう。さらにテレビで連日放送される新兵募集のCMでは、教育を受けていない若い白人らも取り込もうと「軍で教育が受けられる」「資格が取れる」などの利点を強調します。しかしこうした“未熟”な米軍の存在がまた“プロ”の傭兵の新たな必要性を生むわけで、これらはもう戦争というものの構造的などうしようもなさの連環のような気さえします。
            *
 国連安保理の常任理事国入りを目指す日本に、お隣り中国・韓国の「反日」「抗日」の気運が根強かったのも日本で感じたことでした。
 直接の理由は小泉さんの靖国参拝と竹島領有などに関する教科書記述問題でした。それが第二次大戦中の話にまで及び、日本への警戒心までがまたぞろ出てきていました。そんなものはもちろんなんの根拠もない(はずな)のですが、そのときの日本側の“釈明”がどうも小手先のものに見えて仕方がありませんでした。

 私たちは戦後60年、「平和国家」としてやってきました。先ほども書きましたが世界でゆいいつ「戦争の放棄」を謳う憲法を持ち、60年ずっといちおうは平和外交を展開してきました。それは中国と韓国を説得するときの最も本質的な論理なのだと私には思われます。

 もっとも、それは軍事活動をとらざるを得ないことのある国連の安保理常任理事国に入る資格としてはそれは矛盾になりますが、しかし中韓を説得するときになぜ誰ひとりとして現存の憲法9条を持ち出さないのか、私にはどうしてもわかりませんでした。自民党は憲法9条に恥じるような、あるいは憲法9条を恥じるようなことしかしてこなかったからでしょうか。
 きっとそうなのでしょう。

 現代の傭兵の発祥は中世のフランスです。齋藤さんに対してと同じく、私はこの日本政府にも中世へと逆戻りするような愚かしき勇ましさを感じます。いや、それよりなにより、憲法違反としてこちらも訴追の対象ですらあるのではないかとさえ思っています。

June 01, 2005

帰米

18泊19日の日本でした。滞日中、今回もみなさんにいろいろとお世話になりました。
ありがとうございました。

もっとも、昼間はだいたい弟のいる千葉の病院に行っていたので、夜もあまり遠くには出歩かず、とくに新宿にはいちども足を運びませんでした。こんなことって初めてですが、新宿方面の皆様にはまことに失礼をいたしました。申し訳ありません。渋谷の友人宅に滞在していたのですが、病院にはバスに乗ることもあって往路も復路も2時間以上かかり、帰ってきたらもうなんとなく一日も終わって、さあ、近くでメシ食って、という感じになっておりました。

その渋谷、青山近隣地区ではいろいろとおいしいものを食わせていただきました。とくにどこに行ってもイベリコ豚イベリコ豚と、かの地では日本のグルメのせいでイベリコ豚が全滅するのではと心配されるほどの人気ぶり。アメリカでは食えない、ジュワッと甘い脂身を堪能してきました。

今回のお星さまレストランは、西麻布のエピセ(☆)でしょうか。
四川中華とワインをあわせて一品ずつデギュスタシオンのごとくサーヴするという趣向に酔いました。もともと四川は調味香辛料の宝庫。豆板醤と豆鼓とを使えばなにを作ってもうまいというのはじつは公然の秘密なのですが、1つ1つの皿がとても丁寧で、たとえば付け合わせの搾菜ひとつとってもきちんと日本ネギを刻んで辣油とともに和えてあるという具合で、それはそれは神経の行き届いた料理です。
また、食事の最後に厨房から出ていらしたシェフの、いまどきのシェフらしからぬ腰の低さと自信なさげなへなへな笑顔が、料理の鋭さと確実さとにじつに対照的でなんだかうれしくなってしまいました。

つぎは白金台の看板のないレストランでしょうか。ここはお星さまが付くか付かないかの、なかなかよい線をいっています。こちらではそのイベリコ豚のグリルなどを食いました。
いずれもシンプルな調理法で料理がすっとまっすぐに提示されます。イタリアンというか、日本料理の率直さもあいまって、シンプルとはいえここもとても丁寧な仕事ぶりです。なにより山田さんと前田さんというおふたりのサーヴィングスタッフがカジュアルながらしっかりした対応をしてくれます。その気持ちよさにのっかって、ここでは4人で4本のワイン(あれっ、5本だっけ?)を空けてしまいました。
当然のことですが、それで結構なお値段になってしまいました。(けっきょく、ここもわたしの友人が1人で支払ってくれたのですが)。

日本はワインが高いですね。
NYではワインは市価の2倍。原価の3倍でレストランで売られます。日本ではこの原価が高いんですね、きっと。NYでは80ドルのワインなんか、最高級レストランでもさて、頼むかなあ、という感じです。50ドルでけっこううまいワインが飲める。ところが日本ではおいしそうなものはのきなみ1万円近くですものね。

帰米前々夜には四谷の名店から分かれて南青山に昨年できたという若いお寿司屋さんにもその友人と参りました。大将は33?35歳?。お店のインテリアも落ち着いてよろしく、他に客の目に見えるところで働く2人の店員も20代できびきびとかつ初々しく好感が持てます。ネタもとてもよいものを仕入れていることが一目で分かります。
ただ、どうも肝腎のお寿司にメリハリがありません。この微妙な違いが、店を出てからの印象におおきな差異をもたらすのですね。つまり、店を出たとたんに忘れてしまうのです、なにを食べたか、その味を。

まず酢飯がどうもうまく仕上がっていないのです。米粒のまわりが柔らかく中心がしっかりしているという二層になった仕上がりで、わたしはどちらかというと米粒は周りも中心部もおなじしっかりさ、さっぱりさのものが好きです。あまり粘らずに口の中でさらりとほぐれるようなのが理想だと思っています。お米はなにを使っているのか、大将が即答できなかったのもいただけません。
つぎに、どうも酢の切れがなかった。魚もいろいろと〆てあるのですが、酢の力でうまさを際立たせるということにあまり成功していないようです。
おいししかったのはカレイと赤貝ですか。いずれもそのままで出されたものです。
あと、添えの甘酢の端噛みですが、酢になじむように叩いてあるのかしら、ちょっとふにゃふにゃとやわらかすぎで、しかも甘みが酸味や塩気に勝ってだらりとした感じで、どうも口直しの役に足りないのでした。そう、この店の寿司の味の全体の印象がこの感じなのです。どうもキレがない。難しいですね。
こういう若いお店はどんどん客が店を育ててあげるのがよいと思います。
ここはまだまだ☆無しです。1年くらいしたらまた行ってみようかしら。

別の友人の誘いで、日本橋のおそば屋さんで日本酒の利き酒会というものにも参加させてもらいました。
14種類もの今年の出品酒を味わいました。いやあ、おいしいお酒というものはあるんですね。舌の上で転がしてじんわりとうまい酒が数種類ありました。ワインの話をしましたが、日本じゃ日本酒を飲むのが正解です。もっとも、こういううまい日本酒がレストランですぐ手にできればですが。

なかでも感銘を受けたのが群馬県館林市の龍神酒造の「尾瀬の雪どけ」という大吟醸でした。これはもう、乳酸発酵のようなほのかな酸味がとても効果的に行き渡っている美酒でした。うまい。じんわりくくくっ、という味。雑味がまったく感じられない。ああ、思い出すだけで唾が出る。もいっかい飲みたいなあ。

こうやって書くとなんだか食って飲んでばかりの日本みたいですね。
さ、6月はみっちり仕事をしなければ。