死者の代弁者
ブッシュへの支持率がじわじわと40%にまで下がってきて、不支持の56%とともに最悪を記録しています。再選を果たした大統領というのは戦後ではウォーターゲート事件の渦中にあったニクソンを除いて、みな2期目のこの時期には60%ほどの支持率を維持していましたからこれは“異常事態”。これにはイラク戦争で米兵の息子を失い、テキサス州の大統領私邸近くで連日反戦と米軍撤退を訴えているシンディ・シーハンさんへの共感が広がっていることも影響しているのでしょう。
そのシーハンさんの抗議活動に対してブッシュ共和党支持者のある男性が「戦死した息子は彼女を恥じているだろう。政府に反対なら4年ごとの選挙で不信任の意志を示せばいい」と言っているのを目にして、この夏の日本での靖国問題を思い出しました。靖国に関しても死者たちの思いを生きている者たちが代弁してかまびすしかった。
死者は何を思っているのか、それを言葉にするのはおそらく不可能でしょう。靖国でいえば軍上層部の無謀な作戦で餓死した兵士たちの無念もあれば、殺したくもない非戦闘員を命令で殺さざるを得なかった人間としての恨みもあるに違いない。そうした彼らが合祀されたA級戦犯を赦すのかどうかはわかりません。生きている現在の日本人がそんな“英霊”たちを一緒くたにして「日本では死ねばみんな神様だ」と急に宗教じみるのも節操がないように見えます。
しょせん死者の代弁は、死者を代弁しているのではなくて生者の声に過ぎないのでしょう。もっともその生者も、いつか死者になるものとしてのそのときの自らの代弁者として。
ただしいくら自らの代弁だからといって、イラクで戦死した息子が反戦活動をする母親を恥じているかどうか、それは他人が言ってはならないことのように感じます。今回のブッシュ不支持率の増加もイラク反戦の気運の高まりというよりは、この母親シーハンさんへの批判をこれまでと同じく単純な、正義か悪か、敵か味方か、の二元論で片付けようとするブッシュ支持派の相変わらずの論調に、そろそろ中間派がウンザリしてきた、そんな世論が背景なのではないかと思われるのです。
さて日本はどうなのでしょう。郵政改革の是非の二元論だけでも単純すぎるのに、今回の総選挙の日程を9月11日に決めた理由を「なにしろ同時多発テロの記念日であるから」「参院議員の反対派の同時多発に我々は巻き込まれてビルから転げ落ちたような格好でございますから」と明かした自民党の山崎拓前副総裁の無神経(http://www2.asahi.com/senkyo2005/news/SEB200508290007.html)を、私はあのテロ死者たちの目撃証人として、直後のユニオンスクエアに参集した夥しい追悼者の1人として、文字どおり吐き気を覚えるほどに恥じるのです。
しかし“保守派”と呼ばれる人々に、国の違いを問わず、こうして情け知らずの発言が繰り返されるのは、いったいいかなる心理的メカニズムが働いているのからなのでしょうか。