クラッシング・ザ・クラッシュ
いろいろ頼まれものの原稿のときには書けませんが、ここはブルシットなのでたまにはいいでしょ。いろいろ奥歯にモノの挟まったような言い方をしてきましたが、「クラッシュ」ははっきり申しますが、精密な解析に値しない映画です。そのまんまなのですから。スクリーン上に描かれていないものはない映画。その意味でとてもサービス精神にあふれた、怠け者でもわかる映画。アルトマンほどにも人間が絡まない、縺れない、からね。
つまり、ここだけの話、これは、頭の悪いやつにもわかる映画なんですわ。
簡単、単純、大げさ、わざとくささ。
前半、どんどん理不尽と恐怖とを盛り上げていき、あの車の炎上シーンからどんどんと偶然と善意とによってもたらされるカタルシスを注ぎ込んで消火作業に入って鎮火する。
マッチポンプの映画。
私くらいの年になると、先が見えちゃう。というか、伏線も何も、そんなあからさまでよろしいのか。エピソードの数々もぜんぶいつかどこかで聞いたことのある声高なゴシップ話レベル。こんなに予定調和! って感じ。会話も1つ1つが誇張されすぎで、まるで上質な振りをしたソープオペラ。いくらロサンゼルスでも、これじゃ可哀想。いまどきはアメリカのTVのプライム枠のシリアスドラマの方がもっと知的で深い(これ、ホント。けっこう面白いし、おまけに映画と違ってタダで見られるし)。
みんなが賞賛するのは、わかりやすいから。バカにもわかるようにできた大衆映画。で、たしかにハラハラしながらも安心して見ていられる娯楽映画。破綻がないのは、単純だから。人種衝突は、かくして娯楽に堕したわけ。つまり、パーティーでの5分間トークの寄せ合わせ。そういうの、やめてほしい(ってそこまで腹立つ映画ではぜんぜんないのは確かだけどね)。
べつに2005年の映画でなくても、10年前でも撮れたはず。新しいところは(見逃しがあるやも知れぬが)ないよなあ。
で、それで何が悪いの?
な〜んにも悪くありませ〜ん。
星を与えるとしたら、わたしだって5つ星のうち3つはあげます。
で、これに5つ☆を与えるやつは、30歳以下ならじゅうぶんに理解できます。
が、30以上なら(この数字は仮の目安ね。比喩よ)わたしとはちょっと面白い会話は成立しそうもない。ごめんなさい、という映画。この映画を見て、侃々諤々の議論は恥ずかしい、そういう映画。つまり、そのまんまの映画。あ、最初に戻った。
というわけで、終わり、という映画。