月は非情な女主人
The Moon is a Harsh Mistress.
この曲がここひと月ほど耳について離れない。
Chalie Haden & Pat Metheny で聞きはじめたんだが、Joe Cocker が歌ってるのもいいんだなあ。あと、女声で、Rigmor Gustafsson、それにかわいいヴァージョンではTone Damli Aaberge も。
Brokeback の原作者のアニー・プルーも聴いていた曲。これを聞きながらあの物語を書いた。Beyond the Missouri Sky というアルバムに入ってる。
わたしにとっては、この曲の前に取り付かれた曲は、Jeff Buckley の Hallelujah だった。彼から始まって、いろんなやつのハレルヤを聴いていた。k.d.langとかね。これも滲みる曲。
そのまえは、アポリネールの詩を歌った、ミラボー橋だった。シャンソンだけどね、金子由香利がいい。あのひと、おれの母親に似てる(ちょっとだけど)。これはつらい時だった。時が早く過ぎ去れば、という逆説として。
そのまえの曲は、もう憶えていない。2年前。幸せなときは、歌は要らない。
記憶の最初にある、最初の好きな歌は、小学校の音楽の教科書にあった「ごろすけほっほ」だった。
「わたしは森の見張り番、怖いオオカミ、キツネなど、来させないからネンネしな。ゴロ助ホッホ、ゴロ助ホッホ」ってやつ。
どっちが先だったか、当時、「ヨット」という、すっげえ不自然なマイナーの曲もあった。
「波を切って、うねりを乗り越えて、白い帆のヨットは、走る走る走る。(転調)海は広い、広くて青い。波の歌はピープー、カモメの歌は、(なんだっけ? イイ〜ヨー、イーヨ〜?)」
みんな短調だね。転調する部分で、脳みそがよじれるような感覚がしたもんだ。こんな変な歌があるんだって、10歳のぼくは初めて知的興奮を覚えた。ま、それよりさきに、うらがなしい感じが好きだったんだ。10歳と書いたが、わからん。小学校3年生だったような気もするし。
でも、こういうのが好きだったのって、そういうのって、どの遺伝子が反応してるんだろう。もっと記憶を遡れば、小学校3年生のときに親戚の引っ越しを手伝う父と母にくっついて、トラックの荷台で聞いたオルゴールの、「白鳥の湖」の、あのテーマが、その後ずっと、かなりのあいだつきまとっていた。母親にこれはなんていう曲なのって訊いたりして。でも、チャイ子の悲哀が直感として好きだったなんて。ひー。
そうそう、やはり小学校何年生かのときに、おばちゃまが歌ってくれた、「泣いて泣い〜て〜、つぶれた〜目〜」っていう歌も好きだった。歌謡曲。
これがなんという題名の曲なのか、ず〜っとわからなかった。わかるはずもないと思ってた。だって、ぼくが知っているのはその歌の一行だけだったし。
それが、大人になってから、大人になってからかなりたってから、新宿2丁目の、おかまバーの、「近藤」という、シングル盤のレコードを裸で山のように棚に重ねて所有していたマスターに、ひょっとしたら、と思って、でも、ダメもとで、訊いたら、知ってた。
「関東エレジー」っていうんだ。即答だった。
信じられなかった。ぼくは死ぬほどうれしかった。いや、奇跡だとおもった。まるで、この人に、やっとまるで運命のように数十年後に訊いて答えてもらうためにいままでずっと謎だったのだ、という気がした。
で、あろうことか、そのオリジナルを、彼は、持ってた。
で、かけてくれたの。店の、ブチッと針を落とす旧式のちゃちなプレイヤーで。
そう、それはおばちゃまが歌ってくれた、あの歌だった。
新宿二丁目、畏るべし。あの時代のおかま、畏るべし。
そのマスターは、それから1年後の月夜の未明に、その店で首を吊って死んだ。
月は非情な女主人。