DVD到着、BBM4回目鑑賞
DVD届きました。
いやこりゃいいわ。ヘッドフォンで聞いたら細かい囁きまでぜんぶ聞こえるし、おまけにキャプションを出したらセリフとぴったり。
画質も最高。2回目の夜のキスシーンでは、ふと顔を離したお2人の口のあいだに、唾液の糸がつーっと渡ってキラリと光ります。この夜、エニスはテントに帽子を脱いで入ってくるのですが、その帽子の様子は紳士が淑女にあらためてあいさつをするときのようでもあり、かつ、その帽子がジーンズの股間を覆うようにもなっているのでこれまたなにかの含意があるかのようにも受け取れます。そうしてたしかにエニスは「sorry」とつぶやいています。そうしてジャックが「It's allright...allright...」と応じる。なるほどねえ。あるよなあ、こういうやりとり。
4年ぶりのモテルのシーンでは、ジャックがあのルリーンと結婚する年にロデオで稼いだ金額が2000ドルと改変されていて、これは原作では3000ドルだったのですが、面倒な説明と誤読を避けるために2000ドルに引き下げてあまり金がなかったという筋運びにしたのが分かりました。それで資産家の娘であるルリーンと結婚した、というわけです。
この映画は、鑑賞者が勝手に読みを深めて栄養を与えて、各自で勝手に物語を膨らませてしまうように出来ています。そうすることをしない鑑賞者には、「なに、これ?」となるのでしょう。淡々と描いているブロークバック山での描写も見る人が見るとなにかの予兆にあふれて目が離せないけれど、そうじゃないと「なんにも筋がなくただただ冗漫」となる。
見る人の過去の記憶さえもが、この映画の伏線と化するわけです。病み付きになるはずです。だって、自分のことが描いてあるんだもんね。
すべてがスクリーン上で展開し、すべてがセリフで説明できる、隠し立てのない「クラッシュ」とは大違いの映画。
アルマもかわいそうだけど、アルマ以上に彼らはかわいそうだ。アルマがかわいそうだというのが第一義である感想は、アルマ以上にかわいそうな彼らをどう処理しているのでしょう。それが不思議です。彼ら以上にアルマがかわいそうなら、この映画は作られなかったはずですしね。つまりこの映画を、アルマがいちばんかわいそうな、性欲に駆られた男2人の不倫物語と評する人は、敢えてそういうふうに読もうとする、読みたいというバイアスにさらされているか、あるいはわざと人と違った感想を探しているか、のどちらかということになる。あるいはどんな映画を見ても間違えているのか。
誤解されるように書いちゃいましたが、ま、しかしこれはどっちがかわいそうか、という比較の問題ではないですね。ごめんごめん。むしろ、どちらのかわいそうさに着眼するか、という問題。かわいそうさ? 悲惨さ?
もちろんアルマはかわいそうです。そのかわいそうさがあるから、彼らのかわいそうさがなおさら引き立つ、という構造です。どっちのかわいそうさも外せない。そうしてそのかわいそうさの道筋の基本も外せない。その構造を知ったうえで、再度アルマとルリーンに目配せをする。そうしてクローゼットがすべての人々を失望させることに気づく、という展開が望ましい。なんちゃってね。
ヒース・レッジャーより、ジェイク・ジレンホールの方が演技はうまいな。というか、エニスって、難しいから、どうしてもヒースの演技のふとしたわざと臭さが垣間見えちゃうところがある。たとえばキャシーとのダンスのシーンは、ありゃ、ダンスのうまいヤツがわざとぎくしゃくやっているの図ですね。
しかし、まあ、また面白うございました。またも性懲りもなく泣きましたですし。うへー。