村上さん、いっしゅんムッとしながらもここが攻めどころと直感したのか「ルールの中でお金を儲けて何が悪いんですか」と笑みを浮かべてしゃべってましたね。
うーん、こういう言い方をしてしまえるというところに彼の、および彼に連なる人びとの短絡があるんだろうなと思いました次第です。まあ、会見でのメディアのバカな質問に対する単なるカウンター・アタックだったのかもしれませんけれど。
ヴォカァね、金儲けは、本来は、なんらかの価値を生んだことに対する対価として生じるものだって、思っています。基本はそこだって。そういう価値を生み出したなら、金儲けは当然の結果ですよね。株式投資によって新たな価値が生まれるのは、その投資先の企業が、投資者に代わって価値を生み出してくれるからです。それが投資のおかげだとなって、投資者に価値の収益が還元される。
でも、この資本主義(資本とはまさに投資の「資」のことです)の世の中で自由主義経済が運営されると、ちょうどリンゴがなくても算数が行われるように、実体の価値がなくてもお金だけが価値の代理となってかってに数字・記号としてあっち行ったりこっち行ったりするようになります。そこから派生してマネーゲームが可能になります。
すると、そういう、実体の価値以上のお金が行き来するそういうゲームの中では、お金儲けはまた同時に、お金損を生み出すことに直結します。価値が生まれてお金が生まれるのではなく、価値が生じずに、お金だけが行き来するのですから、だれかが損をしなければ、つまりその損をしたお金がなければ、それ以外にお金はどこからも来ないのです。
「お金儲け」とはこの場合、だれかが損をした金を,自分こそが手に入れるというゲームです。
さてそこで、このゲームには、ルールが必要になってきます。ところがそれはゲームのルールですから、社会に必要な、平等とか機会均等とかいうルールとは違うものです。むしろゲームというのは不均衡を作るためのもので、ある一定のルールの中でいかに相手を出し抜き、失策を衝き、いかに自分が優位に立つかという遊びです。つまり、ルール自体のカバーしないところで抜け道を探し、アンバランスを生むのを楽しむことに遊びがあるのです。双六もモノポリーも、そこではなんにも価値は生み出しません。いかに相手の持っている点数を、コマを、子供銀行券を、点棒を、マッチ棒を、みかんを奪い取るか、バランスを崩すかというものです。総体としての点棒は、ぜんぜん増えない。だからルールは、時に理不尽でもそれがゲームだからかまわないし、逆にアンバランスを作り出すような不備がなくては勝ち負けが決まらなくてつまらないのです。
ところが現実社会では、ルールは今の世の中の基本となっている生存権とか平等とか機会均等とか平和とか、そういうものに則っています。そういう部分で不備があっては困るから万全を期して具体的なルール(法律)を作るのですが、証取法はしかし、そこに肝心な、「お金儲けをするには価値を実体として生まねばならない」という条項はないんですね。そんなの、市場原理がどうにかしてくれるもんであって、法で国家が介入するようなものではない。つまり、どうしたって不備なんです。
証取法だけでなく、法律というのは(文章というのは)、必ず書いていないものが存在する、という宿命を持っている。私たちはそれをいままで、倫理とか畏敬とかという「理」でもって補って生き続けているのです。(先日の「国家の品格」批判のときに大切なのはむしろ「論理」と書いていた私の論点は、あれからよく考えてみると、「論理」というよりもときには「理(り、または、ことわり)」と呼んだ方がよいかもしれないと思い当たりましたのでここでは「理」を採用します。論としては述べきれない膨大な論理の道筋を、私たちはときに直観として悟ることがあります。それは「論」はたどってはいないが、しかしそれでも「理」ではある、という種類のものです。つまり、道筋のことです)
さて、そんな畏れを、私たちは「天網恢恢疎にして漏らさず」という言葉で表現してきました。ところが、ルールだルールだという人は、逆に、ルールの不備をもっともよく知っている人だったりする。ルールさえ守れば何をしたって大丈夫だと言い切れる人は、相手をそのルールに雁字搦めにしておいて、自分はそのすきにちゃっかりルールの抜け道をたどれる人なのかもしれません。
村上ファンドのやり方はまさにそれでした。
企業が価値を生み出せるような投資をしていたか? ノー。彼らがやってきたことは、単なる売り抜けです。おまけに記者会見で謝罪のふりして「引退」を「潔く表明」する芝居まで演出して、それって、今まで稼いだ「2000億くらい稼ぎましたか」ってさりげない自慢をして示したそのお金を持って、これまた人生「売り抜け」ようというわけですな。
こりゃね、ルールを守っているからいいというものではない。本来の株式投資の趣旨とは違う、金儲けのための資金運用。さっきもいったように、ゲームの中では、儲けるカネは仕組んでだれかに損させたカネです。だって、そういうルールなんだから、そういうゲームの世界でそういう金儲けをしない方こそがバカなんじゃないか、という理屈でしょう。そりゃねえ、まあ、バカかどうかはわからんが、そういう世の中では、こつこつと企業を育てて金を作ろうなんて人は「奇特な人ですなあ」って、よほどのお人好しか時代遅れかのように扱われ、バカを見ることだけは確かな感じですね。で、格差社会って、こないだも書いたけど、正体はこれなんですよね。
で、そういうときに「天網恢恢」なのだ、って昔の人はいいました。そういう濡れ手に粟じゃなくて、ちゃんと価値を生み出しつつお金儲けをしようよ、って。まあ、すっげえ古いというか硬いというか真面目というか、そういう今では奇特な倫理が、そうねえ、村社会みたいな、すべてが目に見えている社会ではあって、そういうところでそういうずるっこい錬金術の金儲けをやってたら確かに村八分だし、でも、こういう今の社会ではデカくて逆になにも見えなくなっているから村八分はないけど、逆に、「どっか変だなあ」から「今に天罰が当たる」へとつながる発言になってくるわけですよね。
だから、彼はインサイダー取引がどうだ、「聞いちゃったでしょうと言われれば、聞いちゃったんですよ」って、そんな“罪のない”ことのせいで責められるべきだってのは、違うんじゃないかと思います。それはあくまで前述した「ルール」上の、ちょっとした「ミステーク」で(それこそ村上さんが会見で強調してたことなんだけど),本質ではないんじゃないんでしょうか? しかも、彼がやったことは「聞いちゃった」なんていう「ミステーク」レヴェルなんかじゃなく、自分で仕掛けてるんですからね。そう、じっさい、彼はその「本質ではない」ってところで自称「ミステーク」を視聴者にインプリントさせるように何度も認めて見せて、それで「潔く」刑にも服しましょうといっているのです。
間違っちゃった、プロ中のプロともあろうものが、ああ、しくじった、悔しいと、そういう演出をしてますが、おいおい、お前が責められてるのはそんなんじゃないだろう、それってわざとケアレスミスを“自白”してみせて、視聴者にケアレスミスだったのかと印象づけて本質を騙そうとする目くらましだろう、って気がするんですね。これは、彼が、そのマネーゲームの哲学そのものを批判されているんだってことを、わざとネグレクトしているか矮小化するためか、それともそういう本質的批判を回避するために開いた会見であるようにしか見えなかったんですよ。だって、ニッポン放送もどこもかしこも、すべてやつが仕掛けた株ゲームだったわけですから。
わたしもじつは、星野仙一さんがああして村上氏に「天罰が下る」と言ったことにはあまり気持ちのよいものを感じなかった。ちょっとわたしの思っているのと方向性が違うような感じがしたんで。でも、それに対して、昨日の記者会見であの村上氏が「天罰が下るなんて言っちゃいかん」「そんなことを言っちゃいかん」と、何度も何度も言ってたでしょう? ありゃ、まさに本質的批判のとば口なんです。そこから見えるものを批判していかねばならない。
それと、これは余談だけれど、あのとき、あの人、40いくつで、まるでじいさまの口調のような話し方を演出しながら、なにか高所から見下したように星野仙一を「叱りつけ」てましたね。あれを見て、ああ、この人、すっげえ尊大な人なんだなあ、と思った。どうしてわかるかというと、私もじつはそういうところがあるから。げへへ。わざとじいさまのように悟り切ったような叱りつけ方をするから(って、このブログの書き方見てる人はわかってますよね。あはは)。ただ、わたしゃ、よく見てくれるとわかるけど、そういう“尊大”な叱りつけ方をするのは、相手が確実に権力を持っている場合に限ってる。星野さん、人気はあるけど、権力、そんなに持ってないんじゃないかなあ。ありゃね、村上さん、よっぽど「天罰」ってものが、まずいって思ったからじゃないんですかね、あの「尊大徹底見下し切り返し」のセリフ回しは。
ところで、天罰が下るとか当たるとか、なぜ「言っちゃいかん」のか。村上氏、あの会見で、どうしてそういう謂いが「いかん」のか説明しなかった。「私の子供にも影響があった」とか言ってましたが、だから言うべきじゃない、というのかしら?
彼はまた、「税金いっぱい払った人を褒めたたえる」ような社会じゃないと、日本はダメになる、とかって言ってたけど、あんたみたいな、右のものを左にしただけで金を稼いでいるやつらが税金をいっぱい納めたって、そんなの、それこそ当然の話なんじゃないのって思うだけです。「税金いっぱい払った人を褒めたたえる」ってのがなくなったのは、あのバブル期に税金をいっぱい払った人ってのが土地をただ転がしたり(あ、そういう人は節税もしっかりしてたから逆に払わなかったりしてたか)売ったりしてた人たちばかりで、なにも価値を生み出したわけではなかった、ただ金が儲かっちゃった人たちばかりだったから。つまり、村上ファンドの元祖みたいな人たちばかりだったからです。
つまり、村上さんはさ、「税金いっぱい払った人を褒めたたえる」社会を作るのに、またあんた、自分で邪魔したんだよ、ってことなのです。
あの村上会見のペテンは、いみじくも、彼が自分で口にした「ルール」と「金儲け」のペテンを、知ってるくせに知らん振りをした、あの厚顔にあります(本当に知らないのなら、こりゃ本当にヴァカってだけの話ですけど)。
天網恢恢疎にして漏らさず。
天罰とは、ですから、今回の検察の摘発のことではありません。
天罰とは、その厚顔を自ら曝す結果になったあの記者会見のことをいうのではないでしょうか。かなり底の割れた、恥ずかしい会見だったと、わたしは思いました。