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July 22, 2006

トランスアメリカ

日本でもついに公開になりましたね。「トランスアメリカ」。
これは、“父”と息子のアメリカ横断(トランスアメリカ)の物語と同時に、トランスセクシュアルを取り巻くアメリカ(トランスアメリカ)の現状と希望とを描いた佳作です。

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監督のダンカン・タッカーに、この5月、日本公開に先駆けてマンハッタン・グリニッジヴィレッジの老舗カフェ「ラファエラ」でインタビューをしました。その内容をここで公開しますね。映画鑑賞の参考にしてください。

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●赤ん坊が生まれるって?

DT そうエージェントを通して捜した代理母で。名前は知らされてない。もう38週目でいつ生まれてもおかしくない。生まれたって連絡が来たらすぐにカリフォルニアに飛ぶんだ。

●オープンリー・ゲイだって聞いたけど、赤ん坊って?

DT ゲイっていうか、ぼくはぼくに優しくしてくれる人とだったらだれとでも寝るよ(笑)。区別しないようにしてるのさ。この映画を作っていて学んだことの1つは、残忍性ってのは最近ではどの社会層にも見られるってことで、区別はない。男でも女でも保守派でもリベラルでも、黒人でも白人でも。人種って、アジア人とかヒスパニックのことも最近は話すけど、とにかくいろんな肌の色がある。セクシュアリティとかジェンダーってのも同じ数だけいろんな色があるんだってこと。ジェンダーって、ボートみたいなもんだと思う。ある人たちはボートの中心部に座っていて、真ん中だからあんまりボートも揺れない。でも縁の方にいる人たちにはボートは揺れてるんだ。すごく縁の人はそれで勢いあまってひっくり返って転げ落ちちゃうみたいにね。男も女もゲイとかストレートとか言ってるけど、そんな簡単なものじゃなくて、でも簡単に言っちゃえば僕らはただの性欲いっぱいのアニマルってことだよ。男で20歳だったりしたら、それこそ木の股とだってやれちゃうんだからね(笑)。
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●アメリカ人って、すぐにレーベル付けたがるからね。さて、赤ん坊に絡めて、もうすこし「家族」ってものについて話を聞かせて。これからあなたが持つ「家族」は一般に言う伝統的な「家族」とはちょっと違うでしょ?

DT たくさん親しい友だちがいて、彼らが家族を持っていて、あるいはいま付き合ったりしていて、そういうの見てて、このまま一人で待っていてもしょうがないなと思ったんだ。映画が出来上がって去年、マーケティングもとてもうまくいって、最後にはこうやって日本まで買ってくれたわけだしね、日本は最後の買い付け国の1つなんだよ。うれしかったね。で、映画がうまくいった。じゃあ次は何だってことになって。そうか、この映画で借金することもなくなったし、家も買えるし、子守りだって雇えるじゃないの、って気づいたわけ。で、ずっと長いこと自分の子供が欲しかったからね。よーしって。そんで、昨年の8月には代理母の女性が妊娠してくれたというわけ。

●この「トランスアメリカ」の制作自体が、家族を持とうと決心させてくれたというところもある?

DT その2つはいっしょだね。この映画、ずっと何年も作りたかった映画だし。

●ブロークバックマウンテンは7年かかってっていうのは有名だけど、この映画は?

DT 5年かな。で、いまでもまだこうしてインタビューで忙しくしてる(笑)。昨日なんて、カンヌでケヴィン・ジーガーが新人賞をもらったし、まだ続いてるものね。

●ケヴィン、よかったね。でも、とてもハンサムなんで、トビー役にはハンサムすぎて最初は採用しないつもりだったんだって?

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DT ああ、ほんとに彼は使うつもりじゃなかったんだ。彼はカナダのトロントの出身で、自分でこの役を取るためにリサーチをしてきてね、街に立つ若いハスラー(男娼)たちに話を聞いたりしたらしい。僕もこの役を作るためにいろんな若い連中に話を聞いたりしてたからね。で、リハーサルをやったんだけど、とにかく彼、あきらめないんだ。ダメだったらまた別のやり方を試すみたいな、全力で役作りをしてた。この役を取るという決心はすごいもんだったよ。で、彼に決めたんだ。

●あなた自身も、このニューヨークにある家庭や地元から疎外されたLGBTのための高校、ハーヴィー・ミルク・ハイスクールでリサーチをしたんでしょ?

DT いや、あそこはリサーチじゃなくて、あそこでボランティアで教えたりしてたんだよ。だからLGBTの若い子たちのことはわかる。それにあそこにはハスラーをやってる子がいるわけじゃないしさ。で、リサーチというか取材は別の場所でいろいろしたね。基本的にこれは、社会にミスフィットしてる人間を描いた映画なんだ。むかしジェイムズ・ディーンが「理由なき反抗」でやったのと同じなんだ。あれも社会に合わない、はじかれた若者の話だった。で、ジェイムズ・ディーンの役をもっとボリュームアップして、この「トランスアメリカ」のフェリセティ・ハフマンのブリーの役が、いまの社会の、べつの種類のだけど、ミスフィットということなんだよ。基本的に、このストーリーは、社会に誤解され、疎外されている人間が、いかに大人になるかを探す物語なんだよね。トランスセクシュアリティそのものが、いかに大人の自分に変身するかという問題だから。

●なるほど、そうか。性別適合手術までの話というのは、成長した自分になるための成長譚なんだ。

DT ぼくのいちばん好きな物語は何かというと、「ロード・オブ・ザ・リング(指輪物語)」なんだ。15歳のころに、あの本は7回も読んだ。で、自分の自由にできる予算内で「ロード・オブ・ザ・リング」を作るにはどうしたらいいかって考えたわけだ。そのためにはまず登場人物は、架空の存在じゃなくて実際の人間にしようと。で、それからそいつが探求の旅に出る。で、友だちに出遭い、敵に出遭い、故郷に帰ってきたときには別の人間に成長している。で、主人公は社会にミスフィットの存在で、どこにも自分が帰属していないと考えていて……そうやって組み立てていって、だからブリーとトビーは、どこかサムとフロドに似てるでしょ? ブリーはサムのように捨てにいく宝物を携えながら旅をしている。

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●ははあ、すごいなあ。で、トビーがブリーにセックスを提供しようとする場面も出てくるわけか。サムとフロドの2人の関係が、逆にトランスアメリカでは明示的にそこにかぶってくるね。面白いなあ。

DT トビーはセックスでしか他人と関われないからね。それ以外に方法を知らないんだ。

●あのシーンはどういうふうに演技指導したの?

DT ケヴィンにはとにかくシンプルに演じるようにって言った。「マイ・プライヴェート・アイダホ」で、リヴァー・フィニックスがキアヌに「I really love you, man」って言うシーンがあるだろ? あんなふうに、飾りのない、朴訥で裏のない正直な、まんまの感じで演じてくれっていったんだ。で、それがあのブリーに背を向けながら「It's like...I see you(見えるよ、本当のあんたが)」って言うシーンになった。

●あれはほんとうに胸がつぶれるシーンだった。

DT そう、あのシーンで、みんなに、居心地の悪さや悲しさや可笑しみや共感や、そうね、オエッていう感じとかも、そういうものすべてを同時に感じてほしかったんだ。肝心要のシーンだし。

●フェリシティ・ハフマンにしても、ブリーのこの役はまったく新しい経験だったんじゃないかな。

DT ホルモン剤の副作用でおしっこが近くなるせいで、夜に車を停めて路肩で用を足さなくてはいけなくなるシーンがある。道路を離れて草の生える場所でしゃがみ込んで用を足すにはヘビが恐くてダメ。で、やむなく立ち小便をするというシーンでね、これはいわば真実の暴露という場面で、いかに本物らしく撮るかがカギだと思って、医療用の模造ペニスを用意しようとしたら2万ドル(220万円)もするっていうんだ。それで12ドル95(1400円)で代用品を用意して小道具の人たちに中央に孔を通してプラスチックボトルからお湯が流れて出てくる仕組みにしたんだ。で、メイキャップの女性スタッフには本物らしく色を塗らせて、これは男性陣がボランティアでポーズをとってモデルになって(笑)。で、撮影の夜だったけど本番前にフェリシティがそれを付けるっていうんでトレイラーのトイレの中に入って、そうしたら蛍光灯の光ですっごく生々しく見えたんだそうだ。そえでフェリシティは「オー・マイ・ゴッド!」って言ってね、それで出てきて、泣き出したんだ。ただただ泣くだけだった。この映画の撮影はだいたい時系列に沿って順番に撮っていたから、彼女、そのころにはブリーにかなり自分をだぶらせていたんだと思う。で、そのとき初めてわかったんだって。ブリーがどんな荷物を抱えていたのか、ペニスを持っている女性が、どんなに辛い人生を送っているのかってことをね。ぼくはブリーを慰めるみたいにフェリシティを慰めてた。それからぼくらはもっと深い友だちになった。

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●トランスジェンダー、トランスセクシュアルの問題って、アメリカでもかなり最近になってやっと取り上げられてきたもので、LGBTコミュニティの中でも関心は90年代なんかぜんぜん高くはなかったよね。その意味では彼ら彼女たちはマイノリティの中のマイノリティでもある。

DT そうだね。ゲイ・コミュニティでもトランスジェンダー、トランスセクシュアルの人たちのことを理解していなかった。ものすごく極端なゲイな連中がトランスになるんだとか冗談みたいに言ったりしてた。彼らは心の中は本当の異性愛の男性と女性なんで、ゲイとは別の辛さがある。ゲイの人権運動の中でも救ってこなかった人たちだ。結婚しているせいで見えてこない人たちもいまもたくさんいるし。

●アメリカより先に、ベルギーとフランスだったか、ヨーロッパの映画で「ma vie en rose(ぼくのバラ色の人生)」というキュートな映画があったよね。ヨーロッパの方がこなれているというか寛容というか、同性婚の制度も進んでいるしそういう点では柔軟だなあと思う。

DT 「ぼくのバラ色の人生」に比べて、「トランスアメリカ」はもっと現実的でシビアで暗くてぐったりする映画だっていうわけじゃないよ。これは究極的にはコメディだし、人生を祝福する映画だと思う。泣いたり、いろんな感情も高まったりするかもしれないけれど、コメディというのは人びとに一体感を与え、希望を与えるものだ。差別されるマイノリティを描いた映画には古くは黒人差別の「アラバマ物語(To Kill a Mockinbird)」があり、最近では「ボーイズ・ドント・クライ」があるよね。「ボーイズ」はすごい映画だけど、異端者やはみ出し者は殺されるべきだと誤解される話だ。でも、この「トランスアメリカ」はアメリカで初めてトランスセクシュアルを主人公として、「死ぬ」のではなく「生きていく」話を提示した映画だよ。ハリウッド的なストーリー展開と冒険とコメディと、それからちょっと知的で人生の真実を伝える、自分が何ものかを教える、そんな要素とが融合した映画であってほしいと自分でも思ってるんだ。

●偶然だけど、ちょうど日本で、7歳の男の子が、自分が男の子であることを嫌がって女の子として小学校に通っているというニュースがあったんだよ。

DT ええ? それで、学校とか大人たちとかは受け入れてるの?

●学校はそのようだけど、周囲の大人たちにはそのことを知らない人もいて、匿名でのニュースだけど、こういうニュースになったらまたいろんな違った反応も出てくるかもしれない。

DT 日本の学校ってのは、とても画一的だって聞いたけど……。

●この映画の日本での公開がそういうところにもよい形で影響を与えてくれるといいなと思ってる。

DT あるトランスの人の話を聞いたんだけど、家族が10年以上も話をしてくれなかったんだって。でもこの「トランスアメリカ」を見てまた話をしてくれるようになったんだって聞いた。これはすごくいい話だと思う。ただ、言っておきたいけど、映画ってそれ自体はべつに「社会宣言」ではないんだから、それ自体に語らせるというかね。

●しかし、出来上がるまでが大変だったでしょう?

DT 永遠に出来ないんじゃないかと思った。借金は両親、兄弟、友人、クレジットカード会社と山のようにたまるし、これから10年はこの映画の借金返済に追われると思ってた。だれもこの映画が成功するなんて思ってなかったし、映画祭だってこれがコメディなのかドラマなのかわからないってなかなか受け付けてくれないし、そうしたらベルリン映画祭で賞をもらって、そこからバラエティ誌の映画評で褒められて、それからあれよあれよって間にみんなが注目ってことになってね。作り手側としてはね、アーティストとして俳優も撮影監督もメイキャップも衣装もほんとうに協力的でさ、給料を少なくしてもとにかく完成させようとして頑張ってくれたんだ。ただしビジネス側、制作陣、販売エージェントだとか配給会社だとか財務関係だとか、そっちはすごく保守的で偏狭で、大変だった。
ベルリンですらそうでね、「トランスアメリカ」は600席とか800席の会場で上映して、ベルリンの人たちで売り切れ状態だったんだけど、ハリウッドの関係者はだれも来なかった。たまたま知り合いのプロデューサーに会って聞いたら、「みんなトラニー(トランスセクシュアルへの蔑称)の映画なんて見ないんだよ。商売にならんから」と言うんだ。にもかかわらず賞をもらってバラエティに出たら掌を返したように殺到してきたってわけ。で、ビル・メイシー(エグゼクティヴ・プロデューサーでハフマンの夫)が「こいつらには見せるな。トライベッカ(NYで春に行われる映画祭)でやろう」って言ってきてね(笑)。で、トライベッカ映画祭でいくつかのオファーを獲得したんだ。だがまだそう大した数ではなかった。まあ、大都市でしか上映できないような映画だということで。ぼくとしては「愛と追憶の日々(Terms of endearment)」とか「黄昏(On Golden Pond)」とかを見て泣いたり笑ったりした家族層なんかもを狙って作ったつもりだったんだが、配給会社側も広告代理店側も、その辺がよくわかってなかったんだよね。だって、トビー役のケヴィン・ジーガーがいるんだぜ。こんなにきれいな男の子が出てて、女の子たちを初めとして女性層が来ないわけがない。ゲイだって来るさ。それにフェリシティ・ハフマンだよ、「デスパレート・ハウスワイブズ」の。ねえ、あんたらバカじゃないの、って言ってやったら、「でも、ストーリーがねえ」って言いやがってさ。

●そういう、性的少数者を描いた作品に対するマーケットの偏狭さってのは、そうすぐには変わらないかな?

DT これをやって気づいたことはね、ハリウッドでもどこでも、この世の中は政治だってことだね。ってことはまた、だれかひとりでもわかるやつがいれば、ルーズベルトでもチャーチルでもいいけど、大きく変わるチャンスもあるってことだ。ただ、なかなかそういう人物はいない。みんなわかってないんだ。この「トランスアメリカ」でゆいいつ、実際の人物をモデルにして描いた役柄がある。それはフィヌオラ・フラナガンが演じた、ブリーの母親役のエリザベス。ほんとに可笑しいしすごいキャラだし、最高。で、彼女は、実在する人物なんだ。でも、何人か評論家たちは「ありゃ,やり過ぎで、真実味がない」って言うんだよね。でも、あれは本当なんだ。ぼくの弟だって見たとたん「ダメだよ、ママを出しちゃ」って言ったくらいだから(笑)。

●この映画は、「家族」をもういちど作ろうとする映画でもあると思う。トビーは家族を知らない。ブリーは自分と家族を作り直そうとしている。あなたにとって、「家族」の定義って何です?

DT 家族って、だれもしないような世話をしてくれる人のこと。自分の欠けている部分を補ってくれる人。たとえば事故とかで手を失ったらさ、代わりにお尻を拭いてくれる人のことだよ(笑)。血とかじゃないね。そんなの、知らなければわからないもの。努力というか、コミットメントというか、自分を愛してくれていつも見ていてくれる人のことだな。

●次のプランは?

DT この夏にハリウッド・ミュージアムで「ブロークバック・マウンテン」と「トランスアメリカ」の両方のコスチュームを展示する展覧会があるんだ。フィヌオラとかトビーの服とか。それの運び出しを今週中にやらないと。

●映画は?

DT 赤ん坊が出来るから、1年は消えてるね。それで、本当にやりたい脚本を見つけてからだな。オファーはたくさんあるけど、やらなくちゃいけないってものはないから、まだ次のは考えてないよ。

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(了)

July 13, 2006

予防的先制攻撃論

安保理、難航してます。
中国、どうも北への交渉の窓口を失っているようです。韓国での南北協議も、北の代表は憮然として(本来の使い方と違うけど、ムッとして、という意味で)帰って行っちゃいました。
北は、ぜんぜん言うことを聞かないね。
中国が交渉に失敗して、なんの譲歩も北から引き出せないですごすごと帰ってきたら、中国はかなり国際社会でのメンツを失う。中国がいまでも安保理で存在意義を持っていられたのは、この北朝鮮カードがあったからという部分が大きい。さあ、どうするんだろう。

前回の続きですが、これって、戦略的に1度も歴史上“実験”されたことがないけど、「射つぞ、射つぞ」っていうやつに、最も有効な対処方法は、「射たないぞ、こっちは絶対に射たないぞ」って、世界中に聞こえるようにいうことなんじゃないかと思ったりするんですよね。そういうのって、相手として、一番いやなやつじゃないですか、喧嘩するときなんか。そんなやつを殴ったら、非難囂々ですよ、ふつう。つまり、そんな国にミサイル射り込んだら、それこそ周り、というか世界中が黙っていないでしょ。大変なことになりますわ。
もちろん、国際社会上の政治的言語としてどういうふうに言い回すかはありましょうが、そういうことを宣言するってのは、相手方の武力行使回避のとんでもない抑止力になるのではないか。

先制攻撃論は、相手にこそ先制攻撃の論拠を与える、という意味で、思っていても報道陣のいるところで口にしてはいけないもんです。本気でそれを考えているときは、相手にそれを気取られないところで一気に先制攻撃をしなくてはならない。おくびにも出してはいけない。そんなの、戦争の仕方の初歩中の初歩でしょうが。そうじゃなきゃ、相手に政治的にも外交的にも責め込まれちゃうんだから。

ですから、額賀とか安倍とかがそれを言うってことは、よっぽど迂闊か、あるいは為にするための国内向けの政治的発言以外の何ものでもないんでしょう。さて、では何のためかと言うと、もちろん9条憲法改正ですわね。

そんなことのために、ほんとうに、そんな形式的なことのために、額賀も、麻生も安倍も、北朝鮮に対して日本国民を人身御供に差し出すような、まかり間違えば相手の発射を誘発するような発言をしれっとするってえのは、政治家として売国的に言語道断だってことを、誰も言わんのはどうしてなんでしょう?

繰り返しますが、日本は、戦争をしたら只の国なんです。戦争をしたら弱いのです。戦争をしないから強いんですよ。

戦争をしないぞ、絶対にしないぞ、ぜったいにおまえなんか攻めてやらねえぞ、てめえ、この野郎、って大声で宣言することが、一番の武器なのだということに、気づけよなあ。

ってか、それこそが憲法9条なんでしょうにねえ。
この稀代の武器を、自民党政権は未だかつて、使ったことがないのです。
なんなんだろ、この憲法への背任行為は。

July 11, 2006

北朝鮮をどうしてくれよう

 横田めぐみさんの死亡説を繰り返すだけの元夫とか「ミサイル発射は平壌宣言に違反しない」と会見でしゃーしゃーとうそぶく外交官とか、まったく北朝鮮の連中は自分の言っていることが世界にもまともに聞こえると信じてるのか。もういい加減にしろよ、てめえ、ってそう、気色ばみたくなるのも当然ですわね。

 ただふと気づいたんだけど、前段の金英男さんも会見で虚勢を張った宋日昊(ソン・イルホ)日朝交渉担当大使も、なんだか自分でもうんざりしてるような顔つきでした。国際社会から繰り返される突き上げ質問にうんざりなのか、それらに同じように答えなければならない自分の現状にうんざりなのかは分かりませんが、以前はもっと毅然として強面だったような印象があるんだけど……。

 そのうんざりさ、げんなりさを知っている拉致被害者の1人、地村保志さんが金英男さんについて「彼も被害者の1人だ」と言っていました。洗脳というよりは恐怖から、彼らはそういうふうにしか言えない。ま、宋大使ほどのエリートにもその斟酌が適当かは分からんけど。

 そこを承知でなおかつ斟酌すれば、本当に「世界からの被害」妄想を信じさせられている人たち以外は、北朝鮮では支配層ですら体制にがんじがらめで、どうしたらよいか分からなくなっているんだと思うわけで。改革を唱えるのも体制批判。粛清渦巻いたスターリン時代の旧ソ連と同じで、互いが互いの脅威を妄想してだれもが動けない。まさに恐怖政治の硬直した成れの果て。こういう時に動けるのは軍部だけなのは歴史が示しています。それが今回のミサイル発射でもあるのでしょう。(それにしても、ゴルバチョフってのは、情況の後押しがあったとはいえ、勇気があったよねえ)

 いまや麻薬や偽ドル、偽タバコまで作っているそんな国家に、はたしてどんな策が有効か。だいたいこのミサイルだって、ひょっとしたら販売促進キャンペーンの一環の商品デモかもしれないのであって。

 日本国内での経済制裁と国連安保理を通じた制裁決議提案も「いい加減にしろ」というメッセージです。それは伝わるでしょう。ただし、それであの国が折れるかどうかは五分五分ですよ。逆に言えば、制裁発動もあの国に対するこちら側の瀬戸際外交になります。チキンゲームに参加ってこと。そうしてついに、北のミサイル発射基地に予防的先制攻撃を行えないか、という意味の発言が額賀防衛庁長官から出ました。「先制攻撃」って単語は注意深く回避されていたけど、これはブッシュのサダム・フセインに体する攻撃の口実になったものとまったく同じもんですわ。その米国もおそらくすでに北の軍部を一気に機能不全に陥れ、反攻を最小限に食い止めるような軍事作戦の立案を行っているでしょう。

 ダダをこねればアメを与える、といった従来回路を断ち切り、次の一歩を進めたいってのが例の六カ国協議の狙いです。次の一歩を、というのは北も同じなんでしょう。ただしその一歩が、体制のがんじがらめでこれまでと同じような方法でしか出せない。病理的にはガチガチの硬直部を内部から解きほぐしてやるような東洋医学的な説得と懐柔が一番の打開策なんでしょうが、そんなのんきな時間もない。本当にどうすればよいのでしょうか。

 言えることは、西洋的処方であるもう一方の軍事行動はどうしたってオプションではないということです。有事となれば数百万という北の難民が韓国や中国、ロシアへと流出し、それは東アジア全体のより重大な危機に直結します。ことは38度線の問題ではなくなり、黙視するはずもない中国の軍事行動は容易に台湾問題へとも飛び火するでしょう。先制攻撃論をぶつというのは逆に日本も相手方の先制攻撃の対象になるということで、それは危険を回避するどころか更なる危機を呼び込むことにもなるのです。国内向けの政治的発言であるという読みもできますが、すぐに国際的にニュースになってしまうようないまの状況でそういう発言をすることがどういうことなのか、額賀発言は到底そこまで覚悟した上とは思えないんですけどね。アメリカでは早くも各方面から日本の憲法改正や軍事大国化を予想/懸念するコメントや新聞社説まで登場しています。懸念の背景には、アジアが火種になれば、世界経済は崩壊するって読みがあるんでしょう。日本が振り上げる拳は、そこまでの責任を負えるのか? 拳ってものは、振り上げたあとの後味の悪さに必ず後悔するものなのです。それは個々人の人生の中でも充分に学習してきたでしょう。

 カギはやはり国連安保理なんだと思います。日本の手腕の見せどころは軍事ではなく世界をまとめる外交努力以外にはないのです。とにかく中国を動かすことです。腹芸でも脅しでも使えるものはなんでも使って。中国に平壌説得の時間的猶予を与えたのはその意味では正しいでしょう。六者協議への無条件復帰、それを中国が説得する。説得したのに失敗して、でも安保理では拒否権行使だっていうのは論理的にもおかしいですから、中国も今回ばかりはのっぴきならない状況に押し込まれました。とにかくあくまで外交というか、政治なんです。

 日本が戦争をするようになったらそこらの国と同じでチキンゲームです。日本は戦争をしない。だから強いのです。そうでなければ、これまで66年も、何のための平和国家だったのか分からんでしょう。平和国家の、手練手管を、しかしさて、外務省という最低の官僚組織は持ってるのかしらねえ。

July 07, 2006

NYの同性婚、認められず

州最高裁で認められませんでした。
4対2で敗訴。
理由は、簡単に言えば州の結婚法が、結婚は男女間だと規定してるから。それを同性婚も認めるようにするには、まずは州議会が州法を変えなきゃダメっていう論理です。

がっかりですね。結婚相手いないけど、そーいう問題じゃないってか。

まあ、マサチューセッツのドジョウの二匹目はNYにはいなかったわけっすね。
でも、同性婚を支持したジュディス・ケイ首席判事は「未来の世代が今日のこの判決を振り返って、必ずやこれは判断間違いだったと思うに違いないと信じている」と反対意見を付記しております。ふむ、けっこう力強いね。

市長のブルームバーグもコメントを発表して、「だれがだれと結婚しようと、そんなことは州の知ったこっちゃない」と。はい、そのとおり。「とはいえ、法律は立法府の議員が決めるもの。同性婚を認めるか否かは裁判所の問題ではない。んで、知事と私はどんな法であれ存在する法を執行する立場だ」として、そのうえで、「個人的には同性婚を認めるための法改正に賛成する」と言ってます。まあ、論理的に考えればそんなもんでしょう。

さらに、次期州知事候補のエリオット・スピッツァー(民主党)も同性婚支持派。彼が知事になる可能性は高く、そうすればこの秋以降、法改正へ向けて彼自身がプッシュする可能性もあって、また次があるさーね、って感じですな。

同じ日、南部ジョージア州では判事全員一致で同性婚が却下されました。

ほんと、結婚に関することになると、そんなに感情的な反発が強いんだなあ。
理屈じゃないっていうんだろうが、理解できませんなあ。

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State's Highest Court Rules Against Gay Marriage

July 06, 2006

The state's highest court ruled Thursday that gay marriage is not allowed under state law.

In a 4-2 decision, the State Court of Appeals rejected arguments by same-sex couples throughout the state who said that state law violates their constitutional rights.

The court said New York's marriage law clearly limits marriage to between a man and a woman and any change in the law should come from the Legislature.

The case involved several lawsuits representing 44 gay and lesbian couples in the state.

Associate Judge Robert Smith wrote in the majority opinion wrote: "By limiting marriage to opposite-sex couples, New York is not engaging in sex discrimination. The limitation does not put men and women in different classes, and give one class a benefit not given to the other."

In a dissenting opinion, Chief Judge Judith Kaye said: "I am confident that future generations will look back on today's decision as an unfortunate misstep."

The cases decided Thursday were filed two years ago when high court judges in Massachusetts ruled same-sex couples there have the same rights to wed as straight couples.

Gay rights groups called the ruling a sad day for New York families, saying they are disappointed but that they are not giving up.

"It's so disheartening and so difficult to hear that the courts can't protect us, and we have to turn to the people," said plaintiff Cindy Blink.

They say they hope to have a gay marriage bill in front of state lawmakers by next year.

Both Mayor Michael Bloomberg and Governor George Pataki said they do not believe that same-sex marriage should be regulated by the courts.

Instead, they say it is a matter of changing the state's existing marriage law, a move that must be made in Albany.

"I haven't read the entire decision, but I just think it's right that any change in what has been the law of this state for over 200 years should be made by the elected representatives of the people and not by the court," said the governor.

"It's not the state's business who you can marry, and now, having said that, I also believe that it is up to the legislature to have laws. The governor and I will enforce whatever laws are on the books. And so I will personally campaign to change the law," said the mayor.

Democratic front-runner for governor Eliot Spitzer says he also supports gay marriage, which means if elected this fall, he could push for a law change.

The issue also has its detractors, including State Senate Majority Leader Joseph Bruno. He has said he will oppose any effort to legalize gay marriage.

July 04, 2006

中田はさ

くっだらねえなあ、と思ってやめたんだよなあ。移動のバスん中でゲームボーイして遊んでるチームメイトにゃ、そりゃあ何じゃらほいと思うでしょう。絶望というよりもまあ、もうやってられないわ、一抜けた、って感じかしら。すべきことはしつ、かね。

あの引退宣言を、自らの商品価値を高めるためとかなんだとか非難がましく解説している御仁もいるが、いいんじゃないかね、それだけのことをやってもいいだけのことを、中田英寿はやってきたと思う。

18だか19だかで私の目の前に現れたあの少年は、しなやかで伸びやかで、ただひとり、つるつるっとした、まるでバターみたいなサッカーをしていた。それまでの泥臭く百姓一揆みたいなサッカーとはまるで違っていた。久しぶりに帰った日本でテレビを見たとき、「だれ、あれ?」と思わず訊いていたもんだ。

くっだらねえ最右翼はまたまた「産経抄」である。

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伝えられるチーム内での孤高ぶりが、理解してくれない相手に話をしても仕方がないという生き方からきているとすれば、こんな不幸なことはない。▼いや、やめよう。半可通記者の推測ほど中田選手が忌み嫌うものはない。ただ、これだけはいいたい。日本の中心選手として、心情を吐露するだけでなく、敗因をもっと具体的に語ってほしいのだ。なぜ決勝トーナメントに行けなかったのか、チームに何が足りないのか。
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バカじゃないのか、こいつ。
何が足りないのか、分からないから負けたんだ。
敗因を具体的に語っても、何にもならないから語らないのだよ。
甘えるのもいい加減にしろって感じだわ。
まったく、ふだんは強面の右翼のくせに、こんなときだけなよなよしいのね。