予防的先制攻撃論
安保理、難航してます。
中国、どうも北への交渉の窓口を失っているようです。韓国での南北協議も、北の代表は憮然として(本来の使い方と違うけど、ムッとして、という意味で)帰って行っちゃいました。
北は、ぜんぜん言うことを聞かないね。
中国が交渉に失敗して、なんの譲歩も北から引き出せないですごすごと帰ってきたら、中国はかなり国際社会でのメンツを失う。中国がいまでも安保理で存在意義を持っていられたのは、この北朝鮮カードがあったからという部分が大きい。さあ、どうするんだろう。
前回の続きですが、これって、戦略的に1度も歴史上“実験”されたことがないけど、「射つぞ、射つぞ」っていうやつに、最も有効な対処方法は、「射たないぞ、こっちは絶対に射たないぞ」って、世界中に聞こえるようにいうことなんじゃないかと思ったりするんですよね。そういうのって、相手として、一番いやなやつじゃないですか、喧嘩するときなんか。そんなやつを殴ったら、非難囂々ですよ、ふつう。つまり、そんな国にミサイル射り込んだら、それこそ周り、というか世界中が黙っていないでしょ。大変なことになりますわ。
もちろん、国際社会上の政治的言語としてどういうふうに言い回すかはありましょうが、そういうことを宣言するってのは、相手方の武力行使回避のとんでもない抑止力になるのではないか。
先制攻撃論は、相手にこそ先制攻撃の論拠を与える、という意味で、思っていても報道陣のいるところで口にしてはいけないもんです。本気でそれを考えているときは、相手にそれを気取られないところで一気に先制攻撃をしなくてはならない。おくびにも出してはいけない。そんなの、戦争の仕方の初歩中の初歩でしょうが。そうじゃなきゃ、相手に政治的にも外交的にも責め込まれちゃうんだから。
ですから、額賀とか安倍とかがそれを言うってことは、よっぽど迂闊か、あるいは為にするための国内向けの政治的発言以外の何ものでもないんでしょう。さて、では何のためかと言うと、もちろん9条憲法改正ですわね。
そんなことのために、ほんとうに、そんな形式的なことのために、額賀も、麻生も安倍も、北朝鮮に対して日本国民を人身御供に差し出すような、まかり間違えば相手の発射を誘発するような発言をしれっとするってえのは、政治家として売国的に言語道断だってことを、誰も言わんのはどうしてなんでしょう?
繰り返しますが、日本は、戦争をしたら只の国なんです。戦争をしたら弱いのです。戦争をしないから強いんですよ。
戦争をしないぞ、絶対にしないぞ、ぜったいにおまえなんか攻めてやらねえぞ、てめえ、この野郎、って大声で宣言することが、一番の武器なのだということに、気づけよなあ。
ってか、それこそが憲法9条なんでしょうにねえ。
この稀代の武器を、自民党政権は未だかつて、使ったことがないのです。
なんなんだろ、この憲法への背任行為は。