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September 23, 2006

ふたたび「友達の詩」について

いつか右手で書いていたものを左手に移し、右腕に筋肉をつけて左手をかばい、傷つきやすい心のかさぶたをはがしては心ではないところの皮膚を移植し、けんめいに、けんめいに、もう泣かないように、もう傷つかないように、もう死にたくならないように、いろんなものを弾き返せるように、鎧をまとい、剣を取って生きていく。おとななんてのも、一皮むけばそんなもんだ。

でも、土の中に埋めた、大昔の心のかけらの化石が、ときどき身を震わせて号泣したがる。
あのときの自分が、地層の奥で身悶えして泣きわめく。

そんなきっかけはいつもだいたいなにかの歌だ。

触れるまでもなく先のことが
見えてしまうなんて
そんなつまらない恋をずいぶん
続けてきたね

胸の痛み治さないで
べつの傷で隠すけど
かんたんにばれてしまう
どこからか流れてしまう

手をつなぐぐらいでいい
並んで歩くくらいでいい
それすら危ういから
大切な人が見えていれば上出来

忘れたころに
もいちど
会えたら
仲良くしてね

手をつなぐくらいでいい
並んで歩くくらいでいい
それすら危ういから
大切な人が見えていれば上出来

手をつなぐぐらいでいい
並んで歩くくらいでいい
それすら危ういから
大切な
人は友達くらいでいい
友達くらいがちょうどいい

中村中が15のときにかいたというこの詩は、おそらく、巧まざる心の動きのたぐいまれに巧みな描写だ。こうした複雑に折り畳まれた心象を、彼ら/彼女らはあらかじめ敷かれた鉄路のような強引さで運命的に手にしてしまう。そうした道筋しかないような袋小路。迷路とはいえしっかりと矢印の示されている十五夜。「先のことが見えてしまう」「そんなつまらない恋をずいぶん続けてきたね」と中村中は自分に向けてこともなげに言い切る。15歳の中村中の、「ずいぶん」とはどれほどの数を指すのだろうか。あるいはいまやっと21歳だという中村中の。

いやこれは、「触れるまでも」経験するまでもなく「先のことが見えてしまう」と知った15歳の中村中の、その15歳にとっての過去形ではなく、いずれの未来においてもこれからずっとすでに定まってしまっている先取りの過去のことなのだ。

誤読の罠にはまるのはそこばかりではない。

この詩で最も印象的なフレーズ、「手をつなぐくらいでいい」に耳を奪われ、わたしたちは中村中の、好きなひとへの最も適度な願いがまずどうしても、ふつうに考えれば最小限にささやかな願いと聞こえる、「手をつなぐ」ことだと言っているように読み取るのである。

だがこれは誤りである。
なぜなら、中村中は直後にその願いをさらに縮小し、望むことはじつは手をつなぐことではなく、ただたんに「並んで歩く」ことだと訂正するのだ。

そうしてそれすらもふたたび思い直す。
それすらも「危ういから」と、横に並び歩く距離ですらなく、はるかに遠い、ただ「見えてい」ることだけで満足するように、と、自分にとってはそれで「上出来」なのだ、と言い聞かせるのである。しかもそれもいまそこで具現している現実ではなく、「見えていれば」という形の、ここにいたってもまだあえかな希望としてのつつましやかな仮定法で。

接続詞のない、箇条書きのように並べられる3つの願い事はだから並列ではない。それはそっと提示された、譲歩と諦めと退却の、縮んでゆこうとする時系列だ。

だが、好きになればなるほど、その事実を思えば思うほど相手から遠く身を退かねばならない事情とはいったい何なのか。「並んで歩く」ことすら「危うい」状況とは何なのか。さらに続く、「忘れたころにもいちど会えたら、仲良くしてね」というさりげない謙譲は、何を忘れ、誰を主語とすることを前提としているのだろうか。

忘れることなど、じつはないのだ。なのに、「仲良く」というせめてもの願望は、忘れない限り成立し得ない。そうしてそれこそが、「友達」という中立性への、あらかじめ不可能な希求なのである。

その事情に共感できる経験を、わたしたちのだれが、どれほどが、共有しているのだろう。
「友達の詩」は、取っ付きやすいそのタイトルや、ともすればつねに微笑んでいるようにすら聞こえるその歌唱とは裏腹に、じつは安易な共感を求めていない。そんな有象無象を相手にしてはいない。「友達」へと向かうヴェクトルは、希望というよりもむしろ、退却しつづけた果ての絶望をあらかじめ先取りしたものだからだ。

大切な人が見えていれば、それだけでたしかに上出来だった。
そのひとはじつは「友達」ですらなかった。
「友達ぐらいでいい」のその「ぐらいで」とは、ただその程度を曖昧さで広げるものではなく、「ほんの〜だけで」「せめて〜ばかりで」とのニュアンスの、おおく自嘲的な否定さえ伴うむしろ小心な副助詞なのである。

中村中と、それらを共有する者たちはみな、そんな季節からの生き残りだ。
そうして肝心なことは、生き残りに恥じず、中村中の「友達の詩」はけっして嘆き節に陥らない、ということである。生き残るためにはつん抜けざるを得なかったようなその歌唱の決意的な明るさによって、いま、新しく生き残ろうとしている者たちは絶望を突きつけられつつもおそらくこれに励まされる。こんどこそこの詩を逆に、先取りの過去として嘆くのではなく消化するために。
中村中はこの絶望を消化して生き残った。だから、歌に凝結させ得た。このじじつは大切だ。
そこまで知ったとき、この詩を歌えるのは、おそらく中村中以外にはいないのだろうということにわたしたちは気づくのである。

中村中は、現代だ。
21歳にしての、この命の強さと美しさを、言祝がない手はない。

September 15, 2006

HRWが動いた

世界最大の人権組織"Human Rights Watch"が都城市の条例改正に関して抗議の書簡を送りました。市長と、市議会宛に送付したようです。内容は、だいたい尾辻さんや私たちが指摘したのと同じことです。翻訳はのちほど追記しましょう。

ところで、私もあの書簡を書いてから、ほんとオレって言い方がキツいなあ、と自分でもなんだかぐったりしたんですけど、さて、一地方都市の条例に、他の土地に住む、都城と直接関係のない人たちが何を言えるのか、もしくは何を言ってよいのか? という問題は考えなくてはならないでしょうね。

でもね、基本的にはこうだと思うの。
都城はまず、条例を市民に向けて制定しながらも、それは政治として、他者へ向けてのメッセージ性を帯びるのは当然だろうということ。
すると、それに関して、他者がどうとかこうとかいうのは間違いだ、となれば、そのジェンダーニュートラルな平等社会を作ろうという条例に、それはいかん、という、今回の“改悪”のきっかけとなった反対運動自体も市内・市民からというより勝共=統一協会=世界日報から来たんだから、それ自体も認められないだろうということになる。

つまりね、政治的ディスコースというのは、そういう性格を帯びざるを得ない。地域に関係なく、その反対も広く受ける、賛成も受ける、ということになるわけだ。公的言論というのは政治レヴェルの高低にかかわらずそういうもん。だから北朝鮮や中国の人権に関して我々が危惧し意見を言うことができる。アフリカやイスラム諸国でのゲイ弾圧に関して我々が抗議を行うのです。そこでもせめぎ合い。

したがって、都城が、他所の連中にいわれる筋合いはない、というのはぜんぜん成り立たない論理なんです。

ということで、HRWからの書簡は次のとおりっす。

Letter to the mayor of Miyakonojo Municipality about the removal of "sexual orientation" from the gender-equality ordinance

September 14, 2006


His Honor Nagamine Makoto
Mayor
Miyakonojo City
Miyazaki Prefecture
Japan

Dear Mayor:

On behalf of Human Rights Watch, I write in protest against the move to eliminate references to “sexual orientation” from Miyakonojo City’s “Ordinance for the formation of a gender-equal society.” Language affirming equality on the basis of sexual orientation has been part of that ordinance since 2003. Its proposed removal—by a process which has excluded the full input of citizens and civil society—would send a damaging message that your community is regressing from the promise of equality and its commitment to non-discrimination.

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Japan: Keep Equality Protections for Lesbians and Gays
Press Release, September 14, 2006

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On behalf of Human Rights Watch, I write in protest against the move to eliminate references to “sexual orientation” from Miyakonojo City’s “Ordinance for the formation of a gender-equal society.” Language affirming equality on the basis of sexual orientation has been part of that ordinance since 2003. Its proposed removal—by a process which has excluded the full input of citizens and civil society—would send a damaging message that your community is regressing from the promise of equality and its commitment to non-discrimination.

As you are aware, the Basic Law for a Gender-Equal Society (Law 78/1999), passed by Japan’s Diet in 1999, committed Japan to “respect for the human rights of women and men, including: respect for the dignity of men and women as individuals; no gender-based discriminatory treatment of women or men; and the securing of opportunities for men and women to exercise their abilities as individuals” (article 3). While the law did not propose penalties for discrimination, it was an important affirmation of government’s positive responsibility to promote equality at all levels. The same law made local governments responsible for “formulation and implementation of policies related to promoting formation of a gender-equal society corresponding to national measures (article 9). In response, Miyakonojo City in 2003 passed a human rights ordinance that affirmed the equality of people regardless of sexual orientation as well as gender. It was one of the first local governments in Japan to include sexual orientation in its commitment to promote equality. The final text of the ordinance was achieved through a process including open hearings at which citizens as well as local lesbian, gay, bisexual, and transgender (LGBT) groups spoke.

However, Miyakonojo City was consolidated with three other towns in January 2006, and officials agreed that ordinances enacted before this would undergo review. Human Rights Watch is concerned by reports that an open hearing was not held as the “Ordinance for the formation of a gender-equal society” was revised. LGBT groups and individuals and their supporters were denied the full opportunity to express their case. While municipal authorities insist that the proposal rises from discussions of a committee of experts, that discussion has not been made public.

Article 2.1 of the previous ordinance stated, “In the gender-equal society, for all people irrespective of gender and sexual orientation, human rights should be fully respected.” Article 2.6 defined “sexual orientation” as “a concept describing the direction of an individual’s sexuality, which can be directed to someone of the different or same gender, or to someone irrespective of their gender.”

In the ordinance now proposed, Article 2.1 now reads, “In the gender-equal society, for all people, their human rights should be equally respected.” Article 2.6 has been completely deleted.

The rationale for these proposed changes is explained, on the city’s website, as “to simplify the contents.” A simplification of an ordinance on gender equality which removes the term “gender” as well as “sexual orientation” is not a streamlining but a drastic weakening of the contents.

The Miyazaki Prefecture’s “Miyazaki Prefecture Development Policies of Human Rights Education,” introduced in 2005, includes a section on “Problems faced by gender minorities.” This section recognizes persisting discrimination and prejudice based on sexual orientation as well as gender, and urges active steps toward accepting sexual diversity. The new text of your city’s ordinance belies this aim. It also places your city at odds with the express finding of international human rights bodies that sexual orientation should be a status protected from discrimination. In 1994, the United Nations Human Rights Committee, which interprets and monitors compliance with the International Covenant on Civil and Political Rights (ICCPR), found that protections against discrimination in articles 2 and 26 of that treaty should be understood to include sexual orientation. Japan has been a party to the ICCPR since 1979.

The proposed revision of the gender-equality ordinance will be debated by the city assembly this week. I urge you to support retaining the existing language. Miyakonojo City’s resonant support of equality made it a model in Japan. Its example is too important for you to retract it now.

Sincerely,

Scott Long
Director
Lesbian, Gay, Bisexual and Transgender Rights Program
Human Rights Watch

September 12, 2006

東京入りしました

26日まで滞在します。

札幌レインボーパレードと行き違いで(日本語、正しいか?)こっちに来てしまいましたが、レインボーのほうにはちゃんと挨拶してきました。みなさま、札幌を盛り上げてくださいね。参加者は千人くらいなので、沿道の通りすがりの人たちといかにコミュニケートするかってのがカギだと思います。そうしてそれが日本のパレードと欧米のパレードとがいちばん雰囲気の違うところ。

都城の一件もあるし、それもアピールしないとね!
他力本願のわたしですけど、参加の皆さん、よろしくお願いします。
札幌、このところずっと快晴だし、気持ちいいよ。涼しいし。

わたしはこちらで新聞社の人たちと少し会ってみます。
都城の話は、尾辻さんの活躍もあって宮崎日々新聞に記事、社説ともに掲載されました。

尾辻さんのブログへ飛びます


なかなかちゃんと的を射た記事及び社説です。
あとは全国紙での掲載ですわね。

September 11, 2006

都城市への手紙

前略

都城市男女共同参画社会づくり条例(案)に関して、「「性的指向」に関しては、人権問題の一分野であり、「すべての人」で包括できるという考え方に立ち、削除しました。」という貴市の考え方は、世界の進み行きの情勢に逆行する明確な誤りだと考えます。一行政機関ならびに議会の行う措置として、これはとてもまずいことです。

「すべての人」で包括できる、というなら、もともと、この条例は必要なかったのでした。なぜなら、すべての人びとの人権は既に憲法で保障されており、ならば、あえて市の条例でわざわざあらためて示す必要などない、ということでしょう。それをなぜ具体的に記述して市の条例としたのか? それは、憲法などで包括的にとらえてそれでよしとするのではなく、市として地域として、その時代にそった具体的な重点事項の指摘が必要だったからです。そうしてそれを世に先んじて正してゆく。都城は2年前、そういう都市になるぞとの重要な宣言を行ったのです。

その重点事項は、この2年で解決したのでしょうか?
それが解決したなら、めでたいことです。
新しい都城市は世界でもまれな人権的理想郷ということです。
ところが、ほんとうにそうなのですか?
そうではないでしょう?

ならば、なぜに「性的指向」を外したのか?
解決もしていないことを解決したかのように削除する。それは、文脈的に明確に、「性的指向」で指し示される人びとを除外する、「性的指向」という概念そのものをも排除する、というメッセージを世に与えるものです。

つまり、それは「そういう人権都市になるぞとのかつての重要な宣言」をあえて否定することです。こんなんならはじめから人権条例などないほうがよかった、というくらいに、これは結果的に「非・人権宣言」になってしまう宣言なのです。

そういう人権否定宣言を、都城は行う覚悟なのでしょうか?
そうではないでしょうに。
ただ、結果的には、時系列上の文脈的には、そうなってしまう。

まずいことです。これはいずれ貴市の歴史的な汚点として語られることになるでしょう。
貴市にとって、心ある貴市民にとって、恥ずかしい過去として振り返られる事例になるでしょう。

スペインのサパテロ現首相は、「性的指向」による差別を廃止しようと国家として同性間結婚を認める決定を下した際に、「わたしたちは同性婚を認める最初の国になる栄誉を得なかったが、同性婚を認める最後の国だとの不名誉は回避できた」と演説しました。南アフリカのネルソン・マンデラ前大統領は「性的指向による差別は憲法として認めない」として世界で初めて「性的指向による差別の禁止」を盛り込んだ憲法を作りました。ケン・リヴィングストン・ロンドン市長はあえて「性的指向によりいじめにあうようなことがあってはならない」と発言して学校における同性愛嫌悪的ないじめ根絶の先頭に立つことを宣言しました。これが世界の良識です。これらに連なるものとしての以前の都城市の「都城市男女共同参画社会づくり条例」は、世界的にもじつに誇らしいものだったのでした。それは欧米のメディアでも伝えられたほどのニュースだったのです。それをご存知でしたか?

その歴史的快挙は、今度はまったく逆の反動としてニュースになります。
それは一地方のカルト機関紙でしかない「世界日報」が報じるよりも大きな恥辱としてほんとうの「世界」に伝えられるでしょう。
あなたの市を、わたしはとても恥ずかしく思います。
それは同じ日本人として、世界に尊敬されるべく生きようとする人間として、じつに悲しいことです。

悲しいことは正すべきです。
いつかまた、あなたの市の次の世代の市民が、正しい「性的指向」の概念にいち早く気づかれることを切に祈念しております。希望は未来にあります。というか、貴市の現状では、未来にしか、ありません。

ジャーナリスト、北丸雄二

September 10, 2006

エレンがオスカー司会者に

アウト・レズビアンのエレンが来年のオスカーの司会に決まりました。女性としてはウーピー・ゴールドバーグに次いで歴代2人目。エレンって、このところ毎日午前10時から1時間のトーク番組「エレン・デジェネレス・ショー」が人気で(私も見とります)、これをトークショー王者オプラ・ウィンフリーの「オプラ」にぶつけて午後4時からに編成替えになったばかり、というノリノリムード(昭和語)。

エレンって、日本だと彼女が話しているのを見たことのある人は少ないでしょうし吹き替えじゃ意味がないんだけど、見ていてほんとに嫌味がないっていうか、ジョークもすごくさらっとしているしなんとなくほんわかしていてきれいなのです。ゲストとのトークも粘着質じゃない、むしろはずしている部分がおもしろい、しかもしっかりエッジーなんだが意地悪じゃない、という感じ。そういう意味でもじつに頭のよいチャーミングな女性です。見た目どおりっていえば見た目どおりですわ。

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司会業でもね、2001年の9/11の直後のエミー賞の司会をやって、で例の、その年のオスカーで白鳥の変なドレスを着て登場したビョルクをパロってとんでもなく大きな白鳥の首巻きドレスを着て登場してみせて、うちひしがれていた観客・視聴者を笑わせた。あのとき、ああ、こんなときの笑いはこれしかないなって思ったもんです。いま、48歳。何度か顔を引っ張ってるけど(白人の女性は特に大変なんだよね)、いまでもとてもキュート。

さあ、今度は何を着て司会するんでしょうね。エレンは「タキシードにキュロットかしら? なんていうの、あれって、スコート?」とコメントした後で、「そういや、まだあの白鳥のドレスをもってるわ」と言ってました。ま、そんなことはないでしょうけど。

オスカーの司会はこのところ、ロビン・ウィリアムズからビリー・クリスタル、ウーピーにデイヴィッド・レターマン、そしてこないだのクリス・ロックと続いてたけど、これをするってのはアメリカの当代きっての人気コメディアン・コメディエンヌってことです。

最近のビアンはナブラチロワが全米オープンでダブルス優勝、モレスモのウィンブルドン優勝(全米じゃシャラポワに初敗戦だったけど)と、頑張ってるねえ。日本でも尾辻さんだし。

September 08, 2006

安倍晋三と都城がどう関係するか

こういうのはかつて学生運動華やかなりしころは常識だったんですが、いまじゃそうじゃないでしょうね。左翼が元気なころは右翼への警戒と分析が継続していたんですが、いまじゃだれも右翼のことを見張るようなことをしないから、いったい、都城の条例改悪の背景にだれがいるのか、それがどことつながっているのかということがわからず、なんとなく単発の事例として受け取られるような雰囲気もあります。でも、これらはすべて根はつながっているわけで、で、今回は、そういう状況背景のおさらいをすることにしましょう。個別の事象については自分で調べてね。ここでは「流れ」を見ていくということで。

都城市のあの条例が一票差で採択されたとき、いや、それ以前から、この「性別および性的指向にかかわらず」という人権条項に関する一大反対キャンペーンを繰り広げていたのが「世界日報」です。世界日報は、これに限らず、一連のジェンダーフリー施策・教育の反対キャンペーンを2002年あたりから本格化させています。

世界日報というのは「統一協会」(世界基督教統一神霊協会)の機関紙です(表向きは無関係と言っていますがね、だれもそんなブルシットは相手にしてません)。統一協会というのは、ご存知、霊感商法や合同結婚式などで悪名高い国際カルト宗教集団で、欧州では信者とわかると入国制限されている“危険団体”扱いです。創設者は、文鮮明です。

さて、都城のあのジェンダーフリー条例への反対をあおっているのがこの統一協会の日本支部であるというわけですが、この統一協会と深い関係にあるのが「国際勝共連合」です。歴代会長は全員、統一協会員。役員もほとんどが重なります。

この「国際勝共連合」は文鮮明が1968年1月に韓国で立ち上げた反共産主義団体です。同年4月にはあの笹川良一(一日一善のおじいさん、っていってももうわからんかなあ)の別荘に、文鮮明と日本の統一協会会長の久保木修己もやって来て日本の国際勝共連合を作った。で、この久保木が初代会長、さらに名誉会長が笹川良一ということになったわけです。勝共と言えば笹川と仲良しの児玉誉士夫なんていう右翼ブローカーも登場してくる(後のロッキード事件のメンツでもあります)。

さて、当時(70年代〜)の東西冷戦を背景に、この勝共は自民党の支持団体としても成長を続けます。それで、このときの自民党の右派の重鎮がこの勝共に深く関与していくことになる。これがA級戦犯不起訴となり復権していた岸信介だったわけです。

kishi.jpg
【1974年11月に、統一協会本部で文鮮明と会談する岸信介=右】

岸信介って、日米安保条約の調印批准のときの総理大臣でね、治安維持法の再来と言われた警察職務執行法(警職法)の改定案を出したり(後に撤回)、教職員への勤務評定の導入を強行したりとかなりの全体主義者(ファシスト)で、けっきょくは安保反対闘争の激化(デモの東大生樺美智子圧死事件が引き金でした)で退陣に追い込まれたんですけど、まあ、日本政界の化けもんですわ。

んでもって、この岸が、いわずとしれた安倍晋三の祖父なんですね。もちろん、安倍晋三は岸信介マンセー、です。

おさらい。
つまり「岸信介=国際勝共連合=統一協会」というつながりがいま、「安倍晋三=国際勝共連合=統一協会」に移行しているというわけです。

その証拠が、今年5月13日に福岡マリンメッセで行われた統一協会の合同結婚式に安倍が祝電を打ったという事実です(各新聞のリンクを示したかったんだが、もう4カ月前でリンク切れでした。適当に探せばどっかにあると思いますけど)。おまけに、現在ベストセラーの安倍晋三の(ゴースト本)「美しい国へ」とかっていう本、これ、前述の統一教会会長久保木の「美しい国/日本の使命」って本のパクリなんですわな。題名まで似てるでしょ。こういう情緒的なものいいで誤摩化す(つまりは言語化=論理化を避ける)のが好きなんだなあ、右翼ってのは。「論理じゃない、言葉じゃないんです!」ってのが決まり文句だもんねえ。議論になんか、さいしょからする気がないわけですわ。頭ごなしですから。

で、この自民党=勝共=統一教会という日本右翼の腐れ縁、ファシスト連合が、都城をはじめとするジェンダーリベラリズムにも猛然と牙を剥いているわけです。頭ごなしに「ホモは死ね」ですから。憲法改正、ってのも、ともすると勢いをかって第24条の強化にまでつながるかもしれません。

で、わたしが「日本の現代LGBTコミュニティは、初めて有形の政治権力を相手にすることになるかもしれません」「戦争が始まると覚悟しといたほうがよいかも」と9月4日付けのこのブログで書いた意味が、これですこしはわかると思います。

September 06, 2006

英語でも回そう

NYのアジア人・太平洋諸島民のゲイ団体GAPIMNYのケン・タケウチさんから、例の都城の人権条例改悪に関する尾辻かな子さんの呼びかけの、彼の英語翻訳によるアクション・アラートが届きました。これがいまアメリカで回覧されはじめています。

ことはすでに日本だけの問題ではありません。
以下、転載します。

The following text is an ACTION ALERT letter from Ken Takeuchi, a member of NY base organization GAPIMNY.
I want you all to pass it on.

*********

Hello friends and family,

I've translated the open letter from Otsuji Kanako, the first openly lesbian politician ever in Japan. My apologies for a hasty translation, but the urgency and importance of taking immediate action is very much apparent I hope.

We cannot let this ordinance pass. No matter how advanced country like Japan has become, its records in LGBT rights have been non-existent. Being an ex-pat Japanese activist in NY, I cannot sit idly while this ordinance may set precedence in Japanese legal history. IF it comes to pass, it will bring dire consequences in the future LGBT rights in Japan.

PLEASE RE-POST, AND RESEND TO ALL YOUR FRIENDS AND COMMUNITY GROUPS YOU ARE PART OF NOW!!!

I feel that email petitions in Japanese would be most effective, but send them in English anyway if there's not enough time or resources to translate. We only have a week left, I desperately implore you to join in this petition.

You can visit following websites to learn more;

Otsuji Kanako's website;

Japanese;
http://www004.upp.so-net.ne.jp/otsuji/index.html

English;
http://www004.upp.so-net.ne.jp/otsuji/english.html

The proposed changes in the ordinance by Miyakonojo City

Japanese;
http://www.city.miyakonojo.miyazaki.jp/pabukome/shiminseikatu/seikatubunka/danjosyuseiitiran.jsp

English (There don't have the translated page, but you can get a sense of the city here)
http://www.city.miyakonojo.miyazaki.jp/shisei/kokusaikouryu/english/titleenglish.jsp

My appreciation goes beyond description for your help in this matter. Please feel free to send me questions, and I will do as much as I can to follow up.

Best regards and with utmost respect,

Ken Takeuchi
Steering Committee member at large, Gay Asian & Pacific Islander Men of NY (GAPIMNY)
http://www.gapimny.org

Member, Japanese Speaking LesBiGays in NY (JSLNY)
http://jslny.web.fc2.com/index.html

###

!!!ACTION ALERT!!!

By Otsuji Kanako
Assembly Member of Osaka Prefecture, Japan
Party: Independent (first elected in 2003)
Member of "Rainbow and Greens (Japan)"
Book: Coming Out (2005, Kodansya, Japanese only)
The first openly homosexual politician in Japan

I am sending a letter of protest and petition to city counsel members of Miyakonojo City in Miyazaki Prefecture. Please join my petition by sending emails in protest.

Petition emails should be sent to: otsuji_office@osaka.nifty.jp

The deadline is September 12th (11th in the U.S.) - Please take action now, since the committee meeting begins on the 15th.
In addition, individuals should send a message to the city assembly. It is important to send in numbers.

For the mayor of Miyakonojo City, Nagamine Makoto
Tel: +81 986-23-2111, Fax +81 986-25-7973
info@city.miyakonojo.miyazaki.jp

For office of Miyakonojo city assembly
TEL +81 986-23-7869, Fax +81 986-25-7879
gikai@city.miyakonojo.miyazaki.jp

===========An open letter of protest and petition===========

For the members of Miyakonojo City assembly,

An open letter of protest and petition against the deletion of "gender and sexual orientation" from the proposed ordinance, "Miyakonojo City Equal Rights Measure in Creating Better Society"

I sincerely respect your diligence in all of your endeavors. Currently the city assembly's new ordinance, "Miyakonojo City Equal Rights Measure in Creating Better Society" is being presented. In this new proposal, the wording of (applying to) "all people including gender and sexual orientation" which was originally present prior to consolidation of Miyakonojo City, was deleted. And instead, revised to be simply, "all people". What was the reason for deleting "gender and sexual orientation" from the original proposal? While many people are being discriminated based on "gender and sexual orientation" in current Japanese society, such act of deletion ignores the reality of discrimination, and may be taken as an approval of such activities. I simply cannot sit by and watch it pass.

In addition, I have been informed that the names of council members who created the ordinance have not been released. Furthermore no hearing was held by the city's community groups or party involved. Without the lack of opinions from them, the ordinance does not reflect the needs of Miyakonojo community.

The policy introduced in January 2005, "Miyazaki Prefecture Human Rights Education-Policies for Basic Development" clearly states the following fact. In chapter 4, section 2 titled, "Promoting the Policies of Various Fields" includes the topic, "Problems faced by minorities of gender and sexual orientation". It recognizes the existence of prejudice and discrimination, and the importance of accepting sexual and gender diversity. The policy encourages the city residents to take initiatives to put more effort in this matter. The current ordinance on the table completely contradicts Miyazaki prefecture's policy.

Please reconsider this proposal one last time. I implore you to reinstate the wording, "gender and sexual orientation".

Otsuji Kanako
Petition organizer, Osaka Prefecture Assembly Member

September 04, 2006

次から次へと

東京新聞2日付けの佐藤敦社会部長の石原慎太郎インタビュー。
http://www.tokyo-np.co.jp/00/thatu/20060902/mng_____thatu___000.shtml

「メンタル面では、日ごろの情操を培う基本的なものを精錬するとかね。新宿の二丁目と歌舞伎町は美観とはいえないよね。銀座でもごてごてと色があるし。景観法ができたし、規制力のある条例を今年中に作ります。」

東京五輪を名目に、2丁目はつぶされますね。
さてどうしたものか。

日本の現代LGBTコミュニティは、初めて有形の政治権力を相手にすることになるかもしれません。だれでしょう、日本の差別は欧米とは違うなんて言っていたのは。「目立たないようにやれば、日本ってゲイでも生きやすい社会だから」と、うまくだましだましすり抜けてきた世渡りとしての生き方ですが、もうそんな世渡りでは済まなくなってくるかもしれませんね。

おまけに、あの九州・都城市が、町村合併に伴って、男女共同参画社会ってのを定義した条例文「性別や性的指向にかかわらずすべての人の人権が尊重され、社会の対等な構成員として、自らの意思によって社会のあらゆる分野における活動に参画する機会が確保され、もって均等に政治的、経済的、社会的及び文化的利益を享受することができ、かつ、共に責任を担うべき社会をいう」っていう条項から、「性別又は性的指向にかかわらず」って部分を削除する流れになっているらしい。今月22日の議会で採決だって。

どうなんでしょう、このバックラッシュというか、いやそもそも前に進んだことなど微々たるものだったのだから、バックラッシュというよりも妖怪がとうとう姿を現したな、という感じに近い。

こっちは大阪府議、尾辻かな子さんのブログに反対表明の仕方と事情の詳細が。
http://blog.so-net.ne.jp/otsuji/

反対メールは次のメアドに名前と肩書きを書いてその旨を伝えれば尾辻さんが取りまとめてもくれるようです。これは12日まで。
otsuji_office@osaka.nifty.jp

いやはやしかしまったくもって、これから安倍政権ですぞ、みなさん。
こりゃ、戦争が始まると覚悟しといたほうがよいかもなあ。もっともそれも、わがほうに闘う気概があればの話なのだが。