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ふたたび「友達の詩」について

いつか右手で書いていたものを左手に移し、右腕に筋肉をつけて左手をかばい、傷つきやすい心のかさぶたをはがしては心ではないところの皮膚を移植し、けんめいに、けんめいに、もう泣かないように、もう傷つかないように、もう死にたくならないように、いろんなものを弾き返せるように、鎧をまとい、剣を取って生きていく。おとななんてのも、一皮むけばそんなもんだ。

でも、土の中に埋めた、大昔の心のかけらの化石が、ときどき身を震わせて号泣したがる。
あのときの自分が、地層の奥で身悶えして泣きわめく。

そんなきっかけはいつもだいたいなにかの歌だ。

触れるまでもなく先のことが
見えてしまうなんて
そんなつまらない恋をずいぶん
続けてきたね

胸の痛み治さないで
べつの傷で隠すけど
かんたんにばれてしまう
どこからか流れてしまう

手をつなぐぐらいでいい
並んで歩くくらいでいい
それすら危ういから
大切な人が見えていれば上出来

忘れたころに
もいちど
会えたら
仲良くしてね

手をつなぐくらいでいい
並んで歩くくらいでいい
それすら危ういから
大切な人が見えていれば上出来

手をつなぐぐらいでいい
並んで歩くくらいでいい
それすら危ういから
大切な
人は友達くらいでいい
友達くらいがちょうどいい

中村中が15のときにかいたというこの詩は、おそらく、巧まざる心の動きのたぐいまれに巧みな描写だ。こうした複雑に折り畳まれた心象を、彼ら/彼女らはあらかじめ敷かれた鉄路のような強引さで運命的に手にしてしまう。そうした道筋しかないような袋小路。迷路とはいえしっかりと矢印の示されている十五夜。「先のことが見えてしまう」「そんなつまらない恋をずいぶん続けてきたね」と中村中は自分に向けてこともなげに言い切る。15歳の中村中の、「ずいぶん」とはどれほどの数を指すのだろうか。あるいはいまやっと21歳だという中村中の。

いやこれは、「触れるまでも」経験するまでもなく「先のことが見えてしまう」と知った15歳の中村中の、その15歳にとっての過去形ではなく、いずれの未来においてもこれからずっとすでに定まってしまっている先取りの過去のことなのだ。

誤読の罠にはまるのはそこばかりではない。

この詩で最も印象的なフレーズ、「手をつなぐくらいでいい」に耳を奪われ、わたしたちは中村中の、好きなひとへの最も適度な願いがまずどうしても、ふつうに考えれば最小限にささやかな願いと聞こえる、「手をつなぐ」ことだと言っているように読み取るのである。

だがこれは誤りである。
なぜなら、中村中は直後にその願いをさらに縮小し、望むことはじつは手をつなぐことではなく、ただたんに「並んで歩く」ことだと訂正するのだ。

そうしてそれすらもふたたび思い直す。
それすらも「危ういから」と、横に並び歩く距離ですらなく、はるかに遠い、ただ「見えてい」ることだけで満足するように、と、自分にとってはそれで「上出来」なのだ、と言い聞かせるのである。しかもそれもいまそこで具現している現実ではなく、「見えていれば」という形の、ここにいたってもまだあえかな希望としてのつつましやかな仮定法で。

接続詞のない、箇条書きのように並べられる3つの願い事はだから並列ではない。それはそっと提示された、譲歩と諦めと退却の、縮んでゆこうとする時系列だ。

だが、好きになればなるほど、その事実を思えば思うほど相手から遠く身を退かねばならない事情とはいったい何なのか。「並んで歩く」ことすら「危うい」状況とは何なのか。さらに続く、「忘れたころにもいちど会えたら、仲良くしてね」というさりげない謙譲は、何を忘れ、誰を主語とすることを前提としているのだろうか。

忘れることなど、じつはないのだ。なのに、「仲良く」というせめてもの願望は、忘れない限り成立し得ない。そうしてそれこそが、「友達」という中立性への、あらかじめ不可能な希求なのである。

その事情に共感できる経験を、わたしたちのだれが、どれほどが、共有しているのだろう。
「友達の詩」は、取っ付きやすいそのタイトルや、ともすればつねに微笑んでいるようにすら聞こえるその歌唱とは裏腹に、じつは安易な共感を求めていない。そんな有象無象を相手にしてはいない。「友達」へと向かうヴェクトルは、希望というよりもむしろ、退却しつづけた果ての絶望をあらかじめ先取りしたものだからだ。

大切な人が見えていれば、それだけでたしかに上出来だった。
そのひとはじつは「友達」ですらなかった。
「友達ぐらいでいい」のその「ぐらいで」とは、ただその程度を曖昧さで広げるものではなく、「ほんの〜だけで」「せめて〜ばかりで」とのニュアンスの、おおく自嘲的な否定さえ伴うむしろ小心な副助詞なのである。

中村中と、それらを共有する者たちはみな、そんな季節からの生き残りだ。
そうして肝心なことは、生き残りに恥じず、中村中の「友達の詩」はけっして嘆き節に陥らない、ということである。生き残るためにはつん抜けざるを得なかったようなその歌唱の決意的な明るさによって、いま、新しく生き残ろうとしている者たちは絶望を突きつけられつつもおそらくこれに励まされる。こんどこそこの詩を逆に、先取りの過去として嘆くのではなく消化するために。
中村中はこの絶望を消化して生き残った。だから、歌に凝結させ得た。このじじつは大切だ。
そこまで知ったとき、この詩を歌えるのは、おそらく中村中以外にはいないのだろうということにわたしたちは気づくのである。

中村中は、現代だ。
21歳にしての、この命の強さと美しさを、言祝がない手はない。

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