槙原ケイムアウト?
このところ注目のakaboshiくんのブログが、槙原敬之のカムアウトのテキストを見つけたことでなんだかよくわからないことが起きています。日本テレビのウェブサイトで「第2日本テレビ」というのがあって、そこで見られると言うんだけれど、ぼくのコンピュータはMacなので見られない。といってるあいだに、どうも、その該当の動画ファイルが削除されてしまうということになっているようなのですね。
問題の動画はakaboshiくんによれば「2007年1月15日に放送された『極上の月夜〜誰も知らない美輪明宏の世界』という番組のインタビュー収録の場で語られたことであり、放送ではオンエアされなかったようです。しかし、ネット上に現在公開されている「槇原敬之インタビュー(後編)+槇原敬之『ヨイトマケの唄』ライブ」にて見ることができます」ということだったらしい。
akaboshiくんのブログには、しかし、いまも字に起こされた槙原の発言が載っています。よくはっきりしないけれど、でもまあ、文脈を辿ればカムアウトしたってことなんでしょうね。
akaboshiくんの再録したこの文字テキストは削除できないでしょう。
しかし、そのおおもとの動画ファイルがいまなくなってしまったというのはさて、いったいどういうことなんでしょうね?
ぼくはむかし槙原が覚醒剤で逮捕され、その際になんとかくんというこちらはゲイの男性とともに逮捕されたことで同性愛“疑惑”が週刊誌で仰々しく報じられたときに、てっきり彼も覚悟を決めてカムアウトするものだとばかり思っていました。だって、どうしたってその“疑惑”は蓋然性からいっても事実であって隠しようがなかったから。だから、それを見越して、バディのコラムで、「さて、ぼくらはどうするのか、槙原を見捨てるのか?」と書きもしました。
ところが、隠したんですね。どうしたもんだか彼は、自分はゲイではない、と言った。
おかしなもんでそして当時、日本の芸能マスコミはそれを通用させたんです。
それは何だったのか?
きっとね、ゲイであることは汚辱だってことだったんだとおもいます。汚辱だけれど法律に触れることではない。だから責めるべきことではない。だからそれはプライヴァシーに関することとしてマスから隠してやるべきことでもある。だからこれを不問に付すのが芸能メディアとしての取るべき道である、と判断したのでしょう。なんとまあ慈悲にあふれた対応か。
それは芸能マスコミのやさしさだったのでしょうか? スキャンダルとして、それは離婚や不倫や浮気や隠し子よりも“ヤバい”ことだった。だから、ほんとうにそんなにヤバいことだから、書かないでいてやるのが情けだ、と。そう、離婚や不倫や浮気や隠し子は「書ける」ことです。しかし「同性愛」はマジな部分では「書けない」こと。お笑いやからかいでは書けるけれど、マジな次元では書けないこと。マジでヤバいことだった。
ここにとても複雑な、メディアのズルさがあります。なぜ書けないのか? 書くとそれが人権問題になることを知っているからです。しかし、彼らはそれを人権問題として書かないのではない。プライヴァシーの問題だ、として書かないのです。
このレトリック、あるいはもっと明確に、トリックが、わかりますか?
もし同性愛が人権問題ならば、言論・報道機関はそれを書かねばならないのです。しかし、これがプライヴァシーの問題であるとすれば、彼らはそれを書かない口実を得ることになる。その境界線を行き来することで、日本のメディアはずっと同性愛に触れないできた。いや、触れないできた、というよりどっち付かずの態度を取りつづけてこられた、というべきかもしれません。そうしてここで明らかになるのは、先に書いた「慈悲」とは、同性愛者に対する慈悲ではないということです。あの「慈悲」は、彼ら自身に対する慈悲、自分たちのどっちつかずに対する優しい甘さ、怠けに対する赦しなのです。
さて槙原に戻りましょう。
槙原の動画ファイルが消えた。これは何を意味するのか?
日テレに聞いてみなきゃわからんでしょうけれどね、あるいは槙原サイドからやっぱりありゃあまずい、と削除依頼を受けたのか。
なんとなく察しうるのは、槙原本人も、それとその本人をいちばん近くから見ている“スタッフ”も、カムアウトしたい、そろそろそんなことから楽になりたい、ということです。もう、いいじゃねえの、そんなこと、という感じ。美輪明宏の影響もあると言うか、美輪明宏の名前を出してその神通力に頼ると言うか、そういう含意もあるでしょうね、あの文脈では。ただし、本人サイドはほんと、もうバレバレだし見え見えだし、ええい、やっちゃえ、という勢いだったのだと思うのです。
ところが、それはやっぱりまずかった。よくよく考えると、やっぱ、削除だろう、となった。そんなところではないでしょうか? その背景にはakaboshiくんが書いてる「可視化するホモフォビア」とともにもう1つ、ホモフォビアへのプレコーション(事前警戒)、というのもあるのだと思う。怖いんですよ、マーケットが。
マーケットとは企業のCM、そのCMで成り立っているテレビ番組、諸々のパブリシティ用の印刷メディア、そうしてそれらに誘導される一般購買層です。事前警戒とは、おそらくホモフォビアがあるに違いないと事前に予測して、それよる損害を回避しようと行動することです。つまり、「やっぱ、削除だろう」なのです。
ただね、こうした姿勢って、商売としてそろそろだめになってくると思います。つまりね、ホモフォビアを抱えているような購買層というのは、どうしたって賢い消費者ではないわけですよ。企業及びビジネス自体が必要としているのは賢い購買層なの。槙原がゲイだって分ったって、それでもいいじゃん、という消費層あるいはファン層こそがCMを打って効果的なターゲット層なわけで、ホモフォビアを抱えてるような連中なんてどこにでも流れるような連中で当てにならない。後者だけを見ていて恐れていもだめなのです。ビジネスとしてはこの2層に別々の戦略が必要になってくると思うのですよ。
もっとも、日本ではすごく賢い人でもピアプレッシャー(同輩圧力)のせいでホモフォビックだったりしてね、それを治療するには同じくピアプレッシャーを利用してカムアウトした人を周囲に増やすしかないんだけど。
ま、それはまた別のときにでも再び。
(上記テキストに一部誤りがあったので差し替え訂正しました=1/21。大麻で逮捕と思ったのは覚醒剤でした。それと、放送日時が去年暮れではなくてこないだの15日だったそうです)