中国人を犯人にしない
いまに始まったことではないんだけどさ、ということではなく、いまもまだこんな体たらく、という感じですかね。TVジャパンの日曜番組で水谷豊の「相棒IV」ってのをやってて、今日のは「殺人生中継」なるタイトルでテレビ局の女子アナ殺人事件だったんですが、犯人はその女子アナを恋い慕って局に入った新人お天気キャスターのアナウンサー。「こんなに愛しているのに報われないなら、いっそこの手であなたを殺す」っていうストーカーまがいの脅迫状ってことは、つまりレズビアンのねじれた愛憎の結末、ってわけですか。
女子アナ、レズビアン、愛憎、殺人、ともう、このとてもわかりやすい妄想世界はまさに世の“普通”の男性たちの典型ものなのかしら。ところがドラマのセリフではレズビアンも同性愛も単語としては出てこなくて、水谷豊の「相棒」である寺脇なんちゃらっていう刑事がもっともらしく愛ってもんを諭す場面まであってですね、なんだかその「倒錯性」はスルーなんです。べつに問題にもならない。ふうん、それって、人権遠慮? でもしっかりとレズビアンの関係性には殺人というスティグマをベタ塗りしてしまってるのにさ。
ま、それだけだったら私も見流してたんだけど、そのドラマが終わったら今度は続いて「アウトリミット」っていう、これまたへんてこなドラマ。元はWOWOWのドラマだったんですか? 岸谷五朗が主演のめちゃくちゃな刑事ドラマ。ここでもさ、麻薬密売のヤクザなんだかギャングなんだか、へんてこなスキンヘッド+タトゥーの兄貴と茶髪のチンピラが突然のホモ関係。よくわからんねえ。なんなんですかね。
なんたっけ、あの芥川賞、蛇にタトゥー、か。ちがった。蛇にピアスだ。あれでも殺人犯が限りなくサド趣味の男性同性愛者に設定されていて、そのときも「おいおい」って書いたんですが、またこれですもんね。ちょっとメモとして書いておいてもよいかな、と。
人権メタボリックともいちぶでいわれる日本には、すでに謂れのないスティグマを負われている社会弱者に、さらに犯罪者という別のスティグマを塗り付ける惰性と安易が無自覚に繰り返されています。踏んだり蹴ったり、泣きっ面に蜂、死者に鞭、ですよ。そうでなくてもパンチドランクでヘロヘロしてる同性愛という関係性を、またさらにそんなにいじめて、どうしたいのよ? 同性愛という言葉の持つ「変態性」「倒錯性」の雰囲気という先入観に寄り掛かったストーリーって、いい加減、拙いって気づきましょうよ。当のプロデューサーたちに「いじめってどう思います?」と訊けばしたり顔で「赦せません」って言うだろうくせに、これ、いじめですよ。どう? そうじゃない?
最近は「うたう警官」や「警察庁から来た男」などで注目の作家、佐々木譲さんと2年前にそんなことを話したときに、「そういえば、アメリカの推理小説ではかつて、中国人は犯人にしない、という暗黙のルールがあったんですよ」って教えてくれました。50年代、60年代かな、人種マイノリティだった中国移民への偏見と差別が蔓延してた時代、プロの作家たるもの、そういう偏見に安易にのっかって彼らを真犯人に設定するのは沽券に関わったんでしょうね。
どうなのよ、日本のプロデューサーたち。きみたちの沽券はどこよ?