オーディナリーという言葉
NHKで「夢見るタマゴ」って番組、ニューヨークでもTV Japanで放送されていて、例のあのダウンタウンの浜田が司会で、きのうは男性美容員っていう、デパートの化粧品売り場で客たちの化粧品相談やメーキャップ相談や実地をやってる男の子が出てきました。で、思ってたとおりの展開になるわけですね。つまり、浜田が「そっちのほうに間違えられへん? その世界、メケメケが多いやろ」ってなふうにいじって、あ〜あ、と思ってたら、その美容員も控えめながら「ぼく、あの、ノーマルです」って返事して、予定調和というか何というか sigh...。(この辺のノーマルのニュアンスへの引っかかりは、すでに10年近く前に書いたマジためゲイ講座の第一回目をご参考に)
まあ、きっと「ノーマル」という言葉は日本では外来語ボキャブラリーの偏狭さから「ストレート」という意味で使ってるんでしょうが、それでスタジオはまたパブロフの犬に成り果てたごとくお嗤いで反応して、いったいこの人たちっていつまでこういうことを続けてれば気づくんだろうとすでにパタン化した暗澹たる思いを横目に、そういやNHKだからってんで浜田もオカマを「メケメケ」と言い換えてるのか、その辺の放送コードはすでに確立してるのかねとか思うものの、言い換えててもけっきょくは同じだけどね、とか思いつつ、はたと膝を打ったのでした。
その膝を打ったことはあとで述べますので、まずは次のクリップを見てくださいな。
これは「2人の父親 Twee Vaders」ってタイトルの歌です。
どうもオランダのテレビ番組らしく、毎回、このKinderen voor Kinderen(子供たちのための子供たち?)という子供たちのグループが、いろんなメッセージソングを作って歌う番組らしい。
さて、英語の字幕によれば、歌の主人公の男の子はバスとディードリックという2人の男性カップルに1歳のときに養子にもらわれたと歌います。で、バスは新聞社で働く人で、ディードリックは研究所で働いてる人です。
歌詞は次のように続きます。
「バスはぼくを学校に送ってくれるし、ディードリックはいっしょにバイオリンを弾いてくれる。3人で家のTVでソープオペラを見たりもする。ぼくには2人の父さんがいる。2人の本物の父さんたち。2人ともクールだし、ときどきは厳しいけど、でもすごくうまくいってる。ぼくには2人の父さんがいる。2人の本物の父さんたち。で、必要ならば、2人はぼくの母さんにもなってくれる」
2番以降は以下のごとし。
**
ぼくがベッドに入るとき、
ディードリックが宿題をチェックしてくれる。
バスは食事の皿を洗ったり、洗濯をしてたり。
病気になって熱があるときなんか
ディードリックとバス以上に
ぼくのことを心配してくれる人なんかだれもいない。
ぼくには2人の父さんがいる。
2人の本物の父さんたち。
2人ともクールだし、ときどきは厳しいけど、
でもすごくうまくいってる。
ぼくには2人の父さんがいる。
2人の本物の父さんたち。
で、必要ならば、2人はぼくの母さんにもなってくれる。
ときどき学校でいじめられもする。
もちろんそんなことはイヤだけど。
おまえの親、あいつらホモだぞって。
それをヘンだって言うんだ。
そんなときはぼくは肩をちょっとすくめて
だから何だい? おれ、それでも父さんたちの息子さ。
そういうのはよくあることじゃないけど
ぼくにとってはぜんぜんオッケーさ。
ぼくには2人の父さんがいる。
2人の本物の父さんたち。
2人ともクールだし、ときどきは厳しいけど、
でもすごくうまくいってる。
ぼくには2人の父さんがいる。
2人の本物の父さんたち。
で、必要ならば、2人はぼくの母さんにもなってくれる。
**
これを見たあとでも浜田は「メケメケ」といって嗤えるんだろうか。(反語形)
ただたんに浜田は、このような情報を持っていなかったためにこういうことをお嗤いにしてしまえるのでしょう。(斟酌癖)
それを思うとそうした愚劣さを気づかずにさらしている彼が哀れでもありますが。(ちょっと本音)
さて、この歌詞の3番に、学校でおそらく浜田のようなガキどもから「あいつらホモだろ」といじられた主人公の少年が、「It's not ordinary」と述懐する部分があります。「But for me, it's quite ok」(でもぼくにとっちゃそんなのぜんぜんオッケーさ)と。
このオーディナリー、「それって普通じゃないけれど」と訳すとうまく伝えきれないものがあります。「普通」という言葉だと、多数決に基づく「正常さ、標準さ、規範的さ=ノーマル」という意味にもとられてしまうので。
で、ここはordinaryですので、日本語では「よくあること」と訳したほうがニュアンスが近い。
で、「はたと膝を打った」のは何かというと、父親が2人いることは「It's not ordinary」と歌うのを聞いてて、ああ、これ、使えるかも、と、さきほどの「ノーマル」に対比して思ったということなのです。
これから、ヘテロセクシュアルの人は、自分のことを「ノーマル」の代わりに「オーディナリー」です、って言えばいいんじゃないのかしら。(意地悪、入ってます)
で、ゲイはオーディナリーじゃないのね。
何か?
エクストローディナリー Extraordinary に決まってるんじゃないですか! (笑)
(付記)
じつは、この番組でプチッとキたのはほんとは上記の部分じゃなくて、「子供が言うことを聞かないときに浜田さんはどうしますか」という出演者からの問いに、浜田が「ぶん殴るよ、男だから」とかいうことを平気で口にして、それに合わせてスタジオのゲストの中尾彬だの加藤晴彦なのが「そうだそうだ」「すばらしい」と平気で賛成してたことでした。
いま日本のあちこちで頻発している児童虐待で死者まで出してることを、この人たち、どう思ってるのかなあ。そう言えば「オレの言ってる意味はぜんぜん違う」って返ってくるのは予測できるけれど、それとこれとが根でつながっていることには気づいていない。
ニュース見てないのかもしれないけど、ま、こういう輩はニュース見てても同じか、プライベートで言うことと、テレビでパブリックに言えることとの、場合分けがない。それは子供のすることです。まあ、「子供」とはいえ、上記ビデオで紹介した子供たちはそういうことはしないでしょうけどね。
だとすれば浜田以下のこの人たちは、きーきー騒いではしゃぐだけの猿と同じじゃねえか。
恥ずかしいなあ。
そしてもう1つ、こういうのを平気でオンエアーするのは、これが「将来の夢をひたむきに追いかける若者たちを紹介するバラエティー」と紹介しているように、なんでもありのジャンルの番組だというふうに思ってるからなのでしょうかね、NHK。
情けないことです。
追記)
しっかし、いまやってたんだけど、子供向けロボットドラマ「ダッシュマン」ってのでさ、悪者役の紫色の口紅塗ってる宇宙人みたいなのが、これまたオカマ言葉でしゃべってるのって、いったい何なのでしょう。
なんだかこれだけ続くとウンザリというか、ゲンナリというか。
いやがらせかよ、おい。
まいったなあ。
Comments
この映像を見てるといろんな感情が心に浮かんできます。
“こういう番組が成立する国の成熟度の高さ”“この子(歌ってる子)偉いよねー”“こんな番組日本じゃ見られない”“ゲイだろうがストレートだろうがいろんな家族の形があってもいいじゃないの”
非常に見ていて気持ちのいい番組です。
あるゲイの方が書いてるブログにも採り上げられてて好意的な感想でした。そうだよね・・・。
Posted by: misae | April 22, 2007 12:33 AM