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April 27, 2007

国際反ホモフォビアの日のことなど

ことしもまた5月17日がやってきます。国際反ホモフォビアの日(IDAHO)です。
上記ビデオはそのアウエアネスのTVスポット。イギリスのかしら?
ナレーションは
「ホモフォビアに反対するCMを作ろうと思いました。パワフルでシンプルで真実の映像で。それでこの椅子に座ってくれる俳優たちを探したのですが、ヘテロセクシュアルもホモセクシュアルも、みんな断ってきました。残念です。今日でもホモであることを見せるにはほんとうに勇気が要ることだということでしょう。クイアとかダイクとかファゴットとかの言葉での罵倒はいまもずっと続いています。80カ国がホモセクシュアルを犯罪としています。うち9カ国では死刑に値するとしています。5月17日は国際反ホモフォビアの日です。怖いのはホモフォウブたち(ホモフォビアを抱える連中)です。ホモたちではありません」

9カ国は解放されたはずのアフガニスタン、イスラム原理主義のイラン、アフリカのモーリタニアとナイジェリア、 スーダン、同じアジアのパキスタン、親米親西欧であるはずのサウジアラビア、西洋資本がどんどん投入されて潤うアラブ首長国連邦、そしてイエメンです。

最後の字幕コピーで、「ホモフォビア」の「ホモ」の部分が「レズボ」「トランス」と変わります。
ゲイ・プライドがいまはLGBTプライドと呼称変えしているのと同じ配慮ですかね。

IDAHOのホームページはこちらです。

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もう先週になりましたが、4月18日はアメリカで「11th Annual National Day of Silence」でした。デイ・オヴ・サイレンス(沈黙の日)というのは、なにも話さない日。全米の大学や高校で、自分がゲイだと、トランスだと、言えないホモフォビックな状況に抗議するため、それに共感する学生たちが性的少数者であろうとなかろうとみんな、学校でひと言も話をしない、というパフォーマンスを続ける、というものです。参加者はDay Of Silence のワッペンをしたり、次のようなカードを無言で手渡して話しかける相手に理解を求めていました。

「今日、私が話をしない理由を理解してください。沈黙の日運動に参加しているのです。これは全米の若者の運動で、学校でレズビアンやゲイやバイセクシュアルやトランスジェンダーの人たち及びその同伴者たちが直面させられている沈黙に抗議するものです。私のこの強いての沈黙は、いじめや偏見や差別が強いる沈黙と共鳴しています。こんな沈黙を終わらせることがこれらの不正義と戦っていく第一歩だと信じています。きょう、あなたの聞かなかった声のことを考えてください。この沈黙を終わらせるために、あなたは何をしてくれますか?」

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市を挙げてゲイの観光客誘致に熱心なフィラデルフィアが、市内のゲイエリアに36個ものレインボーカラーのストリートサイン(通りの名前の表示板)を出しました。

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このことを「We Have a 'Gayborhood'」(neighborhood=おなじみの地区、とのシャレです)と報じた地元紙「the Philadelphia Daily News」の引用によると、LGコミュニティの観光市場はなんと540億ドル(65兆円)規模なんだって。これ、世界のかしら? まさか米国内ってことはないよね。だって日本の国家予算(80兆円)にも迫る額だもなあ。

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誘致しなくてもじゅうぶんにゲイなロサンゼルスはウエスト・ハリウッド地区に、BMWの新型3シリーズのコンバーチブルのポスターが張り出されているんですが、これももちろんここのゲイ・コミュニティに向けての広告ですわね。

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「Hard top. Firm bottom. It's so L.A.」

格納式のハードトップの屋根を持つコンバーチブルは、屋根部分がなくなることで車体の剛性が弱くなるんですね。でもBMWはさすがに基部(bottom)の車体剛性もしっかり保ってぶれません。ロサンゼルスにぴったりの車です。

ってのが車の宣伝としての意味ですね。

で、「ガチガチのトップ(おにんにん)、締まったボトム(お尻)、もうまさにロサンゼルス」ってのが掛けてあるのさ。はは。

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おまけ。ハードトップ。

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これはぜんぜんゲイじゃありません。
ネットで拾ってきたんだが、ふつうに函館の業者が作った函館土産らしい。
イカの形をした陶器に入った日本酒っていうんだが。
まんまストレート。もうすこしひねるとかできなかったのか……。
あ"〜、って感じではあるものの、しかし、サイズはどのくらいなんだろ。
ぜったい狙っておりますな。

格調高く始まったのがなんだか下品に堕して終わりです。とほほ。

April 20, 2007

サンジャヤがついに落選

いやいや、昨夜、とうとうサンジャヤが落っこちてしまいましたねー。
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相変わらず視聴率全米1位を独走する怪物番組「アメリカン・アイドル」第6シーズンの話であります。最終選考7人にしぼられて、私は今シーズン初めてちょくちょく見ていたのですが、動機はちょっと違って出場者の1人をめぐって全米を二分する論争が起きているのが面白かったから。

話題の中心がその最年少決勝進出者のサンジャヤ・マラカーくん(17)でした。
知らない人のためにざっと説明すると、この「アメリカン・アイドル」はタレント発掘のオーディション番組なんですが、歴代、優勝者ばかりか落選者すらレコード会社と契約するほど歌唱力第1の選考で知られていて、映画「ドリームガールズ」でオスカーを獲得したジェニファー・ハドソンもこの番組のファイナリスト(先に「準優勝者」と書きましたが、あずささんの指摘で間違いが判明。12人中、7週目に落とされたので6位とかの説もあり。すんません、このシーズン、気を入れて見てなかったの)。

んで審査員の1人に辛口のプロデューサー、サイモン・カウエルってのがいて、こいつのイギリス英語の酷評が呼び物でもあるんですが、サンジャヤはこのサイモンに「人気があっても歌も歌えないサンジャヤが勝ち進んだら審査員を辞める」とまでこき下ろされ続けながら今週まで来ていたわけですよ。視聴者投票では毎回抜群の人気だったし例のYouTubeでも圧倒的に再生数が多い。ブログ界もサンジャヤへの賞賛とこき下ろしで真っ2つに分かれて増殖を続けていた始末。もうすごいもんでした。「サンジャヤはアメリカン・アイドルの恥だ」とか「国家的陰謀だ」とか、酷評派は言いたい放題の2チャンネル状態。ま、ちょっとサンジャヤのなよなよしたところがホモフォビアを誘発してる気もしましたがまあそれは今回の話題ではないんで。

でね、「歌がヘタ」とは言われるものの、はっきり言ってジャパニーズ・アイドルたちを聞き慣れている私には「けっこううまいじゃないの」とかって感じなの。ちょっと音程が外れてふにゃらふにゃらした歌い方をするんだけど、まあそれも個性といえば個性かも、とかって。見ようによってはかわいくないこともないと思う人もいないことはないだろうし(それか結局!)。

しかしアメリカってのは、日本と違ってティーンズ・アイドルが一般エンタテインメント市場とは画然と異なる子供向け市場で住み分けているんですね。ガキのマーケットはぜったいにメインストリームには出てこれない。ガキが高級レストランに入れないのと同じです。ですんで、そんな米国のオトナというか一般向けの芸能市場では、毎回髪型を変えたり子供っぽく受け答えするサンジャヤの活躍は異常に映っていたわけです。

その結果、もうテレビやラジオのトークショー番組やニュースでもこの不可思議なサンジャヤ人気で花盛り。「サタデイ・ナイト・ライブ」でも面白可笑しいパロディになったし、ニューヨーク・タイムズなんぞは「勝利を第1の価値観とすることへの市民の反発の現れでは」と硬派に分析したりね。こないだのあるラジオ番組ではヒラリー・クリントンがサンジャヤ現象へのコメントを求められ「ここ最近で最高の質問ね」と笑いながら、「人間は投票したい人に投票できるもの。私の選挙もアメリカン・アイドルの投票も同じことよ」と答ってました。
だいたい、昨夜の落選は夜11時台の各局のニュースばかりか今朝のニュースでも取り上げられたんですよ。落選がニュースになる、そんなことってかつてないことでしたね。

思えばそう遠くない昔、たしかアメリカは「かわいらしさ」というものに日本とは違う基準を持っていました。それに気づいたのは例のキャベツ畑人形を初めて見た20年以上前なんですが、あのときアメリカ人の友人に「なんでこんなへちゃむくれの顔をした人形が可愛いのか」と問いつめたことがあります。ペットにする犬だってブルテリアだのフレンチブルドッグだのパグーだのと不細工な方が「可愛い〜!」と叫ばれていたんですよね。ま、それはいまもそうだけど。

それが最近はなんとなく変わってきてる。まずはあのポケモンかしら。それからキティちゃんでしょ、おまけにあのわけのわからん村上隆のデザインまで、どんどん日本的な、子供にもわかる「ど真ん中の可愛さ」が文化の本流に浸透してきている気がします。べつにどうでもいいことだけど、なんだか日本的な「子供文化」、はっきりいえば「ガキ文化」がこれからこの国にも上陸してきてるんじゃないかなと……。

そこにこのサンジャヤ旋風でした。彼の昨日の敗退を、さて、オトナ文化安泰の徴と見るか、それともガキ文化擡頭の序章と見るか。今回のアメリカン・アイドルは単なるタレント発掘というだけではなく、そういうオトナ文化とガキ文化の潮目、時代の変化の兆候と見るとなかなか考えさせられるものがありましたわ。

サンジャヤはきっとどっかのレコード会社が拾って、まあティーン向けの、それこそ日本的な意味でのアイドルCDを出すかもしれません。サンジャヤがあの屁みたいな声でジャズを軽く歌った回を見てて、あら、いいじゃないの、この子、とかって思っちゃった私は、きっとそのCDもチェックしてここでご報告することになるんでしょうか。はは。

April 12, 2007

合掌 カート・ヴォネガット

ヴォネガットが亡くなった。84歳。
数週間前に転んで頭をケガしたらしい。痛ましいなあ。
でもなんだか、ヴォネガット的でもある。

若かったころ、何度となく彼の語る暗く乾いたユーモアに救われた。
ほんとうに辛く悲しいことは、こうやって笑いをともなって考えるものなのだ。

こないだから、じつは彼の書いていた言葉を思い出していた。
たしか「ジェイルバード」の中の逸話。
彼が講演会だかブックサイニングだかに出席したときの話だ。
たぶん十代初めの少年が彼の本を持ちながら彼に近づいてきて、こう言った。
「ヴォネガットさん、そうやってたくさん本を書いてきてあなたが言いたいことは、とどのつまり、愛は負けるが親切は勝つということですよね」

愛は負けるが親切は勝つ。
名言。
私は以来それをモットーにしてやってきた。

これはきっと彼が1965年に書いた「God Bless You, Mr. Rosewater」(ローズウォーターさんに、神のご加護を)の中で言っていたことを再掲したんだと思う。

「やあ、赤ちゃんたち、ようこそ地球へ。ここは夏は暑くて冬は寒いよ。ここは丸いし湿ってるし込み合ってもいる。それから、赤ちゃんたちよ、きみたちがここで手にするのはせいぜい100年ってなもんだ。わたしの知る限りそしてここでのルールはたった1つしかない、赤ちゃんたち──『てやんでえ、てめえら、やさしくなくちゃだめだぜ』」

でも、いまの前の恋人には、その親切も裏切られた。
愛は負け、親切も負けて、おれは空っぽになって、おれを負けさせてどうするんだって思った。

でも、いま、やっと、あれは例外だって思えるようになりつつある。
親切が負けたのは、あれはたまたま、人生で唯一の例外だったんだ。

それでまた、愛は負けるが親切は勝つ、と、頭の中で念仏みたいにこのフレーズが繰り返されていたここ50日ほど。

ヴォネガットの百万の嘘の中に真実がある。
若い人たち、いまひとたび、彼を読みなさい。
どの文庫も恐ろしく可笑しい警句に満ちている。
人生の神髄は、彼のアフォリズムの総体でしかない。
てやんでえ、てめえら、やさしくなくちゃだめなんだ

NY Times の訃報の最後は、ヴォネガットの2005年の最後のエッセイ集「A Man Without a Country」にある詩の一節で終わっている。

When the last living thing
最後の生き物が
has died on account of us,
わたしたちのせいで死んでしまったとき
how poetical it would be
思えばなんと詩的だろうか
if Earth could say,
仮に地球がこう言えるとしたら
in a voice floating up
湧きあがる声で
perhaps
そうたぶん
from the floor
あの
of the Grand Canyon,
グランドキャニオンの谷底から立ちのぼる声で
“It is done.”
「さあ、終わった」
People did not like it here.
人間はここが’好きじゃなかったんだ。

──合掌。
God Bless You, Mr. Vonnegut.
And thank you very much, Mr. Vonnegut.

April 11, 2007

沖縄・集団自決の島〜1987年の夏

1945年、終戦間際の沖縄での集団自決を、安倍政権は文科相の教科書検定を通してまたぞろ「軍の強制はなかった」としようとしているようです。そのニュースが報じられてから、20年前に沖縄で取材したその集団自決の原稿をどうにか探し出してきました。従軍慰安婦の問題とも微妙に重なるこの「日本軍の免罪」化現象は、いったい何を意味しているのでしょう。

以下の原稿は、1987年夏、私が直接話を聞いて書いたものです。その夏の、新聞の終戦企画の1回目として掲載されたそのままの原文。
集団自決がどういうものだったのか、これを読んで判断してください(年齢などは20年前の取材時点のものです)。


 戦(いくさ)ヌクトゥヤ 話シブシクネェラン──戦のことは話したくない。照り返す日の光。ガジュマルの大木。白茶けた細い道に赤瓦(がわら)の家並み。島の人たちは聞き取りにくい方言で、日に焼けたシワ深い顔を穏やかにほほ笑ませながら語ることを拒絶する。

 那覇から10人乗りの小型飛行機で約15分、西へ40キロの海上に、慶留間島はある。本土からダイビングにやってくる若者たちは隣の阿嘉、座間味の島々にモーターボートで乗り継ぎ、慶留間を顧みる者は少ない。

 昭和20年3月26日、米軍上陸。慶留間の島民の半数が壕(ごう)の中で自決した。

 島には鉄筋2階建ての立派な学校があった。ひっそりと押し黙る島に、乳緑色の波が打ち寄せる。

 「戦争のこと話してもらうのは大変。学校でも慰霊の日に沖縄戦を語ってほしいとおじいちゃん、おばあちゃんにお願いしたけれど、断られました」。4月に赴任してきたばかりの慶留間小中学校教諭石嶺律子(22)がそう教えてくれた。全島民56人。学童は計5人。すべてが島南側のわずかな平地部に生活している。北側は深い山があるだけだ。

 「みな生き残りですからヨォ」と、学校に近い自宅で中村武次郎(57)は言った。「10年前までは、1人で20人も首絞めたじいさんが生きておったし」

 集団自決。座間味島ではネコイラズとカミソリが使われた。渡嘉敷島では自軍から渡された手りゅう弾とカマが用いられた。慶留間では、申し合わせたようにそれは縄だったという。

 3月23日、空襲。学校など全焼。百余人の全島民が山に逃げた。翌24日、艦砲射撃の間を縫って、人々は焼け残った家財道具をまとめて山へ運んだ。このときのこん包の縄が、自決に使われることになったのだ。

 中村の避難した真っ暗やみの壕には、母親と当時20歳の姉のほかに10人ほどが入っていた。米軍上陸の報が駆け抜けた26日の朝、母親はどこからか3メートルものヒモを持ってきて、姉を絞め始めたのだと中村は話した。

 「私の頭の上で姉さんの脚がバタバタしてましたヨォ。そん時、息、止まったと思います。それから2分くらいでしたヨ、壕の入り口に、知ってる青年と米兵がいて、出なさいと言われた。死んでなかったのは5人でした。あと5分早ければ姉さんは生きておったかもしれんですヨ」

 自決というより、親族同士での殺し合いだった。「生キテ虜囚ノ辱シメヲ受ケズ」の戦陣訓は住民にも強要され、慶留間、渡嘉敷など離島での自決者は合わせて500人とも600人ともいわれている。

 「情報が違っていたです」と、中村の横から妻静子(59)がしゃべり始める。「アメリカさん、よかったんです。じぇんじぇん(全然)いじめません。女、ゴーカンしないし、男、道路に並べて戦車でひき殺しもしない。みんな、友軍が悪かったですヨ。日本軍が食糧ため込んで、阿嘉では老人、栄養不良で死んだですヨ。イモ畑とられて、イモ食ったらスパイだと言って日本刀で切り殺されましたヨ。私、阿嘉でしたからみんな知ってますヨ」

 敵上陸を目前に控えて昼夜兼行の戦闘準備を進めた沖縄では、多くの住民が陣地や飛行場の構築に動員され、軍の機密を知ることになった。日本軍は住民の監視を強め、最後にはハワイなどからの移民帰り、ろうあ者、方言を使う老人までもがスパイ容疑で拷問、虐殺された例もある。

 慶留間には、天皇の人間宣言の前に米兵の“人間宣言”があった。その後、復帰の年まで「日本」は生き残った島民から離れ続けた。島占領後、彼らの気掛かりは、捕虜になった自分たちを日本軍が殺しにくるのではないかという逆転した恐れだったのである。だからしばらくは家には帰らず、山で隠れて寝ていたのだと笑いもせずに中村は言った。

 その山のふもとに、当時犠牲になった38人の子供たちを祭る「小鳩の塔」が海を望んでいる。南の海のダイビングを満喫しようと阿嘉島へ向かう九州の大学生グループの1人は、「いろんなことがあったみたいですね」と強すぎる日差しに目を細めながら照れたように笑った。
(了)
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さて、教科書検定で書き換えを指示されたのは「非戦闘員の犠牲者も多かった。なかには日本軍に集団自決を強制された人もいた」というような記述です。この記述は検定意見後に「非戦闘員の犠牲者も多かった。なかには集団自決に追い込まれた人々もいた」と変わって検定に合格しました。

なるほど、いまの「ニッポン」はつまり、自決に使われた手りゅう弾は「スパイだった島民が軍から盗んだものだ」と言うつもりなのでしょう。そうでなければあるいは、日本刀で問答無用で切りつけるような日本軍に(中村さんの奥さんは「友軍」と呼びました。「自軍」ではない。そのニュアンスの違いを忖度してください)、占領後の強姦と戦車での惨殺を予想した思いやり深さで、「それとなく渡されたのだ」と。そんな状況が、想像できるか。

これは沖縄の人たちに、生きながら虜囚以上の辱めを再度押し付けることです。そして、そう言い兼ねないというのがいまのニッポンの自民党政府です。

22日の参院補欠選が福島と沖縄で行われます。
昨10日夜、自民党の参院議員会長青木幹雄は、この2つの選挙で「2勝すれば安倍政権は続くし、何でもできる」と話しています。2勝すれば夏の参院選でも余勢を買えるというのです。
「何でもできる」──違憲と判断されてきた集団自衛権の憲法解釈の再検討も安倍自身が口にしました。なるほど。

汚いものに蓋をして「美しい」と言い、悪いことはしていないと「国」の自信を煽る。
そこに見える大いなる時代錯誤と厚顔無恥は、すでに正気の沙汰ではありません。

沖縄は、集団自決に追い込まれた人びとの生き残りたちは、こんな「ニッポン」に選挙を通じて何と言うつもりでしょう。

April 10, 2007

選挙ブルーにめげずにアフタケアもね

おそらく選挙ブルーの方も多いかと思います。

「石原圧勝」との報道に、「あんなに燃えたぼくの気持ちはどこにも形にならずに消えちゃった」と。

でも、「あんなに燃えたきみの気持ち」はすごく形になってます。もう新聞やテレビでは分析されているかもしれませんが、次の数字を見れば今回の選挙結果の読み方はそんなにがっかりするもんでもありません。

前回の都知事選、4年前、開票結果は次のとおりでした。

石原慎太郎  3,087,190 無所属
樋口恵子    817,146 無所属
若林義春    364,007 日本共産党
ドクター・中松 109,091 無所属
池田一朝     19,860 無所属

で一方、今回の開票結果は次のとおりです。

石原    2,811,486
浅野+吉田 2,322,872

何が読めるか? それは、投票率は前回より9.4ポイント以上も増えたのに、石原は28万票も減らしているということです。
対して、反石原票は今回、浅野と吉田(共産)を合わせただけで230万票もあった。前回と大違いでしょ?

これを考えると、各紙で見出としている「石原、浅野を110万票差で圧勝」という見方は、事実としてはそのとおりながらもニュアンスはちと違う。110万票差というのはすげえが、「常勝・石原」への批判票のこの増え方は尋常じゃない。そうじゃない?
この辺を読みましょう。50万票差です。これはどのくらいか? 総有権者1000万票の5%ですか。これ、そんな自慢できるような圧勝じゃないでしょう。ね?

選挙ブルーに関しては、私もエラそうなこと言えないです。ゴアがブッシュに負けたときには私、思わず深夜未明に家出をしてコニーアイランドまで地下鉄に乗って海を見に行ったし。はは。

石原も、すでに傲慢復活で開票の夜からぶちかましてますが、それも想定内でしょ。浅野が負けるのも想定内。でも、石原の勝ち方はみっともなかったわけで、その辺、強調してやればあの傲慢口も少しは黙らせられるのにねえ。

さて、まだこれから統一地方選の後半戦があります。また、ちょっと選挙に行こうかと思ってみましょう。

それともう1つ、新宿2丁目に浅野を呼んでくれた人、もう一回ご苦労ですが、浅野陣営にお礼メールでも送ってください。「その節はお世話になった」と。「LGBTコミュニティの応援も今ひとつ届かなかったのは残念無念だが」と。「しかし浅野さんは歴史を作ってくれた」と。「私たちを政治に向かわせてくれた」と。

浅野の2丁目遊説の言葉はちょっと(かなり?)頼りなかったけれど、これを機に彼を取り込む言質は取っているわけで。わかってないなら、わからせてあげることです。ま、ちょっと政治的にドラマクイーン入ってますけど、そういうねぎらいのメールですね。そういう腹ゲイ。

秘書の人へでもいいからさ。こういう後始末、そして次へのつなぎ、はすごく大切です。浅野、これからどうするにしても取り込むべき相手でしょう。政治に再度出てくるかもしれないんだし、いずれにしてもテレビには戻るでしょうしね。

んで、もう1つ、夏の「東京プライド」のパレードに浅野を招待してください。来るか来ないかは問題ではない。2丁目に来てくれたんだから、お礼の意味として招待するのは礼儀でしょう。少なくとも私たちのその姿勢は見せてあげるのは礼儀。んで、もちろんメディア向けの事前広報として、招待者の名前をプレスリリースに記載しちゃうのね。その辺、周到に。へへ。

LGBTが欧米諸国でマーケットとして認められてきたのは、「恩義に厚い(Loyalty)」ってこと。礼を尽くすことからすべては始まるのです。

そうそう、そういうの、個人で勝手に出してもよい。ゲイです、ってきちんと書き記した上でね。
宛先としては、メール、選挙期間中のキャンペーンは
yumenet@asanoshiro.org
だったんだけど、これはまだ通じるのかな?
郵便宛先なら次のとおりです。

〒252-8520
神奈川県藤沢市遠藤 5322
慶應義塾大学湘南藤沢キャンパス
総合政策学部
浅野史郎

民主党に手紙を出すのも、いいかもしれません。
メールは鳩山か円より子宛がよいでしょう。
info@dpj.or.jp
民主党web-site 問い合わせページ
「件名については、できるだけご意見やご質問の内容がわかるように」とのことです。
また「本文中に送信者の氏名が記入されていないメールには基本的にお返事いたしかね」るとのこと。ってことは、ふつうはお返事来るのね。

スネールメールは
〒100-0014
東京都千代田区永田町1-11-1
民主党本部
民主党幹事長
鳩山由紀夫

〒160-0022
東京都新宿区新宿1−2−8 國久ビル 2F
民主党東京都総支部連合会
円 より子

April 08, 2007

選挙ですよー

まだ時間あるよ。
日本のみなさん、選挙あるところは、選挙、投票に行きなはれ!

あのね、「オレ1人くらい行かなくても」って思うのは違うんだって。

オレ一人くらい行かなくても、ってきみが思うってことは、統計的に、きみのような人たちの多くがそう思うってことなんだって。
もしきみが、オレ一人でも行こうかな、って思ったら、統計的に、きみに似た人たちの多くは、オレ一人でも行こうかな、って思って行くんだって。

つまり、いま、きみが行くか行かないか、行こうと思うか思わないかが、全体の動向に影響するんだ。それは、すでにきみ1人の問題ではないんだって、知ってた?

これ、すごい論理だよ!

ぼくらは、たった1人でも世界を変えられるんだ。
つーか、1人から始まるものでないと、信じちゃだめだす。

さー、石原を落としてください。
10年後の未来のない人に、未来を語らせてはだめだ。

まだ5分あるなら、それだけで投票所に駆け込めるよ! ほい!

April 05, 2007

ワールドインデックス更新しました

今回は目前の統一地方選挙、および7月の参院選挙を前に、LGBTと政治との歴史と意義を書いてみました。
上のバナーの「World Index」をクリックして飛んでください。

April 03, 2007

浅野史郎の二丁目遊説

次の記事はスポーツ報知とスポニチの記事です。

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浅野氏×ゲイ 新宿2丁目で異色コラボ…4・8都知事選

 東京都知事選(4月8日投開票)に向け残り1週間あまりとなった31日、前宮城県知事・浅野史郎氏(59)がゲイタウンとして知られる新宿2丁目に登場した。今知事選で候補がこの地区を訪れるのは初めてで、現場には約500人が群がった。この日は民主党・菅直人代表代行(60)とも遊説した浅野氏。幅広い支援を呼びかけながら、いよいよラストスパートが始まった。

 「ヒュー♪」「かっこいいわヨ」浅野氏が現れると一気に“黄色い声援”が飛んだ。狭い路上には約500人が集まり、まさに大歓“ゲイ”ムードとなった。

 マイクを握った浅野氏は「ここは通りがかったことはありますが、来るのは初めて。ちょっとおびえています」と恐縮気味。同性愛者らに対する具体的な政策について聞かれ「基本的にありません」と答えると「それじゃあ駄目だろ!!」と“黄色い声援”は野太いヤジに変わった。

 浅野氏が「(都政が住民らの)邪魔をしなければいい。誰にも迷惑かけていないんですから」と説明すると、住民らも納得した様子。普段はライターのエスムラルダさん(36)も「実際に来てくれて印象が変わった。社会的弱者が生きやすい社会にしてほしい」と話した。

 イベントには同性愛者であることをカミングアウトしている大阪府議の尾辻かな子氏や、性同一性障害を告白した世田谷区議の上川あや氏らが駆け付けた。会自体は浅野氏を支援する同性愛者の団体が主催しているが、選対関係者によると「浅野本人はそういう性的嗜好(しこう)はない」という。ただあまりの熱気に浅野氏も「(選挙戦で)一番の盛り上がりだったね」と苦笑した。 (報知)
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「新宿2丁目」は浅野氏“大歓ゲイ”

 前宮城県知事の浅野史郎氏(59)が31日、ゲイタウンとして知られる「新宿2丁目」でマイクを握った。石原慎太郎知事(74)がかつて「2丁目」の景観を条例で規制する発言をしたため、同地区では「街が変えられてしまう」との危機感が広がっており、選挙に注目が集まっている。浅野氏はセクシュアルマイノリティーに対して“保護”する立場を示し、聴衆から拍手を受けた。

 浅野氏は「ここら辺は通りかかったことはあるんだけど、来たのは初めて。少し今、おびえています」とあいさつ。すると、約500人の聴衆からは笑い声が上がり、「おびえちゃダメ!」の野太い声のヤジが飛んだ。

 ゲイの街を揺らす原因は昨年9月の石原氏の発言。五輪招致に絡んで「新宿2丁目」について一部インタビューで「美観とは言えない」として「規制力のある条例をつくる」と語ったため、ゲイタウンは大騒ぎ。そこで都知事選候補で石原氏の最大の対抗馬といわれる浅野氏を集会に招くことになった。注目度は高く、浅野氏も「私の演説会でこんなに集まるのは珍しい…」とビックリ。

 「知事になった場合、セクシュアルマイノリティーに対してどんな政策をするのか?」と司会を務めた女装したフリーライターの男性(35)に問われ、「迷惑をかけているわけでないなら、自由にやれるように…というのが基本的な姿勢。邪魔はしません」と答え、大きな拍手を浴びた。そして「シロウさ〜ん」の声援を浴びながら20分弱の遊説で「2丁目」を後にした。

 演説後、27歳の男性は「ここで演説をする人はなかなかいないし、セクシュアルマイノリティーに対する理解を示してくれたと思う」と感想。30代の男性は「好みの候補者?誰っていうより、イシハラがイヤよ〜。弱者に対する発言がひどいじゃない!」と激怒。「ゲイはこれまで投票に行かない人が多かった。でもこの選挙の注目度は高い。この街には5万票があると言う人もいる。どう動くのか楽しみね」と話す人もいた。 (スポニチ)
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報知の嫌らしい原稿の書き方はさておき、一般紙の報道はなかったようですね。ちょっと数紙の記者に聞いてみたところ、劣勢の浅野は後半戦に向けてどこにでも顔を出すので、いちいち付き合ってられないという心理がデスクレベルで働いているとともに、都知事選では性的少数者問題は争点でもなんでもないし、という感じが背景にあるようです。

私としてはしかしこれは単に一地方としての東京(都知事選)レベルの話ではなく、性的少数者の(初の一連の)政治的動き(の1つ)という意味では全国ネタだと思っているのですが、まだそういうきちんとした人権意識が日本の一般メディア内に育っていないのでしょう。だからキワモノ記事としてスポーツ紙だけが取り上げた。テレビニュースはあったようですが。

浅野に対しても、二丁目関連のあちこちから「ちょっとガッカリ」との声が聞こえてきます。しかしふつうはあんなもんなんですよ。札幌の上田さんが特別なのね。それより、ここまで連れてきた裏方さんたちの努力にまずは大いなる敬意を表したい。これは確かに歴史を作ったのだと思います。ほんとうにごくろうさんでした。

そのうえで敢えて敢えて敢えて苦言を呈させていただけば、浅野にきちんと事前にこの二丁目遊説の意義をレクチャーしてやるやつがいなかったようなのがちと残念です。すくなくとも話すべきポイントを箇条書きにでもして秘書に渡してやればよかったね。政治家なんてそういうもんなんだ。いろんなところに気を配らねばならないんだから何から何まで知ってるってもんじゃない。だからこそこっちから教えてやって初めてナンボのもんになる。教えてやれば百年前から知ってたような一丁前の話をしてくれるんです。擦り合わせもせずに質問ぶつけたらやはりちょっと苦しいかなあ(もし擦り合わせしてたのならごめんなさい)。 もっとも、知らないことを知らない、まだ考えてない、とはっきり言える浅野は、そういうところがいいのかもしれないしね。それにしてもLGBTコミュニティに関する基本認識は、教えてやらないとなんせ情報が流通していないんだから。

その、情報の欠落の問題です。
今回の都知事選で、一般都民は歌舞伎町がきれいにかつ安全になって(?)、きっと暴力団や外国人犯罪集団も駆逐されつつあると思っているのです。これはまったくもって歓迎すべきことだ、と。
おなじようなことが“性と享楽の魔界”である二丁目なる場所で行われて何が悪い、という受け取りなのです。思い起こしてもご覧なさいな、二丁目にデビューする前に、二丁目がいかに目くるめくほど恐ろしく兇まがしく妖しいものとして私たち自身にさえも映っていたかを。そこが浄化されるというのです。いい話じゃないですか! 一般には、「二丁目は性的少数者の数少ない命綱のコミュニティなんだ」とだけ訴えても、「へん、歌舞伎町だって暴力団の命綱の場所だろうが。同じこった」と返されるだけかもしれません。

そういう印象をくつがえせる、そうしたことにきちんと対抗しうる言説を、つまり「歌舞伎町」と「二丁目」はぜんぜん意味が違うのだということを決然と示しうる言葉の群れを私たちは必要としているのですが、それはまだまったく一般都民レベルには届いていないのでしょうね。それで石原の父権主義的な話し振りだけが彼らに響くという構図。断固たる上意下達でディーゼル車も排除して都内の空気はきれいになり、あの四男のスキャンダルの逆風はもう止んでしまったみたいだからそれで「石原で何が悪い」となっているんだ。傲慢、無礼、差別体質、それだけでは政治的にはまったく対抗できないのです。 なぜなら、都民はそれを飲み込んだ上で石原の父権を求めているのだから。強い父親でそういうオヤヂなやつはよくいる話、つまり慣れちゃってるんだから。そこをひっくり返せる物言いが、どうしたらできるのか。

遠く見ているだけの私には何を言う資格もないですけれど、裏方のプロモーターたちは、こういう選挙の時には遠慮なんかしてる暇はない。ほんとうに大変なのです。ご存じのように、人の好い素人じゃダメ。子供でもダメ。選挙で求められるのは、えげつない裏方と笑顔のおもて方。あたりかまわぬ挨拶と謝辞と、悪魔も騙せるほど頭の切れる参謀。マーケティングに精通したアイデアマンたちと、そしてそれを恥も外聞もなく実行してくれるピエロたち。 おお、かなりの人数が必要。

この選挙、きっと多くの人が傷つくでしょうが、どうせ傷つくなら覚悟の上で予定的にしっかりと傷つき、しっかりと這い上がり、さらに強い大人になろうじゃありませんか。ね。