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May 29, 2007

現職閣僚の自殺が示すもの

 先週末から仕事で訪れた日本は、5千万件の公的年金記録消失という愕然たる不祥事に揺れ、今度は松岡農水相の自殺でとんでもないことになっています。

 緑資源機構の官製談合事件で関連法人から政治献金を受けていたり、地元熊本で暴力団との関連を取りざたされたりといろいろある人なので自殺の背景はまだ不明のところも多いんですが、ひとつ、あのナントカ還元水問題の「法に従って適正に報告している」一点張りの答弁はどうも政権や自民党国対からの“強要”だったらしいことはわかってきました。

 たしかにね、あれだけ追及されてなに1つ答えないあれだけの厚顔は自分1人の判断では続けられるものではないでしょう。「答えるな、これで行く」という党中枢からの指示があって初めて持ち堪えられる(ってか、まあ、結果的には持ち堪えられなかったわけですが……)。

 それにしても松岡ってこんなに弱いタマだったっけ? というのが第一報での感想でした。直接の関連ではねいですけど、この弱さと対照的に、安倍内閣の「強気」に関して朝日新聞が29日朝刊1面で「年金問題では当初、野党側の追及に『与党は3分の2の議席があるから押し切れる』(首相周辺)との見方も根強かった(略)」と書いています。この強気がいろんなところの金属疲労のようなものを逆に表面化させているんでしょう。

 そもそも安倍政権を支える「3分の2の議席」とは、じつは安倍政権の存在とはまったく関係なく、前の小泉首相が郵政選挙で国民の信を問うとして獲得した数字です。これは安倍への信任の数でもなんでもない。

 ところがその圧倒的多数という他人のふんどしを使って、安倍は郵政民営化反対議員の復党を断行し、「女性は子供を産む機械」の柳沢厚労相をかばい、持論の憲法改変を目指して国民投票法を可決させ、教育3法、年金法の採決を強行した。

 で、とにかく謝らない。靖国問題でも答えない。国会で野党に攻められると顔を真っ赤にして気色ばむ。あれよあれよという間の、じつに強気の国会運営なわけです。しかしナントカ還元水を含む事務所光熱費問題や献金不記載問題などで同じく「説明しない」作戦を決められた松岡にとって、緑資源問題はロバの背を折る最後の藁だったのでしょうかねえ。

 安倍は「任命権者として責任を感じる」とコメントしていますが、むしろ政権の弱体化を避けるために松岡を辞めるに辞められず、かつなにも答えられないという「生殺し」状態に置いたことにこそ責任がありわけです。日本の各紙は安倍が松岡を「かばい続けた」という表現で報じていますが、かばったのではなく私にはむしろさらし者にしたような印象です。強権というのは、ときにここまでむごい。

 そうこう書いているうちに今度は緑資源の前身公団の元理事が飛び降り自殺というニュースまで入ってきました。立花隆氏の「メディア・ソシオポリティクス」によれば、「実は10日ほど前に、松岡農水相の地元(熊本)関係者の有力者(地元秘書ともいわれ、選挙違反・買収容疑で逮捕されたこともある)が、謎の自殺をとげている。死んだ理由はよくわからないが、もともと黒いウワサが山のようにあった松岡農水相のカゲの部分を最もよく知る男といわれた男である。その男については、「あの男の周辺を洗ってみろ。松岡農水相のボロが次々に出てくるはず」というタレ込みがマスコミなどにも流れてきていた。」とも書かれていて、これはほんと、なんかあるのかもしれませんね。

http://www.nikkeibp.co.jp/style/biz/feature/tachibana/media/070528_yami/index.html


 こうして何人もが死んでも守らねばならなかったその「真実」とは何なのか? 松岡の遺書の1つには「内情は家内が知っている。どこに何があるかは探さないでほしい。そっとしておいてください」とあったそうです。

 死者にムチ打つ気はないけどさ、もしそれが公的なものでも暴かないでくれという願いであるなら、こんな身勝手な大臣を作った安倍首相の任命責任も確かに存在するでしょう。いや、安倍を直撃する疑惑自体が存在するのかもしれませんわね。

May 12, 2007

国民に軍艦を差し向ける政権

案の定、拉致問題は北のテロ支援国家からの指定解除に何の影響も与えないということを、シンゾーは先日の訪米の際にコンディ・ライスから聞いて知っていたそうです。で、ジョージとの首脳会談のときには「どうにかならんですかね」と、どういう口調だったんでしょうかね、ファーストネームの仲で中途半端に親しみを込めたんでしょうか、お頼み申した。で、朝日によればジョージWは「拉致問題を指定解除の前提条件にするよう求めた首相に「考慮に入れる」と語り、法的な処理とは別に政治判断が働く余地も残した。」となっているが、そんなこと、あるんでしょうか。朝日も甘っちょろいこと書くなあ。

先日の、この3つ前のブログ「ワシントン詣でが明かしたもの」でも書きましたが、憲法9条改変もアメリカ側の要請です。「普天間はスケジュールどおりに進める」と沖縄の辺野古に海上自衛隊の軍艦を派遣したのもアメリカの要望に添ったものです。で、ファーアストネームで呼ばれてヤニ下がっているうちにこのざまです。そういえば異常プリオン牛肉輸入禁止解除も、アメリカのご希望どおりの進み具合でしょう。ナメられてる、ナメてないという言い方はマチズムっぽい言い方でいやなんだけどさ、理が通らない、というのは当たっています。

こういう売国的行為、ひごろ猛々しいネット右翼だけでなくホンモノの右翼の連中はさぞ怒り心頭なんだろうと思ったら、どうもわたしにはその動きが見えてこない。なんででしょう?

日本青年社という住吉会系の右翼団体があります。過去、領土問題で先閣諸島の魚釣島に上陸したり、雑誌「噂の真相」を襲撃したりとさすが暴力団つながりの右翼(ってか、右翼団体ってのはみんな広域暴力団の系列団体なのですが)。いまの自民党幹事長の中川秀直が関係を取りざたされて当時の森内閣官房長官を辞任させられたり、こないだ結婚式招待の詐欺で有罪になった有栖川宮なんとかっていうインチキ皇族が名誉総裁だったり、となかなかの胡散臭い人脈でも知られます。んで、新潟の救う会の会長がこの青年社のエラいさんだったりもするわけです。そんでもって、住吉会が覚醒剤や拳銃を入手している先は北朝鮮。そんでシンゾーとかシンタロー(やつらのことを真面目な学生と呼んでる都知事です)とかがこれとどう絡んでくるか。まあ、証拠も持っていないうちになんか書くと真っ赤になって怒って裁判にされたりしますから、くわばらくわばら。

その青年社、首相官邸に街宣車でも繰り出してるんだろうか?
さらにはオピニオン雑誌でかまびすしい文化人右翼たちはどう反応しているのでしょう?
ニューヨークにいて困るのは、新聞に出る週刊誌や月刊誌の見出広告が見られないことです。あれ、けっこう便利なんですよね。新聞のウェブサイトで欠落しているのが新聞広告なわけで。

閑話休題。

今日書きたいのは、横須賀にいた海上自衛隊の掃海母艦「ぶんご」が沖縄近海にむけて出港したことです。
沖縄テレビは次のように伝えています。「来週にも行われる調査機器の設置を支援するものと見られています。防衛施設局の事前調査で海上自衛隊が関与するのは極めて異例な事です」

琉球新報によれば、「塩崎長官は、海自を動員するとの一部報道について「方針を決めたとはまだ聞いていない。一般論で言えば、反対運動や反対行為を排除しようという任務は、警察、海上保安庁が負っており、自衛隊は負っていない。報道として不正確な話ではないか」と述べ、県警や海保とともに警備に加わるわけではないとの認識を示した」だそうです。

沖縄タイムズでは「艦船にはゴムボートやボンベが積載されているが、海自が実際に調査で対応するかどうかは不透明だ」と書かれています。

では、なんのために行くのか?
これは反対派市民の威力業務妨害、公務執行妨害をあらかじめ想定しての、それらを恫喝するだけの大いなる国威の見せつけるために他なりません。「反対運動や反対行為を排除しようという任務」は実際にはしない、しかし、軍艦の威容を見せつけ、反対派に大いなる心理的プレッシャーを与えるにじゅうぶんな効果を持つでしょう。

同じく沖縄タイムズ。
「仲井真弘多知事は十一日、「自衛隊との関係がまずまずの状況になってきている中で、県民感情を考えると、あまり好ましいとは思わない。(反対派の)排除というのは自衛隊の役目ではないと思っている。誤解を生むようなことはなるべく避けた方がいいのでは」と否定的な見解を示した。」

国軍が本来守るべき国民に対峙するという事態が起きる場合、歴史上それはほとんどの場合で、その国家の、あるいはそのときの政権の倒錯的な末期症状を象徴します。あの60年安保の大抗議デモが国会周辺で繰り広げられたときに、それこそアベシンゾーの祖父である岸信介が自衛隊の治安出動を要請したことがありますが、そのときですら当時の赤城防衛庁長官が出動を拒否した。

さて、アベはまたそろりと何食わぬ顔で、退陣に追い込まれた岸信介の仇を討つつもりです。この2人が、いずれもアメリカがらみで軍事政策の変換に取り組むというのもあまりにあからさますぎてえげつないことこの上ありません。ネット右翼たちも瀕死の小田実の悪口を書いてるヒマがあるのにどれが焦眉の急か考える時間がないという情けなさ。いや、ないのは時間じゃないのでしょうな。

May 10, 2007

瀬戸内寂聴と小田実

寂聴さんが、こんなことを書いていた。
涙が止まらない。くそ。酔っぱらってるせいだろう。
同時に、寂聴に、嫉妬している。こんな文章。こんな手向けを書けるのだなあ。

東京新聞からの引用。ほんとは著作権のことでこういうことはだめなんだと思う。でも、人の死の前で、著作権も何もないだろう。

無断引用御免。

東京新聞_2007年05月02日 夕刊文化面

あしたの夢 瀬戸内寂聴

小田実さんとの仲

 小田実さんとの交友は旧(ふる)い。小田さんが『何でも見てやろう』のベストセラーをだしたころ、もうお友だちの一人だった。今でも鮮明に覚えているのは、私が東京・御茶ノ水の駅から駿河台の坂を下りていったら、下の方から小田さんが上がってくるのに、ばったり出逢(であ)った。
 坂を上がってくる若き日の小田さんがとてもいきいきと魅力的だったことも忘れていない。ベ平連の運動で代表者として華々しく活躍しているころは小田さんの周りは若い知的な女性たちが群れ集っていて、時代の思想的ヒーローのように見えた。

 巨(おお)きな体に無造作に服を着て、マフラーを巻きつけただけのスタイルが、粋に見えたのである。女性のファンは小田さんの文学より、存在感に憧(あこが)れている人の方が多いように見えた。つまり、七〇年安保時代の市民の良心の象徴として、大げさにいえば神さまであった。すでに混迷の相を表していた世相の中で、若者たちは、力強い指導者を求めていたのだ。大きな声で、自分の信念を自信を持って語る小田実は、その頼もしい風貌体躯(ふうぼうたいく)とともに、頼りがいのある男として、安心感を人に、特に女に与えた。そして全身に不思議な色気があった。

 この魅力的な小田実と大方半世紀に及ぶつきあいの中で、一度も艶(つや)めいた関係に及んだことはない。いつでも相方に恋人がいたためでもあろうが、恋の相手より、もっと肉親的な友情につながっていた。

 映画界で最高の人気スターの岸恵子さんが、小田さんの本を読んで感激して、逢いに行ったことがある。その時、小田さんは病気で、徳島のお兄さんの病院に入院していた。恵子さんは東京から徳島まで飛んで行ったのだ。岸恵子さんは文学好きで読書家だったから、小田さんの本に興奮したのだろう。

 さて、病室に入って恵子さんはいかに小田さんの本に感激したかを、熱っぽく伝えた。一時間もいたのか、やがて暇(いとま)を告げた岸恵子さんに向かって、ベッドの小田実が言った。

 「ところで、あなたはどなたですか」

 この話は、たしか、小田さんからじかに聞いた。その後、フランスの岸さんのところへ小田さんが訪ねている。帰国した小田さんと、また街角でばったり逢った。小田さんの服は、ぐっとセンスがよくなって別人のようだった。

 「わっ、岸恵子に磨かれて変身しちゃった!」

 私の言葉に、にやっとして、小田実は幸福そうな笑顔を見せた。

 小田さんが玄順恵さんと結婚した時、たくさんの女たちが失望したのを聞いている。小田実が普通の男のように結婚するなんて! 彼女たちは怒っていた。

 新妻を私は小田さんから紹介された。美しい聡明(そうめい)な若い彼女は、小田さんを惚(ほ)れきったまなざしでうっとり見つめ、幸せそうだった。小田さんの甘い表情も幸福そのものだった。二人の間にならちゃんが生まれた。

 私が敦賀の女子短大の学長をしていたころ、講演会の講師として小田さんにお願いした。小田家三人家族がそろって敦賀入りしてくれてとてもうれしかった。

 先年、岩波書店から、同じ一九二二(大正十一)年生まれの鶴見俊輔さん、ドナルド・キーンさん、私の鼎談(ていだん)形式で『同時代を生きて』という本が出版された。その時、鶴見さんとキーンさんが小田実について、実に熱烈な好意を持って、文学と人となりを語ってくれた。私はなぜか自分の出来のいい弟か息子をほめられているようで幸福な気分で聞いていた。

 小田実から突然、長いファクスが届いた。体調の悪い中、フィリピンで起きている民衆の弾圧を告発する「恒久民族民衆法廷」の判事の一人としてオランダのハーグに出かけたり、古代ギリシャの民主主義と自由を裏から支えた植民都市を訪ねてトルコに出かけたりしていた小田さんが、がんの宣告を受けたという。私はあわてて電話をいれた。

 「もう手遅れと医者はいうんや、もっと生きたいよう、死にとうないわ。寂聴さん、元気になるお経あげてや」

 声は明るく冗談めいていた。私は絶句して、泣いていた。(せとうち・じゃくちょう=作家)

May 09, 2007

小田実のことなど

小田実があと数カ月で死ぬのだという。胃がんが、けっこう末期のものが、見つかったとニュースになっていた。小田が死ぬのか。そういう時代になっていたんだ、と思った。物理的にも、思想的にも。

そう思ったのは数日前にこのニュースが報じられたときに、ミクシの中でその死に関して言挙げされたさまざまな連中の言辞の醜さからだ。こういうのはいまに始まったことではないから特筆するようなことでもないだろうけれど、小田は90年代か、「朝まで生テレビ」に出ていたらしく、それで新しい世代を、いい意味でよりも悪い意味で引っ付けたんだろう。きっと連中は、「実」が「まこと」と読むことも知らなかったりするんだろう。悪貨は良貨を駆逐する。

学生時代、東京に出たてのころは何でも珍しくてよくいわゆる有名人文化人知識人の講演会なんぞに出かけていたものだ。小田はそのころ岩波から「状況から」という同時代時評を出して、それは大江の「状況へ」という本とカップリングになっていて、この「から」と「へ」の助詞の相違がこの2人の立場の相違を表しているようで面白かった。「状況から」はとにかく現場主義だった。具体例にあふれた行動主義の本だった。そんな小田の話を何度か直に聴きにいった。

小田実の思想はアメリカの草の根民主主義のいちばんの実践主義的な理想を体現したものだった。日本の戦後民主主義の文化人がみんな、というかほとんどが、青っちろいアカデミアからのそりと首を出して何かを言っては言いっぱなしだったのに対して、このひとはとにかく体を張ってた。知識人が男らしくても、いや、こんなに雄々しく熱く勇ましく怒りに満ちていてもいいのだということを教わったのはこのひとからだった。「世渡り」ではなく「世直し」だということも、このひとの本から発想した。このひとは言うことはみごとに人道的な優しいものなのに、「殺すな!」というその柔さの背後にじつに硬派なマチズムがあったわけだ。マチズムはふつう、「殺せ!」に向かうはずなのにね、このひとのマチズムに裏打ちされた「殺すな!」は、だからいまでもだれも論破できない。というか、それを見越して発されたタイトルだからさ。そのことをいま、どれほどの日本人が知っているんだろう。小田に匹敵するのは、いまじゃ一水会の鈴木邦男くらいかもしれんなあ(笑)。

あの当時、喧嘩の仕方はこの人と中上健次と吉本隆明から教わった。3人とも個人的にはとてもやさしい人で、照れ屋で私語がへただった。なのにいったんペンを取って敵を叩くときはじつに徹底していた。中上さんはペン以外でも叩いてたけど。そうして完膚なきまでに、逃げ道もすべて塞いで追いつめる。それは呆れるほどに爽快な職人芸だったし。んで、この3人はそう仲がよいわけではないというのも知っていた。大人って面白いなあって彼らを眺めながら思ってたもんだ。あはは。

小田のニュースがあったと同じ日、朝日のニュースで次のようなのがあった。

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後ろに座る学生、教員に厳しく自分に甘く 産能大調べ
2007年05月05日13時13分

教室の後方に座る学生はテストの成績は悪い一方、講義への評価は厳しかった──。産業能率大(神奈川県伊勢原市)の松村有二・情報マネジメント学部教授が約140人の学生を対象に調べたところ、そんな傾向が明らかになった。自由に座席を選べる講義では、前に座る学生ほど勉強に取り組む姿勢も前向きのようだ。
(中略)

試験では、前方の平均点が51.2点だったのに対し、後方は30.9点と、20点以上開いた。一方、授業評価では、「配布資料の役立ち具合」「教員の熱意」「理解度」など全項目で前方より後方の方が厳しい評価をした。後方グループには、教員に厳しく、自分に甘い姿勢がうかがえる。
(後略)

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なんだかネットでギャーたれているやつらの印象と重なる。挑発の言葉だけがお上手。ところがみなさん二の句が続かない。映画のセットと同じ。看板やファサードのカッコよさだけを気にして、組み立てを気にしない。四六時中パンチラインだけを拾い集め、単文でしか話が出来ない。まるで玄関の呼び鈴押しのイタズラみたいに一発ぶちかましてさっと身を隠す。そうやって相手をけなすことだけで自分が何者かであるような、その効果だけに縋って生きている。

そうせざるを得ない生き方というのもあるのだろう。もうやり直しのきかない人生。そうやって憂さを晴らすしかない人生。

話はどんどん飛ぶけれど、やはりこれも昨日TVジャパンでやっていたNHKの憲法9条をめぐるドキュメンタリーで、若者たち、フリーターたちで戦争を望む連中たちの声を紹介していた。もうこんなにガチガチに社会が決まっていて自分たちはもう浮き上がる術もない。あとは戦争にでもなってみんなめちゃくちゃになればその暁にはどうにかなるのではないか、という見通し。

そういうのはむかしからある。一発逆転願望。ただし戦争の影がまだ長く伸びていたころにはそれは革命願望だったりした。それから終末願望。勉強していないテストの前夜に大地震が来て学校が壊れればいいのにと妄想したり、核ミサイルで世界が終わりになればどうにかなるんじゃねえかと思ったり。

でも、自分から進んで戦争にするというのはなかったなあ。
マイクを向けられていた30くらいのフリーターの1人は9条が変わったら軍隊に入って職業訓練にもなるし、とか言っていた。いますぐにでも自衛隊に入ればそんなのもすぐに手に入るという選択肢は彼にはないんだろうか。

戦争、戦争。
戦争はするまでが花。
してしまったらみんな後悔する。
だいたい、死体も見たことのない連中がいちばん勇ましく、死体への想像力がないものだから実際にそれを目の当たりにしたら吐く。
あるいはショックで思考停止になる。
で、その後は死体愛好になるか、というと、あまりそううまくは事は運ばない。みんな心に傷を負って壊れていくのだ。そうしてその回復途上で反戦を唱えるようになる。そのときは遅い。あるいはすでに時代はぐるりと一巡してる。あわよく生き延びたひとびとの周りで友人たちはもう亡くなっている。石原慎太郎が制作総指揮をしたという「俺は、君のためにこそ死ににいく」とかいう戦争映画のタイトルの、すでに破綻したはずの論理のゾンビさ具合よ。やれやれ。
まあ、この映画がヒットするほど日本人はどうしようもないとは思っていないが。しかし岸恵子もなんでこんなのに出たんだろう。私が愚劣だと言っているのは「特攻の毋」のことではない。この映画を作る連中の意図のことだ。

しっかし、小田も体調悪いときにどうして病院行かなかったかなあ。胃がんなんて定期検査して早めに見つけられるのに。早めに見つかれば治せるのに。まったく、なあ。残念だなあ。手術も出来ない状態だって、どうしてそれまでほうっておいたかなあ。

小田は、人間は畳の上で死ななければならないって言っていた。それが人間の死だ、と。しかもそれは畳の上で胃がんで死ぬことではなくて、きちんとしっかり平和に死ぬということのはずだったんだよね。

無念だなあ。
本人はそんな素振りはおくびにも出さぬだろうが。

May 08, 2007

ワシントン詣でが明かしたもの

日本の新聞が何を有難がってか「ジョージ、シンゾーとファーストネームで呼び合う仲になった」とうれしそうに記事にしているのを見て、いったいそのどこがニュースなんだとひとりで突っ込んでいました。「ロン、ヤス」の場合は短縮形でもあるのですこしは意味があったのかもしれませんが、「ジョージ、シンゾー」ではひねりもなにもあったもんじゃありゃーせん。当たり前の話だってだけです。

ゴールデンウィークは日本の政治家たちの外遊ラッシュでした。その中で安倍と大臣格上げになった久間防衛相、それに麻生外相という閣僚を含め、ワシントン詣では計30人ほどにもなったそうです。

で、安倍は従軍慰安婦問題でこれまでの御説とどうにもチグハグな感の否めない「謝罪」を強調して意味がわからない。久間も「イラク攻撃は誤り」発言や「(普天間基地移転で)やかましい文句をつけるな」発言、さらにはイージス艦機密漏洩事件の不祥事をひたすら謝る旅になってしまいました。結果、軍事機密保持協定に合意したという、まんまと米国の術策にはまったようなことになった。

これが野党から「強硬右傾化」政権と批判されている同じ政府なのか、「押しつけ憲法を自主憲法に書き換えるぞ」と力む前に、自分の自主自立を図ったほうがよいような体たらくです。

久間が撤回した「イラク攻撃は誤り」はいまでは当の米国人の大半が結論づけている正論なんですよ。それでブッシュ政権は支持率28%という最悪状態になっている。それを一度チェイニーや中央軍司令官が会ってくれなかったからといってどうしてビビることがあるのか。ビビっているのはブッシュのほうなのです。英国のブレアが退陣寸前なのも、イラク戦争で米国と歩調を合わせているのが背景です。ブッシュ政権が大きな顔をしていられるのはいまや日本政府に対してだけなのです。

その大きな顔にこれまたすくんだか、普天間基地問題は沖縄の人たちに説明する前にシンゾーが「合意どおりに着実に実施する」とジョージとの首脳会談で表明してしまった。自国民に伝える前に米国大統領に約束する首相とは何者なのか? まさに主客を転倒して、それでどうして美しい国になれるのか、わけがわからない。

以前から繰り返しているように、米国では来年の大統領選で民主党政権が生まれるかもしれません。今回のワシントン詣でで、日本の政治家たちにそうした民主党のキーパーソンとの個人的なコネクション、それこそ報道用ではないファーストネームの関係を模索した陰の動きがあったのかどうか……はなはだ心もとないところです。

どんなに日本がおもねってみても米国という国は結局はそのときの政権の都合の良いようにしか動きません。いつのまにか北朝鮮の拉致問題が国務省のテロ白書で昨年の3分の1の記述に縮小され、北担当のヒル国務次官補が「いまはわれわれが辛抱すべき」と北擁護に回っているのですからね。アベちゃんよ、どうしてお得意の拉致問題をジョージ君のケツにねじ込んでやんなかったのか。ケツはねじ込むためのものであってキスするためのものではないのだよ(お下品、しかし米国語の表現ではそういうのです。すんません)。

小泉政権での郵政民営化も米国の思惑どおりで日本売りだという批判がありました。
安倍内閣は国内向けには日本第一のような勇ましいことを発言しつづけていますが、米国詣ででのこの平身低頭ぶりを見ると、ミサイル防衛システム参加や集団的自衛権の容認、つまりは憲法9条の“改正”もじつはアメリカの思惑どおりじゃないかと気づきます。さすればこれは日本売りなどという甘っちょろいもんじゃなく、じつは「押し付け憲法」の受け入れなんかよりもはるかに手の込んだ「売国」の一環なのではないかとさえ思えてきます。いや、それはなかなか的を射ているかもしれません。

さて、ここまできて、冒頭の「ジョージ、シンゾー」関係がじつは別の意味でニュースだったのだと気づくわけです。

アベちゃんは揉み手をしながら媚び諂いを込めてジョージと呼んでいるかもしれないが、ジョージ君のほうは意のままになるペットでも呼ぶように「シンゾー」と呼び捨てにしている。そういう関係である。それを言外に伝えるニュースだったのかもしれません。いやちょっとニュアンスが違うか。ジョージは、ミスターと呼び合う関係にはどうにも弱いんだ。正式な話をしなくてはならなくなるから。オフィシャルな発言は気をつけなくてはならないし、そういうのはどうも憶えきれないから苦手。しかしファーストネームで呼び合うような状況ではジョークで誤魔化せるし持ち前のエヘッエヘッという自信なさげな笑いで逃げることもできる。なので、「なあ、シンゾーって呼んぢゃっていいかなあ? まあ、あんまり硬く考えないで話しようよ。難しいことは事務方がやるからさ」って意味なんですね。それをシンゾーはこれは親密さの現れだと受け取ってまんまと相手のゲームに載ってしまった、というわけです。

米国からの敗戦憲法を廃棄する気概にあふれているなら、ここはひとつ「シンゾー」と呼んでいいかと訊かれて相好を崩して尾っぽを振るのではなく、「いや、ミスター・アベ、あるいはプライムミニスター・アベときちんと呼んでいただきたい」と返すくらいの毅然たる態度を取るべきだったのです。相手はレイムダックの大統領。これはギョッとする。こんどの相手には誤魔化しは利かない、と、私語でしか得点を稼げないおバカな男は襟を正すでしょう。そして力を持たないアメリカから出来る限りの譲歩を引き出す。こんな駆け引き、北朝鮮ですら出来ることですよ。

ですからアメリカとの外交は戦略的にもむしろ、「ミスター」と呼び合うことから始まると心得たほうがよいのです。しかしまあこれも、いまとなってはあとの祭りですが。はあ〜。

May 07, 2007

World Index 更新しました

先月発売のバディ連載コラム掲載のワールドインデックス、更新しました。
上のバナーの「World Index」をクリックして飛んでください。

今回は、NBAでカムアウトしてCM契約を獲得した元選手アミーチと、そのカムアウトに対してホモフォビックなコメントを発してCMばかりかイベントの参加も降ろされた元選手との比較考察です。

May 02, 2007

「銃」と「人種」の不在

 バージニア工科大乱射事件から2週間が経ちました。いろいろと報道を追い、犯人の書いた「劇脚本」なるものも読んでみたのですが、なんだか肝心のことが茫漠としていて形にならず、ただ彼に蓄積された怒りの巨大さがわかっただけで、その発散のありようであったその字面のとげとげしさと今回の凶行との相似に鬱々とした気持ちになるだけでした。「脚本」はいずれも10枚ほどの短いフィクションなんですが、1つは「義理の父親」への、1つは「男性教師」へのありとあらゆる罵詈雑言で埋め尽くされていました。

 凶行のあいまに彼がNBCへ送りつけた犯行声明ビデオの言葉も基本的にそれと同じものでした。8歳のときから米国に移り住みながらまだアクセントの残る英語で発せられる同じような罵倒の数々はむしろ若い彼の孤立を際立たせて痛々しく、しかもやはりこの犯罪の理由のなにものをも説明していませんでした。

 そんな中、各局各紙ともこの事件報道から(犯人は中国系という誤報はありましたが)人種問題を注意深く除外していたのが印象的でした。チョ青年へのいじめめいたからかいや揶揄もあったようですが、そこに人種的なバイアスがかかっていたかどうかはあまり問題となっていませんでした。また、日本なら両親が謝罪を強要されるような状況が生まれていたかもしれませんがそういうプライヴァシーに無碍に踏み込むようなこともなく、むしろ韓国から“逆輸入”されるニュースのほうが人種や責任問題に敏感になっているようでした。

 もう1つ“除外”されていたのが銃規制の必要性でした。いまごろになってバージニア州知事が精神科医にかかった者のすべての履歴を警察のデータベースに登録して銃を買えないようにするという知事令を出したりしていますが、なんだか枝葉だけがサワついている印象で肝心要の部分は揺らぎもしていない。これについては大統領選を控え民主党が保守票にも食い込むため遠慮しているのだとか、悲劇を政治的に利用すべきではないとの空気が支配的だからなどの解説もありますが、私にはどうも銃規制を訴え続ける徒労感というか、諦観めいた思考停止があるような気がしてなりません。

 15年前にバトンルージュで起きた服部君射殺事件の裁判を現地でずっと取材していたことがあります。あのころは銃規制賛否どちらももっと熱心に議論を戦わせていた。ところがこの議論は実に単純で、「銃を持った強盗が襲ってきたときに銃で対抗する権利はだれにでもある」というのと「銃で銃を防ぐことは不可能だし時に事態をより悪くさせる」という意見に集約されてそれ以外はない。「規律ある民兵は必要だから」という、この国の建国史に関わる憲法条項もどちらの主張にもエサになって議論は平行線のまま。

 そうしてコロンバインが起き、今度は大学です。衝撃に加えうんざりとげんなりもが合わさって、マンネリな銃規制議論などだれも聞きたくないのかもしれません。この行きどころのなさは、泥沼なイラク戦争への閉塞感ともなんとなく似ています。考えるのに疲れているんですよね。

 でも、敢えて言えば「人種」と「銃」、この2つの問題の中立化と除外とが逆にこの事件への対応の方向性を見失わせているのかもしれないとも思うのです。事件はもちろん犯人青年の個別的な人格や精神状態に負うところが多いでしょうが、どんな犯罪にもなんらかの社会問題が影を落としているもの。

 PC(政治的正しさ)で無用な人種偏見を煽らない風潮は定着しましたが、大学女子バスケチームを「チリチリ頭の売女ども」と呼んでクビになった人気ラジオホストがいるようにこの国の人種差別はなくなっているわけではありません。犯人青年への「いじめ」に人種偏見は絡んでいなかったのか。この国に住む私たち日本人の経験からも、それは強く疑われもします。

 敢えて人種や銃の問題も新たに考え直して議論してみる。そんな局面が必要なのかもしれません。そういうぐったりするような議論を繰り返すことでしか(それこそがアメリカの原動力でもあったはずです)、次の暴力の芽を摘むことはできないのではないか──もっとも、1つを摘んでも別の1つが摘めるかどうかはだれにもわからないのですが。

 もう1つ、この事件、いやほとんどの大量殺人乱射事件に共通する要素があります。それは犯人(たち)の抱えるミソジニーとホモフォビアなのです。女性嫌悪と同性愛嫌悪。自分の男性性を回復するために、この2つを総動員して暴力に訴える。暴力こそが自分の男らしさの復元装置および宣伝吹聴器なのです。この点に関してはとても面白いのでじつはバディ誌の今月の原稿で書いて送ってしまいました。なので詳細はそちらでお読みくださいね。今月20日ごろに発売されるはずです。