小田実のことなど
小田実があと数カ月で死ぬのだという。胃がんが、けっこう末期のものが、見つかったとニュースになっていた。小田が死ぬのか。そういう時代になっていたんだ、と思った。物理的にも、思想的にも。
そう思ったのは数日前にこのニュースが報じられたときに、ミクシの中でその死に関して言挙げされたさまざまな連中の言辞の醜さからだ。こういうのはいまに始まったことではないから特筆するようなことでもないだろうけれど、小田は90年代か、「朝まで生テレビ」に出ていたらしく、それで新しい世代を、いい意味でよりも悪い意味で引っ付けたんだろう。きっと連中は、「実」が「まこと」と読むことも知らなかったりするんだろう。悪貨は良貨を駆逐する。
学生時代、東京に出たてのころは何でも珍しくてよくいわゆる有名人文化人知識人の講演会なんぞに出かけていたものだ。小田はそのころ岩波から「状況から」という同時代時評を出して、それは大江の「状況へ」という本とカップリングになっていて、この「から」と「へ」の助詞の相違がこの2人の立場の相違を表しているようで面白かった。「状況から」はとにかく現場主義だった。具体例にあふれた行動主義の本だった。そんな小田の話を何度か直に聴きにいった。
小田実の思想はアメリカの草の根民主主義のいちばんの実践主義的な理想を体現したものだった。日本の戦後民主主義の文化人がみんな、というかほとんどが、青っちろいアカデミアからのそりと首を出して何かを言っては言いっぱなしだったのに対して、このひとはとにかく体を張ってた。知識人が男らしくても、いや、こんなに雄々しく熱く勇ましく怒りに満ちていてもいいのだということを教わったのはこのひとからだった。「世渡り」ではなく「世直し」だということも、このひとの本から発想した。このひとは言うことはみごとに人道的な優しいものなのに、「殺すな!」というその柔さの背後にじつに硬派なマチズムがあったわけだ。マチズムはふつう、「殺せ!」に向かうはずなのにね、このひとのマチズムに裏打ちされた「殺すな!」は、だからいまでもだれも論破できない。というか、それを見越して発されたタイトルだからさ。そのことをいま、どれほどの日本人が知っているんだろう。小田に匹敵するのは、いまじゃ一水会の鈴木邦男くらいかもしれんなあ(笑)。
あの当時、喧嘩の仕方はこの人と中上健次と吉本隆明から教わった。3人とも個人的にはとてもやさしい人で、照れ屋で私語がへただった。なのにいったんペンを取って敵を叩くときはじつに徹底していた。中上さんはペン以外でも叩いてたけど。そうして完膚なきまでに、逃げ道もすべて塞いで追いつめる。それは呆れるほどに爽快な職人芸だったし。んで、この3人はそう仲がよいわけではないというのも知っていた。大人って面白いなあって彼らを眺めながら思ってたもんだ。あはは。
小田のニュースがあったと同じ日、朝日のニュースで次のようなのがあった。
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後ろに座る学生、教員に厳しく自分に甘く 産能大調べ
2007年05月05日13時13分
教室の後方に座る学生はテストの成績は悪い一方、講義への評価は厳しかった──。産業能率大(神奈川県伊勢原市)の松村有二・情報マネジメント学部教授が約140人の学生を対象に調べたところ、そんな傾向が明らかになった。自由に座席を選べる講義では、前に座る学生ほど勉強に取り組む姿勢も前向きのようだ。
(中略)
試験では、前方の平均点が51.2点だったのに対し、後方は30.9点と、20点以上開いた。一方、授業評価では、「配布資料の役立ち具合」「教員の熱意」「理解度」など全項目で前方より後方の方が厳しい評価をした。後方グループには、教員に厳しく、自分に甘い姿勢がうかがえる。
(後略)
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なんだかネットでギャーたれているやつらの印象と重なる。挑発の言葉だけがお上手。ところがみなさん二の句が続かない。映画のセットと同じ。看板やファサードのカッコよさだけを気にして、組み立てを気にしない。四六時中パンチラインだけを拾い集め、単文でしか話が出来ない。まるで玄関の呼び鈴押しのイタズラみたいに一発ぶちかましてさっと身を隠す。そうやって相手をけなすことだけで自分が何者かであるような、その効果だけに縋って生きている。
そうせざるを得ない生き方というのもあるのだろう。もうやり直しのきかない人生。そうやって憂さを晴らすしかない人生。
話はどんどん飛ぶけれど、やはりこれも昨日TVジャパンでやっていたNHKの憲法9条をめぐるドキュメンタリーで、若者たち、フリーターたちで戦争を望む連中たちの声を紹介していた。もうこんなにガチガチに社会が決まっていて自分たちはもう浮き上がる術もない。あとは戦争にでもなってみんなめちゃくちゃになればその暁にはどうにかなるのではないか、という見通し。
そういうのはむかしからある。一発逆転願望。ただし戦争の影がまだ長く伸びていたころにはそれは革命願望だったりした。それから終末願望。勉強していないテストの前夜に大地震が来て学校が壊れればいいのにと妄想したり、核ミサイルで世界が終わりになればどうにかなるんじゃねえかと思ったり。
でも、自分から進んで戦争にするというのはなかったなあ。
マイクを向けられていた30くらいのフリーターの1人は9条が変わったら軍隊に入って職業訓練にもなるし、とか言っていた。いますぐにでも自衛隊に入ればそんなのもすぐに手に入るという選択肢は彼にはないんだろうか。
戦争、戦争。
戦争はするまでが花。
してしまったらみんな後悔する。
だいたい、死体も見たことのない連中がいちばん勇ましく、死体への想像力がないものだから実際にそれを目の当たりにしたら吐く。
あるいはショックで思考停止になる。
で、その後は死体愛好になるか、というと、あまりそううまくは事は運ばない。みんな心に傷を負って壊れていくのだ。そうしてその回復途上で反戦を唱えるようになる。そのときは遅い。あるいはすでに時代はぐるりと一巡してる。あわよく生き延びたひとびとの周りで友人たちはもう亡くなっている。石原慎太郎が制作総指揮をしたという「俺は、君のためにこそ死ににいく」とかいう戦争映画のタイトルの、すでに破綻したはずの論理のゾンビさ具合よ。やれやれ。
まあ、この映画がヒットするほど日本人はどうしようもないとは思っていないが。しかし岸恵子もなんでこんなのに出たんだろう。私が愚劣だと言っているのは「特攻の毋」のことではない。この映画を作る連中の意図のことだ。
しっかし、小田も体調悪いときにどうして病院行かなかったかなあ。胃がんなんて定期検査して早めに見つけられるのに。早めに見つかれば治せるのに。まったく、なあ。残念だなあ。手術も出来ない状態だって、どうしてそれまでほうっておいたかなあ。
小田は、人間は畳の上で死ななければならないって言っていた。それが人間の死だ、と。しかもそれは畳の上で胃がんで死ぬことではなくて、きちんとしっかり平和に死ぬということのはずだったんだよね。
無念だなあ。
本人はそんな素振りはおくびにも出さぬだろうが。