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瀬戸内寂聴と小田実

寂聴さんが、こんなことを書いていた。
涙が止まらない。くそ。酔っぱらってるせいだろう。
同時に、寂聴に、嫉妬している。こんな文章。こんな手向けを書けるのだなあ。

東京新聞からの引用。ほんとは著作権のことでこういうことはだめなんだと思う。でも、人の死の前で、著作権も何もないだろう。

無断引用御免。

東京新聞_2007年05月02日 夕刊文化面

あしたの夢 瀬戸内寂聴

小田実さんとの仲

 小田実さんとの交友は旧(ふる)い。小田さんが『何でも見てやろう』のベストセラーをだしたころ、もうお友だちの一人だった。今でも鮮明に覚えているのは、私が東京・御茶ノ水の駅から駿河台の坂を下りていったら、下の方から小田さんが上がってくるのに、ばったり出逢(であ)った。
 坂を上がってくる若き日の小田さんがとてもいきいきと魅力的だったことも忘れていない。ベ平連の運動で代表者として華々しく活躍しているころは小田さんの周りは若い知的な女性たちが群れ集っていて、時代の思想的ヒーローのように見えた。

 巨(おお)きな体に無造作に服を着て、マフラーを巻きつけただけのスタイルが、粋に見えたのである。女性のファンは小田さんの文学より、存在感に憧(あこが)れている人の方が多いように見えた。つまり、七〇年安保時代の市民の良心の象徴として、大げさにいえば神さまであった。すでに混迷の相を表していた世相の中で、若者たちは、力強い指導者を求めていたのだ。大きな声で、自分の信念を自信を持って語る小田実は、その頼もしい風貌体躯(ふうぼうたいく)とともに、頼りがいのある男として、安心感を人に、特に女に与えた。そして全身に不思議な色気があった。

 この魅力的な小田実と大方半世紀に及ぶつきあいの中で、一度も艶(つや)めいた関係に及んだことはない。いつでも相方に恋人がいたためでもあろうが、恋の相手より、もっと肉親的な友情につながっていた。

 映画界で最高の人気スターの岸恵子さんが、小田さんの本を読んで感激して、逢いに行ったことがある。その時、小田さんは病気で、徳島のお兄さんの病院に入院していた。恵子さんは東京から徳島まで飛んで行ったのだ。岸恵子さんは文学好きで読書家だったから、小田さんの本に興奮したのだろう。

 さて、病室に入って恵子さんはいかに小田さんの本に感激したかを、熱っぽく伝えた。一時間もいたのか、やがて暇(いとま)を告げた岸恵子さんに向かって、ベッドの小田実が言った。

 「ところで、あなたはどなたですか」

 この話は、たしか、小田さんからじかに聞いた。その後、フランスの岸さんのところへ小田さんが訪ねている。帰国した小田さんと、また街角でばったり逢った。小田さんの服は、ぐっとセンスがよくなって別人のようだった。

 「わっ、岸恵子に磨かれて変身しちゃった!」

 私の言葉に、にやっとして、小田実は幸福そうな笑顔を見せた。

 小田さんが玄順恵さんと結婚した時、たくさんの女たちが失望したのを聞いている。小田実が普通の男のように結婚するなんて! 彼女たちは怒っていた。

 新妻を私は小田さんから紹介された。美しい聡明(そうめい)な若い彼女は、小田さんを惚(ほ)れきったまなざしでうっとり見つめ、幸せそうだった。小田さんの甘い表情も幸福そのものだった。二人の間にならちゃんが生まれた。

 私が敦賀の女子短大の学長をしていたころ、講演会の講師として小田さんにお願いした。小田家三人家族がそろって敦賀入りしてくれてとてもうれしかった。

 先年、岩波書店から、同じ一九二二(大正十一)年生まれの鶴見俊輔さん、ドナルド・キーンさん、私の鼎談(ていだん)形式で『同時代を生きて』という本が出版された。その時、鶴見さんとキーンさんが小田実について、実に熱烈な好意を持って、文学と人となりを語ってくれた。私はなぜか自分の出来のいい弟か息子をほめられているようで幸福な気分で聞いていた。

 小田実から突然、長いファクスが届いた。体調の悪い中、フィリピンで起きている民衆の弾圧を告発する「恒久民族民衆法廷」の判事の一人としてオランダのハーグに出かけたり、古代ギリシャの民主主義と自由を裏から支えた植民都市を訪ねてトルコに出かけたりしていた小田さんが、がんの宣告を受けたという。私はあわてて電話をいれた。

 「もう手遅れと医者はいうんや、もっと生きたいよう、死にとうないわ。寂聴さん、元気になるお経あげてや」

 声は明るく冗談めいていた。私は絶句して、泣いていた。(せとうち・じゃくちょう=作家)

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Comments

初めまして。たまたま昨日から瀬戸内寂聴・ドナルドキーン・鶴見俊輔さんの「同時代を生きて」を読み始め、瀬戸内さんで検索しているうちにここに辿りつきました。

岸恵子さんとのエピソードは、小田実さんのお人柄が出ていて、思わず笑ってしまいました。

昨年末でしたか、NHKで彼のドキュメントを拝見しましたが、今更ながら、貴重な方が亡くなられたことを認識させられました。

kazumiさん
コメントありがとうございます。

なくしものばかりが増える昨今です。詮無いことですが。

始めまして。私は、ふと、小田さんの事を思い出して、小田さんのホームページを初めて見て、その後ここにたどり着いて驚いたのですが、kazumiさんと同じところで(岸恵子さんとのエピソード)で思わず笑ってしまいましたし、たぶん同じNHKの番組を見ていました。
私はその番組で小田さんがナチスによって殺されたドイツ市民のことを話されて涙を流されている姿を見て、私も感動して泣いていました。
そのことは今でもはっきりと覚えています。

Kim さん
コメント、ありがとうございます。

NHKのそのドキュメンタリー、見たいもんですね。NYでもTVジャパンでいつかやるだろうか。

ネット上に氾濫する醜い言葉たちの背後に、善意の美しい魂が百万もいるのですね。ゴキブリが1匹見えれば、後ろに同じようなのが20匹は隠れているかもしれませんが、それらをも赦す2000ものやさしい魂が漂っている。そういうものを小田は信じていたでしょう。

小田実さんと玄順恵さんの「われ=われの旅」を読んで感動し、改めて小田実という偉大な人は亡くなったのだという思いにとらわれました。
この瀬戸内寂聴さんの文章、生き生きとしていてとてもいいです。小田実に対する愛情がひしひしと伝わってきました。ご紹介していただきありがとうございました。

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