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久間防衛相の辞任に見る捻れ

「原爆で戦争が終わった。(原爆投下は)しょうがないと思っている」ってなことを発言して3日目に辞任というすばやい対応は、辞めなかったナントカ還元水の松岡農相、女性は産む機械の柳沢厚労相と、どう違うんでしょう。

一つは参院選挙。選挙対応のために今回はすぐに辞めざるを得なかった。自民党内の批判も大きかった。
一つは松岡農相の自殺。かばいつづけて?自殺された日にゃかなわない。

安倍はつい昨日まで「(久間発言は)アメリカの見方を説明したもの」という、別の主語をでっち上げるなんとも「おいおい」なへんてこな論理を持ち出し、「辞める必要はない」と例によって突っ張りの態勢だったのですが、まあそれも内閣発足9か月で3人もの大臣交代という事態を避けようという保身でした。柳沢の時も松岡の時もそれで乗り切ってきたのですから(柳沢が辞めてれば4人だ。これじゃ内閣はもたないですからね、ふつう)。だが今回は与党内からの批判がすごかった。いつもはこんなにメタクソにいわないもんですけれどね。

でも、久間発言がかくも問題とされた背景には、参院選というより、自民党内右派による自虐史観への攻撃も含まれているんでしょう。

そもそも久間ってひとは防衛庁長官を2回務めてるのにどういう立ち位置にあるのかよくわからない「ときどきハト派」的な発言もしたりする。イラク戦争では例の「小泉前首相のイラク戦争支持は非公式」と間違ってみたり、「イラクに大量破壊兵器があると決め付けて戦争に踏み切ったブッシュの判断は間違いだった」と言ってみては叱られてそれを引っ込めてみたり。でも一方では沖縄の基地問題でアメリカのパトリオット配備は「歓迎すべきこと」とか、そう思うと逆に普天間飛行場移設問題では「私は米国に『あんまり偉そうにいってくれるな。日本のことは日本に任せてくれ』といっている」と発言したり、わけわかんない。あるいは太平洋戦争で「私でも沖縄をまっさきに占領しただろう」とか、長崎市長射殺事件では死んでもいない時点で「補充がいつでもできるように公選法を見直すべき」とか、まあ、基本的に人の気持ちが関係ない人なんだなあ、という感じですね。てか、自己完結的ながら自分勝手なもんだから一貫してねえんだなあ、まったく。こういうのを不見識っていうのかしら。

そこに今回の原爆ショーガナイ発言です。
ヒロシマ・ナガサキでは日本の右派と左派が道筋は違うながらも同じ途中結果(変な言葉)をたどっていて、右派は自虐史観を否定するところから(自分が強姦されたことを打ち消したいオスの論理で)「赦せない」となって、そこから太平洋戦争の敗戦の否定、九条改変と再軍備にまで行き着く。左派は米帝批判と平和主義から「赦せない」となって、こっちはそこから世界の被害者の連帯と九条護憲に至る。(小沢が党首討論で「米国に謝罪要求しろ」といったのはどっちなんでしょう)

というわけで、今回の久間発言は右からも左からもけしからんの大合唱。
参院選への影響をかわすというのもあるでしょうが、しかし辞任へと使嗾した安倍自民の心理には、左からの批判とはまったく逆の、憲法改変と益荒男国家へと続く文脈のサブリミナル効果を見る思いがするのです。

ですから「与野党そろって辞任要求」といっても、意味はぜんぜん違う。
そのへんが安倍自民の胡散臭さですわね。

(しっかし、辞任理由を「参院選への影響を考えた」って、久間さん、それじゃなんだかいかにも小手先ですって白状してるのと同じじゃござんせんかねえ。やっぱ、わかってないんだなあ)

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