おもうわよ!
毎日チェックしているブログの中でも、なんといっても舌を巻くのは「きっこの日記」です。
ほかのチェック先はだいたい学者のとかジャーナリストとかので、まあ、そいつらは立派なこと書いてあってもそれでカネもらってる職業上の延長の話だからそうだろうそうだろうと思うだけなんだけど、「きっこの日記」はそうじゃないんだわね。一介のフリーの美容師のおねえちゃんが、とんでもないネタを披露する。ネタだけじゃなくて俳句からパチンコから釣りからF1からキュウリのキュウちゃんまで信じられないくらい幅広いのね。ご存知でしょうけど。
尊敬する人の欄に私は「きっこ」と書きたいくらい(母親の名前と同じでもあるの、はは)。
で、ふつうは意地でも(笑)むやみに引用したりはしないのですが、本日の日記には泣きました。
http://www3.diary.ne.jp/logdisp.cgi?user=338790&log=20070919
東京の離島、青ヶ島では、お別れのとき、「さようなら」とはいわないらしいです。別れの挨拶は「おもうわよ」っていうんだってさ。きみと別れて離れても、きみのことを「おもうわよ」。ずっとずっと「おもうわよ」。
思う、想う、憶う、念う、面う。
「おもう」の語源はあなたの顔=面(おも)なんだということも民俗学者の菅田正昭さんのサイトを挙げて紹介しています。
つまり、きみの顔を頭に描くこと、きみのことを念うこと。
死んでゆく人にだって、「さようなら」じゃなくて「おもうわよ〜!」だ。
離れ小島で、島を出て行く人には本当にもう二度と会えないかもしれない、そんな環境がこの言葉を産んだんだろうかなあ。別れとは、引き裂かれる思いを記憶によって繋ぎ止める始まりのことを指すのかもしれないね。
これから、「さよなら」とか「じゃあね」とか「バイバイ」とかの代わりに、「おもうわよ〜」って言うことにしようと、心に強く誓う私であります。
美しい言葉。「美しい」というのは、こういうときに使う。
** 蛇足**「おもうわよ」のエピソードで思い出した詩。たしか、寺山がどっかで紹介していたのを憶えたんだっけ……。
夜のパリ
ジャック・プレヴェール
夜のなか つぎつぎ点ける三ぼんのマッチ
最初のはすっかりきみの顔を見るため
二ほんめはきみの目を見るため
最後のはきみの唇を見るため
のこった闇はそれらすべてを思い出すため
この腕にきみを抱きしめて。