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安逸を求める

イランのアフマディネジャドが国連総会出席でNYに来ています。
今日の午後にはコロンビア大学で講演を行いました。
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もちろんQ&Aの時間が設けられていて、聴衆の1人はイランにおけるゲイの人権と死刑執行について質問しました。これに対して彼は性的指向の観点はまったく無視して米国でも死刑制度があることを指摘して直接の回答を回避しました。しかし司会役の学務部長はさらに回答を促しました。その結果の彼の返答はこうです。

「イランにはあなたの国とちがってホモセクシュアルたちはいません。私たちの国にはそういうのはないのです。イランには、そうした現象はない。私たちの国にもあるのだと、だれがあなたに言ったのか知りませんが」

アフマディネジャドはもちろん聴衆から失笑とブーイングを浴びました。まあ、彼の言いたかったことは、「われわれはホモセクシュアルたちを殺しているからイランにはそういうのはなくなっているのだ」ということだったのでしょう。2年前の2005年7月に行われた少年2人の絞首刑を、私たちは忘れてはいません。
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宗教というのは、答えの用意されている教科書です。巻末を見れば練習問題の答が書いてあるから、それを憶えればいちばん手っ取り早いし神様・お坊さま・司祭さまにも誉められる。それでめでたいので自分で考える必要などありません。はたまた質問そのものの正当性、さらには答えの真偽を疑うということもありません。なぜなら、それは「信じる」ことをすべての基本においているからです。「信じる」は「疑う」の対義語です。そうして「疑う」は「考える」の同意語です。宗教に「なぜ?」は必要ない。むしろ、邪魔で、いけないことです。

なぜ? と考えずに済む人生は、なんと安逸なものでしょうか。もっとも、宗教的生活を送っている人たちも、誠実であればあるほど宗教的回答を突き超えて必ず「なぜ」を考えてしまうものですが。

その辺のことは2005/02/22の「生きよ、堕ちよ」でも書いていますが、思えば、日本語訳ではいまいちその過激さが伝わっていないジョン・レノンの「イマジン」も、じつはすごい宗教否定の歌なのです。多くの戦争の背景に宗教があるということがわかりきっているとして、頭の上には天国なんてない、ぼくらの下にも地獄なんてないんだ、と宗教的迷妄を唾棄して歌は始まるのです。レノンにはもう1つ、「God」というすごい歌があって(というかそのままなんですけど)、そこでははっきり「神なんか、自分の痛みを測るためのメジャーでしかない」と宣言しているんですよね。

しかしアフマディネジャドなるものに対抗するには、どうすればいいのでしょう。
憎悪と嫌悪にまみれた、聖という名の邪悪。
しかも、われわれには憎悪と嫌悪という武器はないのです。手ぶらで、丸腰で、身1つで、戦わねばならない。こまったもんです。

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Comments

初めまして。
実は、ミクシのプロフィルを偶然拝見いたしまして、こちらにお邪魔させていただきました…。
ハワイ州在住のsakuと申します。

読み始めたら、今まで思いもしなかった事柄や、考え直す事が多く、今までのブログも拝見しております。

さて、この書き込みなのですが、あまりにショックで、そして、このイランの少年達の出来事、全く知らず、そして、イランという国が(イスラム教が、となるのでしょうか)そのような事を理由に、死刑を行っている、という事も、全く知りませんでした。
又は、知ろうともしていなかったのかもしれません。


私は異性愛者であり、子供もいます。
妊娠、出産を経験した際、『健康で産まれれば』と誰しもが口にする事を考えました。
友人と会っている時、ふざけ半分で『じゃあ、息子がgayになったらどう思う?』と聞かれた事があります。
全く関係なく息子を愛するし、躊躇もしないと思う。
と答えました。

異性でも、同性でも、激情から始まる恋が愛に変わる。
その時はもう人類愛、家族愛になる。
周囲に同性愛者と呼ばれる知人も数多くいますが、異性愛者の友達と接していて同じ感覚。
きっと、息子にもそう接すると思う。
と答えました。

犠牲になった少年達の写真が、周囲の子供とダブって、とても辛いです。
そういう事が現代に行われている。
ショックでした。

まだ知るべき事がまだまだあるんだな…と実感しました。
これから、拝読させて頂きます。

sakuさん、コメントありがとうございます。

sakuさんのようなお母さんに産まれた子供は幸せです。

「母親」とは、きっと勇気のもう1つの名前なのです。
ときには蛮勇の人もいますけど(笑)。

今後ともご笑読ください。

はじめまして。
大学で「中国・台湾のLGBT」について論文を書いていて、その資料探しの最中にこのサイトを見つけました。

ずいぶん前の記事でしたが、あまりにも印象に残った記事だったのでコメントします。

同じ同性愛者なのに、生まれた境遇が違うだけで恋愛できないだけでなく、生きることさえできないだなんて、あまりに酷すぎると感じました。自分は家族にも、友人にも、教授にも、部活の先輩・同期・後輩にも、みんなにカミングアウトしているので、悩みがあったらすぐに相談してもらえる環境にありますが、イランの同性愛者たちは、何一つ相談することができずに耐えなければならない苦しみを思うと…

大学の図書館でこの記事をみて、涙してしまいました。
それくらい、日本や台湾、アメリカのように開けた国がある一方でイランのように同性愛者には生きる権利すら無い現状を、多くの人が知るべきだと思いました。

にっくちゃんさん

コメントありがとうございます。

あなたのような方の書く論文はきっとさまざまな問題点を浮き彫りにしてくれると思います。

日本でも、まだまだLGBTに関する記述は少な過ぎます。
その論文をぜひ立派に仕上げてください。

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