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November 27, 2007

金儲けには向かない職業

昨年のニューヨークのときもそうでしたが、それにも倍するミシュラン狂想曲が新発売の東京版をめぐって渦巻いているようですね。前も書きましたが、伝統あると言ってもタイヤメーカーのたかがガイド本、金科玉条のように崇め奉るのも主客転倒。「お仏蘭西野郎に和食がわかってたまるけえ!」という感情論は別にして、東京に世界一多い☆の数というのも納得ではあるのですが、同時に、☆を奮発した分だけ本も売れるとふんだ商売っ気だってなきにもあらず。しょせん「ギド・ルージュ」も出版商売なのですから。(とくにカンテサンス、わたしにはあそこに3つ星を与えた背景がよくわからないのです。ありゃ、日本人審査員のプッシュなのか、話題作りなのか……)

まあそれはさて置き、☆付きレストランで難しいのはその“支店”です。なんといっても☆付きシェフはただ1人。いくらレシピを徹底しても東京のガニエールにはピエール師匠はたまにしかやってこない。世界に20もの店を持つアラン・デュカス御大は完全なセントラルキッチン方式を採用し、自身はもう料理しません。つまり、レシピを科学的に分析し食材を工場でできるだけ均一にそろえても、けっきょくはそれを客出しの直前で絶妙なバランスで組み立て得る優秀な現地シェフをいかにして見つけるかがカギなのです。

ですので、例えばゴードン・ラムジーはまったく同じメニューなのにロンドンの本店では3つ星、NYでは2つ星(ここもニール・ファーガソンがいなくなって、次のシェフがどうなのかわたしは試しておりませんが)、東京では星無しとなった。あのデュカスでさえ東京で失敗しているのは、ひとえにこの最後の現地シェフの才能の違いなのでしょう。しかしベージュは評判悪いね。

しばしば「芸術」とも形容されるこうした天才シェフたちの味は、ほんと、大量生産ができない。いくらレシピがあってもそれをかの天才たちのようにはコピーも再現もできません。

食いもんのもう1つの要素は、絵画や音楽などとも違って後世にはぜったいに遺せない、その時その場限りで消えるものであるということです。そのような一過性をこそ本性とする「芸術」はこの「食」以外にはありません。一過性を重んじるパフォーマンス芸術だってDVDで記録できるというのに、その本質が再現可能な記号にはなり得ず、どんなメディアででも記録できない「目の前の味」の現物勝負。食文化というのは、かくも特異なものなのですね。だから味と匂いのわかるテレビというのができないんですわ。

にもかかわらず、こうした食の天才たちへの報酬は、そう多くはありません。とくにこうしてトウモロコシや大豆やエネルギーまでもが金融上の記号として取引され、莫大なカネを生み出している格差バブル経済の現在、現物しか売れないレストランはいくら超一流・超高級であっても儲けの規模は知れたものです。

そこに、どうして他の連中と同じような大儲けができないんだ、と不満に思った「高級・一流・老舗」処があっても不思議ではないでしょう。それが船場吉兆であり、赤福であり、比内地鶏であり名古屋コーチンだったんでしょう。いずれも「名門」に比例する儲けを得て当然だと思ったわけでしょうな。

そこで現物ではないブランドという記号だけで売ろうとした。あるいはブランドという記号を誤魔化すことで現物を売ろうとした。そうやって現物を離れて記号をやりくりする以外に、ケタ違いの金儲けが可能となる手段はないのですから。しかし、現物を離れては食は存し得ない。その齟齬が表面化したのが偽装問題なんでしょうね。

ミシュランも所詮、こうしたブランド化のための記号の集大成でありますわな。ですんで、ご高齢の小野二郎さんの出てない「すきや橋次郎」は記号だけが一人歩きすることになる。

でも、食を志す人は、ゆめゆめそうした記号で金儲けできるなどと思わないほうがよろしいでしょう。与えられるのは客からの笑顔と尊敬だけ。それが現物しか売れない商売の宿命なのですもん。因果なもんですが、それを覚悟できる人だけが食の道に進む資格があるのだと思います。つらいねえ。

November 07, 2007

がんじがらめになれや

いま小沢の記者会見を見ていました。NYは未明の3時過ぎ。緊急生中継。
とはいえ、TVジャパンですけどね。

いやはやしかし、さすが二日間考えていただけあって尻尾は見せなかった。そつがないというか。
読売の記者の突っ込みにはナベツネの影をちらつかせて、てめえのところのボスが仕込んだ話だと示唆する。

さてさてこの前のブログで私も、これはナベツネとナカソネの策動による、安倍との党首会談の失敗のときからの続きの話だと書いていたのですが、それがこうやって記者会見でも表沙汰になると、逆に政策協議も大連立も遠のいたと見てよいのか。やりづらいわね、もう。

たしかに、政治では福田の言ったように阿吽の呼吸めいたところが付き物ですが、そういうのは会見ではふつう、触れないものです。それを会見でも明言したというのは、小沢の復帰はその名言なしにはなかったことで、これですなわち、辞意表明の発端であった党首会談はなかったことになった、に等しいですわね。

それはきっと小沢の改憲に向けた信念からいうと違うはずですが、二大政党制というもうひとつの信念(というか、そうじゃないと彼が自民を出た価値がない)に、今回は軸足を置いているところを見せつけたわけです。うまいじゃありませんか。

いや、うまいという彼の方の都合だけではなく、さすればこれは逆に、彼自身もやはり自民との対決姿勢でがんじがらめになる、という意味では私の「希望的観測」にとっても都合の良いことでもあります。

私としてはなにも言いません。とにかく連立だけはやめてほしい。密室で決める大政翼賛体制だけはぜったいに避けたい。そのためには、小沢だろうが何だろうが、パフォーマンスでも何でもいいからそうやってがんじがらめになってくれ、と思うだけです。

November 06, 2007

強い顔より新しい顔

「熱意をもって復帰をお願いする」「代表の継投をお願いしたい」と、すがりつくような民主党幹部たちの顔を見ていると、いまにも天岩戸の前で踊り出すんじゃないかと思えるほどです。あんなふうにぷいっと唐突に辞意を表明されたら、ふつうは怒るもんじゃないのかなあ。

少なくともこないだの参院選で民主党に投票した人は怒っているはずですわね。これで強行採決ばかりの自民独裁を牽制できる、というのがささやかな成果でした。自民党の法案が通らないことくらい織り込み済みです。新テロ特措法が通らなくなって生活に支障はない。次は総選挙だ、二大政党だという大変なときですもんね、政治停滞のあおりを食らっても、産みの苦しみ、少々の辛抱ならしましょう、と、そう思っていた人も少なくないはずです。

それが一転、大政翼賛会の蜃気楼。それが一蹴されるや新生・新進・自由党の壊し屋の本性まで見せられたのですから驚きました。いったい公約はどうした? マニフェストは何だったのだ? こんな裏切りは本来なら辞任ではなく解任だってよいくらいです。

小沢一郎はじつは自民党が14年前に野に放った破壊工作員だったのだと言われてもいまなら驚きません。彼が壊さなかったのは自民党だけ。しかもつねに独断専行で、最後に「一抜けた」をするたびに、ことごとく自民党が有利になるようにことが運ぶのです。

しかしカッカしてばかりもいられません。そもそもなんでこういうことになってしまったのか? 

じつは今回の党首会談、裏では読売のドンと大勲位の元首相が動いて実現したというのですから、これは安倍強権政治で立ち消え状態になった例の「改憲大連合」再構築の筋書きなのです。

その安倍も辞める直前に小沢との党首会談を断られてベソをかいていました。もともと小沢も「普通の国」を主唱する改憲論者です。安倍・小沢会談の失敗が布石となっての今回の福田・小沢会談──ナベツネもナカソネも準備を整え、モリを介して動いていたんでしょうね。しかしなんとまあ「裏」や「密室」が好きな連中だ。

さて、民主党はどうすればよいのでしょう? たしかに民主党には政権も担えるような「選挙の顔」が見当たらない。菅と鳩山と岡田と前原の4人で麻雀の親を回しているみたいなもんです。でも小沢が代表辞任を撤回したところで、党内は一時収拾するにしても国民は許さないでしょう。いまの時点で風向きはすでに変わっているんですもの。11月5日の日本の新聞社の社説は地方紙まで含めて見事なほど小沢批判で一致していました。「小沢でないと選挙に勝てない」ではなく、もう「小沢では勝てない」なのです。

小沢が仲間を連れて党を出て行くならそれでよいではないですか。そうでなく民主党が自民と協力し合う体制は、国会自体が密室政治になることです。残ってるのは社民と共産だけですよ。国民新党なんぞはいずれ消えるか吸収されるはずだし。そんなそら恐ろしいことはありません。

だいたい、この時点で自民党から出てくる民主混乱に関するコメントの、なんとも優しげで思いやりに溢れていること。政策論議でも民主党案ににじり寄りを見せる自民の、なんとも気持ち悪いこと。そこまであからさまかよ、です。

いま、日本の夜7時のニュースでは小沢続投に民主がまとまりかけていて、小沢もその気になってるみたいですがね、この際、ほんとうは民主党は代表からなにから仕切り直しすべきなのです。このままじゃ禍根を残すぞ。

とはいえ、だれを代表にするのかねえ。私が顔と名前を知っている人はあの年金男の長妻ナントカくらいしかいないですし(下の名前がすぐには出てこないけど)。ああ、そうそう、彼でよいじゃないの。肝心なのは強い顔ではなく新しい顔だもんね。彼を例の麻雀4人親で支えればよい。さてこの案、どんなもんでしょう──もっとも、私の希望的観測というのは、当たったためしはないんですけど。