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December 10, 2007

レノンが否定したもの

クリスマスが近づき、NYの中央郵便局では恒例の「オペレーション・サンタ」が続いています。恵まれない子供たちから「ディア・サンタ」という宛名だけで投函される願い事の手紙を局内の特設コーナーで公開し、NY市民がその中から願いを叶えてあげられると思った手紙を持ち帰って、サンタに成り代わって返事なり贈り物なりを送ってあげるというこの「作戦」は、いつも私に米国の善意というものを教えてくれます。

もっとも、クリスマスが近づくとアメリカ人は善い人になる、と事を単純化して済む時代でもありません。米国のキリスト教はなんだか本来のキリスト教と変わってきた印象があります。大統領選のたびにそんな思いが強くなるのです。

今回もその空気が流れ始めました。アイオワが近づくにつれ熱を帯びてきている共和党の予備選で、前アーカンソー州知事のマイク・ハッカビーが急浮上してきました。彼はもともと南部バプテスト教会の牧師。明確なキリスト教者を欠いていた共和党候補者の中で突然、キリスト教右派(福音派)の支持がこの彼に結集し始めています。アイオワでは、ともするとこのハッカビーがトップで指名を受けるかもしれない勢いです。

そうなるとそんな宗教保守層の票欲しさに、候補者たちは民主党の候補までも、まるで踏み絵を踏むように神への献身を表明しなくてはならなくなる。候補者たちに「あなたはどれだけ聖書を信じているか」という査問が行われ、いつか「宇宙は神が7日で創造したと信じるか」と審問が始まるのでしょうか。

かつてのキリスト教信者は福音派といえども全体としてはもっと寛容で政治的にも控えめでした。それがいつからか一枚岩のように結束し、聖書に誤りはないと声高に主張するようになった。

これはきっとテレビ伝道師たちやメガチャーチ(巨大教会)の威勢のよい説教の賜物でもあるのでしょう。昔は土地柄や歴史背景ごとにもっと機微に富んでいた信者たちが、何万人もの前で朗々と神を説く伝道師の姿に一元的になびくようになった。全員がこれこそが神の国を実現する教えだと信じ込んだ。

そんな彼らをうまく政治の場に呼び込んだのがブッシュであり、80年代のレーガン時代でした。そういえばテレビ伝道師たちが富と権力を持ち始めたのもレーガン時代からです。

選挙に立つような人はアメリカでは実は「神はいない」という当たり前のことさえ口にできないのです。この状況は、政教分離、言論・表現の自由のいずれの観点からも由々しきことなのに、大統領選ではそれが当然のことのように幅を利かせています。

そうしてこの国ではいまも同性愛憎悪が病的に強く、念仏のような妊娠中絶反対の繰り言が止みません。もっと重大な問題があるのに、そうやって恐怖カードをちらつかせる。そんな手法が今度の選挙でまた繰り返されるならウンザリです。

8日が命日だったジョン・レノンの「イマジン」は日本では平和の歌として知られていますが、じつはとてつもなく過激な宗教否定の歌です。多くの戦争の背景に宗教があるということを前提に「頭の上には空だけで天国なんて存在しない。ぼくらの下にも地獄なんてない」と宗教的妄想を唾棄して歌は始まり、「そのために殺すに値するものも、死ぬに値するものもない。宗教もないんだ」と歌うのです。レノンがCIAに監視されていた理由もわかるような気がします。

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思い描いてみよう 天国なんてないんだって
そう考えるのは難しくはない
ぼくらの下には地獄もないし
ぼくらの上には空しかないんだ
思い描いてみよう みんな人間が
今日のためだけにただ生きているってところを

この世界に国なんてものもない
そう思ってみるのは難しくはない
人を殺したり、自分が死んだり、そんなふうに命を賭けるものなんかなにひとつなく
もちろん命を賭けるに足る宗教なんてのもありはしない
思い描くんだ みんな人間が
穏やかに幸せにただ生きているところを

ぼくを夢見るだけのばかだって言うかもしれないが
それってでもぼくだけじゃないから
きみもいつかぼくらといっしょになって
そして世界も一つになれればいい

思い描いてみよう なにがだれのものだなんて概念もなく
これはちょっと難しいかもしれないけれど
欲張ったりがっついたりする必要もなく
みんな兄弟みたいにつながって
思い描いてみるんだ みんな人間が
世界をすべて分け合っているところを

ぼくを夢見るだけのばかだって言うかもしれないが
それってでもぼくだけじゃないから
きみもいつかぼくらといっしょになって
そして世界も一つになれればいい

December 01, 2007

女の戦争

もうすぐまた日本に行くんですがね、日本に帰るたびに「女性に喜ばれる」「女性に人気」というフレーズがやたらあちこちで耳に入ってきて気になるんですよね。料理番組などで美味しくてヘルシーできれいな品が出ると「女性にはうれしいですね」というコメントが自動的に出てきます。ケーキやデザートの評もよく「女性には天国ですね」。小洒落た感じのものはすべて「女性にピッタリ」。そんな言葉を聞くたびに、べつに男だってこういうの好きでもいいじゃねえか、って突っ込みたくなるんですわね。

まあこれは女性を惹き付けなければ商売にならないという、もっぱらマーケティング上の要請なのでしょう。しかし世のTVリポーター諸氏はおおむね軽い乗りで、そこまで意識的には見えません。女性たちってみんなそんな簡単な生き物なんでしょうかね。なんか、バカにされてるって思わない?

米国のメディアで「これは女性にうってつけ」などと安易にコメントしたら、ジョークであってもステレオタイプのセクシスト(女性差別主義者)としてクビが危うくなるはずです。こうした反応は80年代のPC(政治的正さ)の風潮の中ですでに定着していて、オンナと見れば色目使うのが義務だと思ってるイタリア男だとかオンナと見ればからかうのが挨拶だと思ってるニッポンのおぢさんとかはあっというまにアウトでしょうな(と、これまたステレオタイプな決めつけ)。

というわけで、ハリウッドではもう一見か弱そうだった女性たちが猛然たるヒーロー的活躍をして大団円を迎える映画がパタン化して久しい。これまで男性に品定めされてきた女性たちは、いまは逆に男性を品定めする存在となっているわけで、かくしてそこにいま、ヒラリー・クリントンが登場してきたのでしょう。

で、このヒラリー、好感度も高いが逆に「絶対に嫌い」という人がほんと、異様に多いんですわ。私のまわりでも、最近いつもデートしてる友人のニューヨーカー、彼女も歴とした民主党支持の、知的でリベラルで柔軟な思考の持ち主なのですが、その彼女までもがしかし「ヒラリーだけは絶対いや」と宣言するのです。いわく、ぜんぶ大統領選用の演出だ。リベラルだったのが中道寄りになり、過去の発言も選挙用に言葉を濁す。選挙に有利なよう夫とも仲良いフリをする……云々。

しかしまあ、そんなの政治家ならだれでもやってることじゃないの、と思うのですが、「女性は女性に厳しいのかなあ」などというステレオタイプの分析も、これもまた女性差別主義者の言辞。

ただ、反ヒラリーの有権者の中には、ヒラリーの「男勝り」な部分を快く思っていない層がいることは確かだと思います。それはハリウッド映画も気に食わないような保守層だけではないはずです。「リベラルすぎる」という理論的な批判の裏で、どこかに「オンナのくせに」という苦々しい情念が女性有権者層も含めて存在するのではないか。あるいは自分はこんなに苦労して「オンナ」を続けてきたのに、颯爽たる女性像を見せつけられてまるで自分が否定されているように感じてしまう当事者たちの心理も。

そんなことを考えていたら、産経の30日のオンライン版に、ワシントンの古森のおぢちゃまがゾグビーの最新世論調査を引き合いにして、ヒラリーは共和党の有力5候補のどの候補にも勝てないという結果が出た、と書いてました。「今回の結果は巨大なインパクト」だってさ。

でもなんとなく、そういう懸念はわかります。これね、女性嫌悪なんですよ、きっと。世の男たちの中のミソジニー。女たちの中の近親憎悪。そういうものがもぞもぞと首をもたげている。どこまでが環境あるいは刷り込みによるものか、わからんのが厄介ですがね。

ヒラリーさんは今後、先頭を走れば走るほどそんな密かな女性嫌悪をあぶり出すようになるでしょう。反ブッシュで直進すると思われたこの選挙は、ヒラリーさんにはじつは政策論争の前にまずその性差の偏見と戦わねばならない、ものすごく複雑な選挙になりつつあります。今更ですがこれは、女性が初めて大統領になれるかどうかという、西部劇の国の大変な歴史の転換点なのです。