女の戦争
もうすぐまた日本に行くんですがね、日本に帰るたびに「女性に喜ばれる」「女性に人気」というフレーズがやたらあちこちで耳に入ってきて気になるんですよね。料理番組などで美味しくてヘルシーできれいな品が出ると「女性にはうれしいですね」というコメントが自動的に出てきます。ケーキやデザートの評もよく「女性には天国ですね」。小洒落た感じのものはすべて「女性にピッタリ」。そんな言葉を聞くたびに、べつに男だってこういうの好きでもいいじゃねえか、って突っ込みたくなるんですわね。
まあこれは女性を惹き付けなければ商売にならないという、もっぱらマーケティング上の要請なのでしょう。しかし世のTVリポーター諸氏はおおむね軽い乗りで、そこまで意識的には見えません。女性たちってみんなそんな簡単な生き物なんでしょうかね。なんか、バカにされてるって思わない?
米国のメディアで「これは女性にうってつけ」などと安易にコメントしたら、ジョークであってもステレオタイプのセクシスト(女性差別主義者)としてクビが危うくなるはずです。こうした反応は80年代のPC(政治的正さ)の風潮の中ですでに定着していて、オンナと見れば色目使うのが義務だと思ってるイタリア男だとかオンナと見ればからかうのが挨拶だと思ってるニッポンのおぢさんとかはあっというまにアウトでしょうな(と、これまたステレオタイプな決めつけ)。
というわけで、ハリウッドではもう一見か弱そうだった女性たちが猛然たるヒーロー的活躍をして大団円を迎える映画がパタン化して久しい。これまで男性に品定めされてきた女性たちは、いまは逆に男性を品定めする存在となっているわけで、かくしてそこにいま、ヒラリー・クリントンが登場してきたのでしょう。
で、このヒラリー、好感度も高いが逆に「絶対に嫌い」という人がほんと、異様に多いんですわ。私のまわりでも、最近いつもデートしてる友人のニューヨーカー、彼女も歴とした民主党支持の、知的でリベラルで柔軟な思考の持ち主なのですが、その彼女までもがしかし「ヒラリーだけは絶対いや」と宣言するのです。いわく、ぜんぶ大統領選用の演出だ。リベラルだったのが中道寄りになり、過去の発言も選挙用に言葉を濁す。選挙に有利なよう夫とも仲良いフリをする……云々。
しかしまあ、そんなの政治家ならだれでもやってることじゃないの、と思うのですが、「女性は女性に厳しいのかなあ」などというステレオタイプの分析も、これもまた女性差別主義者の言辞。
ただ、反ヒラリーの有権者の中には、ヒラリーの「男勝り」な部分を快く思っていない層がいることは確かだと思います。それはハリウッド映画も気に食わないような保守層だけではないはずです。「リベラルすぎる」という理論的な批判の裏で、どこかに「オンナのくせに」という苦々しい情念が女性有権者層も含めて存在するのではないか。あるいは自分はこんなに苦労して「オンナ」を続けてきたのに、颯爽たる女性像を見せつけられてまるで自分が否定されているように感じてしまう当事者たちの心理も。
そんなことを考えていたら、産経の30日のオンライン版に、ワシントンの古森のおぢちゃまがゾグビーの最新世論調査を引き合いにして、ヒラリーは共和党の有力5候補のどの候補にも勝てないという結果が出た、と書いてました。「今回の結果は巨大なインパクト」だってさ。
でもなんとなく、そういう懸念はわかります。これね、女性嫌悪なんですよ、きっと。世の男たちの中のミソジニー。女たちの中の近親憎悪。そういうものがもぞもぞと首をもたげている。どこまでが環境あるいは刷り込みによるものか、わからんのが厄介ですがね。
ヒラリーさんは今後、先頭を走れば走るほどそんな密かな女性嫌悪をあぶり出すようになるでしょう。反ブッシュで直進すると思われたこの選挙は、ヒラリーさんにはじつは政策論争の前にまずその性差の偏見と戦わねばならない、ものすごく複雑な選挙になりつつあります。今更ですがこれは、女性が初めて大統領になれるかどうかという、西部劇の国の大変な歴史の転換点なのです。