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January 26, 2008

クローバーフィールド

火曜日に、噂の映画「Cloverfield」を観に行った。
ら、風邪引いた。フルーかもしれないが、日本人の私には風邪とインフルエンザの違いがまったくわからない。
悪寒がし、薬を飲んで寝ることに決めたら、あっというまにいま土曜日の朝の6時過ぎである。丸3日以上、寝てた。
おかげで治ったようだ。まだ頭がかんぜんには活動していないが。

で、クローバーフィールドである。
うーむ、やられた。
感興もクソもないが、怖い、というか、ものすごくカネがかかってるC級映画というか、とグダグダ相反するコメントでしか表現できないような映画である。


巷間言われているように、これは「ブレアウィッチ・プロジェクト」の手法で「9.11」めいた出来事を映画にしたものだ。

つまり、カメラはハンディカメラ1個。すなわち、主観的な視点しかないので、何が起こっているのかまったくわからない。これは事件の現場に閉じ込められたときに起こることだ。取材においては現場主義とか言われるが、じつは現場にいてはなにもわからない。情報は統合されて初めて意味をなすのだが、現場では部分部分の積み重ねのその要素が断片としてしか示されない。したがって、つうじょうは、なにが起こっているのかいちばんよくわかるのは現場にいる人間ではなくて、テレビの前で解説を見ている人間だ。

クローバーフィールドは、本来ならこのテレビ画面(スクリーンでも可)の前にいるはずの観客を「現場」に縛り付ける。他の視点、他の情報はいっさいない。したがって情報は焦点を結ばない。この辺が恐怖映画としてじつにcleverである。だから、なんで自由の女神の首っ玉が飛んできたのか、なんでダウンタウンで爆発が起きているのか、あの不気味な鳴動音が何なのか、軍が何をどう展開してしているのか、観客はさっぱりわからないのだ(ほんとはわかるけどね)。 これは、正確には恐怖というよりも不安というか、混乱というか、そういうものの総体としての居心地の悪さに近い。stress, irritation, annoyance, upset....そういうものを恐怖にくっつけて提供するのさ。cleverです。

でも、cleverなのはそれだけで、あとはカネに任せたCG特撮で80分をしのぐ(正確には60分ほど)。脚本は、無理がある。なにせ、カメラは1個。そのカメラをずっと写し続けなければならないが、現場にいる人間はふつうはカメラを放り出して逃げるだろ。おまけに、カメラが一カ所にいたら物語は進まないので、やたらと主人公たちはマンハッタンの中を動くことになる。ふつうは足がすくんで動けないだろ。

しかし、主人公はやはりアメリカン。すなわちヒーローなのだ。それも、恋人を救うためだけという、じつにポストモダンなこじんまりとしたヒロイックな行動でカメラを移動させる。これがC級映画のC級たる所以である。

だが、9.11を知っているわれわれとしては、いや、胸が苦しくなる恐怖感。それは最後まで続く。

とはいえ(ほらまた相反するコメント)、この「最後」がじつはわかっているのである。それは、私はこの映画の最大の失敗だと断言するのだが、もう、最初の最初に、なんとテロップで、この「最後」を“予告”してしまっているのだ。これはなんとも興醒めではないか? しかも「Cloverfield」という謎の言葉まで、何かを明かしてしまっちゃうのよ! そんな、自分でネタバレさせてどーすんの、と私なんぞ、冒頭でカネ返せと思ってしまった(とまでは思わなかったが、後にそう思った)。

この最初のテロップは、もう最後の最後に持ってきてもなんの不具合もなかったはずである。いやむしろそうでなければならなかった(力、入ってるね)。

そうしてそのテロップの後に、私たちは初めてこの映画のテーマ音楽が劇場に流れるのを聞き、おおおおお、と震撼するのである──どうしてそうしなかったかなあ。それだったら最後にまたヒエーッとなって笑うしかなかったのに。

日本でも春に公開予定。みなさん、タイトルロールが流れても席を立たず、じっとその音楽を聴いて、制作者のオマージュの対象に思いを馳せるべし。そう、あの映画は、本来はこうやって撮られてこそアメリカ版だったのである。

うーん、映画としての点数は50点。
でも、見て損はなし、って感じ。
相反する評価ですが、そうとしか言えませ〜ん。

January 23, 2008

追悼 ヒース・レッジャー

昨晩午後5時過ぎにexからメールが来てヒース・レッジャーの死を知った。死亡確認が3時30分ごろだからほとんど速報。

そして一夜が明けた。

俳優に個人的に思い入れはないが、さすがにアパートから黒いバッグで遺体が運び出されるところを目にしたら、いっしゅん息をのんだ。

28歳か。
こちらの男は28でずいぶんと大人に振る舞うが、しかしそれは建前。28歳は28歳なのだろうと思う。バカもして、寂しくて、甘えたくて、でももう大人でなくてはならず。そういうプレッシャーはアメリカ社会ではかなり大きい。

ニューヨークタイムズが長文の追悼記事を掲載している。なかなかよく書けている。訃報にはヘタなことは書かないが、文面から、このヒースクリフ・アンドルー・レッジャー(Heathcliff Andrew Ledger)はなかなかの好青年だったことがうかがえる。

Heath Ledger, Actor, Is Found Dead at 28

最後にこうある。

In a recent interview with WJW-TV, a Fox affiliate in Cleveland, about “I’m Not There,” in which he was one of several actors playing the music legend Bob Dylan, Mr. Ledger struck a philosophical note. He responded to a question about how having a child had changed his life:

“You’re forced into, kind of, respecting yourself more,” he said. “You learn more about yourself through your child, I guess. I think you also look at death differently. It’s like a Catch-22: I feel good about dying now because I feel like I’m alive in her, you know, but at the same hand, you don’t want to die because you want to be around for the rest of her life.”

数人の俳優がボブ・ディランの分身を演じた新作「I’m Not There」に関する最近のTVインタビューで、ミスタ・レッジャーは哲学的なコメントを残している。子供ができてどう人生が変わったかという質問に、彼はこう答えた。

「なんていうか、自分をもっと大切にしなくちゃと思わせられる。自分の子供を通してもっと自分のことがわかってくるんだ。死ぬことに関しても違ったように見えてくる。キャッチ22のジレンマみたいな話だけど、死んでもだいじょうぶという気にもなる。娘の中で自分がずっと生きていくような感じがするから。でも同時に、死にたくないとも思う。彼女のこれからの人生でもずっといっしょにいたいという気になるから」

私の友人の1人は、ジャックも死んで、そしていまエニスが死んだ、と書いた。
なるほど、そういう感じもあるか。

合掌。

January 10, 2008

もうそろそろ新聞も

以下のニュースはTBS報道局の特ダネです。でも、どの新聞社の記事もそれに触れていない。
それは情報として十全なのか。

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【朝日.com】年賀再生紙はがき、無断で古紙配合率低く 日本製紙
2008年01月10日12時47分

 製紙大手の日本製紙は9日、同社が作った「年賀再生紙はがき」の用紙について、古紙の配合率が受注時の取り決めを大幅に下回っていたと発表した。発注元である日本郵政や、購入者への謝罪文も同時に公表した。

 日本製紙によると、配合率は40%と取り決めていたが、古紙が多いと不純物が増えて要求される品質を満たせないと判断し、日本郵政に無断で1〜5%しか使っていなかった。いつから基準を下回っていたかは調査中という。年賀はがきの98%は「年賀再生紙はがき」で、その用紙の日本製紙のシェアは約8割。

 日本郵政は、はがきを印刷会社に発注し、印刷会社が用紙を日本製紙などから調達している。日本郵政は「印刷会社など関係者から調査し、結果を待って今後の対応策を検討する」としている。

【毎日.com】再生紙はがき:年賀はがき配合率「古紙40%」、実は1% 納入元、無断で下げ

 日本郵政グループの古紙40%の年賀はがき(再生紙はがき)で、古紙成分が1~5%のものがあったことが9日、分かった。納入元の日本製紙が、無断で配合率を下げていたことを認めた。日本郵政は「環境重視のイメージが傷つきかねない」と反発し、調査を行う。

 年賀はがきの発行数は毎年約40億枚。うち97・5%が再生紙を利用している。日本製紙は年賀はがき用の紙の約8割を納入しており、古紙の割合が基準に達しない紙が大半とみられる。

 日本製紙は「古紙の割合を多くすると、紙にしみのようなものができるなど品質が下がるため、配合率を低くした」と説明している。同社は、社内調査を始めたが、数年前から配合率を下げていた可能性が高いという。【野原大輔】

【読売】「古紙40%」年賀はがき、実は一部で1~5%

商品偽装
 環境への配慮をうたって古紙を40%利用して作ることになっていた年賀はがきの一部で、実際には1~5%しか古紙が含まれていなかったことがわかった。


 日本郵政(東京都千代田区)などによると、はがき用の紙を納入した日本製紙(同)が品質を向上させるため無断で古紙の配合率を下げたという。

 問題となっているのは、昨年末に全国の郵便局で販売された「再生紙はがき」。経済産業省によると、「再生紙」と表記する場合、含有する古紙の割合について規定はないが、年賀はがきについては日本郵政側が印刷会社と、全体の40%を古紙とする契約を結んでいたという。

 しかし、印刷会社に納入された紙のうち、日本製紙が納入した分で、パルプの割合が極端に高いことがわかった。古紙にはちりなどが多く含まれ、紙のきめが粗くなるため、古紙配合率を下げたとみられる。

 日本製紙は「詳細は答えられない」としている。日本郵政では、「イメージダウンとなるので、明確な契約違反が確認できた場合、損害賠償請求も検討している」としている。

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アメリカに住んで驚いたことは、新聞もテレビも、他紙あるいは他局の特ダネを、自分のところでぜんぜんおかまいなしに「◎◎がこう報じた」と報道することでした。昨日のCNNも、ヒラリー・クリントンの当選確実をAP通信が打つと「APが当確を打ちました」とやりました。日本のテレビ局ニュースが「共同通信がいま当確を打ちました」とか「NHKが当確としていますが、私たちはまだ不確定要素があるとして打ちません」とか言うのは聞いたことがありません。いやそれよりも、私は毎日新聞と東京新聞で新聞記者だったのですけれど、例えば朝日とか読売がなにかすごい特ダネを抜いたときに、それがどんなに重要なニュースであっても、そう、建前は自分で調べたことじゃないから=つまり自分でほんとうのことかどうか確認できないから、それを掲載することはできない、とするのですね。それは当然です。でも、そうなのかなあ、と思ったのは、自分でそれが本当だったと確認できたとしますわね、つまり、後追いですわ。そのとき、そのニュースを書いても、整理さんに扱いを小さくしてくれとデスクなんかが言うんですわね。「いや、抜かれネタでね」とか。

それって、まだ続いているようですね。
でも、いいじゃないのかなあ、って思うの、もう、そういうの。
「TBSが報じたところによると、」っていうことのほうが、読者・視聴者にとって必要な情報じゃないのかなあ。いや、どっかの地裁で例えそうやって報じたとしてもそれが虚報だった場合にそれによって生じる損害は伝聞ででも報じたそのメディアが負う、みたいな判決が出ましたわね、具体的にはどういう事件でどういう内容だったかは忘れましたけど。

いや、たとえ冒頭のこの古紙再生偽装、このニュース、「日本製紙」が認めたことで初めて他社・他紙が書けるニュースになったんですが、その場合でも、この事態の発覚の敬意として「TBSに内部告発の手紙が来て、」というふうに報じるのが、十全の情報ではないか? そうじゃなきゃ、なんでこのことが明らかになったのか、読者としてはわからんのですよ。まさか、日本製紙が誰にも何も言われないのに懺悔したってか?ってことですわ。おまけにTBSは今回、全国の系列局報道部に指示したのかあちこちの郵便局で再生紙ハガキを購入してそれをどっかの分析所に持ち込んで古紙の混合率を計算させてまでいて、かなり用意周到にがんばって日本製紙にその事実を突きつけ、どうだ、参ったかってやったんですわ。発覚の敬意くらいTBSに敬意を示したっていいんじゃないのかい?

だって、それを言わないってのは、それは十全の事実ではないんだもの。言わないことはウソではないが、言わないことによって伝えるべきことを伝えないという事実を放っておく、未必の故意ですよね。

同じような、なんというか、意味があるのかないのかわからんような「縄張り意識」みたいなのが日本のメディアにはほかにもまだ残っています。

たとえば他局の番組のこと、口にできない、というか口にしないのが礼儀とされるでしょ? 礼儀と言って違うなら、あるいは暗黙のルール? それもじつにくだらんのです。そこにリンゴがあるのをみんなわかっているのに、リンゴがない振りをしてリンゴの話を絶対にしないかのような。むかし、紅白歌合戦で絶対その直前に決まったレコード大賞のことを言わなかったんですよ。そのことに触れるようになったのは20年くらい前からかなあ。そのまえは、レコード大賞獲って駆けつけた歌手のこと、知らんぷりして曲紹介してた。レコード大賞の権威が落ち始めたころに、言うようになったんだけどね。

で、アメリカのトークショートかで俳優がゲストに来ると、ぜんぜんかまわないで他局や他系列の映画会社の映画の話とかするんです。たとえば「笑っていいとも」にゲストで出てきた俳優が日本テレビの新番組について話すのと同じです。へえ、こういう話をするんだって最初はビックリしたけど、聞いてればべつになんの異和感もなくなる。だって、事実だもんね。もっとビックリするのは、他局で、他局の番組の番宣CMが流れたりするのよ。これも日本じゃ考えられない。

これは、あれかね、大映とか日活とか東宝とか、俳優たちがみんな映画会社のお抱えで他の社の映画には出られなかった時代の名残でしょうね。自分の出演作、出演会社にがんじがらめになって、それ以外のものは存在しないも同然、っていう。

対してこちらは俳優は組合もあるし(いままだ脚本家組合のストが続いていて番組製作が大混乱に陥っているように、かなりパワフルなのです)、まずは話が「会社」つながりではなく、「俳優」本人つながりだということなんでしょうね。その俳優の前作がパラマウントであろうがフォックスであろうがワーナーであろうが、CBSだろうがABCだろうがNBCだろうが、主語はその俳優であって映画会社やTV局ではない、ってこと。ここら辺も個人主義と会社主義とかの違いなんでしょう。

こう考えるとどうでもいいのになあと思われることもバカみたいな歴史的背景や文化背景があったりするのがわかりますが、それはトートロジーっぽく言えばやはりしょせんバカみたいなことなのです。

そういう呪縛から逃れて、わかってることはみんな教えてよって、思うんですがね。

January 09, 2008

ミレニアルズVSブーマーズ

ニューハンプシャーの開票がいま終わりました。しかしすごかったですね。昨日まで、というか開票が始まるまで断然劣勢を伝えられたヒラリーが大方の予想を裏切ってオバマをかわす──直前の世論調査がこうも外れるとはなんとも珍しいことです。

オバマの後ろに若者たちのパワーがあるのはアイオワで見せつけられました。そうしたら今度はヒラリーの後ろの女性たち、年長者たちが踏ん張ったようです。じつはきょうは1月にしては記録的な暖かさで、ニューハンプシャーはほんとうはこの時期寒さに凍っていて年長者が気軽に外に出向いて投票できるような感じじゃないんです。それがニューヨークなんて16度ありましたからね、NHが何度だったかは知らないけど、同じようなもんでしょ。同じ暖気に包まれる地域だし。で、それが年長者たちを投票に出かけさせた。

もう1つ、直前のヒラリーの「涙目」が女性たちをかき立てたのかもしれません。おまけに夫のビルまでが元大統領としては掟破りのオバマ口撃に参戦したのですから、クリントン世代の発奮もあったかもしれません。何て言ったかというと「オバマは上院議員になってからの議会での投票行動はヒラリーとまったく同じだ。それが何で彼女を自分とは違う旧体制の政治家だと批判するのか。Gimme a break, そんなフェアリーテイルは聞いたことがない!」──ふつうは大統領職をやった人間がこんな非難の言辞は吐かないというので各局のニュースコメンテイターはかなり今朝から批判的にこれを報じていたんですよ。Gimme a break! というのもかなりきつい言葉なんでね。冗談も休み休み言え、みたいな。フェアリーテイルはおとぎ話=嘘っぱちって意味です。

そうしたもんをぜんぶ跳ね返しての勝利。これを「組織票で勝るヒラリーが勝った」とさっそく分析しているのは読売ですが、それは違うでしょう。今日のニューハンプシャーの投票者数の予想外の多さはそれでは説明できません。

ビル・クリントンが指摘したようにアイオワ・ショック後のヒラリーは「旧体制政治家」の代表のようにエドワーズにまで攻撃されました。「毎日どうしてやる気満々で元気でいられるの?」と一般有権者に質問されて「It's not easy, It's not easy...(たいへん、ほんと、たいへん)」と心情を吐露した一昨日のヒラリーは、男たちにいじめられて歯を食いしばって耐える女性でした。わたしなんぞ、見ていて「こういうヒラリーは初めてだな」と、べつに肩入れしてないけどなんだかかわいそうに思った。しかもそれさえも新聞に「うそ泣き」とか言われてね、これはたまったもんじゃないわなあ。これ、ぜったい女性への侮蔑だよ。おまけにあのやり取りの翻訳、日本の新聞、けっこう間違ってるんだもんね。

◎気を取り直して「私はこの国から多くの機会をもらってきた。あとにさがることはできないの」と語り、支持者の励ましを受けた。(産経)
◎さらに「後ずさりするわけにはいかない。(大統領として)用意できている人もいれば、できていない人もいる」と述べ(毎日)
◎クリントン氏は、涙がこぼれないように顔を上向きにし、「簡単じゃない」と2度繰り返した。その後、支持者の拍手で気を取り直すと、「でも後ずさりするわけにはいかない。(時事)
◎女性から「どうやったら、いつも元気ですてきでいられるの」と聞かれると、「簡単ではない。本気で正しいことをやっていると信じていない限り、できることではない。多くの機会を与えてくれたこの国を後戻りさせたくない」と、やや声を詰まらせ、目を潤ませた。(読売)

でもこれ、
"I have so many opportunities from this country. I just don't want to see us fall backwards, you know?"
"This is very personal for me. It's not just political. It's not just public. I see what's happening. And we have to reverse it,"
あたりの翻訳なんですね。

これ、自分が「後ずさりできない」っていってるんじゃないのさ。
「私はこの国からたくさんのチャンスをもらってきた。だから、(そんな)私たち(の国)が後戻りするのを見たくないの」「これはとても個人的なことでもある。ただの政治的課題とか、公共のこととか、それだけじゃなくて。私にはいま何が起きつつあるのかわかっている。だから私たちでそれを逆転させないとって思うの」

けっこう、なまの感じが出てるセリフなわけですよ。「選挙はゲームだって言う人もいるけど、それは私たちの国のことであり、私たちの子供たちの未来のこと、つまり私たちみんなのことなの」とかってね、なかなかパーソナルな物言いなんです。

で、例によってこのインタビューがあっというまにYouTubeなどでネットに大量に流れ出しました。その時点でオバマ対ヒラリーはある意味明確に「女性嫌悪の男性たちvs判官びいきの女性たち」の戦いになったのではないか。加えて「ミレニアルズvsベビーブーマーズ」の図式が浮かび上がってもきた。そんな感じがするのですね。

「ミレニアルズ」とは聞き慣れない言葉ですが、現在25歳以下の若者たちをアメリカでは21世紀になって選挙権(18歳)を得た「ミレニアルズ=新千年紀世代」と呼ぶんです。

世代論に関する「ジェネレーションズ」などの共著があるウィリアム・ストラウスとニール・ハウによれば、オバマ支持のミレニアルズはその上の30〜40歳代(オバマがこれですね)のX世代(憧れは遊牧民)やヒラリー世代のベビーブーマーズ世代(理想主義者)、さらにその上の70代の沈黙の世代(芸術家)とは異なり、さらに上のGI世代と似ているんだとか。

GI世代とは第二次大戦を戦い、国連やソーシャルセキュリティ(米国の社会保障制度)という時代基盤を作り、戦後経済の拡大を担い、宇宙に乗り出し、冷戦と共産主義の終焉を見届けた、公共意識の強い建設者の世代で、憧れはヒーローだそうです。

GI世代のように、ミレニアルズもまたイラク戦争や地球温暖化など危機の時代に青春を過ごすヒーロー世代です。祖国アメリカへの忠誠心も強く、社会的責任感もX世代やブーマーズよりも真剣。ウェブ上ではそんな彼らが活発に社会問題を話し合ったり世論調査に参加したり疑似選挙を試したりしていたそう。

なるほどそんな彼らが本物の選挙に出てきたわけですね。どうも大学のゼミなども後押しして好きな候補の選挙事務所にボランティアで入り、選挙を実地で勉強してもいるらしく、そんな彼らが機動部隊としてかつてない戸別訪問を展開し、仲間意識で若者票を掘り起こした。「デモクラシー・ナウ www.democracynow.org」によると、オバマ選対に入ったプリンストン大学の政治学科の女子学生は「実際の政治運動には関わってこなかったけれど、演説会の熱狂はまるでロックコンサートみたい」と楽しそうに話していました。たしかに支持者の勧誘は大好きなミュージシャンの前売りチケットの直売みたいなもんでしょう。

アイオワでのオバマの躍進を演出したのは、前回04年の倍以上となったそんな若者票だったのです。それはニューハンプシャーでも同様でした。CNNがヒラリー勝利の報を打つのにAP通信より10分ほど遅れたのは、同州での学生街の3カ所の投票所がまだ開いていなかったからです。

いずれにしてもどんどんいろんな要素が絡みはじめてますね。つまりそれだけ浮動票が動くということで、それも直前にがらっと変わるということで、これじゃ世論調査も当たらないわけです。いやあ、それにしてもニューハンプシャーは驚いた。面白いなあ。

January 05, 2008

謹賀新年

明けました。おめでとうございましょうか。

とはいえ、このブログに何人ほどの読者がいらっしゃるのかもわからずに書き連ねているんですが、ずいぶん間があきましたね。12月は3週間ほど日本に行っていました。その間、いろいろとあったのにブログを怠けていました。今年は隔日刊くらいにはしたいんですが、まあ、無理でしょう。

さてさてアイオワ、やはりハッカビーが勝ちました。
アメリカでも日本でも民主党でヒラリーを制してオバマが勝ったというのの方が大きなニュースになっているようですが、私にはハッカビーの勝利のほうが今後、大きくなる可能性を宿すニュースだと思います。オバマの勝利は次のニューハンプシャーでもヒラリーに勝ったら、これは大ニュースですが。

さて、ハッカビーに関して毎日新聞はこれを『共和党の勝者ハッカビー候補は「ハートの人」』という見出しで分析しています。しかし、この見出しはあまりにもニホン的というか、どうしようもなく甘ちゃんだわなあ。

「保守的価値観と素朴な人柄を持つ「ハート(心)の人」が、データ分析を得意とする実業家で「ヘッド(頭)の人」と評されるミット・ロムニー前マサチューセッツ州知事(60)より好まれた結果といえる。」という記事テキストに引っ張られた見出しなのですが、この文もいただけません。これはそんな牧歌的な話ではない。これは全米のエヴァンジェリカル(キリスト教福音派)を象徴して、アイオワの保守層が、モルモン教徒のロムニーからバプティストのハッカビーに雪崩れを打って乗り換えたということなのです。「ハート」だとか、そんなロマンティックな話なんかじゃまったくありません。わかってないなあ。これはすぐに南部州および中西部州へと燎原の火として広がるはずです。不足しているといわる資金などあっという間に集まります。キリスト教右派の金回りのことを考えたらそんなことはぜんぜん問題じゃない。

前回の「レノンの否定したもの」に続き、福音派のことをもうすこし書きましょう。

福音派とは、聖書にある「福音」を文字通りに信じ込む人たちです。聖書に間違いはない(無謬主義)として、各地で子供たちに「恐竜はいなかった」と教えています。笑い話ではありません。子供たちって恐竜が好きでしょ? だからその恐竜を掴みネタにするんですね。それで、この世は3千年前に神さまによって6日間で作られたもので(7日目はお休みの日ですわ)、数万年前にいた恐竜という話やその証拠たる化石自体が、悪魔が人間を惑わすために作り上げたとんでもない嘘っぱちだと教えるセミナーを全米のコミュニティ単位で開催し、悪魔の手先であるダーウィンと神様とを比較してどっちを信じるのかと子供たちに迫っているのです。おまけにそのための進化論否定の絵本まで大量に販売・配布しているの。ホントだよ。

それだけじゃない。南部州では福音派のプロレスや福音派の自動車愛好家クラブや福音派のドライブスルー教会まであります。プロレスはね、プロレス興行で戦って勝利したレスラー・プロモーターが試合後にリングに立ってマイクを握り、熱狂している観客に聖書の教えを説くというすごいものです。乗りとしてはテレビ伝道師やメガチャーチ(巨大教会)の煽動家と同じなんですが、そういうところに集まる信者数は全米でのすべてのスポーツ試合に集まる観客数よりも多い。

メガチャーチの会衆をテレビなどで見たことがある人も多いと思いますが、彼らはまるでアイドルを見るかのように説教師の話に感動して涙を流しているのですね。でも話の内容はべつに大したことはないのです。神さまがいつも私たちを見ていてくださるとか、そういうじつに念仏的な常套句でしかない。まあ、「相田みつを」みたいな話ですよ。しかし彼らはみんなそういう集会によって(あるいはそういう集団ヒステリーによって)「生まれ変わった(born-again)」経験を持っているのです。それは彼らがいうには「霊験」なのです。

こういうのはふつう、私たちは鼻で笑っちゃう。鼻で笑っちゃう人が多い州はアメリカでは「ブルー・ステート(青色の州)」といいます。青は民主党のシンボルカラー。対して共和党は赤(レッド)です。レッド・ステートは南部・中西部に集中していて、そんな州を、ブルーの北東部や北西部の州たちが「嗤う」。この図式をレッドステートの人たちも知っていて、これをじつに苦々しく思ってきた。それは南北戦争にもさかのぼります。

でも、アル・ゴアもケリーも、この鼻で笑っちゃうような人びとによって打ち負かされた。進化論を否定して神さまだけが頼りの、貧困で無教養でレッドネックでホワイトトラッシュな人びとが、ハーヴァードとかイェール出身のエリートたちの、その嗤った鼻を明かしてきたのです。

この爽快感は他の非ではない。そのことに彼らは気づいてしまいました。で、今回のハッカビーの背後には、そうした政治的宗教者たちのふたたびの大号令が働いているのですね。「アメリカを不信心なエリートたちから取り戻そう!」運動の、大統領選挙はまさしく最大の決戦場なのです。

味を占めたというか、かつてはアメリカのそうした大衆は「政教分離の原則に則って」というよりもむしろ高度に知的な場とされていた政治に怖じ気づいて距離を置いていたのですが、それがブッシュ陣営のカール・ローブらのネオコン選挙テクニックで火をつけられてしまって、いまやネオコンの煽動なしでも(あるいはわずかな後押しで)政治的に動く存在になったのでしょう。いまやメガチャーチはあからさまに政治と連動する保守派メッセージの場になっているんですね。

前回の大統領選でブッシュに投票したのは福音派=キリスト教原理主義といわれる人びとでは78%にも達しています。そんな彼らが今度はハッカビーを担ぎ出す。それは火を見るよりも明らかでしょう。そうしてこれまではイラク戦争や財政赤字や格差問題が焦眉の急だった大統領選の核心が、今後は再び同性婚への反対や妊娠中絶の反対やフェミニズム反対(=反ヒラリー)へと矮小化されるのです。

もう1つ懸念されることも書いておきましょう。それは彼らキリスト教原理主義者たちの一部が白人至上主義者たちのグループとも重なっているということです。これはまだ表面化していませんが、もしオバマが民主党候補として出てくることになると、さて、どんなことになるのか。

2008年は大統領選挙という政治の年だといわれるかもしれませんが、その実はむしろ裏では大変な「宗教の年」なのだと思っています。私はかなり以前に、アメリカはブッシュ後の民主党政権で同性婚容認へと大きく踏み出すに違いない、というような希望的観測を書きました。それは当時の欧州での同性婚容認の流れや、反ブッシュの世論から見ても当然と思われた。でも、それは私こそが甘チャンでした。

ブッシュの不人気で次回は共和党に勝機はないと見ていたのですが、果たしてそうなのかも私の見方は危うくなってきました。ヒラリー、オバマとも、この2人の民主党候補にこそ、「彼ら」は燃えるのではないか。それはもう、政策とかいう次元の問題ではないのかもしれないのです。どうしてハッカビーがニュースなのか、これでだいたいわかってもらえるのではないかと思います。

もっとも、そんなハッカビーの「燎原」は、次回ニューハンプシャーなどのブルーステーツの予備選では見えてこないでしょう。そういう意味ではこれから少し沈静化するかもしれません。しかしそれは鎮火ではなくて、熾き火化のようなものでしょう。どんなに時間が経っても、それは再び薪をくべればすぐに燃え上がるのです。思えば、アメリカとはそういうマグマを常に持ちつづけているピューリタン国家なのですから。