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February 25, 2008

オスカー、レッドリボン、同性カップル

つらつらと横でアカデミー賞授賞式をつけながら原稿書きをしていると、時折映る会場の列席者の襟元にちらほらとレッドリボンがつけられているのに気づきます。日本ではなんだかすっかり流行り廃りのなかで忘れ去られてしまっている感のあるこの赤いリボンはもちろんエイズ禍へのコミットメントを示すもので、そりゃたしかに歳末の助け合い共同募金の赤い羽根のように政治家が襟元につけて国会のTV中継で映るようにする、みたいな善意のアリバイみたいなところもあるけれど、しかしハリウッドが被ったエイズ犠牲者の多さを考えればきっと、これらの人びとにとってはけっしてアリバイ作りのための仕草ではないのだろうなと思い至るのです。

思えばアカデミー賞の授賞式はこれまでも戦争や宗教や社会問題へのハリウッドの若い世代からのメッセージの場でもありつづけてきました。たしかにみんな大した俳優や制作者ではあるんだけど、よく見れば20代とか30代とかも多くて、そんな人びとの若い正義感のほとばしりが現れてもなんら不思議ではない。で、レッドリボンをつけている人たちは80-90年代は若かったけれど、いまは決してそう若くはないなあってことにも気づくのです。

エイズが死病ではないという謂いは、1995年のカクテル療法の成功から生まれてきました。当初はそれはやっとの思いの祝辞として、あるいはエイズ差別への対抗言説として宣言されたものだったのですが、人間というものはなかなか深刻だらけでは生きられないもんで、いつしか「死病ではない」が「恐れるに足らず」と翻訳され、「べつに大したことのないこと」となって、まあ、安心して生きたいのでしょう。いま、日本ではエイズ教育はどうなっているのかなあ。政府による啓発広報はなんだかいつもダサくておざなりで、いまも続いているのだろうか。ゲイコミュニティの中では善意の若者たちがいまも懸命にいろいろな形の啓発活動を模索しているけれど、その間にも日本のHIV感染者は特に若い世代で静かに確実に増えています。だって、社会全体が騒いでいないんだもの、ゲイコミュニティだけで笛を吹いたって気分はあまり踊らない。

学校で、エイズ教育してるのかなあ。あるいは性感染症に関することも。
ずっとエイズ啓発は教育現場で地道に続けることこそがゆいいつの方法論だって言い続けているのですが、でもね、そういうものはとりもなおさず性教育のことであり、セックスのことって、よほど信頼しているひとからじゃないと真面目に聞く耳なんか持てないもんなのです。だれが尊敬もしていない先生からセックスの話題なんて聞きたいもんか。だから大変なんですよね、性教育って。それを教える人間の、人間性の全体重が測られるから。

まあ、そんなアメリカだってエラいことは言えません。こっちだって若年層のHIV感染者は増加傾向にあるんですから。

今年のオスカーは、じつは候補作で私の見たのは「ラタトゥーユ(レミーの美味しいレストラン)」と「エディット・ピアフ 愛の讃歌」(クリックしたら感想ブログに飛びますよん)くらいで、あまり関心がなかったのですが、両作とも健闘して受賞してましたから(特にマリオン・コティヤールの主演女優賞はアメリカの人びとには驚きだったようです)なかなか効率の良い見方でしたね。

ところで短編ドキュメンタリーで受賞した作品「Freeheld」は不覚にも知りませんでした。ダメだなあ。

ローレル・ヘスターはニュージャージー州で25年間、警官を務めて警部補になった女性です。映画制作(2006年)の6年前からパートナーを得てともに家庭を築いてきました。パートナーはステイシー・アンドリーという女性です。ところがローレルはそこで肺がんと診断されます。ローレルの願いは、自分の死後もステイシーが自分の遺族向けの死亡見舞金を得られるようにということでした。計13,000ドル(140万円)ほどの金額はけっして以後の生活に十分な金額というものではありませんが、少なくとも2人の思い出の家を維持してゆくだけの助けにはなる。ところが、居住地のオーシャン郡の代議員会はその死亡見舞金の受給資格を否定するのです。余命6カ月のローレルとステイシーは、もはやレズビアンであることを隠すことなく公の場で戦いに出る道を選びます。

こんなに愛し合っている2人を、否定する、否定できる人間がいるということは知っています。だからこそ、この38分のドキュメンタリーは作られたのでしょう。私たちには、それを見て受け止める作業が差し出されているのです。

この訴訟が1つのきっかけとなり、ニュージャージー州では6つの郡が法律を変えて同性パートナーにも年金受給資格を与えるようになりました。そしてローレルの死後9カ月後に、ニュージャージー州は州としてシヴィルユニオン法を可決したのです。

監督のシンシア・ウエイドの受賞スピーチです。

彼女自身はヘテロセクシュアルの既婚女性です。でも、スピーチでは「結婚している女性としての私は直面することのない差別に、この国の同性カップルが直面している」として、この映画をローレル・ヘスターの生前の遺言だと紹介しています。会場にはもちろんステイシーもやってきていたんですね。

今回のオスカーでも受賞コメントでのさりげないカムアウトがいくつかありました。ビデオを撮ってなかったので正確に確認できないのだけれど、作品賞も取った「ノー・カントリー・フォー・オールド・メン」のプロデューサーは、ステージ上で感謝する相手として最後に自分のパートナーとして「ジョン・なんとか」って名前を出し「ハニー」と呼びかけたのだけれど、「ジョン」だったのか「ジョーン」だったのか。なにせながら族でしたのでちょっといまは確認できず。
(確認しました。そのプロデューサーはスコット・ルーディンScott Rudinで、たしかにパートナーのジョンに向けて最後の最後にどさくさ紛れで「ハニー」って叫んでました。うふふ、よかったねスコットちゃん)

司会のジョン・スチュワートはゲイジョークとして楽屋裏で受賞した喜びでオスカー像同士をキスさせようとしている受賞者同士の会話を紹介してました。「でも、オスカーって男性よ」と1人。「そうね、でも、ここはハリウッドだから」と相手が言っていた、というもんです。ま、ネタでしょうけどね。

そうやって今年のオスカーも終わりました。地味目でしたね。
恒例の鬼籍に入った映画関係者の映像の最後に、ヒース・レッジャーが映りました。
なんだか胸が詰まりました。
でも例年になく、一人一人の映像が短かったような気がします。
で、ブラッド・レンフロがこの追悼映像リストになかったのは、どうしてでしょうね。忘れられちゃったんだろうかなあ。

February 20, 2008

最高裁は失礼だ

ロバート・メイプルソープの写真集が「猥褻ではない」とのお墨付きを日本の最高裁からいただいて、そりゃそうだ当然だと反応するのはちょっと違うんでないかいと思います。

以下、朝日・コムから


男性器映る写真集「わいせつでない」 最高裁判決
2008年02月19日11時09分

 米国の写真家、ロバート・メイプルソープ氏(故人)の写真集について「男性器のアップの写真などが含まれており、わいせつ物にあたる」と輸入を禁じたのは違法だとして、出版元の社長が禁止処分の取り消しなどを国に求めた訴訟の上告審判決が19日あった。最高裁第三小法廷(那須弘平裁判長)は「写真集は芸術的観点で構成されており、全体としてみれば社会通念に照らして風俗を害さない」とわいせつ性を否定。請求を退けた二審・東京高裁判決を破棄し、輸入禁止処分を取り消した。

 同じ作品を含む同氏の別の写真集について、最高裁は99年に「わいせつ物にあたる」として輸入禁止処分は妥当と判断していた。今回の判断には、わいせつをめぐる社会の価値観が変化したことが影響しているとみられる。

 堀籠幸男裁判官は「男女を問わず性器が露骨に、中央に大きく配置されていればわいせつ物だ。多数意見は写真集の芸術性を重く見過ぎている」との反対意見を述べた。

 訴訟を起こしていたのは東京都内の映画配給会社「アップリンク」の浅井隆社長(52)。99年に浅井さんがこの写真集を持って米国から帰国した際、成田空港の税関から関税定率法で輸入が禁じられた「風俗を害すべき書籍、図画」にあたるとされ、没収された。

 写真集は384ページに男性ヌードや花、肖像など261作品を収録。税関はこのうち計19ページに掲載され、男性の性器を強調したモノクロの18作品を「わいせつ」とした。

 この判断に対し、02年1月の一審・東京地裁判決は「芸術的な書籍として国内で流通している」と処分を取り消し、70万円の賠償を国に命じた。しかし、03年3月の二審・東京高裁判決は「健全な社会通念に照らすとわいせつだ」として原告の逆転敗訴としていた。

 第三小法廷は(1)メイプルソープ氏は現代美術の第一人者として高い評価を得ている(2)写真芸術に高い関心を持つ者の購読を想定し、主要な作品を集めて全体像を概観している(3)性器が映る写真の占める比重は相当に低い——などと指摘。作品の性的な刺激は緩和されており、写真集全体として風俗を害さないと結論づけた。

****

うーむ、アップリンクの浅井さんは、じつはこれを裁判を起こそうと思って仕組んだのですね。わざと国内での5年もの販売実績を作り、この写真集が公序良俗を紊乱していないという土台を築いてから外国に持ち出して再度入国した際にこれを摘発させるという手の込んだ作戦を練っていた。これは見事です。ですから、政治的にはこの最高裁の判断を導いた浅井さんには「でかした!」の賛辞を贈るにやぶさかではありません。

そのうえで、でも、本来は猥褻とはどういうものなのか、という点も浅井さんはわかっていらっしゃると思います。国家権力が定義するなんて、しゃらくせえ、って思ってらっしゃるわけだ。だから、これはあくまでも社会的な価値判断の変革を形にするための戦略的権謀術数なわけで。

では本質的にはどういうことなのか。
メイプルソープが、男性器とともに、どうしてああも多くの花の写真を撮ったか、というのは、それは美しいからです。
でも、花がどうして美しいのか?
それはあれが性器だからです。そう、最高裁まで争った人間の男性器と同じものなのですね。
あんなに卑猥な写真集はありません。まさに堀籠幸男裁判官がいうように「おしべめしべを問わず性器が露骨に、中央に大きく配置されていればわいせつ物だ。写真集の芸術性に誤魔化されてはいけない」のです。

ですからあれは、猥褻なものをそのまま提示して美しいと感じさせているのです。
メイプルソープは、猥褻なものを提示して、猥褻って、なんて美しいんだっていっているのです。
それを、「猥褻ではない」って、本来は、最高裁はじつに失礼じゃないか、ってことです。

メイプルソープは、花と同様に、男性器を猥褻で美しいと思った(あるいはその逆の順番か)。その美しさはもちろん彼のセクシュアリティに結びついている美しさの感覚です。もっといえば人間であることに関係する美への感覚です(犬は人間の性器を美しいとは思わないでしょうし)。さらによくある70年代的言い方でいえば、彼は己の猥褻さへの欲望を解放しようとした。彼の写真を見ていれば、いまにも彼があの男性器に触れたい頬ずりしたいキスしたい口に含みたい、でもその代わりに写真に撮った、他人と共有したというのが伝わってきます。一見無機質にも思えるあの黒い男性器の鉱物のような銀粉のような輝きを、彼がまんじりと視姦しているのがわかるのです。それは花への視線と同じです。

じつは、花が性器だと気づいたのは、不覚にも私も、大昔にメイプルソープの写真集を目にしてからでした。ほんと、ありゃ、思わずあちゃーとかひえーとか呻いてしまいそうな、ときには赤面するほどいやらしくもすごい写真集ですものね。一部をご覧あれ

そうですよ、みなさん。

「何かご趣味は?」
「ええ、ちょっとお花を」
「あら、まあ……」

爾来、上記の会話の意味は、私にとって永遠に変わってしまったわけです。
蘭を集めております、とか、よくもまあ羞ずかしげもなく公言できるもんだ、と。
少しは赤面しながらおっしゃいなさいな、と。

卑猥とは何か、猥褻とは何か。
劣情を刺激するものでしょうかね。
劣情という言葉自体、価値観の入ったものだからわけわかんないですけど。

むかしね、「エマニエル夫人」って映画あったでしょ。高校か大学時代だったよなあ、あれ。
ボカシがかかるでしょ。あのボカシほど劣情を刺激するものはありません。いったい何が映っているのか、気になって気になって妄想がふくれます。ああ、そうだ、あの「時計じかけのオレンジ」もそうでした。ボカシが気になって、性ホルモン横溢の、脳にまで精液が回ってるような年齢でしたからね、もうおくびにも出さなかったが悶々と妄想を重ねていた時期ですね。

で、仕事でハワイに行ったときにヒマ見つけて当時まだあったタワーレコードでビデオを買ったんですよ、昔年の妄想を解決するために。

そうして見てみた。
ああ、オレはこんなものに欲情していたんだ、って、もう、ほんと、がっかりするような、なさけないようなものしか映ってませんでした。オレの青春を返せ、ってな感じです。

何だったんでしょう、あの「劣情」は。
ボカシは、罪だと思います。健全な欲望を、淫らにひねりまくります。
もちろん、罪もまたちょっとソソルものでもあるのですがね。はは。

何の話でしたっけ?
ま、そういうこってすわ。
失礼しました。

February 13, 2008

オバマ1都2州も連勝

こうなるともうオバマを止められないのではないか、という印象です。
モメンタムは確実に彼に傾いた。女性票、高齢者票もオバマに流れ始めています。

思い返せば、スーパーチューズデーですでにその兆候はあったのでしょう。クリントンはカリフォルニア、ニューヨークを押さえたが、それでも代議員数で圧倒はできなかった。両者のあの時点の立ち位置は、下り坂でのそれと、上り坂でのそれの上下関係だったわけで、下り坂を転換できる得票ではなかったのです。

それを知ってか知らずか、アメリカのメディアの論調も概して追うオバマに好意的だったような、あるいは少なくとも面白がっているような、そんな印象でした。こうなるとそれ行けドンドンです。投票者のほうも尻馬に乗るというのか、そういう現象が起きているような気がします。民主党予備選の投票者でなくとも、街には「オバマ」と答えていたほうが楽という雰囲気が流れています。こうなると、もう止められないってのが常ですよね。

その直前情勢を、東京新聞4日付け夕刊文化面で分析しています。
ご笑覧ください。

tokyo0204.jpg

February 06, 2008

副大統領はだれだ!

どの州をだれが取ったとかはもう関係ない。どこの郡でだれがどれだけの代議員を獲得したかの、すごいミクロの戦い。で、得票数を合わせてみると、22州の得票総数ではヒラリーとオバマが本当にほとんど並ぶという前代未聞の激戦なんです。予想されていたとはいえ、攻めるオバマ、守るヒラリー、ゴジラ対キングギドラよりすごい。スーパーチューズデーは両者は互いに1歩も譲らず、やっぱり勝負は来月のオハイオ、テキサスあたりまでまた持ち越しです。

対して共和党は中道穏健派のマケインの勝利が近づきました。しかし驚いたのはやはりハッカビーの健闘です。キリスト教福音派、草の根保守層の存在感がまさに浮き彫りになった印象。この票田はもう1人の保守派ミット・ロムニーと分け合ってるんですが、ロムニーとしてはハッカビーさえ出てきてなければ(保守層の票を1本化できて)自分が波に乗れていたのにと思ってるはず。しかしほんと、この2人に分かれなければ、共和党保守派はマケインをとうに退けていたはずです。

さて、CNNなんぞはもう11月の本選挙をにらんで副大統領候補の話までしていました。その共和党の伝統的な支持基盤である保守層に嫌われるマケインは、いったいだれを副に据える心づもりか。

先週、序盤戦の失敗でジュリアーニが降りたときに、「自分は政治理念の同じマケインを支持する」と表明してその彼とハグし合ってましたね。それを見ながら、ふむ、マケインはひょっとしたらこのジュリアーニを副大統領候補として指名することもありかなと思った次第。

この2人が中道穏健派というのは、同性愛者たちの権利獲得や妊娠中絶に寛容だということからです。ジュリアーニはニューヨーク市長としてゲイ・プライドマーチには先頭切って歩いていましたし、マケインはブッシュが憲法修正で連邦レベルで同性婚を禁止しようとしたときに、共和党上院議員なのにそれに反対票を投じた。

このマケイン=ジュリアーニ・チケットは、大統領選で常にカギを握る、総投票者の30〜40%を占める中道浮動層をごっそり持ってゆく可能性がある。ヒラリーもオバマも急進的リベラルすぎると敬遠する中道層はすくなくないのです。そんな彼ら/彼女らは、マケイン=ジュリアーニのほうにずっと魅力を感じるのではないか。

しかし先週あたりからのハリウッドの動きは面白かったです。歌手や俳優たちがこぞってオバマ支持を表明し始めた。

このビデオもあちこちの友人からメールで回ってきました。すごいねえ、このアイディアと、もちろん、それを歌ってしまう才能。

ただ、これを見ながら、政治は芸能活動じゃないとゴアやケリーのときに苦虫をかみつぶしていた保守層の反発のことを思い出していました。ゴアのときも、ケリーのときも、こぞってハリウッドのスターたちが支持を表明して、それがキリスト教右派のやる気に油を注ぐ結果となった。アメリカはまだまだ実直な田舎の生活者の国。派手さを毛嫌いする層は確実に多数派なのです。そういうところからも、共和党は民主党よりも底力を持っていると見ていたほうがよい。

マケイン=ジュリアーニという、民主党の右派と支持層の矛盾しないチケットが出されたら、さて民主党はどうするのでしょう。こちらもヒラリーとオバマとが手を握り、夢の正副大統領チケットとなることはあり得るのでしょうか。

スーパーチューズデー直前のロサンゼルスでの2人の討論会では、さすが政治家同士、それまで修復不能なほどケチョンケチョンに言い合ってきたとは思えないほどの笑顔でした。ではこの2人のチケットはあり得るかというと、うーむ、ヒラリーが正の場合はあるかもしれませんが、彼女がオバマの副大統領候補に甘んじるかなあ。

ではそうなるとまた民主党の勝ちはないのか? また共和党政権なのか?

あります。民主党チケットが勝つための秘策は、ニューヨーク市長のマイケル・ブルームバーグを担ぎ出すことです。実務型の、堅実でまじめな副大統領候補。ヒラリー=ブルームバーグあるいはオバマ=ブルームバーグのチケットです。これは魅力的だ。マケイン=ジュリアーニに対抗するにはこれしかない。

しかし、ここには1つ落とし穴もあります。ブルームバーグは共和党を抜けていまは独立系の政治家。ですのでマケインがジュリアーニではなく、同じようにブルームバーグにアプローチしてくるかもしれないということです。これもあり得ない話ではありません。そうなると民主党が勝つ道はきっとなくなる。

しかしちょっと待ってほしい。それだとブッシュを2回も勝たせた3千万人キリスト教右派が取り残されることになります。中道と左派の戦いで、あと3分の1を占めるこの国の右派保守層の出番がない。

そう、共和党が本当に勝ちに出るなら、マケイン=ジュリアーニ/ブルームバーグではない。
その右派層をごっそりマケインに引き止めるには、マケインはバプティスト牧師のハッカビーを副大統領に指名することもあり得ます。
ただし、それではあまりにも政権に整合性がなさすぎ。ブッシュ父のときのクエイルみたいなバカだったらお飾りでよいでしょうが、ハッカビーはそうでもなさそうですしね。

ところでさっきハッカビーがCNNに出ていて、ラッシュリンボーやアン・クルターといった頭のおかしい右翼たちが「マケインが候補になるくらいならヒラリーに投票する」なんて言ってるのを「そういうことを言うのは本物の保守主義者ではない」と牽制してましてね、「私は同じ共和党としてマケインに投票する」と明言した。

じつはこうやって、現役の候補が、まだ自分が降りてもいないのに仮定の話としてもこうして他候補に「投票する」と言うのは珍しいことなんですね。これはこの時期、「おや、副大統領への布石かね?」とも勘ぐられる発言で……。

うーん、ポスト・ブッシュはもっと単純に民主党政権だと思っていた数年前が懐かしい。新たに副大統領候補という要素がカギになって、読みがじつに面倒になってきたわ。


ところでスーパーチューズデイに霞んでますが、南部、ものすごい竜巻が数十個も襲って現時点で45人も死んでいます。家からなにから根こそぎ持ってかれてます。
選挙のことは今日中にもこの竜巻のニュースに変わっていくでしょう。

スーパーチューズデー直前予想

2月4日付け 「東京新聞」夕刊文化面に掲載された原稿です。


*ゲラ刷りですので掲載記事はじゃっかんの修正があります(汗;)

◎攻めるオバマ、守るヒラリー
◎入り組む対立構図


5日のスーパーチューズデーを前にマンハッタンのレストランでひとしきり選挙談義になりました。経営コンサルタントの友人が「この国で黒人と女性とどちらが先に選挙権を得たか? その歴史に照らせばどちらが先に大統領になるかわかるさ」とうそぶきます。けれどこれはずるい謎かけなのです。

憲法上、米国の黒人層に参政権が与えられたのは1870年。しかし実際には関連法の追加追加で形骸化され、本当の選挙権はキング牧師が自由の行進で勝ち取った1965年まで待たねばなりませんでした。その間、女性は1920年の修正憲法で選挙権を得ました。では女性が先かというと、女性解放運動が実を結ぶのは60年代の黒人解放の後、70年代に入ってから。冒頭の「歴史に照らしてわかる答え」とはつまり「どちらも大変、紆余曲折」。

民主党の指名を争うオバマ、クリントン両候補が「これは人種選挙でもジェンダー選挙でもない」と言えば言うほど、この西部劇の国に残る根強い人種と性への偏見が透けます。黒人と女性の間隙を縫って、白人男性がまたまた大統領になる可能性も十分ですし。

その白人男性間で戦う一方の共和党もジュリアーニ撤退で構図がしぼれてきました。前2回の選挙でブッシュを当選させた宗教右派が今回のロムニー、ハッカビーをどう動かすかも気になりますが、マケインがこのまま連勝してやがてジュリアーニを副大統領候補に指名とでもなれば穏健中道派の大結集、これは強そうだ。先進的すぎるとオバマやクリントンを敬遠する層を一気に共和党に取り込むウルトラCです。ただしそれはまだ見えていない「おとぎ話」。スーパーチューズデー直前に分析するのは性急すぎる。

民主党に話を戻しましょう。なにより先週、ケネディ家の枢要メンバーがオバマ支持を表明したのにはだれもが驚きました。圧巻だったのはオバマ集会の壇上でエドワード、キャロラインらがそろい踏みしたテレビ映像です。

クリントンはファーストレディ時代からの盟友たるケネディ上院議員は当然自分を支持するものと思っていました。スーパーチューズデーの投票では2000人ほどの代議員を振り分けるのですが、カリフォルニアが441人、ニューヨークが280人、ニュージャージーが127人、ケネディ家の地元マサチューセッツが121人と、この4州だけで半数近い代議員を占めます。それらの州に特に影響力を持つケネディ家の思わぬ“造反”は彼女には大打撃です。

女性と黒人という要素の他に、民主2陣営にはベビーブーマーズ対ミレニアルズという対立構図も見えています。ブーマーズというのは日本でいう団塊の世代ですが、ミレニアルズというのは新千年紀世代、つまり西暦2000年以降に有権者資格の18歳になった若者世代の呼び名です。投票数こそそう多くありませんが、戸別訪問などでとにかくよく動く。大学生を中心に、そういう率先行動の若い運動員がオバマ陣営に目立ちます。彼らの純真で熱意ある説得が有権者の共感を呼んでいるのです。

対してクリントンはサウスカロライナで唯一勝利した年齢層が65歳以上の高齢者層でした。「ガラスの天井」という女性の昇進差別の時代を身に染みて知っているブーマーズ以上の世代が、「強すぎる」「男勝り」と嫌われる彼女をかばうように票を投じている。圧勝といわれていた数カ月前には予想もできなかった構図です。

夫のビル・クリントン元大統領の露出も増えていますが、なんだかずいぶん老け込んで演説の声にも力がなく、オバマ批判の言葉だけがとがって聞こえます。これも一般には先祖返りめいた印象をもたらしています。オバマも「未来vs過去」という新しい対立項を持ち出して、そんなクリントン陣営を真っ向から皮肉り始めました。

直前の雰囲気ではまたオバマに流れが傾きつつありますが、黒人票がオバマならラテン系の票がクリントンに流れることも。この激流の中で彼女がどれだけ既得陣地を守りしのげるか。民主党の指名勝負はマクロな州ごとではなく、代議員数のもっとミクロな足し算になるかもしれません。
(了)