オスカー、レッドリボン、同性カップル
つらつらと横でアカデミー賞授賞式をつけながら原稿書きをしていると、時折映る会場の列席者の襟元にちらほらとレッドリボンがつけられているのに気づきます。日本ではなんだかすっかり流行り廃りのなかで忘れ去られてしまっている感のあるこの赤いリボンはもちろんエイズ禍へのコミットメントを示すもので、そりゃたしかに歳末の助け合い共同募金の赤い羽根のように政治家が襟元につけて国会のTV中継で映るようにする、みたいな善意のアリバイみたいなところもあるけれど、しかしハリウッドが被ったエイズ犠牲者の多さを考えればきっと、これらの人びとにとってはけっしてアリバイ作りのための仕草ではないのだろうなと思い至るのです。
思えばアカデミー賞の授賞式はこれまでも戦争や宗教や社会問題へのハリウッドの若い世代からのメッセージの場でもありつづけてきました。たしかにみんな大した俳優や制作者ではあるんだけど、よく見れば20代とか30代とかも多くて、そんな人びとの若い正義感のほとばしりが現れてもなんら不思議ではない。で、レッドリボンをつけている人たちは80-90年代は若かったけれど、いまは決してそう若くはないなあってことにも気づくのです。
エイズが死病ではないという謂いは、1995年のカクテル療法の成功から生まれてきました。当初はそれはやっとの思いの祝辞として、あるいはエイズ差別への対抗言説として宣言されたものだったのですが、人間というものはなかなか深刻だらけでは生きられないもんで、いつしか「死病ではない」が「恐れるに足らず」と翻訳され、「べつに大したことのないこと」となって、まあ、安心して生きたいのでしょう。いま、日本ではエイズ教育はどうなっているのかなあ。政府による啓発広報はなんだかいつもダサくておざなりで、いまも続いているのだろうか。ゲイコミュニティの中では善意の若者たちがいまも懸命にいろいろな形の啓発活動を模索しているけれど、その間にも日本のHIV感染者は特に若い世代で静かに確実に増えています。だって、社会全体が騒いでいないんだもの、ゲイコミュニティだけで笛を吹いたって気分はあまり踊らない。
学校で、エイズ教育してるのかなあ。あるいは性感染症に関することも。
ずっとエイズ啓発は教育現場で地道に続けることこそがゆいいつの方法論だって言い続けているのですが、でもね、そういうものはとりもなおさず性教育のことであり、セックスのことって、よほど信頼しているひとからじゃないと真面目に聞く耳なんか持てないもんなのです。だれが尊敬もしていない先生からセックスの話題なんて聞きたいもんか。だから大変なんですよね、性教育って。それを教える人間の、人間性の全体重が測られるから。
まあ、そんなアメリカだってエラいことは言えません。こっちだって若年層のHIV感染者は増加傾向にあるんですから。
今年のオスカーは、じつは候補作で私の見たのは「ラタトゥーユ(レミーの美味しいレストラン)」と「エディット・ピアフ 愛の讃歌」(クリックしたら感想ブログに飛びますよん)くらいで、あまり関心がなかったのですが、両作とも健闘して受賞してましたから(特にマリオン・コティヤールの主演女優賞はアメリカの人びとには驚きだったようです)なかなか効率の良い見方でしたね。
ところで短編ドキュメンタリーで受賞した作品「Freeheld」は不覚にも知りませんでした。ダメだなあ。
ローレル・ヘスターはニュージャージー州で25年間、警官を務めて警部補になった女性です。映画制作(2006年)の6年前からパートナーを得てともに家庭を築いてきました。パートナーはステイシー・アンドリーという女性です。ところがローレルはそこで肺がんと診断されます。ローレルの願いは、自分の死後もステイシーが自分の遺族向けの死亡見舞金を得られるようにということでした。計13,000ドル(140万円)ほどの金額はけっして以後の生活に十分な金額というものではありませんが、少なくとも2人の思い出の家を維持してゆくだけの助けにはなる。ところが、居住地のオーシャン郡の代議員会はその死亡見舞金の受給資格を否定するのです。余命6カ月のローレルとステイシーは、もはやレズビアンであることを隠すことなく公の場で戦いに出る道を選びます。
こんなに愛し合っている2人を、否定する、否定できる人間がいるということは知っています。だからこそ、この38分のドキュメンタリーは作られたのでしょう。私たちには、それを見て受け止める作業が差し出されているのです。
この訴訟が1つのきっかけとなり、ニュージャージー州では6つの郡が法律を変えて同性パートナーにも年金受給資格を与えるようになりました。そしてローレルの死後9カ月後に、ニュージャージー州は州としてシヴィルユニオン法を可決したのです。
監督のシンシア・ウエイドの受賞スピーチです。
彼女自身はヘテロセクシュアルの既婚女性です。でも、スピーチでは「結婚している女性としての私は直面することのない差別に、この国の同性カップルが直面している」として、この映画をローレル・ヘスターの生前の遺言だと紹介しています。会場にはもちろんステイシーもやってきていたんですね。
今回のオスカーでも受賞コメントでのさりげないカムアウトがいくつかありました。ビデオを撮ってなかったので正確に確認できないのだけれど、作品賞も取った「ノー・カントリー・フォー・オールド・メン」のプロデューサーは、ステージ上で感謝する相手として最後に自分のパートナーとして「ジョン・なんとか」って名前を出し「ハニー」と呼びかけたのだけれど、「ジョン」だったのか「ジョーン」だったのか。なにせながら族でしたのでちょっといまは確認できず。
(確認しました。そのプロデューサーはスコット・ルーディンScott Rudinで、たしかにパートナーのジョンに向けて最後の最後にどさくさ紛れで「ハニー」って叫んでました。うふふ、よかったねスコットちゃん)
司会のジョン・スチュワートはゲイジョークとして楽屋裏で受賞した喜びでオスカー像同士をキスさせようとしている受賞者同士の会話を紹介してました。「でも、オスカーって男性よ」と1人。「そうね、でも、ここはハリウッドだから」と相手が言っていた、というもんです。ま、ネタでしょうけどね。
そうやって今年のオスカーも終わりました。地味目でしたね。
恒例の鬼籍に入った映画関係者の映像の最後に、ヒース・レッジャーが映りました。
なんだか胸が詰まりました。
でも例年になく、一人一人の映像が短かったような気がします。
で、ブラッド・レンフロがこの追悼映像リストになかったのは、どうしてでしょうね。忘れられちゃったんだろうかなあ。