東京湾景
日本に行ったことで中断していた「東京湾景」を読み終える。
吉田修一の、この、なんともいえない適度感というのは何なんだろう。
深みにはまっていかない。とはいえ軽いわけではない。
喫水線あたりで紡がれる物語。
この小説の収穫は、ここに描かれる「亮介」という肉体労働者だろうな。とはいえ、これも従来の小説に登場してきたような肉体労働者とは違って喫水線上の男。なんともヘテロセクシュアルなんだが、たしかにゲイ視線、オンナ視線、作者視線では面倒くさい頭を持ってない、「癪に触るけど惹かれちゃうんだよねえ」「いいよねえ、こういうの」という、愛玩物的、描き方。惚れられようがられまいがおれの知ったこっちゃねえ、という自意識の未分化的生物。
文学に弱点があるとしたら、それは、「書いてるやつは所詮、書けるやつじゃねえか」ということだと思っているのだが、こういう亮介みたいな、亮介自身は自身を書けない男、を提出されるとなるほどねえと納得してしまう。書き手というのは、だから必要なのだ、と。
終盤、というか終始、三文恋愛小説の装いを捨てないのでノルウェイの森なんかのことを思い出しもしたが、ノルウェイの森はぜんぜんわが琴線に触れなかったのは、そうね、みんな自意識ごっこやってたからか。
東京湾景、痛いセリフが出てくる。まるで読むのをいままで先延ばしにしていたのはそのせいだといわんばかりの。
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「どうして? とつぜん別れてくれなんて残酷なこと、平気で言えるくせに、どうして二股かけるくらいのことができないのよ!」
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「あんなに愛してたのに……、それでも終わったんだよ。人って何にでも飽きるんだよ。自分じゃどうしようもないんだよ。好きでいたいって思ってるのに、心が勝手に、もう飽きたって言うんだよ」