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July 23, 2008

逝く者、去る者、生きる者

ちょっと前の話になるんですがね、ある年の感謝祭に友人にサウスカロライナの実家まで招待されたことがあります。七面鳥も食べて、さて翌日は私からのお礼ということで、友人のご家族をどこかにお連れしたいと申し出ました。「せっかくですからジャパニーズレストランは?」と提案すると「ああ、あります、あります」と言われて案内されたところが「鉄板焼き」でした。

なるほど、いまでこそ「スシ、サシミ」は有名ですが、いまでもきっと南部や中西部、いやいやニューヨークから少しでも出たら「ジャパニーズ・レストラン」とは「ヒバチ・ステーキ」屋さんのことなのでしょう(こちらではあの鉄板焼きをなぜかヒバチ(火鉢)ステーキって呼ぶんです。火鉢焼きはまた別にちゃんと火鉢のがあるんですがね、謎です)。友人の甥っ子の小学生は、ナイフやスパチュラをくるくる回しながら野菜やエビの頭を宙に飛ばすニホン人ふう料理人に大喜びでした。

15年もニューヨークに住んでいるのですが、じつは私はベニハナに行ったことがありません。ロッキー青木には1、2度会いしましたが、ろくに話もしませんでした。いつかそういう機会も来るだろうとのんびり構えて、敢えてその時を作ろうとは思っていなかった。そうして先日の訃報を目にしたのです。


そんなときに野茂の引退表明も行われました。
彼がこちらに渡ってきたのは13年前の95年でした。その前年から野茂の大リーグ挑戦はメディアで取り上げられていたのですが、それは好意的なものだけではけっしてありませんでした。「世話になった近鉄を捨てて、他の迷惑も考えずに米国に行く自分勝手な恩知らず」、たしかそんな論調でした。それはむろん、そう感じる者が少なからずいたという当時の日本社会の反映でもあったのです。いまでは信じられませんが、石もて野茂を追ったと同じニホン人たちが大リーグでの活躍で掌を返して彼を絶賛したのです。

野茂は批判にもなにも反論しませんでしたが、しかしあの彼の寡黙のどこに、単身アメリカに渡って野球をしなければならないという切実さが秘められていたのでしょう。インタビューでもする機会があったら聞こうと思っていたのですが、当時、その1年後に例の伊良部がヤンキーズに入ってきて、NY駐在の私としてはそっちを取材する機会はあったものの、野茂にはけっきょくいまも会ったことのないままです。

そんなことを思い出しながら、ロッキー青木のことをまた考えました。彼が留学生として渡米したのは48年前、1960年。NYのベニハナ・オブ・トーキョーの開業は1964年だそうです。

私がベニハナに行ったことがないのは、じつはどこかであれはニホンじゃないと恥ずかしく思っていたからです。いま私たちはそういうレストランを「なんちゃってジャパニーズ」って言ってバカにしています。味がどうのこうのというより以前に、まず、コンセプトから鼻で嗤っている。それはでも、ふと思うに、野茂を「ああいうはみだし者はニホン人じゃない」と非難した“世間”と本質的に同じじゃないか?

ロッキー青木が「ニホン」を伝えるためにどんなに必死にアイディアを振り絞ったか、私はその苦労すら顧みようと思ったことがありませんでした。そりゃ大変だったろうに。

そしていまロッキー青木も野茂英雄も、彼らの渡米は、ひょっとすると職業的な野心とか野望とかいうのとはちょっと別の、もっと個人的な、やむにやまれぬ自己実現のなんらかの手段だったのではないかと思い至るのです。

先週末、東京から出張でやってきたTV局の友人と会食しました。NYでとあるイベントを行うその下準備でさまざまな関係者に会いに来たそうですが、その彼が言うには「NYの日本人はみんな濃いですね。日本では周囲の評価がその人を決めるみたいなところがありますが、NYではみんな自分で自分の評価を決めているみたいな」

なるほどそうかもしれないなあ。
自ら選んでこっちで生きている人間はみんなどこかで見果てぬ自己実現を目指し、つまりはみんななんかヘンなやつなのかもしれません。最近の駐在で日本から派遣された会社員たちは違いますが、60年代、70年代にこっちに渡ってきたようなひとたちはそりゃもうひどく濃い。

変なやつって、英語ではweirdoって言います。
もっとはっきり言えば Queer ってことですわね。ふふ。

July 10, 2008

石田衣良の「娼年」という小説

石田衣良という作家を論じるにこの「娼年」という作品を通じてでいいのか、これしか読んだことがないのでわたしはまったくわからないけれど、どうなんでしょうね。昨晩、地下鉄の中でこれを読み終えての感想は、うーん、なんというか、そつのなさで終わっちゃってるなあ、という感じのものでした。

ヘタクソじゃあまったくないんだけど、いやむしろ文章としてはいろいろと頑張って記述してるなという感じもあるのだが、いかんせん、主人公を20歳の男の子にして、それをずいぶんともったいつけて大人なふうにも描いているのにもかかわらずやはりしょせんはガキなんですね。「女もセックスも退屈でつまらない」といわせているんだけど、それもカッコつけだけみたいな感じがする。底が浅いんだ。

こういうとき、この主人公に、他のいろんな傑作の同じような年頃の男の子をぶつけてみるとわかることがあるの。たとえばこの主人公の「リョウ」くんに、大江のバードをぶつけてみる、とか。するとさ、「リョウ」くん、微塵もなくなるのよ。薄っぺらな仮面がはがれる。どうでもいいじゃん、そんなこと、ってなる。

じつはわたしもむかし20代の終わりに、こうした秘密売春クラブを描いた短編を「新潮」に発表したことがあって、そこでもやはり精一杯、主人公の男の子を大人びた人物に仕立て上げたのね。わたしのそれはたしかぜんぜんセックスを描かなかったんだけど、それはセックスをたいそうなものとは思ってない主人公だったからで、しかもそのセックスってのはほかの人にはたいそうなものだっていうのを利用して秘密クラブが運営されているってことに自覚的だったからなのです。

でね、その思いはいまも正しかったんじゃないかって思うのだ。セックスって、たいそうなものだって描くにはほんと、大江みたいに徹底しなきゃならんでしょ。でもそれは虚構の粋を極めて真実にたどり着く、みたいな方法なんですね。でも、いまも(あるいはいまになって)思うに、売春に罪悪感とかを感じるのって、ちょっとセックスを買いかぶり過ぎなんじゃないかって思うわけさ。

これを意識化できたのはハスラー・アキラの「売男日記」っていうジャーナルを読んでからなんだけど、売春夫にとってセックスってのは相手が売春セックスにどう罪悪感を持っていようが、清らかで生温かい癒しの商品だってことなんですね。

愛のないセックスって言うけど、セックスを生殖から独立させたら、セックスそのものがコミュニケーションの手段になり得る。愛がなくたって、というか、ときどき、セックスに愛が邪魔だったりしません? その辺の意識操作というか、そういうのを経てしまうと、セックスを、愛といっしょでないと成り立たないとする卑下から解放してあげることができるのだ。友情でするセックスってのも、またいいもんなんじゃないかって思ったりするのよ。もっとも、相手の気持ちもあるのでなかなかそういうのは難しかったりするけどね。

そういうところまで考えないと、小説として成立しないんじゃないのかなあ。セックスをそうたいそうなものとして描くのって、ちょっと違うような気がします。いや、この「娼年」に描かれるセックスはそれじたいとしてはいいんですが、それを「リョウ」くんが感心してしまってはお里が知れる。そういう印象。

石田衣良って、どうなんでしょう。
小説は予定調和的に上手な書き手だっていう印象を持ちました(さっきから言うようにこれ一冊しか読んでないんだけどね)。それに目線がとってもやさしいふう。てか、やさしいでしょうって言ってるようなふう。偏見ないよ、って。そして、いろんなことにちゃんと答えが出るふう。そんでもって、このそつのなさっぽさのせいで、なんとなくうさん臭い感じがするんだよね。なんでも教えてあげますよ、ってな感じが災いしてるみたいな気がするのですわ。

さて、わたしのこの勝手な読後印象、間違っているならごめんなさい。
もう1冊くらい読むべきかな。
ま、縁があったら……。
失礼しました。

いまの子供と50年後の子供

温室効果ガスの世界全体の排出量を「2050年までに半減する」ではなく、さらには「半減するという長期目標を共有する」ですらなくて、「2050年までに半減するという長期目標を共有することを目指す」っていう、この、動詞が3つも入ったヘタクソな日本語の3重に薄められた「G8宣言」というのはまさにいまのアメリカの断固たる及び腰と日本政府の遠慮とを象徴していて興味深いものでした。

いや、じつはこういう何重もの言質回避の表現は国連の安保理決議などでも蔓延しているので、政治宣言としては驚くほどのことでもないのですが、米国シェルパ(実質的な議論を担う交渉代理人)のダン・プライス大統領補佐官が「素晴らしいG8宣言文」と自画自賛するのを聞けば、さすがは弁護士出身、そりゃつまり自分に有利に導けたって意味ね、とすぐにわかるというもんです。

日本政府も自画自賛していますが、こちらは欧州勢と米国との板挟みになって、それでもいちおう文言をまとめあげるのに成功したという意味でしょうか。しかしなんだかこれも、安易に「自分をほめてあげたい」と言いのける今時の甘ったれ風潮そのもの。欧州勢から「日本のリーダーシップが見えない」とさんざん呆れられているのを、米国しか見ていないので気づかなかった、あるいは政治理念もなくただまとめることしか考えていなかったってことです。

たしかにまとめあげたことは認めます。それもたしかにひとつの政治でしょう。そのようにしかものごとは進んでいかないのもわかります。だが、このなんとはなしの「切羽詰まっていなさ」は、政治的想像力の不在というか、つまりはこのサミットに出席しているすべての人間たちが、おそらくは50年後にはもうこの世にはいない、ということに関係しているのではないかと、ふと思ったりもするのです。

まあ、そんなことを言うのはエキセントリックだと思われてしまう、われわれのいまの有り様もあるのですがね。

とどのつまり、今回のG8はエコロジー(生態系)とエコノミー(経済)の兼ね合いをどうするかという人類の宿命に関する議論の場でした。つまり50年後の子供たちといまの子供たちの、両方を救うにはどうすればよいかということです。アフリカなどでの食糧危機を見ればそれはより切羽詰まった課題として目の前に立ち現れます。

もちろん、いまの子供たちに心配のない先進国では50年後を考える余裕もありますが、いま現在飢えている国ではいかに産業をおこしそれを基に人びとが食べていけるかを探るに精一杯です。そんなときに温暖化ガス排出規制など気にしている余裕はない、いま生き延びなければ50年後もないのだ、という論理になります。それもまたもっともで、新興国も交えた8日の会議では先進国側が先に80-95%の排出ガス削減を行えといった主張もなされました。それももっともなことなのです。

ところがそれではアメリカは産業が立ち行かなくなる。ガス排出規制のすくない新興国に産業が移行してしまう。そうすればアメリカの50年後もない。それがこの洞爺湖宣言に及び腰だったアメリカの、いまのブッシュ政権の論理です。しかしブッシュは洞爺湖で終始緊張感のない顔をしていましたね。はっきりいって大統領職を投げ出しているような顔だった。北朝鮮問題といいこのG8といい、とにかく任期内でいろんなことをとにかくまとめればよいという、冒頭の日本政府の交渉役みたいな心情なんでしょうか。自分の任期のことだけしか頭にないような。

しかし次のオバマあるいはマケイン政権がどう出るかはまた別の話になると思います。特にオバマ政権になれば、あのゴアが環境関連の特命大臣に任命されるということですし。日本も次の選挙で民主党が勝利して小沢政権になったら果たしてどう変わるかわかりません。不明なところも多いのですが、環境問題でも新味を出してくるはずです。

しかしそれまではおそらくこの問題に関する政治の力の不在が続くかもしれません。
そうしてその間にも刻々と地球環境はいま現在のわたしたちの生態系を破壊するように変化しているのです。
世界の食糧危機を深刻に憂慮すると言ったその舌の根も乾かぬうちに18コースもの豪華な晩餐を囲むサミットリーダーたちを見ていると、まさに人間の活動そのものが宿命的に持つ反生態系の害毒を思わずにはいられません。エコノミーとエコロジーは、だれがなんといったって対立する項目なのです。そこを誤魔化さずに折り合いを見つける、といっても、しょせんそれは破滅を先送りする手段を講じているだけのような気もします。

July 09, 2008

ずいぶんと間を空けてしまった

お久しぶりでございます。(ってだれにいってるんだか)

こういうときに問題なのは、現在いろいろと書くことがあってもまずは順番にこの空白期のことを書き記さねば次に行けないと思ってしまうことで、そうやってウダウダしているうちにいま書かねばならないことも古くなって書く機を逸してしまって、けっきょくは空白期も現在もペンディングのまままた次の月になってしまうってことです。そうして3カ月近くが真っ白いまま。

ということでもうしょうがないからこの間のことをかいつまんで報告しますと、5月は所用で忙しく過ぎ、そんで5月27日から札幌に帰って、ヘドウィグ&アングリーインチの札幌公演を見てきました。わたしの翻訳したこのクイアミュージカルは山本耕史がこの札幌公演でとんでもなく緊張感を持ったパフォーマンスをやってくれて、わたしは自分が訳した自分の決め言葉が彼の口から出るたびに涙を流していました。山本耕史はその月、じつは大阪公演で相手役のソムン・タクが韓国に一時帰国後書類不備で再入国できないという事故に見舞われて、急きょ代役を立てたもののほとんどこの劇を一人芝居にして演じるという、ぎりぎりの選択を迫られていたのです。

結果、わたしはこの俳優をこころから畏怖することになりました。ふだんはほんと、いまどきの若者、なんですがね、さすが子役から鍛えられているというか、プロフェッショナルとして背骨というか気骨というか、そういうものを持ち合わせた役者でした。歌もビックリするくらいうまいし。これは日本の役者としてじつに珍しい資質です。

ということで北海道で母親と一週間を過ごし、それから3日に東京に移動して、こちらではメリル・リンチ・ジャパンで2度、社内講演を行いました。「ダイヴァーシティ委員会」というものを社内に設置したのだが、その中でLGBT問題だけがきちんと説明してくれる人がいなかった、ということで私に白羽の矢が立ったわけです。この講演の内容はいずれアップします。

それからヘドウィグの東京公演ファイナルを厚生年金で行い、あ、そのまえにわたしの大切な人の芝居をこれもやはり2度ほど友人たちを誘って観に行って、それからオリジナル・ヘドウィグであるジョン・キャメロン・ミッチェルを迎えるためにまずはソウルに一泊で出向き、そして成田で彼らの一行3人を出迎えて、ヘド・コンサートのために通訳として東京でアテンドしておったわけです。

ヘド・コンサートは中野サンプラザで21日の土曜日に行われましたが、大変な盛り上がりと劇的な構成で大好評でした。詳細はきっとあまたあるヘドファンたちのブログで明らかになっていると思います。

ということで、キャッチアップ終わり。

おまけ写真。ヘドコンサート後の打ち上げパーティー。左から中ちゃん、ジョン、耕史くん。

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