« October 2008 | Main | December 2008 »

November 27, 2008

ウニタの遠藤さん、死去

ウニタ書舗の元店主遠藤忠夫さんの訃報があった。

エリカっていう神田の薄暗い喫茶店で、よく話を聞いたなあ。
あの店、まだあるのかしら。

20年前の当時のぼくは警視庁の公安担当で、遠藤さんには取材で会う必要があったのだけれど、この歴戦の目撃者は妙にひょうひょうとしていてタバコなんぞをくゆらしながら新左翼の連中を温かく批判していた。当時は彼がゆいいつ重信房子なんかの日本赤軍とのパイプ役で、「こないだ重信に会いに行ってきたんだけど」と彼の語るベカー高原だとかゴラン高原だとかは、いまよりもはるかに少ない情報の中で妄想に近い地形となってぼくの頭の中で黄土色の風を吹かせていた。

そういえば彼は北朝鮮の赤軍の連中ともパイプを持っていた。あの大韓航空機爆破事件の蜂谷真由美こと金賢姫の一件でもずいぶんと裏の話を聞いた。あのころの公安は丸岡の逮捕とか泉水の逮捕とか、中核の圧力釜爆弾とか革労協のロケット弾とかスパイ事件もあって、なんでとつぜん思い出したように忙しかったんだろう。 そういえばあれが昭和の終わりだったんだ。

新聞記者のいいところは、新聞記者であるってことだけで業務と関係なくともいろんな人の話を聞けたことだった。記事にならない百万のエピソード。むしろそのほうが大切だったような気がする。

そういう意味では会社勤めのジャーナリストというのはかなり恵まれている。書かないときでも給料をもらえるんだから。わたしもその恩恵をずいぶんと受けてきた。いまでもそれが貯金だし。減らないし。ただ、アップデートは難しいかな。

遠藤さん、享年83歳。
そうか、あのころ遠藤さん、62、3だったんだ。
合掌。

November 26, 2008

読者からのあるコメント

清野さんという、このブログを読んでいてくれている方から、先日来の同性婚問題に関連して次のようなコメントが「白い結び目」のブログのコメント欄に書き入れられました。

わたしの論評は余計でしょう。
とても考えさせられる文書です。
みなさんにも読んでいただきたく、ここに再掲してご紹介します。

**

北丸さんおはようございます。早すぎますか?少しだけ私の後悔の話を聞いて下さい。

それは私がまだ23歳で大学を卒業して東京の会社に就職した年のことです。まだ新入社員研修をしていたばかりの頃、自分の不注意の為に会社内で事故を起こし入院し、手術ということになりました。大変な手術でした。

その入院中に会社の7年先輩のSさん(男性)が何度も見舞いに来てくれました。日々不安でいた私の所に特別何も言わなかったのですがよく来てくれていつしか仲良くなっていました。退院後も飲みに連れて行ってくれたり野球に連れて行ってくれたり、寄席やボウリングなど退社後や日曜日も先輩(これ以降彼と書きます)が連れていってくれました。お金も何事もないようにすべて彼が払ってくれていました。これは私が怪我をした事に対して気の毒と思っての事なのかな?と思っていました。また薄給の新人は会社ではこのように面倒みてもらえるものなのかな?と考えていました。実際他の先輩もよく私をドライブやスナックに連れて行ってくれていたのでそのようなものだと思っていました。

恋も知らず、社会も知らない私はまるでわかっていませんでした。その後も彼とは二人で旅行にも行きましたし、彼の家にも招待されたし、私のアパートに泊まりに来たこともありましたが私の中では仲が良い先輩の域を越えなかったし彼も何ももとめませんでした。ただ私を可愛がってくれるだけでした。

怪我の治りの悪かった私は普通の勤務が大変でこのまま会社に迷惑をかけ続ける事に対しても申し訳なく1年半後に決意して辞表を出しました。彼にも相談していましたが彼が何かを示唆することはありませんでした。

彼は変わらず引越しの準備を手伝い荷物を業者に出してくれたりといつものように私のすぐ近くにいてくれました。最後まで何も語らず、彼との別れが近づいていました。

山手線の電車に乗っていました。かなり混んでいました。私と彼は向き合うように立っていました。この電車を私が降りたら彼とはもう会えないと思ったら私の心の中から嗚咽のような感情が起こりました。涙が堰をきったように流れ出し電車の中で止まらなくなりました。そうすると彼がズボンのポケットからハンカチを出し私に渡し「返さなくていいから」といいました。私はもっと激しい涙がでてきました。そうするといつのまにか私の顎が彼の左肩にのっていました。そして彼はものすごくソフトに私を抱いていました。私はいつの間にか彼を抱きかえしていました。私の降りる駅まで彼は私を抱いていました。いやではありませんでした。私の降りる駅が来ました。何も言わず彼は私を降ろしました。でもいつもと違う顔でした。降りた私は暫くホームで涙が止まりませんでした。

それから私は次の日、田舎に帰りました。怪我の事で人生を失敗したような失意となんであんな会社に入ってしまったのだろうという悔しさで、会社の事はもう考えたくなくて電話もかけず、忘れたいという思いが私を包んでいました。2ヶ月後位にふいに彼から電話がありました。「なんで電話をかけないんだ?もっと電話をかけろよ。東京に出て来い」と言いました。いろいろと話しましたが、特に私の中で気持ちの変化はありませんでした。

それ以降私はその会社の事も彼の事もちっとも考えませんでした。東京に戻る気もありませんでした。彼からはその後電話はありませんでした。2年後位に彼が結婚して婿さんになったという噂をききました。でも遠い所の話のような感じでした。

それからまた何年もたち友人達との話のなかで私が「新人の頃はよかった。先輩に面倒みてもらったし、お金を自分で払った事もない」というと友人達から「そんな事はない」と言われました。「割勘だったよ」という話でした。旅行の話にしても電車の中の話にしても「それはその先輩がお前が好きだったんだよ」と断定されてしまいました。私もそうかな?と思い始めましたがそうではないだろうとも思います。ただ私のような者の為に彼が支払った金額は膨大だったのではないか?自分がその立場だったら後輩にそこまでやってあげる気がしませんでした。不意に彼の愛情に気がついてしまいました。私は子供だったと思いました。申し訳ないと思いました。謝らなければならない、感謝の気持ちを伝えなければならないと思いました。でも彼は会社も辞めて居所もわからなくなっていました。どうぞ彼が幸せでいて下さいといつも祈っています。

もしもあの頃、同性と結婚できる世の中だったら私は彼と結婚していたと思います。彼の幸せをそっと願うこともなく、今一人で寝るベットの中には彼がいて私が朝、目を醒ますと彼が「おはよう」と言ってくれる日常があったのではないかと思うのです。

November 22, 2008

おだつ政治家

バラク・オバマの希望と展望と緊張感に溢れた演説に慣れてしまったせいか、日本の首相である麻生太郎の話し振りを聞いているとなんだかグッタリします。「(医者は)社会的常識がかなり欠落している人が多い。とにかくものすごく価値観が違う」という例の発言をあげつらっているわけじゃないんですがね。

「ものすごく価値観が違う」のは(敢えてカテゴライズすれば)医者に限らず高級レストラン通いの麻生さんを筆頭に政治家も似たり寄ったりで、過去、何人かの政治家にインタビューした際もときに開いた口が塞がらなかったことがありましたし、よく言うわ、という感じ。

それよりこないだのワシントンでのG20金融サミットの麻生の記者会見。

英語の話せる日本の政治家というのは、英語になると日本語よりも上機嫌で受け答えする傾向があるようで、私の知るかぎり例外は故・宮澤喜一だけ。宮沢喜一は英語になると逆により慎重かつ的確に受け答えして浮ついたところがなかった。でもこないだの麻生さん、外国人記者の質問にはニコニコと妙にうれしそうで、しかも「通訳が精確に伝えてくれるといいんですが」と、それが気の利いたコメントかのように2回も付け加えた。2回目はなんだかへんな英語も添えて(distort という結構な単語と、okay? というくだけた口語とがなんともチグハグでね)。ダシに使われたプロの通訳さんもお気の毒というかなんというか。

麻生は景気対策第1と言いながら第2次補正予算を出さないとか、解散先送りで延命ばかりだとか、まあ、そういう難しい話はさておき、私にはどうもこの人の性格がよくわからんのですわ。北海道弁で「おだつ」という方言(動詞)があるんですが、麻生太郎を見てるといつも「何ひとりでおだってるんだろう」と思ってしまうんです。

「おだつ」とは「調子に乗る」とか「はしゃぐ」とか、特に子供が大人のウケをねらって必要以上に目立とうとふざける、みたいな意味です。

68歳の政治家を捕まえて「子供みたい」というのもナンだけど、この人、ほんとにおだった言動が目立つ。秋葉原でオタク相手におだてるのは人気取りが宿命の政治家のパフォーマンスとしても、首相ぶら下がり取材の報道陣へのコメントでやたら新聞記者を皮肉ったり挑発したりするのも大人げない。べらんめえ調っぽい言葉遣いだってなんだか下品な方に流れるし、演説はやたらドスが利いてるがさっぱり高邁さが窺えない。ほんとうにいわれてるような上流階級の出とは思えない。ってか、上流階級ってったってみんな明治維新からの政治成金だしなあ。オダツのも宜なるかな。

あの総額2兆円の定額給付金構想にしても私には竹下内閣時の全国市区町村1億円ばらまきふるさと創世資金みたいな愚策に思えて仕方ないんです。これだってどうも熟慮というよりおだった結果の思いつきなんじゃないのか。ホント、自民党はいつからこんな子供じみた政党に成り果てたのか。民主党は、あれ、反対すべきです。

あ〜あ、と思ってテレビをつけたら、TVジャパンでやっている数カ月遅れの「笑点」では、アンジャッシュっていうなんだか知らん若手のコントのコンビが、「わたしカツラなのだしかもゲイよ」だなんてバカみたいなネタで5分間もいたずらに持ち時間をもたしてます。カツラの人間をからかって面白がるのは小学生くらいでしょう。そんでいまもまだ「ゲイ」ネタです。「若手」であることに、なんの意味があるのか。若手というのは、時代の新しさを背景にしているはずではないのか。なのにこれじゃただのバカじゃないですか。

この首相にしてこのコントあり。
日本はいったい何をしてるんだろー。

November 20, 2008

白い結び目 WhiteKnot.org

カリフォルニア、ってわけではなく、アメリカでの同性婚の権利を支持しようという運動が新たな展開を見せています。

その中で、ホワイトノット運動というのが出てきました。
www.whiteknot.org
にアクセスすると詳細が書いてあります。

whiteknotad-300x250.jpgwhiteknotad-300x250-2.jpg

つまりこれ、白い結び目を作ったリボンを胸につけて、ゲイへの平等な権利を静かに支持を訴えるもの。

whiteknot.jpg

もちろんあのレッドリボンのバリエーションです。
白いリボンを結ぶってのが、「結婚」にもふさわしいでしょ。
いままさに始まろうとしている運動です。きっと、これは流行るね。
しかし、アメリカ人はこういうの考えるのうまいなあ。

作り方ですよ。

1)長さ15cm、幅2cm〜2.5cmほどの白いリボンを用意する。
2)真ん中部分で2度結びするんだけど、最初の結びをきつくすると2度目の結びで両端がそろえやすいですって。
3)両端を三角に、チョキの形に切り取る。こうするとほつれにくいし、きれい。
4)出来上がり、あとはこれを付けて外に出るだけ。

日本じゃまだだれもやってないでしょうね。
こっちでも始まったばかり。
どうぞお広めくださいな。

November 17, 2008

オルバーマン翻訳


Finally tonight as promised, a Special Comment on the passage, last week, of Proposition Eight in California, which rescinded the right of same-sex couples to marry, and tilted the balance on this issue, from coast to coast.

最後に、お伝えしていたとおり先週カリフォルニアで可決された提案8号のことについて特別コメントをします。同性カップルが結婚する権利を廃棄する、というものです。同性婚問題に関する均衡がこれで揺るがされました。全米で、です。

Some parameters, as preface. This isn't about yelling, and this isn't about politics, and this isn't really just about Prop-8. And I don't have a personal investment in this: I'm not gay, I had to strain to think of one member of even my very extended family who is, I have no personal stories of close friends or colleagues fighting the prejudice that still pervades their lives.

前置きとしてわたしの基準を言います。これはエールを送っているのでもなく、駆け引きをしようとしているのでもなく、そして本当は単に提案8号のことでもありません。わたしにはこの問題に関して個人的な思い入れもありません。わたしはゲイではないし、自分の家族親族の中にゲイがいるかと考えると、ずいぶんと範囲を広げても考え込んでしまうほどです。近しい友人や同僚たちの中に彼らの暮らしにいまも影を落とすこの偏見と闘っている者がいる、という私的なエピソードもありません。

And yet to me this vote is horrible. Horrible. Because this isn't about yelling, and this isn't about politics. This is about the human heart, and if that sounds corny, so be it.

しかし、そうではあっても、この投票はひどい。ひどすぎる。なぜならこれはエールでも駆け引きでもなく、人間の心の問題だからです。もしこの言い方が陳腐だと言うならば、そう、陳腐で結構。

If you voted for this Proposition or support those who did or the sentiment they expressed, I have some questions, because, truly, I do not understand. Why does this matter to you? What is it to you? In a time of impermanence and fly-by-night relationships, these people over here want the same chance at permanence and happiness that is your option. They don't want to deny you yours. They don't want to take anything away from you. They want what you want—a chance to be a little less alone in the world.

もしあなたがこのプロポジションに賛成票を投じたのなら、あるいは賛成した人を支持する、あるいはその人たちの表明する意見を支持するのなら、わたしはあなたに訊きたいことがある。なぜなら、ほんとうに、わたしには理解できないからです。どうしてこの問題があなたに関係あるんですか? これはあなたにとって何なんですか? 人と人との関係が長続きもせず一夜で終わってしまうような時代にあって、ここにいるこの人たちはただ、あなたたちが持っていると同じ永続性と幸福のチャンスを欲しいと思っているだけです。彼らはあなたに対し、あなたの関係を否定したいと思っているのじゃない。あなたたちからなにものかを奪い取りたいわけでもない。彼らはあなたの欲しいものと同じものを欲しいと思っているだけです。この世にあって、少しばかりでもさみしくなくいられるようなチャンスを、です。

Only now you are saying to them—no. You can't have it on these terms. Maybe something similar. If they behave. If they don't cause too much trouble. You'll even give them all the same legal rights—even as you're taking away the legal right, which they already had. A world around them, still anchored in love and marriage, and you are saying, no, you can't marry. What if somebody passed a law that said you couldn't marry?

それをあなたは彼らにこう言う──だめだ。そういう関係では結婚は許されない。ただ、行儀よくしているならば、きっと似たようなものなら。そんなに問題を起こさないなら、あるいは。そう、まったく同じ法的権利をあなたたちは彼らに与えようとさえするんでしょう。すでに彼らが持っていた法的権利を奪い取るのと引き換えに。彼らを取り巻く世界はいまも愛と結婚に重きを置くくせに、しかしあなたたちが言うのは、ダメだ、きみらは結婚できない。もしだれかがあなたは結婚できないと断じる法律を成立させたら、どういう気持ちですか?

I keep hearing this term "re-defining" marriage. If this country hadn't re-defined marriage, black people still couldn't marry white people. Sixteen states had laws on the books which made that illegal in 1967. 1967.

ずっと聞いているのは、結婚の「再定義」ということばです。もしこの国が結婚を再定義してこなかったなららば、黒人は白人といまでも結婚できていないはずです。1967年時点で、16の州がそれを違法とする成文法を持っていたんです、1967年に。

The parents of the President-Elect of the United States couldn't have married in nearly one third of the states of the country their son grew up to lead. But it's worse than that. If this country had not "re-defined" marriage, some black people still couldn't marry black people. It is one of the most overlooked and cruelest parts of our sad story of slavery. Marriages were not legally recognized, if the people were slaves. Since slaves were property, they could not legally be husband and wife, or mother and child. Their marriage vows were different: not "Until Death, Do You Part," but "Until Death or Distance, Do You Part." Marriages among slaves were not legally recognized.

この合州国の次期大統領になる人の両親は、彼らの息子がいずれこの国の指導者になろうと成長しているそのときに、この国の3分の1近くの州では結婚できなかったのです。いや、もっとひどいことがある。もしこの国が結婚を「再定義」してこなかったなら、黒人のある人々は他の黒人ともいまも結婚できていなかった。それはほとんどの人々が見逃しがちな、われわれの悲しむべき奴隷制度の歴史の最も冷酷な部分の1つです。なぜなら奴隷は所有物だったから、彼らは法的には夫にも妻にもなれなかった。あるいは母にも子供にもなれなかった。彼らの結婚の誓いは違うものだったのです。「死が汝らを分かつまで」ではなく、「死が、あるいは売り渡される距離が、汝らを分かつまで」だった。奴隷間の結婚は法的には認められていなかったのですから。

You know, just like marriages today in California are not legally recognized, if the people are gay.

そう、ちょうど、カリフォルニアの結婚が今日、もしゲイならば、法的に認められなくなったのと同じです。

And uncountable in our history are the number of men and women, forced by society into marrying the opposite sex, in sham marriages, or marriages of convenience, or just marriages of not knowing, centuries of men and women who have lived their lives in shame and unhappiness, and who have, through a lie to themselves or others, broken countless other lives, of spouses and children, all because we said a man couldn't marry another man, or a woman couldn't marry another woman. The sanctity of marriage.

われわれの歴史の中で、世間に強いられて異性と結婚したり、偽装結婚や便宜上の結婚や、あるいは自分でもゲイだと気づかないままの結婚をしてきた男女は数知れません。何世紀にもわたって、恥と不幸にまみれて生き、自分自身と他人への嘘の中でほかの人の人生を、その夫や妻や子供たちの人生を傷つけてきた男女がいるのです。それもすべては、男性は他の男性と結婚できないがため、女性が他の女性と結婚できないがためなのです。結婚の神聖さのゆえなのです。

How many marriages like that have there been and how on earth do they increase the "sanctity" of marriage rather than render the term, meaningless?

いったいそんな結婚はこれまでいくつあったのでしょうか? それで、そんな結婚がいったいどれほど結婚の「神聖さ」を高めているというのでしょうか? むしろそれは「神聖さ」をかえって無意味なものにしているのではないのか?

What is this, to you? Nobody is asking you to embrace their expression of love. But don't you, as human beings, have to embrace... that love? The world is barren enough.

これは、あなたにとって何なのですか? だれもあなたに彼らの愛情表現を信奉してくれとは言っていません。しかしその愛を、人間として、あなたは、祝福しなくてよいのですか? 世界はもうじゅうぶんに不毛なのに。

It is stacked against love, and against hope, and against those very few and precious emotions that enable us to go forward. Your marriage only stands a 50-50 chance of lasting, no matter how much you feel and how hard you work.

愛は追い込まれています。希望もまた。わたしたちを前進させてくれるあの貴重で数少ない感情が、劣勢にあるのです。あなたたちの結婚は50%の確率でしか続かない。どんなに思っていても、どんなにがんばっても。

And here are people overjoyed at the prospect of just that chance, and that work, just for the hope of having that feeling. With so much hate in the world, with so much meaningless division, and people pitted against people for no good reason, this is what your religion tells you to do? With your experience of life and this world and all its sadnesses, this is what your conscience tells you to do?

そうしてここに、その50%の見込みに、そのがんばりの可能性に、そしてその思いを持てることの希望に大喜びする人たちがいるのです。世界に蔓延する憎悪や無意味な分裂や正当な理由もなくいがみ合う人々を目にしながら、これがあなたの宗教があなたに命じた行為なのですか? これまでの人生やこの世界やそのすべての悲しみを知った上で、これがあなたの良心があなたに命じたことなのですか?

With your knowledge that life, with endless vigor, seems to tilt the playing field on which we all live, in favor of unhappiness and hate... this is what your heart tells you to do? You want to sanctify marriage? You want to honor your God and the universal love you believe he represents? Then Spread happiness—this tiny, symbolic, semantical grain of happiness—share it with all those who seek it. Quote me anything from your religious leader or book of choice telling you to stand against this. And then tell me how you can believe both that statement and another statement, another one which reads only "do unto others as you would have them do unto you."

人生というものが、むしろ不幸や憎悪の方を味方して、私たちみんなの拠って生きる平等な機会を何度も何度も揺るがしがちだと知っているくせに、それでもこれが、あなたの心があなたにこうしろと言っていることなのですか? あなたは結婚を聖なるものにしたいのでしょう? あなたはあなたの神を崇め、その神が体現するとあなたの信じる普遍的な愛というものを栄光に包みたいのでしょう? それなら、幸せを広めなさい。このささやかで、象徴的で、意義のある、一粒の幸せを広めてください。そういう幸せを求めるすべての人たちと、それを共有してはどうですか。だれか、あなたの宗教的な師でもいい、然るべき本でもよい、そんな幸せに反対せよとあなたに命じているものがあるとしたらなんでもいい、それをわたしに教えてほしい。そうして、どうしてその教えと、もう1つの教えの、両方をあなたが同時に信じていられるのかを教えてください。「自分が為してほしきものを他人に為せ」という教えです。

You are asked now, by your country, and perhaps by your creator, to stand on one side or another. You are asked now to stand, not on a question of politics, not on a question of religion, not on a question of gay or straight. You are asked now to stand, on a question of love. All you need do is stand, and let the tiny ember of love meet its own fate.

あなたはいま、あなたの国によって、そしてたぶんあなたの創造主によって、どちらかの側に立つようにと言われています。あなたは、政治の問題ではなく、宗教の問題でもなく、ゲイとかストレートとかの問題でもなく、どちらかに立つように求められているのです。何に基づいて? 愛の問題によってです。行うべきことはただ立つこと。そうしてそのささやかな愛の燃えさしが自身の定めを全うすことができるようにしてやることです。

You don't have to help it, you don't have it applaud it, you don't have to fight for it. Just don't put it out. Just don't extinguish it. Because while it may at first look like that love is between two people you don't know and you don't understand and maybe you don't even want to know. It is, in fact, the ember of your love, for your fellow person just because this is the only world we have. And the other guy counts, too.

べつにそれを手助けする必要はありません。拍手を送る必要もない。そのためにあなたが戦う必要もない。あなたはただ、その火を消さないようにしてほしい。消す必要はないのです。最初はそれは、あなたの知らない2人の人間のあいだの愛のように見えるかもしれない。あなたの理解できない、さらにはきっと知りたくもない2人の人間の愛です。しかしそうすることはあなたの、仲間の人間に対する愛の残り火なのです。なぜなら、私たちにはこの世界しかないのですから。その中でほかの人がそれをこそ頼りにしているのですから。

This is the second time in ten days I find myself concluding by turning to, of all things, the closing plea for mercy by Clarence Darrow in a murder trial.

この10日間で、こともあろうにこのコーナーを、ある殺人犯裁判での弁護人クラレンス・ダローの、慈悲を求めた言葉で閉じるのは2度目です。

But what he said, fits what is really at the heart of this:

しかし彼の言ったことは、この問題の核心にじつにふさわしい。

"I was reading last night of the aspiration of the old Persian poet, Omar-Khayyam," he told the judge. It appealed to me as the highest that I can vision. I wish it was in my heart, and I wish it was in the hearts of all: So I be written in the Book of Love; I do not care about that Book above. Erase my name, or write it as you will, So I be written in the Book of Love."

彼は裁判官に向かってこう言っています。「わたしは昨晩、昔のペルシャの詩人オマル・ハイヤームの強い願いについて読んでいました」と。「それはわたしの想像しうる至高の希求としてわたしに訴えかけてきました。それがわたしの心の中にあったなら、そしてそれがすべての人々の心の中にもあったならと願わざるを得ません。彼はこう書いています;故に、我が名は愛の書物(the Book of Love)の中に刻みたまえ。あの天上の記録(Book above)のことは関知せず。我が名が消されようが、好きに書かれようが、ただしこの愛の書物の中にこそは、我が名を記したまえ」

November 12, 2008

キース・オルバーマン

MSNBCのニュースキャスターです。
翻訳してここに載せようとしたのですが、時間がなくて、まずはとにかく掲載したほうがよいと判断しました。
英語のわからない人も、彼の言いたい気持ちは伝わると思います。

自分はゲイでもなんでもないし、家族にもゲイはいないが、あのプロポジション8は、「ホリブル、ホリブル!(ひどい!)」と繰り返します。「これは人間の心の問題だ。この私の言葉が陳腐に聞こえると言うなら、陳腐に聞いていろ」と言います。そして「ゲイたちの愛が、あなたたちに何の関係があるんだ? あなたたちから何を奪うというのだ!」と続けるのです。どうしてそれを規制しようというのか、と。1967年に、アメリカでは黒人と白人の結婚できない州が16州もあった。奴隷は結婚を認められていなかった。あなたはそれと同じ不自由をゲイに強いているのだ、と言っています。

筑紫哲也が死にましたが、「少数派」を援護して来た彼なら、日本でも同じことを言ったでしょうか。
言ったかもしれませんね。勢いや情感は違うにしても。
この提案8号、日本ではあまり話題になっていないのでしょうか。

長いですが、まずは見てください。


追記)トランスクリプトを見つけましたので、付記します。
翻訳は、時間を見つけて加えていきます。

Finally tonight as promised, a Special Comment on the passage, last week, of Proposition Eight in California, which rescinded the right of same-sex couples to marry, and tilted the balance on this issue, from coast to coast.

Some parameters, as preface. This isn't about yelling, and this isn't about politics, and this isn't really just about Prop-8. And I don't have a personal investment in this: I'm not gay, I had to strain to think of one member of even my very extended family who is, I have no personal stories of close friends or colleagues fighting the prejudice that still pervades their lives.

And yet to me this vote is horrible. Horrible. Because this isn't about yelling, and this isn't about politics. This is about the human heart, and if that sounds corny, so be it.

If you voted for this Proposition or support those who did or the sentiment they expressed, I have some questions, because, truly, I do not understand. Why does this matter to you? What is it to you? In a time of impermanence and fly-by-night relationships, these people over here want the same chance at permanence and happiness that is your option. They don't want to deny you yours. They don't want to take anything away from you. They want what you want—a chance to be a little less alone in the world.

Only now you are saying to them—no. You can't have it on these terms. Maybe something similar. If they behave. If they don't cause too much trouble. You'll even give them all the same legal rights—even as you're taking away the legal right, which they already had. A world around them, still anchored in love and marriage, and you are saying, no, you can't marry. What if somebody passed a law that said you couldn't marry?

I keep hearing this term "re-defining" marriage. If this country hadn't re-defined marriage, black people still couldn't marry white people. Sixteen states had laws on the books which made that illegal in 1967. 1967.

The parents of the President-Elect of the United States couldn't have married in nearly one third of the states of the country their son grew up to lead. But it's worse than that. If this country had not "re-defined" marriage, some black people still couldn't marry black people. It is one of the most overlooked and cruelest parts of our sad story of slavery. Marriages were not legally recognized, if the people were slaves. Since slaves were property, they could not legally be husband and wife, or mother and child. Their marriage vows were different: not "Until Death, Do You Part," but "Until Death or Distance, Do You Part." Marriages among slaves were not legally recognized.

You know, just like marriages today in California are not legally recognized, if the people are gay.

And uncountable in our history are the number of men and women, forced by society into marrying the opposite sex, in sham marriages, or marriages of convenience, or just marriages of not knowing, centuries of men and women who have lived their lives in shame and unhappiness, and who have, through a lie to themselves or others, broken countless other lives, of spouses and children, all because we said a man couldn't marry another man, or a woman couldn't marry another woman. The sanctity of marriage.

How many marriages like that have there been and how on earth do they increase the "sanctity" of marriage rather than render the term, meaningless?

What is this, to you? Nobody is asking you to embrace their expression of love. But don't you, as human beings, have to embrace... that love? The world is barren enough.

It is stacked against love, and against hope, and against those very few and precious emotions that enable us to go forward. Your marriage only stands a 50-50 chance of lasting, no matter how much you feel and how hard you work.

And here are people overjoyed at the prospect of just that chance, and that work, just for the hope of having that feeling. With so much hate in the world, with so much meaningless division, and people pitted against people for no good reason, this is what your religion tells you to do? With your experience of life and this world and all its sadnesses, this is what your conscience tells you to do?

With your knowledge that life, with endless vigor, seems to tilt the playing field on which we all live, in favor of unhappiness and hate... this is what your heart tells you to do? You want to sanctify marriage? You want to honor your God and the universal love you believe he represents? Then Spread happiness—this tiny, symbolic, semantical grain of happiness—share it with all those who seek it. Quote me anything from your religious leader or book of choice telling you to stand against this. And then tell me how you can believe both that statement and another statement, another one which reads only "do unto others as you would have them do unto you."

You are asked now, by your country, and perhaps by your creator, to stand on one side or another. You are asked now to stand, not on a question of politics, not on a question of religion, not on a question of gay or straight. You are asked now to stand, on a question of love. All you need do is stand, and let the tiny ember of love meet its own fate.

You don't have to help it, you don't have it applaud it, you don't have to fight for it. Just don't put it out. Just don't extinguish it. Because while it may at first look like that love is between two people you don't know and you don't understand and maybe you don't even want to know. It is, in fact, the ember of your love, for your fellow person just because this is the only world we have. And the other guy counts, too.

This is the second time in ten days I find myself concluding by turning to, of all things, the closing plea for mercy by Clarence Darrow in a murder trial.

But what he said, fits what is really at the heart of this:

"I was reading last night of the aspiration of the old Persian poet, Omar-Khayyam," he told the judge. It appealed to me as the highest that I can vision. I wish it was in my heart, and I wish it was in the hearts of all: So I be written in the Book of Love; I do not care about that Book above. Erase my name, or write it as you will, So I be written in the Book of Love."

November 08, 2008

now he sings, now he sobs

こういう写真を見せられるとげんなりします。

喜ぶ禁止派1.jpg禁止派2.jpg

これは、カリフォルニアで同性婚を禁止する「プロポジション8(提案8号)」に対し、住民投票が賛成多数に傾いて快哉を叫ぶ人たちです。

オバマがアメリカの次期大統領に選ばれたとき、この国の黒人たちの多くが涙していました。黒人といってもみんながみんな同じ境遇にあるわけでもなく、それぞれに生活信条も態度も性格も思想も違うでしょうからいっしょくたに「黒人」という枠をはめることはできません。けれどこの夜、黒人たちは「黒人」だった。彼らに共通する「肌の色の歴史」を共有していた。それはぬぐい去れぬなにものかとして彼らのどこかにいまもあるのでしょう。その「負」が解放されて、彼らは涙したのです。

同じその日に、その制約を、その強制された「負」を、同性愛者たちはふたたび突きつけられました。当選したオバマが「黒人のアメリカもアジア系のアメリカも、ゲイのアメリカもストレートのアメリカもない。あるのはただユナイテッド(1つにまとまった)ステーツ・オブ・アメリカだ」と勝利宣言したと同じその日に、ストレートのアメリカがゲイのアメリカを否定したのです。

カリフォルニアではすでにこの4カ月半で1万8千組の同性カップルが結婚しています。彼ら/彼女たちの生活を、強奪する偏狭と非道とを、寛容と慈愛を説く宗教者たちが行いました。いまロサンゼルスでは、それを主導したモルモン教会に抗議のデモが続いています。モルモン教会は警官が警護する事態になっている。

mormonnight.jpgmormonnight2.jpg


サンフランシスコでは市庁舎の前で多くのゲイたちがキャンドルを持って集まっています。まるであの、暗殺されたハーヴィー・ミルクのあの時のように。もう、ひとのよいゲイであることはやめにしたい、と。

market_protest.jpg mrnicegay.jpg

カリフォルニア各地で、いま抗議行動の呼びかけが飛び交っています。

同性婚禁止のこのニュースを聞いて、友人の1人が言っていました。
「悲しみ、ってきっと、大きな力になるんだね。その力が何かを変えて行くことを祈ろう。」

**

この州民投票(同性婚禁止提案)に反対運動を繰り広げていた「No on Prop 8」からカリフォルニアの友人に届いた手紙を紹介します。

EmailNewLogoHeader.gif

Dear Colin,
親愛なるコリンへ

We had hoped never to have to write this email.
このメールを書くなんてことがなければよいと願っていました。

Sadly, fueled by misinformation, distortions and lies, millions of voters went to the polls yesterday and said YES to bigotry, YES to discrimination, YES to second-class status for same-sex couples.
悲しいことに、偽情報と歪曲と嘘によって、数百万人の投票者が昨日、投票所に行ってこの偏見に「YES」を投じました。差別に「YES」と、同性カップルを第二級市民にすることに「YES」と投じたのです。

And while the election was close, and millions of votes still remain uncounted, it has become apparent that we lost.
開票の結果は接戦でいまだ数百万の投票が数えられていなかったながらも、だんだんと私たちの敗北は明らかになってきました。

There is no question this defeat is hard.
この敗北がつらいものであることに疑いはありません。

Thousands of people have poured their talents, their time, their resources and their hearts into this struggle for freedom and this fight to have their relationships treated equally. Much has been sacrificed in this struggle.
数千もの人々が自由のためのこの苦闘に、自分たちの関係が平等に扱われるためのこの戦いに、その才能と持てる時間と持てる資金とその心とを注ぎ込んでくれました。

While we knew the odds for success were not with us, we believed Californians could be the first in the nation to defeat the injustice of discriminatory measures like Proposition 8.
たとえいま勝算は私たちにないと知ってはいても、私たちは、カリフォルニア州民がこの国で最初にプロポジション8のような差別的な措置の不正を打ち砕くはずだと信じています。

And while victory is not ours this day, we know that because of the work done here, freedom, fairness and equality will be ours someday. Just look at how far we have come in a few decades.
たとえ今日勝利は私たちのものではないにしても、私たちは、ここでなされた私たちの努力のゆえに、自由と公正と平等がいつか私たちのものになるだろうと知っています。この数十年で私たちがどこまで来たか、それを見るだけで。

Up until 1974 same-sex intimacy was a crime in California. There wasn't a single law recognizing the relationships of same-sex couples until 1984 -- passed by the Berkeley School District. San Francisco did not pass domestic-partner protections until 1990; the state of California followed in 2005. And in 2000, Proposition 22 passed with a 23% majority.
1974年まで、同性間で親愛の情を示すことはカリフォルニアでは犯罪でした。同性間カップルの関係を認知した法律は1984年まで、バークリー学校区で可決されるまで、ただの1つもありませんでした。サンフランシスコがドメスティックパートナーの保護規定を可決したのは1990年のことでした。カリフォルニア州がそれに続いたのは2005年のことです。それに2000年には、プロポジション22は23%ポイントの差をつけて可決されていました【訳注:今回のプロップ8と同様に同性婚禁止を謳った州民投票提案。当時は61.5%対38.5%で可決】。

Today, we fought to retain our right to marry and millions of Californians stood with us. Over the course of this campaign everyday Californians and their friends, neighbors and families built a civil rights campaign unequalled in California history.
今日、私たちは私たちの結婚の権利を保持するために戦い、その私たちに数百万のカリフォルニア州民が加勢してくれました。毎日このキャンペーンを続ける中、カリフォルニア州民とその友人たち隣人たちそしてその家族たちは、カリフォルニア史上比類のない公民権運動を形作っていきました。

You raised more money than anyone believed possible for an LGBT civil rights campaign.
あなたたちはLGBTの公民権運動でだれひとり可能だとは思わなかったような多額の資金を集めてくれたました。

You reached out to family and friends in record numbers -- helping hundreds of thousands of Californians understand what the LGBT civil rights struggle is really about.
あなたたちはこれまでにない数の家族や友人たちにリーチアウトしてくれました──そのことで数十万人ものカリフォルニア州民がLGBTの人権というものがほんとうはどういうものか、それを理解する助けにできたのです。

You built the largest grassroots and volunteer network that has ever been built -- a coalition that will continue to fight until all people are equal.
あなたたちはこれまでで最大の草の根ボランティアのネットワークを作り上げてくれました──それは、すべての人間が平等になるまで戦い続ける共同体です。

And you made the case to the people of California and to the rest of the world that discrimination -- in any form -- is unfair and wrong.
そしてあなたたちが、カリフォルニアの人たちに、そして世界中の人たちに、差別はいかなる形でも不正で間違いだと教えてくれたのです。

We are humbled by the courage, dignity and commitment displayed by all who fought this historic battle.
この歴史的な戦いを戦ってくれたすべての人々の勇気と誇りと献身とに身が引き締まる思いです。

Victory was not ours today. But the struggle for equality is not over.
勝利は今日は私たちのものではありませんでした。しかし平等のための戦いは終わっていません。

Because of the struggle fought here in California -- fought so incredibly well by the people in this state who love freedom and justice -- our fight for full civil rights will continue.
ここカリフォルニアで戦われたこの苦労ゆえに、自由と正義を愛するこの州の人々によって信じられないほど果敢に戦われたこの苦闘ゆえに、完全な人権を求める私たちの戦いは続くのです。

Activist and writer Anne Lamott writes, "Hope begins in the dark, the stubborn hope that if you just show up and try to do the right thing, the dawn will come. You wait and watch and work: you don't give up."
活動家で作家のアン・ラモットが次の一節を書いています。「希望は闇の中で始まる。ただ姿を見せて正しいことをしようとすれば、それだけで夜明けは来る、と思う揺るぎない希望。だから待って、見て、頑張って。諦めてはいけない」

We stand together, knowing... our dawn will come.
私たちはともにいます。私たちの夜明けはやってくると知っています。


Jacobs-Delores_signature.jpg
Dr. Delores A. Jacobs
CEO
Center Advocacy Project

Jean_Lorri_signature.jpg
Lorri L. Jean
CEO
L.A. Gay & Lesbian Center

Kendell_Kate_signature.jpg
Kate Kendell
Executive Director
National Center for Lesbian Rights

GK_signature_gd.gif
Geoff Kors
Executive Director
Equality California

**

わたしからも引用を1つ。
これは、あの『Queer as Folk』でデビーが言っていたことです。

Mourn Loss's Because There's Many
...Celebrate Victory Because There's Few.

喪われたものを悼め、なぜならそれは数多いから
しかし、勝利は祝え、なぜならそれは数少ないから

November 06, 2008

オバマの肩にのしかかるもの

これほどまでに人々の夢と希望と祈りとを託させれてしまった男というのは、最近ではついぞ見たことがありません。まるですべての救世主のように、そうではないとわかっているのだけれど。アメリカの民主党支持者、いや、理想主義者たちがいかにこの8年、つまり、ゴアがブッシュに敗れたあの日から、自分たちの国に失望しつづけてきたか、その反動なんでしょう。それはわたしもわかります。8年前のあの深夜、わたしはアパートを出てひとりでずっと地下鉄Dラインの終点までなんのあてもなく電車に揺られてましたし。

オバマの勝利演説は、とてもよかった。でも、彼の顔はとてもシリアスでしたね。笑顔を見せても笑ってはいなかった。それは、このじつに知的で、じつにまじめな男が、この日から今度は本当の戦いに出なくてはならないという覚悟を示していた、あるいは自覚していたということの証左のように見えました。バイデンは満面の笑顔でしたが、そこが正と副との責任の違いなのか、まあ、副大統領までガチガチならさらに大変。

マケインの早々の敗北宣言もまた素晴らしかった、と言う人もいます。アフリカ系アメリカ人の大統領が登場する意味を語って潔かった、と。しかし、負けた人間にそれ以外の何が言えるでしょう。その前日まで、いえ、数時間前まで、彼と彼の陣営はオバマのことをテロリストとつながりがある、白人を敵視する司祭とつながりがある、リベラルすぎて危険すぎる人物だ、と口を極めて中傷していたのです。あるいは、あなたたちが自分で稼いだ富を奪ってそれを社会に再配分しようとする共産主義者だ、社会主義者だ、と。

舌の根も乾かぬ、そのどの口で、オバマを支持するなんて言えるのでしょうね。まあ、マケインが変節したのはいまに始まったことではなく大統領候補になってすぐに保守派のケツの穴を舐め始めてからでしたから、驚くに値しないでしょう。マケインは、あのまま共和党のマーヴェリックでいたらよかったのに、今回の選挙で、サラ・ペイリンを選んだその件も含め、ほんとうに「男」を落としました(共和党の人間への言葉ですからこの性差別的表現も使ってよいでしょう)。

対してオバマはどんどん立派になっていったように見えます。
TV討論会でもCMでも、マケイン側の口撃と挑発には乗らなかった。
個人攻撃というか終盤に入っての集中的な中傷はブッシュ政権のカール・ローブの手法です。
それを逆手に取って、自分をとても抑制の利く、思慮深く上品な、しかも理路整然とした人間だと証明するのに成功しました。

かくして彼は生きながらすべての善的なものの象徴になってしまっています。それも、米国内だけではなくケニアでも欧州でも日本でも、さらにはイラクやイランやパキスタンですら。

黒人初のアメリカ合州国大統領ということで、もし自分が失敗したら次の黒人大統領の芽さえも摘むことにもなる、という恐れすら彼にはのしかかるでしょう。しかし、だから彼が勝利宣言に「1年で、1期で何かを達成することはできないかもしれない」と言ったのではないでしょう。そのあとに、「しかし私はいつもあなたたちに正直でありたいと思う」と続けました。失敗の言い訳の布石を打っておく、のではなく、これはきっと本心だとわたしは思う。

オバマが大統領になって、困るのはブッシュ批判で飯を食っていた私のような物書きとか評論家とか、あるいはコメディアンたちでしょうね。あの可愛い娘たちを見ていたら、オバマはクリントンみたいに不倫をするような気配はまったくないでしょうし、そうするとローブ派の連中はいったいどんなワナを仕掛けてくるのか……。

****

ところでカリフォルニアでは同性婚に住民投票がノーと判断しました。
52.5%対47.5%という票差でした。

そのグッタリ加減は今月20日に発売のバディ誌に書きましたので読んでください。

43200731.jpg

43200740.jpg


ただ、少しだけ言わせてもらえば

19歳〜29歳の投票者は61%までがNO(同性婚禁止に反対)に投票しました。
19歳〜24歳に絞るとさらに上がって64%です。
30歳代以上はいずれも過半数がYES(同性婚禁止に賛成)に投票しました。
背景は、リベラルのオバマ票を掘り起こせば起こすほど、保守的キリスト教徒である黒人票が増えてしまった、というネジレの結果です。

もっとも、そんなネジレがあっても5%ポイント差という数字だった。

ba-marriage05_re_0499413133.jpg

mn-marriage06_co_0499417691.jpg


じつは2000年に、カリフォルニアで同様の投票がありました。
そのときは、YESが61%、NOが39%でした。

そんなにグッタリする必要はないのかもしれません。
そう、時間の問題なのです。
もうすぐです。

sf1.jpg

サンフランシスコでは今夜、市庁舎前に数千人のゲイ・レズビアンたちが集まってキャンドルを灯しているそうです。

November 05, 2008

オバマ勝利と日本の外交

オバマの勝利演説を聴きながら、選挙ウォッチパーティーを開いていた友人たちが静かに涙を流していました。ボストン大学で先生をやっているやつが私の横に来て「この国もまだ捨てたもんじゃないだろう」と言います。それにうなずきながら、こういう演説のできる大統領を持つアメリカを少しうらやましく思いました。日本にはこんな政治家はいないなあ。小泉は私語がうまかっただけで、演説はうまくはなかったし。

アメリカというのはこうして4年に1度、やり直しのチャンスというか、ダイナミズムの更新というか、そんなモメンタムを作るわけですね。政体自体がそっくり入れ替わるんですから、そりゃすごいもんです。ただ米民主党政権というのは歴代どうも「日本に冷たく中国を重視する」傾向にあると言われてまして、それを心配する向きもあります。しかし考えてみてください。共和党ブッシュの8年間だって小泉政権の時は9・11の余波のゴタゴタの中でなんだかうまく行っていた、ように見えただけで現在は結局、対北朝鮮宥和政策への転換で面目丸つぶれです。米国が日本のご機嫌を見ながら外交政策を変えたことなどいちどもありません。米国はあくまで時刻の国益でしか動きません。そのアメリカの国益を、日本はさっぱり誘導できてこなかったのです。外交官たちの説得下手というか、ディベイト下手というか、しかしこれはよくよく考えれば元は日本の自民党政権の問題なのだと思います。

日本の外務省ももちろん現在、ワシントンを中心に次期政権のブレインになると目される人たちに盛んに接触中です。オバマの対日ブレインには東アジア専門家のジェフリー・ベイダーや日本の防衛研究所にいたマイケル・シファー、日本生活も長くボーイング・ジャパン社長だったロバート・オアーらがそろっています。経済分野ではブルッキングズ研究所にいたジェイソン・ファーマンなんかもいます。さらにはオバマのこと、超党派で共和党もブレインも入ってくるかもしれません。

しかし日本側の政権がこうもコロコロ変わるせいで米側には彼ら外務官僚たちの背後に控えているはずの政治家たちがよく見えない(もっとも、見えたところでロクでもないやツラばかりですが)。そんなことで外交官だけを相手にまともに話し合おうと思うか? ふつう、思いませんわね。それも、こういうのってものすごく個人的な力量ってのが必要で、パーティーに行ってうまく話せるか、演技できるか、っていうような人間性にも関わる才能が必要なんですね。そういうの、できない役人が多すぎる(役人だけじゃなく日本人全般がそうなんですが)。その間に日米関係はそうして私的な斟酌や腹芸の取り入るスキなく、どんどん建前の議論で(これをやらせたらああ言えばこう言うのアメリカ人にかなう者はきっといません)米国主導で押し切られることになるのが常なのです。


新政権はまずは米国内の経済危機に取り組むでしょうが、その一方でイラク戦争撤兵からアフガン戦争増派へのシフト、テロ対策などは公約のタイムテーブルどおりに進めなくてはなりません。

この場合、外交とは米国にとっては安全保障の問題にほかならないのです。それは日本にとっては思いやり予算などを含む従来の基地問題やアフガン戦争支援のインド洋給油問題です。これらはたとえオバマ政権になったとしてもなんら変更を認めないでしょう。さっきも書いたようにアメリカはアメリカのことしか考えていませんから、あるいはこの財政危機でさらなる物的・人的支援だって要求してくるでしょう。オバマはブッシュ政権の一国行動主義からの転換を謳って「国際協調」という名の責任分担を図るでしょうから。

そんな中で、日本の対米外交はどう対応すればよいのでしょう。米国に押し切られるばかりなのでしょうか?

ここに来て、どうして日本がいつも米国の言いなりにならざるを得ないのかわかってきます。それは日米同盟、日米安全保障という政治的取り決めが、日本国憲法を上書きしているという倒錯のせいなのです。

日本は、日本の平和憲法を対欧米外交の切り札として使ったことがありません。海外への自衛隊派遣の困難の「言い訳」「言い逃れ」として使ったことは何度もありますが、外交の「背骨」として使ったことは一度もない。憲法のことになると遠慮がちに口ごもる、そんな外交なのです。で、安全保障に関してはその都度の対症療法で逃れてきたわけですよ。

こんなんでまともな外交ができるわけがありません。これは自民党が平和憲法をなおざりにしてきたそのツケが貯まったものです。そんなヘドロの中で泳がねばならない外務官僚にはお気の毒と言うしかありません。

この倒錯を解消する道は2つあります。平和憲法を正々堂々と盾にして、環境対策と復興支援を安全保障の中心に据える新機軸を構築・宣言すること。それは20世紀的ではないので旧態依然の国際政治においてとても受けは悪いでしょうが、可能なのです。倒錯解消のもう1つの道は、平和憲法そのものをやめちゃうことです。こっちの方が簡単だが、その以後がかえって大変で、簡単そうに見えてじつはこれは不可能なのです。

それともまだのらりくらりで乗り越えようとするのでしょうか。
まったく、自民党政治までが役所仕事のようになっているんですね。

米国はオバマに変革の希望を託しました。
日本の政治変革はいつ起きるのでしょう。
で、総選挙、どこに行っちゃったんでしょうか?

November 04, 2008

本日、オバマ勝利へ

ニューヨークは投票当日になりました。
すでにニュースショーは、アメリカってFOXニュースの登場からパーソナリティがばんばん私見を言うこういうニュースショーが増えてるんですけど、すでにオバマの勝利を伝えています(ってまだ確定ではないんですが)。

接戦州ですらもうこの終盤、マケインの選対は7時とか8時とかに閉まってしまうんですって。おまけに昼も人がいなくてガラガラ。インディアナとかヴァージニア州とかウィスコンシンとかの選対の写真が出るんですが、ほんと、手持ち無沙汰の人間が多くの電話デスクの並ぶ中でぽつねんとしているの図、とか、まあ、こういう写真は演出効果もねらっているんですがね。

対してオバマ選対はこの週末にはペンシルベニアで180万戸のドアをノックしたとか、フロリダでも100万世帯を戸別訪問したとかものすごく集中していて組織化されていて効率よく手配されているとか、そういうリポートですね。これは本来、共和党の草の根保守票の掘り起こしの手法だった。それが今回は民主党側が、若いボランティアを中心に功を奏しているのです。

それで、これでもし仮にマケインが勝つとしたらどういう理由が考えられるか、ということも話したりしているんですが、それはオバマに投票したら地獄に堕ちるとある教会の牧師が言ったせいだとか、そういう以外にない。あとは大規模な選挙不正があったとしか考えられない。なにせこの6週間で169の世論調査、そのすべてがオバマの勝利を予想しているんですよ。

これでマケインがもし勝つようなことがあれば、株やドルはまた暴落するでしょう。
各地で暴動が起こるに決まっています。

ブラッドリー効果? それもないでしょう、もう。

ここに来て問題は、その選挙不正とはまた違いますが、投票者が増えているのに、投票マシンがそれに対応し切れていないということです。すでに期日前投票でも明らかになっていますが、4年に一度しか使わないせいか、機械、アップデートしていないところが多いんですね。対して投票者登録はすでに1億4000万人です。これはすごい数です。前回の1億2230万人よりも14%も多い。

そのしわ寄せもあって、期日前投票ではノースカロライナ、フロリダ、ミズーリでは3日は7〜9時間も並んだそうです。ヴァージニアは40%も投票登録者が増えているのに、投票マシンは1台しか増えていない。すると1台のマシンに350人見当が並ぶことになります。今回の選挙は大統領選挙だけではなく、下院、上院、さらに地方議員、おまけに州民投票もあって、早くたって1人10分はかかるでしょう。そうすると、350人X10分で、3500分かかる。これって何時間? 60分で割ると58時間です。えー、2日以上かかるじゃないですか。どうするんでしょう?

さあ、本日は、何時ごろに当確が出るのか、そしてどのくらいの差でオバマが勝つのか、そういうことにしか注目点がない、となると平和なんですが。

November 02, 2008

サラ・ペイリンという誤算

1カ月ほどの日本滞在から帰ってきたらもう大統領選挙が目前です。日本にいてもCNNやABCなどや新聞は見られるのですが、何が違うかといって昼や夜のトーク番組やコメディアンたちの鋭い政治ネタ・ジョークが見られない。じつはそれこそがなんとなくアメリカの空気を掴むのに欠かせなかったのだと今更ながら気づきました。

で、私のいない間に例の「サタデーナイト・ライブ」のティナ・フェイのサラ・ペイリン・パロディです。ユーチューブでキャッチアップしたら、この1カ月ほどで「オバマ大勝」という読みが強まった理由の1つがわかりました。ここ数回の大統領選で、趨勢がこれほどはっきりしているのは珍しいことです。


rogue.jpg
(これは最新の、昨晩のサタデーナイト・ライブ。次の大統領選挙をねらってる、ってなわけ。例の、サルコジの物まねに引っかかって中央政界に居続ける、次をねらうというようなことを電話でしゃべっていたのを取り上げられている)


マケインが共和党の候補になったとき、じつは彼には2つの選択肢がありました。

米国の有権者は大きく左派、中間層、右派に三分されます。そのどれもがほぼ同じ数です。投票に行くのはいずれも3千万人ほど。そこでは左派が共和党に投票することはないし、右派が民主党に投票することもあまりありません。そこでマケイン陣営としては、中道派・中間層の取り込みを主戦場と決め、そこでオバマとがっぷり四つに組むという戦略もあったわけです。彼はこの選挙の前まで、共和党ながら「一匹狼」の異名を持つ中道派の政治家だったのですから。

現実主義の中道派政治家として、例えばジュリアーニ前NY市長、あるいはゴアのときには民主党の副大統領候補だったリーバーマン上院議員を副大統領候補にするというカードは、民主党の票田に果敢に切り込んでいく、最も勝算のあった方法ではなかったかと思います。なぜならヒラリーを副に据えなかったオバマ陣営は、民主党の票田を2つに割ったも同然で、その1つをごっそり引っ張ってくることも可能だったからです。

しかしマケインは、というか共和党首脳部は別の戦略を取りました。共和党としては、伝統的な支持層である右派=草の根保守派=キリスト教保守派層を無視するという“蛮勇”はふるえなかったのでしょう。

しかしヒラリーで分裂した民主党支持の女性票はぜひとも欲しい。そこで若い女性で、つまり左派・右派の枠を越えた新しい世代に受けそうで、しかし政治的には極端に保守的な、つまり旧い共和党支持世代にも受けそうなワイルド・カードを抜擢した。それがサラ・ペイリンだったのです。

しかし誤算でした。彼女が登場したとき、私はこのコラムでも「ヒラリーの支持者たちがあの大きな髪型の女性に流れることはないのではないか」というようなことを書きました。いずれは頭を冷やしてオバマに戻っていく、と。

サラ・ペイリンはあまりに政治的に未熟でした。アラスカからロシアが見えると言ったり、副大統領が上院の一員だと言ったり、この大統領選がマケインではなく自分の選挙であるかのように自分の名前を先に言ったり、準備不足からテレビ・インタビューを避けている間にそっくりさんパロディのほうが有名になってしまった。ジョークの対象である「軽薄で狩猟好きのおしゃべり女」のイメージが一人歩きしてしまったのです。

そこに金融危機でした。マケインも最近やっと経済や税金の話をするようになりましたが遅きに失したと同時にどうも下品な個人攻撃に流れています。オバマは彼の言い方では「富を再配分する社会主義者」「中小企業の半分以上が利益を税金で持っていかれる」という恫喝。それが最終盤の選挙情勢です。

オバマにとって、現時点の最大の心配は選挙不正と白人至上主義者たちの憎悪だけのようです。