RENTとあの時代
現在、日比谷シアタークリエで公演中のミュージカル「RENT」のパンフレット用に次の文を書いています。
年末の30日までの公演です。新年には大阪公演もあるようです。
今度、「アルターボーイズ」にも出てもらう田中ロウマくんがエンジェル役で出ています。「ヘドウィグ」で緊急代役で出てくれた望月英莉加ちゃんもモーリーン役で出ています。
残席わずからしいですが、機会があればぜひ見てください。
http://rent.toho-stageblog.com/
*
◎『RENT』とあの時代、そして、死者の代弁者
──北丸雄二
最も困難なときに、ひとは最も美しい物語を紡いだりします。けれどそれはあとになってわかるだけで、そのときその場では生きるだけで精一杯です。あるいは死ぬだけで。
あの時代、RENTの舞台であるマンハッタンのイーストビレッジは、それもアルファベットシティと呼ばれる東端の地区はニューヨークでも最も荒れた場所といわれていました。中心部にあるトンプキンズ・スクエア公園は麻薬のディーラーたちのたむろする場所で、日本人のわたしが歩いていても「ハッパ、ハッパ」と囁かれたりしました。それが日本語の「葉っぱ(=大麻草)」のことだと知ったのはずいぶん考えてからでした。
麻薬はじつは60年代のベトナム戦争からの遺物です。あの時代、戦争から帰還した若者たちはボロボロの心でこの街に流れてきました。麻薬でもキメてなければやってられない戦争だったのです。もともと開発に取り残された移民用の安アパートが多い地区でしたが、プエルトリコ系やアフリカ系の詩人や芸術家、反体制の知識人も多く住んでいて(これがRENTではエンジェルとコリンズに形を得ます)、ここはベトナム反戦運動の東の中心地となります。つまり反体制と対抗文化の中心地として、麻薬がその象徴のようにもてはやされもしたのです。
それは十数年後に予期しなかった悲劇をもたらします。80年代の、HIV/エイズ禍の拡大です。その感染は、麻薬の静脈注射と危険を知らなかったセックスを主な経路としていた。それが照らし出す性的少数者の問題(主要登場人物8人のうちの4人がゲイ・レズビアン・トランスジェンダーです)、人種的少数者の問題、ホームレスの問題──こうして、最も困難なRENTの舞台装置は揃ってしまうのです。
RENTというのは、よく知られる「借りる」とか「家賃」とかいう意味のほかに、ここでは「REND」の過去分詞形の「RENT」、つまり「ズタズタに引き裂かれた」という形容詞や、「裂け目、決裂」という名詞の「RENT」なのです。タイトルナンバーである『RENT』の歌詞の最後に「'Cause Everything is Rent」とありますが、それは「すべては借り物だから」という意味ではなく、「だって、みんなズタズタだから」という叫びなのです。
「RENT」な時代の背景としてのHIV/エイズ。患者・感染者は聖書にある「癩者」のように忌み嫌われました。その嫌悪は感染拡大の元凶のようにいわれたゲイの人たちに等しく及びました。当時のアメリカ大統領ロナルド・レーガンは、多くの専門家からエイズ大流行が予言されていたのにも関わらず、それが「ゲイたちの病である」という偏見から、ほとんど必要な予算を割かずに彼らを見殺しにしたのです。結果、アメリカはその数年後にHIVの感染爆発を見ることになります。エイズはそんな社会的排斥・憎悪・分裂の象徴としてこのミュージカルに登場します。しかしそれは逆にエイズ患者・感染者側からは友愛と慰撫の手綱として描かれる。当初、マーク以外の主要人物が全員HIVに感染しているという設定だったほどに強烈に。
あの時代、エイズはほんとうに5年後、10年後の死につながる病でした。じつはいまでも死病であることに変わりはありません。エイズが治った、つまり感染源のウイルスが体内から消えたという人はいまもって1人もいない。治療法が見つかったのではなく、延命の方法が見つかったというだけの話なのです。しかしその延命策にしてもなかなかに副作用が大きく、人によってとてもつらいものだったりします。延命医療の届かないアフリカやアジアの国もたくさんあり、現在でも国連の最大の課題はエイズ対策です。
そうした困難の中から芸術分野で多くの傑作が生まれてきます。絵画のキース・ヘリングも写真のロバート・メイプルソープもエイズを発症したゲイのアーティストでした。『コーラスライン』を作ったマイケル・ベネットら多くの才能をエイズで失ったブロードウェイでも、同じくゲイでHIV陽性のトニー・クシュナーがやがて渾身の『エンジェルズ・イン・アメリカ』を書き上げます。エイズを扱った小説、映画、テレビの名作は数知れません。そしてジョナサン・ラーソンも『RENT』を発表するのです。
あの時代、エイズとゲイへの社会的憎悪が募れば募るほど、逆にエイズとゲイを取り巻く善意と勇気のネットワークが紡がれ広がっていったことを思い出します。劇中で描かれるエイズ患者支援グループ「ライフサポート」は、ラーソン自身が通い詰めた実在の支援団体Friends in Deed(行動する本当の友人たち)がモデルですし、エイズ禍最初期に6人のゲイ男性によって組織されたGMHC(Gay Men's Health Crisis=ゲイ男性の健康の危機)は現在も世界最大の患者・感染者支援団体です。無理解な政府に直接行動で抗議し続けたACT UPも、患者たちの自宅に食べ物を配達するGod's Love We Deliver(神の愛を届ける私たち)もこの時期に結成されました。若者たちはあの時代、死者に寄り添うようにやさしく根気づよく偏見と差別と憎悪とに「NO!」と意思表示し続けたのです。ニューヨークはそしていまHIV/エイズの患者・感染者や、ゲイやレズビアン、トランスジェンダーたちが共生できる街になりました。多様さへの理解がこの街の強さになったのです。もっとも、RENTの舞台だったイーストビレッジはいまスクワッターたちも一掃されて久しく、トンプキンズ・スクエアもすっかり小奇麗になり、さらにはこのところのアパート不足ですっかり家賃が高騰して、たとえルームシェアしてもマークやロジャーたちの住める場所ではなくなりつつあります。
最も困難なときに、ひとは最も美しい物語を紡いだりします。でも、あのズタズタに困難な時代の愛と涙の美しさを、憶えている者も少なくなりました。そうしていままた、ニューヨークでもRENTな時代を知らない若者たちのあいだにHIV/エイズの再流行が起きている。
死んでいった者たちの願い、見送った者たちの痛み──あの時代を生き延びた者たちは、みな、そんな死者たちを取り巻く代弁者でした。RENTを再演する日本の若い役者さんたちもまた、あの時代の代弁者です。そしてその愛と涙とを、つぎにはRENTを知ったあなたが伝えていってくれたらと思います。
(了)
Comments
北丸さんこんにちは。涙が出てきますね。エール交換のようになってしまいましたが、TBつけておきました。
Posted by: ビギナーズ鎌倉 | December 11, 2008 10:13 AM
いつも興味深く拝見させて頂いております。
クシュナーがHIV+というのは間違いではないかと思います。salon.comのインタビューでも違うと述べています。
Rentは僕も大好きなミュージカルです。ただエンターテイメントとしての限界も見える気がします。エンジェルの死の描かれかたや、ネタ元の一つシュールマンの小説のプロットがストレートの主人公に書き換えられていることなど。
もしお考えを伺えたらたいへん嬉しいのですが。
Posted by: 藤田淳志 | December 14, 2008 10:52 AM
どうも初めまして。
トロントに留学中の学生です。ブログの方、大変興味深く読ませていただきました。
記事を読みながら、日本でお世話になった尾辻かな子さんや、ひょんな繋がりのアップリンクの社長さんまで出てきてビックリ致しました。
『RENT』は自分のカミングアウト後の目標ともなっている作品で、ミュージカルは残念ながら見たこと無いんですが、たくさん影響を受けました。
ちょっと挨拶がしたくなって、コメントを残させていただきました。ではでは、失礼致します。
Posted by: めざ | January 2, 2009 12:30 PM