「おくりびと」を見た
オフブロードウェイで上演中のミュージカル「アルターボーイズ」の台本と歌詞を翻訳したのですが、その公演のために日本に滞在中に「おくりびと」のアカデミー賞受賞がありました。アメリカでの公開はまだ先なので滞日中に見てしまおうと、さっそく受賞翌日の大混雑の映画館に出向いて見てきました。
なるほど受賞に相応しい、時に可笑しくも泣かせどころを知っている、じつによくできた映画でした。物語はオーケストラの解散で失職したチェロ奏者が妻とともに故郷に帰り、ひょんなことから求人広告の納棺師の職に間違って応募してしまうことから始まります。くすぐりや遊びも交えた小山薫堂の脚本で主役の本木雅弘はもちろん、山崎努もいい感じです。
日本のテレビや新聞は受賞後数日はその話題で持ち切りで、さまざまに受賞の理由を分析してもいました。納棺師という特殊な仕事を通しての日本人の死生観の描写や家族の再生の物語がアメリカ人審査員の琴線に触れたのは確かでしょう。ところがその前提として、5800人の審査員が同じようなアメリカのTVドラマを知っていたことが、「おくりびと」の印象に見事なコントラストを与えたのではないかと気づきました。
01年から05年にかけてアメリカで5シーズンにわたって人気を博した「シックス・フィート・アンダー」というドラマがありました。有料ケーブル局HBOで放送されていたいたこの番組のタイトルは、米国で棺を土葬する際に土を掘る、地下6フィート(約180cm)の深さのことを意味しています。毎回、冒頭で人が死ぬシーンから始まる1時間もののドラマで、その遺体は主人公の家業である葬儀屋に運び込まれるのです。
さまざまな商品見本の棺も並ぶロサンゼルス郊外のその葬儀屋の名は「フィッシャー&サンズ」(フィッシャーとその息子たち)。そこの家族たちの物語を描いたこのドラマにはヒスパニック系の遺体整復師も登場し、「おくりびと」同様に死者の顔に化粧をしてやったりもします。
つまり、背景となる舞台設定は「おくりびと」とほとんど同じなのです。ところが何が違うかというと、「シックス・フィート・アンダー」はそのフィッシャー家の人びとの浮気や不和や病気や死など、家族の機能不全と崩壊とを描いているのに対し、「おくりびと」は死を通じた家族の再生を描いてあくまでもやさしく温かい。ベクトルが逆なんですね。
この後者を見たときの人心地は、前者の存在を知っているアメリカ人の審査員たちにはすばらしく際立った、別の地平の癒しだったに違いありません。
オスカーの受賞作はいつもその時代の、その年の、雰囲気やら匂いみたいなものを反映しています。機能不全の高度金融資本主義社会、機能不全の地球環境、機能不全の家族。そうした重苦しさからの脱却と再生を謳うオバマ政権の誕生を背景に、アメリカ人はいま、あえて理念と理想を見ようとしているように思えます。「おくりびと」はまさにそこを衝いた。本命だったとされるイスラエル制作のレバノン戦争の映画をかわしたのは、そのせいだったんじゃないのか?
それは、インドのスラム街からの脱出と希望を描いて作品賞や監督賞など8冠に輝いた「スラムドッグ・ミリオネア」や、傑出した実在のゲイの政治家ハーヴィー・ミルクを描いた「ミルク」の主演男優賞と脚本賞の受賞にも如実に現れているように思えるのです。