なるほど麻生が粘ったわけだ
わたしはべつに民主党の支持者でも小沢の信奉者でもありません。ただ、自民党からの政権交代が逐次行われるような政治体制でないとダメだとかねてから思っていて、そのために多少の瑕疵には目をつぶっても民主党の政権を作ることのメリットのほうが大きいと思っています(あの、なんで民主党にいるのかわからない、自民党のスパイみたいな薄ら笑い前原は好きになれんが)。
いわゆる自民党的なるものというのは、すでに賞味期限を過ぎて、日本の政治には新しい流れであるとか新しいパラダイムというのが差し挟まれなければどうにも機能不全なのだという思いが強いです。それこそがとにかく日本という国家のためであるという信念は揺るぎません。しかし、自民党はそうじゃないらしい。自分たちが政権に固執していることこそが日本のためという振りをして、それはしょせん自分たちの保身のためでしかないことは明らかです。なぜなら、彼らのいうのはいつも「このままでは選挙を戦えない」であり、「このままでは日本はダメになる」という発想ではいちどもないからです。
麻生が二進も三進も行かなくなって、解散も内閣改造も、そして選挙すらもできない、という状況であるのは確かなのですが、しかしこのところの政権へのしがみつき具合はいったい何なのか、と疑問に思っていました。予算、補正、給付金、二次補正と、とにかく隙を与えずに次の飛び石に向けて邁進する。先の見えないこのガムシャラぶりはいつか破綻すると決まっていたのですが、なるほどそれもこれもすべて、この東京地検特捜部の動きと連動していたわけです。
しかし東京地検特捜部も、今回はえげつないことをしたものです。
特捜部の捜査というのはいつもかならず政治的なものです。「巨悪を眠らせない」といったあの時代も、じつは巨悪だけでなく小悪も中悪も、いろいろと目配りして手や口を突っ込んでいて、それは国民の雰囲気を読みながら刑法を背景にしたもうひとつの政府だったのです。しかし、これまではつねに「選挙」には細心の注意を払って、そこへ腕を突っ込むような、刑法によるあからさまな政治的介入だけは避けてきたはずです。むかし、私が新聞記者だった時は、選挙があるときは警察・検察は敢えて動かない、と教えられたものなのに。すべては選挙のあとだ、と。なのに、今回は選挙の前にこれをやった。
確かに一部が今月末で時効となる事案だったかもしれません。しかし、そうであったとしても「この種の捜査で逮捕者を出したことなどない」と言う小沢の指摘は正しいものです。なのにこれをやった。そういえば、司法が自民党の保身に加担するようになったこの傾向は、あの辻元清美が(政治家ならだれでもやっていた、そして辻元はまだやっていた、というのに過ぎなかった)秘書給与流用で警視庁捜査2課に逮捕されたころからでしょうか。「あくまでも容疑があれば捜査をするだけ」という建前が建前であることは司法というものを少しだけでも知っている者ならだれでも知っています。それが社会的にどういう意味を持つか、それが国民のどれだけの支持を得るか、その捜査がどれだけ勧善懲悪の顔をしているか、そのへんをいろいろと計算して強制捜査に入るのです。
そうやって眺めると、東京地検特捜部を指揮するいまの法務大臣は麻生派の森英介です。
こいつ、こないだ東京に帰った時の鮨屋でたまたま同じカウンターに座ったんだが、魚は養殖がいいとか、何を言ってるんだかわからんことを披瀝して、聞いていてこちらが恥ずかしくなってしまった。一応相手が権力者だから言うけど、この男は、バカである。
さて、とにかくもそういうわけで麻生は西松捜査が小沢に向かうことを知っていたわけで、とにかくそこまで生き延びれば起死回生の一手となる、とふんだわけなのです。それまではとにかく国会審議と外遊(アメリカに次いで、すぐに中国です)を連発してつないでいく。なるほど、権力というのはかくもえげつなく恐ろしい。それを知ると情けなくもしかたないが。
小沢への強制捜査はあるのでしょうか?
しかし、こうやって新聞社を離れて見ると、新聞報道もかなりいい加減です。検察リークを基にしてしか書いてない。以前からそういうもんではあったのですが、司法からのリークは裏を取る必要なく記事になるので、なるほどこれも政権への補強と傾くのは当然なんですね。
いやはや、これで小沢の首を取れなかったら、検察当局は次は首相になった小沢から大粛清を食らうでしょう。なぜってリーク情報で言えばこれは明らかに大規模な受託贈収賄事件なんですからね。
双方、命がけの攻防です。
面白いと言えば面白いが、その間にも日本はどんどんと腐ってゆくんだなあ。
疑惑が本当なら、小沢も二重に罪なことをしたことになります。
そうじゃなきゃ、麻生・自民党こそが諸悪の根源ということです。