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April 30, 2009

豚インフルエンザから新型インフルエンザへ

なんだか知らない間に、日本の報道は全部「新型インフルエンザ」になってしまいましたね。

「豚インフルエンザ」だと、豚肉加工業界が打撃を受けるかもしれないという風評被害回避の措置なんでしょうが、「新型インフルエンザ」だとこのウイルスの発生の理由が鳥だか豚だかはたまた何だか、わからんくなってしまうでしょうに。日本の政府の対応を見ていると(最近、わたし、このMacの上で日本の地上波テレビがオン・タイムで見られる無料ソフト=MacKeyHoleを入手しまして、きゅうに日本のテレビ事情に精通しております)、豚肉関連業界保護の姿勢がわざとらしいくらいに強調されていて、ちょっとなんだかなあって感じがします。もちろんその背後にはアメリカやメキシコ、カナダからの輸入豚肉の圧力、つまりはアメリカ農務省からの要請や票田としての豚肉農家の思惑もあるんですが、こちらアメリカではまだそんな言い換えはしていません。Swine Flu は Swine Flu です。これってまた字面だけでごまかそうとする言葉狩りなんでしょうか。まったく、悪しき対応だと思います。

もう一点、日本の報道、とくにテレビは、一方で「正確な情報を」「落ち着いた対応を」と呼びかけてはいるくせに、その一方で豚フルーのニュースにおどろおどろしい効果音やら音楽ジングルをかぶせる。しかも例によって声優気取りのナレーションがまたまた低音恐怖フォントみたいなイントネーション。それはあまりにひどいんじゃないでしょうか? これは報道ですか? それともホラーですか? 視聴者を脅してどうするんでしょう。これをやめるだけでもずいぶんと「落ち着いた対応」が可能になるのではないでしょうか?

だって、まだ豚フルーの死者どころか感染者すら確認されていないのでしょう? 例の横浜の高校生にしたって、30日時点の簡易検査では陰性なのですし。なのにもう、アメリカよりもすごい騒ぎぶりです。アメリカの死者だって、じつは亡くなった男児は豚フルーの発症前から基礎疾患として免疫的な問題を持っていた子だったようです。

いや、この豚フルーが大した問題ではないと言っているのではありません。これは2つの意味で大変な問題です。それは後述しますが、ただ、大した問題ではあるが、同時にこういうのはパニックになってもどうにもならないんですね。どうしようもない。人ごみを避けるって言ったって、避けられない時だってあるでしょう。パンデミック、世界的蔓延の恐れ、と言ったって、これはあのエイズの場合と一緒で、いたずらに恐れて感染者の魔女狩りみたいなことになってもひどいでしょ? 現に、舛添厚生大臣が「横浜の高校生に感染の疑い」と、なんだか「情報の早期発表」なのか「フライング」なのかまたわからんような記者会見を行ったんで、ちょっと休んでる横浜の高校生みんな、あしたから大変ですよね。って、あ、ちょうど週末かつ黄金週間か。

そんなこと言ってもとにかくわかった段階で教えろ、というのは当然です。しかし、ああいう深夜1時半の、ドタバタした発表の仕方しかないもんでしょうか? もっとゆったりした顔で、ふつうに話せなかったものか? まあ、役者じゃなかったということですが、これは困ったもんだなあ。

この点を、産經新聞の宮田さんが的確に指摘していました。

http://sankei.jp.msn.com/life/body/090430/bdy0904300103001-n1.htm

「水際作戦とは感染した人の排除ではなく、可能な限り早い段階で治療を提供するためのものである」というのは、じつに重要な指摘だと思います。宮田さんは日本で最初期からエイズ問題を取材しつづけているベテランジャーナリストです。

ところで、冒頭部分で「アメリカやメキシコ、カナダからの輸入豚肉」と書きました。お気づきの方もいるでしょうが、この3国は、NAFTA(北米自由貿易協定)の3国です。昨日の「デモクラシー・ナウ」では、この豚インフルエンザを「NAFTAインフルエンザ」なのだとするこれまた重要な批判が掲載されています。

http://www.democracynow.org/2009/4/29/the_nafta_flu

つまり、豚フルーの背景には家畜産業革命と呼ぶべきものがあるというのです。第二次大戦前は米国でも家禽や豚というのは全米的に裏庭で育てられていたわけで、鶏の群れ(flock)というのは70羽単位で数えられていた。それが大戦後にはHolly Farms, Tyson, Perdueといった大手家禽精肉加工企業によって統合され、ここで家禽や養豚の産業構造は大きく変わることになり、いまは米国内の養鶏、養豚業は南東部の数州に限られるようになった。しかもそれらは大規模畜養で、70羽とじゃなくて3万羽とかの単位です。

このビジネスモデルは世界に広がり、1970年代には東アジアに拡大して、たとえばタイではCP Groupという世界第4位の家禽精肉加工企業が出来、その会社が今度は80年に中国が市場を開放した後に中国での家畜革命を起こすわけです。

そうやって、世界中に「家禽の大都市」「豚の大都市」が出来上がっていった。もちろんこれにはIMFとか世銀とかあるいは政府とかの財政的後押しもあって、借金まみれだった各国国内の弱小酪農家がどんどんと外部の、外国の農業ビジネス大企業に飲み込まれていくわけです。

そして1993年からのNAFTAがある。これがメキシコでの養鶏・養豚業に大きな影響を与えるわけです。結果、そこの支配したのは米国のSmithfield Foodsという企業の現地法人でした。ベラクルス州ラグロリアという小村にあるこの会社の大規模かつ劣悪な養豚環境が、今回のH1N1ウイルスの発生源とされているのです。そりゃそうですわね、なんらの規制も監視システムも設けないでそういう大型酪農工場を貧困国にどんどん設置していけば、何らかの疾病が起きたときにそれは人口過密の大都市で起きたのと同じく大量の二次感染、三次感染へと連鎖して、ウイルスの変異がどんどん進む。そのうちに鳥や人間のインフルエンザ・ウイルスとも混じり合って、やがて人間世界へ侵出してくるのは当然のことと思われます。

先に「2つの意味で大変な問題」と書いたのは、1つは今後の感染拡大の問題ですが、2つ目はこの、産業構造としての食品工業のことです。

つまり、まとめれば次のようなことです。

1)豚インフルエンザに騒いでもあわててもしょうがありません。感染する時は感染する。
2)感染したら早めに治療するだけの話です。
3)感染したからと言って回りがパニックになっても何の意味もありません。
4)元凶は、私たち人間の食を支える農業ビジネスの歪さかもしれませんね。
5)いずれにしても、ニュースにホラー映画まがいのナレーションや音楽や効果音をかぶせるのはもういい加減やめにしたほうがいいです。
6)日本政府も、水際作戦とやらの全力投球はいいけれど、後先考えずこんなんでずっと保つんですか? 疲れてしまってへたったときにふいっと感染爆発って起きるもんなんですよ。長期戦なりの作戦展開をして対応すべきでしょうに。


お時間があれば次のビデオクリップを見てください。
まあね、このクリップにも効果音楽が被されていますけどね。

上のは「Food Inc.」という映画の、下のは「Home」というドキュメンタリー映画の予告編です。


April 25, 2009

機を見るに敏と、言っていいかな?

みなさん、機を見るに敏、というかなんというか、世論が草彅同情に傾いていると見るやいっせいにそっちになだれ込んだですね。この「みなさん」というのは、世論を形成したみなさんではなくて、いちばん最初に顰め面したり能面してた連中です。

大臣連中も、同情論をつぶやくなら最初からそうしろよな。世論を先読みして、それを好ましく後押しするようなコメントをぶってやるほどの気概を持てよかし。テレビもそうだ。23日時点では様子見しててコメントもろくにしなかった臆病者どもが、釈放となったとたんに堰を切ったようにかばうは、批判を批判するは、おいおい、後出しジャンケンかよ、と突っ込みたくなる、なにかイヤなものを見ている思いです。

それにつけても、相変わらず、鳩山某総務大臣のみっともなさよ。
なにが「最低の行為と言い換えたい」だ。あんたのその言い換えの物言いでしょう、「最低の行為」ってのは。事務所に山のように抗議の電話がかかって来たからといってビビるのは、まさに後先考えずに口から出任せのその考えなしのせいです。

それにさ、ワイドショーで「私は草彅さんをよく知っているんですが、ほんとにいい人なんです。今回のこともきっと……」といまさら言うなら、逮捕されたそのときに言いましょう。その、ほんとにいい人の友だちだと言うなら、自分のテレビ生命をかけても、どんなことがあっても最初から彼をかばいなされ。それが彼をよく知る「友だち」だ。釈放されてからなら誰だって言えます。人間ってのは、弱いもんだって知ってるけど、でも、その中で、友だちってのはせめて強いもんであってほしいのです。

もっとも、これら同情論・擁護論は、あのジャニーズ事務所に対するおべっかだと見る向きもありますがね。各局・各リポーターともなんだか競争するかのように「草なぎくんいい人」を連呼して、あまり睨まれないようにしたいというわけですか。

それにつけても、世論というのは力を持っているなあ。世論はジャニーズ事務所も関係ないし。
愚かなポピュリズムにながれることもあるにしろ、この力を、ゆめ、侮るなかれ、ですね。

April 24, 2009

草彅くんね

ミクシにも書きましたけど、かわいそう。
騒ぎ過ぎですよ、メディアで発言するみなさん。
メディアの性格上、騒ぎ過ぎるのはわかりますが、その中でも「騒ぎ過ぎ」って言ってやりつづけることはできると思いますから、そう言ってやってもらいたいです。

まあ、全裸になるってのはよく覚醒剤(アンフェタミン)をやった連中の行動パタンなので(尾崎もそれで全裸になって民家の庭先で暴れて死んだんです)、警視庁としてはそれを疑って家宅捜索までしてるんだろうけど、尿検査で出てきてないのに公然猥褻で自宅のガサまでやるなんて、それはすごくひどい話です。なんか、こないだの小沢とは全然次元が違うが、ゲシュタポとかKGBとかの跋扈した警察国家みたいな話ですよ。

酒飲んで、酔っぱらって裸になって大声で叫ぶのはぜんぜん誉められたもんじゃないけど、そんな顰め面して「最低の人間だ」「絶対にゆるさない」って大臣が公然と断罪するほどのことでもないでしょう。泥酔して国家のハジをさらした同僚大臣にはそんなこと言わなかった輩が、相手が若造だと知るとここぞとばかりに道徳親父面しやがる。こういうのを権力を傘に着て、という。まったくひどいサイテーの人間。

毎日と読売、東京(追加)がさっそく翌24日付けの一面コラムで書いてますね。

「草食系男子も楽ではなさそうだが、どうか周囲のしかめ顔は肝に銘じてほしい。」(毎日)

べつにしかめ面なんかしてないよ。あらら、と思っただけだ。酔っ払いに甘いと時に批判もある社会ではあるが、これって、公然猥褻ながら露出でも陳列でもない。そういうのとは、違うでしょ。もし薬物が出てないなら、これって、完全にストレスアウトの話だから、しかめ面する前に心配してやるべき話じゃないかって思うもん。それが人間社会ってもんじゃないですか?

「呼び捨てではなく、「クン」を付けずにはいられない清潔感と温かい人柄がにおう人に、深夜の公園での泥酔、全裸は似合わない」「才能があって、売れて、皆に愛されて、それでも法と常識を超えなくては晴らせなかった鬱屈(うっくつ)とは、何だったのやら。どれも持ち合わせぬ身は、何を脱いだらいいのか分からない。」(読売)

これもいやらしい書き方だなあ。「似合わない」って、勝手に想像してたイメージを前提にして言われたって、困っちゃうよ。人間ってのはね、他人のわからない心の襞の奥の奥を必ず抱えて生きているの。新聞記者って、まずそれを尊重することから始まるの。「似合わない」って言うのは、そういう他者という存在に対して、畏れを知らぬものすごく不遜な言い方です。おまけに読売の一面コラム子ともあろうものが「どれも持ち合わせぬ身は、何を脱いだらいいのか分からない」って、なに卑下してかっこつけてるのか。これを結語とするなど、ナルシシズムの極みです。だっておじさん、いろいろと持ってるでしょうに。大新聞の一面コラム子ですよ。それとさ、「法と常識を超えなくては晴らせなかった」と言ってますが、そんな大げさなもんじゃないのです。大げさにしてるのは、そうやって書くからで、酒飲んで酔っぱらって裸になってなんて、それ、「法と常識を超えなくては晴らせなかった鬱屈」とかいう形容詞で書くべきもんじゃあないでしょ。もっと個人的なものでしょう。

「確かに、酔っぱらうと、同じようなことをしたがる人もいないではない。だが、最もアイドルらしからぬ酒癖だろう。あの商売もあれでストレスが多いのだろうか。」(東京)

芸能界、ストレス多いって、知らないのでしょうか? いや、芸能界に限らず、どんな分野の仕事でも。
そういう視点を持たずに、よくコラムなんか書いてられる。

ああ、いやだいやだ。

しかし、どうして当日中に釈放されなかったのでしょう。
こういうのは、だいたいは、立派な大人なんだからバカなことはもうやめなさい、ってきつくお説教して、はい、じゃあ、帰りなさい、ってその日のうちに帰されるもんです。
なんかすごく変です。

まあ、出たら出たでまたものすごい騒ぎになるでしょうが、そういうのはさっさと済ませてしまうしかないでしょうね。

私はべつに草彅くんのファンでもなんでもないですが、ストレスアウトしてたかもしれない人間を無神経に論評しちらかす世間はいやなのです。

April 21, 2009

東京地検特捜部の衰退

あれはいったい何だったんでしょう?

小沢の公設第一秘書の起訴から1カ月が経とうとしています。で、なにも起こらない。二階の逮捕もどこに行っちゃったんだ?

当初、だれもが「特捜部は最終的にはトンネル献金による斡旋利得処罰法での立件を目指している。そうじゃなければやらない」と思っていました。でもそんな気配はありません。東京地検特捜部というのは、私の取材していたころとは様変わりして虎の威を借るなんとかに成り下がったのでしょうか? ほんとに政治資金規正法での起訴だけなのか? うそでしょ? ほんとだとしたら、なんでそんなバカみたいな先走りを見せちゃったわけですか? 泣く子も黙る東京地検特捜部までがいま悪しき官僚制度の頭でっかちな世間知らずのボンボンで占められちゃってるのかしら? 

当初、政治資金規正法違反という逮捕容疑が起訴の時点でも同じ罪状ならそれは検察の敗北だ、といろんな政治評論家がかまびすしく語っていました。そこにはもちろん「次は斡旋収賄で小沢本人だ」という“読み”があったからで、それこそがこれまでの特捜部のやり方だったからです。それがこの尻すぼみ……。

にもかかわらず、いま現在も小沢に自ら辞任決断をと迫る論調が続いています。その理由の最大のものは、「記者会見での小沢代表の説明では納得できないという世論が圧倒的だ」、というものです。

でもこれはおかしい。ちょっと考えてみると、この間の国民の小沢への疑問は、新聞やテレビで垂れ流された数多くの検察リーク情報を基にしています。たとえば東北で接待的な権力を誇るとされる小沢陣営の公共事業口利き「天の声」っていう話、陸山会のおかしな不動産取得のこと、西松建設への献金方法を具体的に指南したのは小沢の秘書だという話、小沢に献金しなければ村八分に合うという業者の話……等々。これらはすべて検察が立件を捨てたゴミ情報ですよ。しかし今回は検察回りの記者たちがさんざん書き散らした。とくにNHKと朝日がひどかったですね。NHKも朝日も、いやしかしどうでもいい話をよくもまあ。秘書が容疑を認めたって話は、どこに行ったんでしょう? そうやって世論の小沢イメージは形成されていったのです。

新聞記者仲間ではこういうのを「書き得」と呼びます。検察回り、警察回り、国税回り、そういう摘発関連の記者たちは夜ごと捜査当局を回っていろんな話を聞いてきます。で、立件できるほど証拠もないし筋が悪いさまざまな情報が日々、どんどんたまっていく。苦労して時間を使って集めたのに書けないわけですね。そういうのを、関連の摘発があるとどさくさにまぎれてここぞとばかりに吐き出すのです。まあ、つなぎの紙面を埋めるための記事も必要ですし、デスクは朝刊、夕刊、テレビの場合は朝のニュース昼のニュース、夜のニュースでなにかないか、面白い話はないかってうるさくせっつくわけですから、それにも応えられてちょうどいいわけです。つまり、報われなかった夜討ち朝駆けの苦労もこの吐き出しでカタルシスを迎えられるのです。

今回は、そういうゴミ情報を基に国民はなんだかわからない「疑惑」の印象を小沢に抱くようになった。というか、もしこれが国策捜査ならば、まさに自民党の思うつぼです。べつに小沢が逮捕されなくたっていい。似たような状況がメディアスクラムで作られてしまっている。

さて、問題はそこです。「会見での小沢説明では納得できない」という世論が圧倒的。これ、そもそも納得できるはずがないのです。なぜなら、小沢は、秘書の政治献金規正法の罪状だけではなく、じつはそれ以外に有象無象に垂れ流されたゴミ情報にまみれてしまっているの。そんなもの、いくら時間があっても説明なんかできるもんじゃない。あるいは説明する、釈明する義理だってないわけです。だって、立件されてない、裏のない話なんですから。おまけに秘書の罪状はトンネル献金だけです。その罪状さえ否認しているので、小沢としても公的には釈明のしようがない。せいぜい「世間を騒がせて申し訳ない」ということでしかない。それ以上謝ったら秘書の公判にまで影響が出てしまうからです。

これが「小沢の説明は納得いかない」のメカニズムです。「疑惑」を釈明すれば疑惑の存在を認めることにもなるから触れることもできない。だからどうしたって説明不足の印象だけが残る。そういう結論。一流の識者までがそのメカニズムを理解せずに「説明責任を果たしていない」と批判するのは的外れです。異様に企業献金が多い、というのだって、そういうシステムの中での集金マシンとしてのボス政治家像の好悪の問題です。企業献金が違法となっていない現行の司法制度の中では、それが多すぎるとしても罷免に値するものではないでしょう。

いや、私は、小沢に「辞めるな」と言っているわけではありません。
むしろ辞めた方が現状では政権交代に近いかもしれない。
しかし、これで辞めたら、何かが違うと思っているのです。

そうして小沢・民主党人気は沈没したままです。小沢沈没と同時に麻生内閣の支持率がまんまと回復しています。タイミングもよいことに日本では定額給付金の支給手続きも始まりました。高速道路の値引きもそうですが、選挙を前にしてこういうのは票をカネで買っているのとどう違うのか? もちろんそのカネはじつは自分のカネが戻っているだけというごまかしなのですが、政権政党とはこういう“不正”もレトリックという名のトリックでやり遂げられるのです。

だから私のこの文章は、敢えて小沢に甘いバイアスをかけて書いてます。私だって小沢には聞きたいことがたくさんあるし、政治家としてそういった、たとえ裏のない疑惑にでも答える責任はあると思いますよ。しかしそれ以上に、今回は麻生政権の問題と疑惑のほうが重篤だと思うからです。たとえばこう考えてみてください。政治資金規正法犯罪という形式犯罪で、小沢の秘書が通常のように(逮捕されずに)在宅で起訴されていたら、検察担当メディアがやいのやいの書き散らしたゴミ情報は出てこなかった。そうしたら麻生政権はいままで保っていたかどうか? 今回の秘書逮捕と起訴と、その間のメディアへの検察リークはまさに世論操作です。その証拠が麻生政権の支持率回復ですもの。そう、小沢が辞めたら、それは世論操作によって辞めることになる、という異和感です。

まあ、そんなこといまさら言ってもしょうがないのはしょうがない。世間は小沢にそういう印象を持つようにしむけられてしまったんだから。

ただね、そんなバイアスもなにもなく、客観的に見て麻生の残す日本の未来は大変だと思います。だって、この分じゃあ政権交代しても、民主党に残されているのは莫大な借金の後始末だけだっていうのは、私にはまぎれもない客観的事実だと思われるのですよ。

高速道路の値下げだって民主党が言ったときにゃそんなものは将来に禍根を残す天下の愚策だと切り捨てたのに、自分たちがそのアイディアをパクったときにはこれで消費行動に結びつくですもんね。金をばらまくだけばらまいて、さて、選挙がそろそろうごめき出しているようです。

まったくね、ものすごい権力闘争が、こうやって「あれはなんだったんでしょうね」ということになっちゃったんですね。

April 16, 2009

映画『ミルク』が公開されますよん

ハーヴィー・ミルクの名前くらいは聞いたことがあるかもしれません。
でも、ないかもしれません。
むかし、というか、いまも、「ハーヴェイ・ミルク」という書き方の方がなじみがあるかもしれません。
知識の有無を含めて、その辺がきっと日本の「状況」だと思います。

ダスティン・ブラックという若い脚本家が、このハーヴィー・ミルクの人生に感動して、これを史実に忠実な映画として再現してみんなに見せたいと思いました。4年かけて関係者にインタビューし、やっと脚本を完成させます。それでその脚本を読んだガス・ヴァン・サントという結構とんがった映画ばかりを作っている監督が動き、ショーン・ペンを主演にして映画制作が始まりました。その映画が、日本でもやっと公開されます。オスカーもしっかり獲っちゃって、これは、多くの人に見てもらいたいドラマです。

その舞台裏、完成にいたるまでを、アメリカのプロダクションが説明しています。注釈とか補足とかを含めながら、日本語でここでご紹介します。

もしこの映画を見て興味が湧けば、もう1つ、やはりこれもアカデミー賞長編ドキュメンタリー賞を受賞した「ハーヴェイ・ミルク(The Times of Harvey Milk)」(1984年)という、ドキュメンタリーもぜひ見てください。DVDで借りられると思います。

Harvey_milk_plaza.JPG
もし1発の銃弾がわたしの脳髄を貫くことがあるなら、その同じ銃弾ですべてのクローゼットのドアを打ち破らせろ

『ミルク』に関する記事の目次に飛ぶ
(まだ言うか Still Wanna Say? のページにあります)

April 13, 2009

ブロークバックはアダルト本?(続報追記)

アメリカのアマゾン・コムがなんだかわからない基準を持ち出して、ゲイ&レズビアン文学を「アダルト」分野に分類してセールスランキングから外すという愚挙に出ています。アダルト本、つまりエロ本ですね、そうやってセールスランキングの数字がなくなったのはジェイムズ・ボールドウィンの名作「ジョヴァンニの部屋」、それにアニー・プルーの「ブロークバック・マウンテン」、ええ、そうです、あのブロークバックです。

Giovanni's room.jpg  brokebackmt.jpg

そうやって外されちゃった著者の1人が何なんだ、ってアマゾンに問い合わせたら、次のような答えともならない答えがメールされてきたそう。

"In consideration of our entire customer base, we exclude 'adult' material from appearing in some searches and best seller lists. Since these lists are generated using sales ranks, adult materials must also be excluded from that feature.
われわれの全体の顧客基盤を検討した結果、「アダルト」な物品は一部の検索やベストセラーリストから除外しています。これらのリストはセールスランク(販売数順位)を基に作られているため、アダルトな物品もまたその扱いから外されることになります。

"Hence, if you have further questions, kindly write back to us.
そういうわけで、まだご質問がある場合は恐れ入りますがまたメールをどうぞ。

"Best regards, Ashlyn D Member Services Amazon.com Advantage"
敬具、アマゾン・コム・アドヴァンテージ、メンバーサービス部 アシュリン・D

まあ、理由説明になっちゃいませんね。

というか、除外対象のアダルト分類というのもいい加減で、LAタイムズによれば

アネット・ベニング主演で映画にもなったオーガスティン・バロウズの「ハサミを持って突っ走る(Running with Scissors)」(アルコール中毒の父と夢想家でレズビアンの母が離婚、精神科医の家で暮らすことになった少年オーガスティンの奇妙な日々を描く青春回顧録)
リタ・メイ・ブラウンの現代レズビアン小説の嚆矢「ルビーフルーツ・ジャングル(Rubyfruit Jungle)」
ヴィクトリア朝のレズビアンを描いたラドクリフ・ヒルの古典的名作「孤独の泉(The Well of Loneliness)」
ミシェル・フーコーの「性の歴史、第1巻(The History of Sexuality, Vol. 1)」
E.M.フォスターの「モーリス」(2005 W.W. Norton版)
アナイス・ニンの「小鳥たち」
ジャン・ドミニク・ボービーの「潜水服は蝶の夢を見る(The Diving Bell and the Butterfly)」(1997 Knopf版)
ゲイの自伝として初めて全米図書賞を受賞(1992年)したポール・モネットの「Becoming A Man(男になるということ)」
ホモフォビアの社会的研究書である「The Dictionary of Homophobia: A Global History of Gay & Lesbian Experience(ホモフォビアの辞書;世界のゲイ&レズビアンの体験の歴史)」
等々……

ところが外れてないのは

デビッド・セダリスの「すっぱだか(Naked)」
ヘンリー・ミラーの「北回帰線(Tropic of Cancer)」
ブレット・イーストン・エリスの「アメリカン・サイコ」
ウィリアム・バローズの「裸のランチ(Naked Lunch)」
アナイス・ニンの「愛の日記:近親相姦(Incest: From 'A Journal of Love)」
ミシェル・フーコーの「性の歴史、第2巻〜第3巻」
E.M.フォスターの「モーリス」(2005 Penguin Classics版)
ジャン・ドミニク・ボービーの「潜水服は蝶の夢を見る(The Diving Bell and the Butterfly)」(2007 Vintage International版)
等々……

と、同じ内容で版が異なると扱いが違っていたり、異性愛ものはオッケーだったり、ミシェル・フーコーをアダルト本とするのもすごいけど、「ビカミング・ア・マン」とか「孤独の泉」なんてセックス描写なんかただのひとつもないのですよ。支離滅裂というか、まあ、ゲイとかレズビアンとか付いたものを片っ端からアダルト分類して、とにかくホモレズ徹底除外っていう姿勢ですかね?

すでにこのランキング外しに抗議する署名運動がフェイスブックで盛り上がっています。
米国メディアも騒ぎ始めました。
まあ、いずれすぐにもアマゾンの意図が(さらにはきっと謝罪撤回が)出てくるでしょう。
なんと言い訳するのかしらね。
アマゾンの内部の一部過激分子が勝手にやったこと、とか言うのかしら?
まさかシステムの不具合とかっていうんじゃないでしょうね。
こんな恣意的な不具合なんてないもんなあ。
ちょっと楽しみ。(←意地悪)


***2009/04/13 続報

アマゾンが次のような正式見解と謝罪を発表しました。
まあ、予想したとおりですね。

"This is an embarrassing and ham-fisted cataloging error for a company that prides itself on offering complete selection. It has been misreported that the issue was limited to Gay & Lesbian themed titles -- in fact, it impacted 57,310 books in a number of broad categories such as Health, Mind & Body, Reproductive & Sexual Medicine, and Erotica. This problem impacted books not just in the United States but globally. It affected not just sales rank but also had the effect of removing the books from Amazon's main product search. Many books have now been fixed and we're in the process of fixing the remainder as quickly as possible, and we intend to implement new measures to make this kind of accident less likely to occur in the future."

完全な商品セレクションを誇りにしている企業としてお恥ずかしいかぎりのみっともないエラー。ただしゲイとレズビアンをテーマにしている本だけがそうだというのは誤報です。じっさい、健康とか精神と肉体、出産や性関連の薬剤、それにエロティカなど幅広い分野の57310冊の本に不具合が生じたのです。それもアメリカに限らず世界中で起きた問題でした。しかも販売ランキングだけでなくアマゾンのメインの商品検索対象からもそれらの本が外れてしまいました。多くの本に関してはすでに直りましたが、残りもできるだけ早く直す作業を進めています。こういう事故が今後起こらないように新しい対策を講じるつもりです。

……ってさ。

ふむ、でもやっぱりみなさんの怒りは収まらないようで、ラリー・クライマーはアマゾンのボイコット運動を提唱するし、クリストファー・ライス(アン・ライスの息子)も怒りのインタビューを発表しています。


April 09, 2009

中村中という異化装置

こないだ、じつはちょっと日本に帰って、中村中のステージを2つ見てきました。1つはニッポン放送のオールナイトニッポン・コンサートで、これにはクミコだとか太田裕美だとか、中村中を含め6人が出ていて、なんと新宿厚生年金で4時間もやったんです。

ここでね、中ちゃん、「恋」を歌ったんです。松山千春の。

あれ、どういう歌だか知ってますか?
わたしね、あれ、松山千春が歌うと、ほんと、松山千春の想像する、ほんとに男にとってまっこと都合のよいオンナの歌にしか聞こえない。なんかさあ、もう二度とあんたになんかひっかからないわ、って言ってるのに、その「あんた」はそう言わざるを得ないほどのすごいいい男だった、みたいな響きなのですね。

歌詞は次のようなもんです。

愛することに疲れたみたい 
嫌いになったわけじゃない
部屋の灯はつけてゆくわ 
カギはいつものゲタ箱の中
きっと貴方はいつものことと 
笑い飛ばすにちがいない
だけど今度は本気みたい 
貴方の顔もちらつかないわ
  男はいつも待たせるだけで
  女はいつも待ちくたびれて
  それでもいいとなぐさめていた
  それでも 恋は恋

多分貴方はいつもの店で 
酒を飲んでくだをまいて
洗濯物は机の上に 
短い手紙そえておくわ
今度生まれてくるとしたなら 
やっぱり女で生れてみたい
だけど二度とヘマはしない 
貴方になんかつまづかないわ
  男はいつも待たせるだけで
  女はいつも待ちくたびれて
  それでもいいとなぐさめていた
  それでも 恋は恋

  男はいつも待たせるだけで
  女はいつも待ちくたびれて
  それでもいいとなぐさめていた
  それでも 恋は恋

  それでも 恋は恋

ね?
だいたい、最初から「嫌いになったわけじゃない」ですよ。「貴方の顔もちらつかないわ」って、ほんとにちらつかないなら「貴方の顔」のことなんか言わなくてもいいじゃないですか。それにさ、洗濯までしてるの。それを畳んで机の上にそろえて置いているのよ。で、短い手紙も書いちゃってるわけ。そんで、こうやって別れるけれど、「それでも恋は恋」だったって未練たらたらの甘いことを言っちゃって終わるわけなんですわ。

こんな男にとって都合のいい女、そうはいません。
それも、松山千春が自分でつくって自分で歌って自分でデッチ上げてるわけです。
それって、ヤラセじゃないですか。この「貴方」は松山千春なんですよ。けっきょくは自分を始めとする男たちへの讃歌の女歌なの。ああ、こういうの、長渕剛なんかの歌にも臭うよね。

でも、それを中村中が歌うと、全然違って聞こえるのです。
まあね、私の主観ですが、読み取りがまったく変わっちゃう。

中ちゃんが歌うと、「嫌いになったわけじゃない」は、いま別れていこうとする男を憐れんで、ちょっとだけ救いを与えてやってる、みたいな感じになる。「だからね、絶望したりしないでね」って感じの。

「だけど今度は本気みたい、貴方の顔もちらつかないわ」の「みたい」は、断定を避けてあげる女のやさしさ。でも、「ちらつかないわ」でやっぱり断定しちゃうんです。決意なんです。甘えていない。

机の上の洗濯物も短い手紙も、中村中の歌の中ではこの男に対する最後のやさしさで、じつはその手紙には当たり障りのないことを書いている。だって、そうでもしてやらないとあたふたして泣き出してしまいそうなダメな男なんだもん。でね、そうしてやっぱり決意として「今度生まれてくるとし」ても、「やっぱり女で生まれてみたい」と宣言するのです。「二度とヘマはしない」「貴方になんかつまづかない」という断定的な決別宣言。

そうして結論です。
「男はいつも待たせるだけで、女はいつも待ちくたびれて、それでもいいとなぐさめていた」というこれまでの恋の総括を経て、でも、そんな過去にもめげずにもういちど新しい「恋」に向けて歩き出すのです。だって、「それでも、恋は恋」なんですもの!

ふいーっ! ね? 話が変わるでしょ? って、こういう読みを可能にする歌い方をするんだよ、中村中は。松山千春の歌い方とは全然違うの。すごいよ。つまり原曲の、男による男のための未練の女歌が、中村中によって、女による女のための決意の女歌に異化するの。

中ちゃん、そういう他人の歌の異化アルバムをいつか作ってくれないかな。

で、言いたいことはって言うと、そのオールナイトニッポン・コンサートの翌日に、横浜の関内ホールで「異常気象」っていうタイトルで、新アルバム「あしたは晴れますように」のコンサートを行ったんです。これにも行ってきました。彼女の1人コンサートは初めてでした。で、確信しました。

彼女は変です。

これ、褒め言葉のつもりです。
私の経験から言うと、一流の人って、みんな、変なんです。ぜったい変。生前の白州正子に会ってインタビューしたこともあるんだけど、あの人もじつにチャーミングで変だった。彼女の話しているのを聴いてるだけで面白くて面白くて、ぼくはにこにこしてただいつまでもそこにそうやって佇んでいたくなった。

じつは中村中とも、そうやって彼女の話を聞いていたい気がします。
まだコンサートのMCは上手いとは言えないんだけれど、なんか、言いたいことがものすごくたくさんあるような、でもまだそれをしゃべり言葉としては表現し切れなくてちょっとじれてるような、でも同じことは歌では決められて、そうして1つのコンサートが出来上がっていく。

「異常気象」はそういうコンサートでした。「あしたは晴れますように」と「あしたは荒れますように」という2つのアンビヴァレンツがぶつかり合って、いやいや、不思議。そんな中心に中村中の変さが存在するのです。濃いコンサートだったなあ。

さっき、「異化」と書きました。
彼女を通して世界を映すと、世界は違って見える。

この変さは、しかしまだ未定です。未確定。
中島みゆきって変ですよね。中森明菜も変。松田聖子はちょっと違うけど。
中島みゆきなんかの変さはもう確定済みですけど、中村中の変さは、いまわたしたちが変遷を目撃できる過程にある変さです。これはいずれどこかに落ち着くんでしょうけど、わたしたちはいまのこの過渡的な変さの1つ1つを目撃できる僥倖に恵まれている。これを、見といて損はないだろうなあって思います。しかし、あの歌い出しの前の、息を吸う音の生々しさときたら!

この3枚目のアルバム、そういう意味では、なかなかすごい萌芽を感じます。

あ、日本時間のいまごろは名古屋での同じコンサートか。
明日10日は大阪厚生年金会館芸術ホール。おお、これはアルターボーイズの会場でもあったところだ。

そんで4月26日(日)には東京に戻って東京国際フォーラムで6時に開演。
空いてる人は見といたほうがよいです。

彼女のウェブサイトです。詳細はそっちに書いてるはず。どこかな。
スケジュールのところですね。

http://www.nakamura-ataru.jp/index.html

April 08, 2009

歴史的な採決

米北東部のバーモント州の州議会が7日、歴史を作りました。米国史上初めて採決によって同性婚の合法化を果たしたのです。これまでのマサチューセッツ、カリフォルニア、コネチカットの合法化は“過激派の最高裁判事”(By G.W.ブッシュ)による決定でしたからね。

バーモント州議会はじつは3月23日には州上院で、4月2日には州下院でそれぞれ同合法化案を可決していたのですが賛成票は拒否権に対抗できる数にまでは達していませんでした。そこで知事のジム・ダグラスが6日に拒否権を行使しこれを否決。しかし翌7日には、この拒否権の無効化に回る議員が増え、上院では23対5の圧倒的多数で、直後の下院でも100対49と、拒否権の無効に必要な3分の2以上の票を得て同性婚合法化案は再可決されたのです。

下院議長シャップ・スミスがこの最終投票結果を発表すると議場は大きな拍手喝采に包まれたようです。

そしていま、アイオワ州でも4月3日に州最高裁が判事全員一致で同性婚を禁じる州法を違憲とする裁定を行って、こちらの知事は最高裁の決定を尊重すると言っています。ですからこちらも合法化されます。

こうなると、カリフォルニアでのプロップ8が、いまさらながらバカみたいに見えてきます。だってアイオワですよ、アメリカ中部の田舎の代名詞みたいなところ、ハートランドですよ。

こういう、議会での同性婚賛成はここ数カ月でニューヨーク州、お隣のニュージャージー州、メイン州、ニューハンプシャー州でも増えてきています。次はきっとニューヨークとニュージャージーで議会による合法化がなされるでしょう。いやいや、戦いは佳境に入ってきました。

でもそれはすなわち、同性婚反対派がこれでまた恐怖をあおるキャンペーンを強化してくるということです。というか、もう、していますね。

下に映像をくっつけますので見てください。

これはゾンビではありません。死にそうな顔で同性婚合法化を憂う人たちです。すごいセンスです。言ってることも、「この問題をわたしたちの私生活に持ち込もうとしている」「わたしの自由が奪われる」「同性婚を認めない教会が政府によって罰せられる」「同性婚をオーケーと私の息子に教える公立学校の教師たちを親である私はただ黙って見ていることしかできない」ってめちゃくちゃ言いよるねん。揶揄ではなく、ほんとうにこの人たち、精神を病んでるのかしらって心配です。ほんとうに、ちゃんと病院に行くべきです。


April 06, 2009

我慢のチキンレース

そりゃあミサイルが降ってくるとなれば誰だって慌てます。しかしもしそうだとしたら、そのときに為政者が準備すべきは、1つは落下あるいは攻撃地点の被害の予防と事後の救助、そしていま1つはミサイルを射った国との戦争です。

ところが日本政府はどうもその1つも真剣には準備していないようでした。迎撃用ミサイルは配備しましたが、「当たるわけない」と発言する高官までいてどこまで本気だったのか。というかそもそもこれが日本を狙っての「ミサイル」だったとはだれも信じてなかったんでしょう。つまり、この件はどこまで大変なことだったのか? 本当はそう大したことではなかったんじゃないのか?

日本のメディアはものすごい騒ぎでした。おまけに政府は発射の誤認と誤報騒ぎを2度まで起こして、私なんぞはこれでアジア各国に「日本はこれほどに平和国家。あなたの国を侵略する意図なんぞ微塵もありません」と宣伝する最高の材料だったと、いや冗談ではなく真面目にそう思いました。これこそが軍事に走る北朝鮮や中国に対する見事なアンチテーゼだと開き直ることです。

ところで北朝鮮という国の行動パタンはいつも決まっています。数年に1度、軍事的脅威で挑発して、国際社会がその暴走を止めようとさまざまな懐柔の餌を投げ与えてくるのを画策する。

今回のミサイルも、そもそも94年に問題となった核弾頭の原料となり得るプルトニウム生成の黒鉛減速炉から引き続くものです。このときのクリントン政権は北朝鮮の爆撃も検討しましたが、結局は特使のカーター元大統領が当時の金日成と会って代替の軽水炉を無償で建設してやるということになったのです。

とはいえ、それも何度もウラン濃縮計画を口にしたり黒鉛減速炉を再開したり、果ては国際原子力機関を脱退したり次には核拡散防止条約から脱退したり核兵器保有宣言をしたりで、軽水炉事業はついに05年11月に中止になりました。で、06年には核実験の強行です。

この一連の動きの中に今回のミサイル、というかロケットですわね、その発射があった。これは人工衛星だろうがなかろうが、テポドンの精度と射程が改善したことを国際的に見せびらかすためのものでした。おまけに北朝鮮は9日に最高人民会議、15日に故金日成の誕生日、25日には朝鮮人民軍の創設記念日を迎えます。これらを前に、金正日の健康不安で国内的な示威も必要でした。

つまり、今回のロケットでは北朝鮮としても切り離しの1段目ブースターなどを下手に日本本土に落とすわけには絶対にいかなかったのです。そんなことになったら本来の挑発・かく乱の意味がぶっ飛んでマジで大変なことになってしまいますから。日本政府中枢だってそのくらいは読んでいたでしょう。

ですので問題は今回ではない。次なのです。北朝鮮はしばらくは国内イベントで忙しいが、その後にどう動いてくるか? 弾道ミサイルの開発は今後、たしかに急速に進むでしょうから。

日本では早くも自民党の政治家から「北が核ミサイルなら日本も核武装すべき」という声が出ています。オバマが核軍縮に向けて米国の具体的な行動を宣言している時に日本が核兵器を持って何をしようというのか? 核兵器を持つこと、保管することは実際には技術的にとても難しいので、そんな一朝一夕に配備できるなんてことはまったくありませんからこれはブラフあるいは無知な発言なんですけれど、しかしそれにしてもそういう心情を吐露できてしまう野卑な政治状況というのはますます深化するかもしれません。

冒頭にも書きましたが、しかし政治家がまずは準備すべき被害の予防の最大のものとは、まさにそんな戦争をしたたかに事前回避することなんですね。そして上記のような短絡的な政治家の勇ましさは往々にそこに生きるわたしたち無辜の命を忘れがちなのです。それは北朝鮮政府と同じくらい始末が悪い。

で、戦争を回避するにはどうすべきか?
それはいまのところ、挑発には絶対に乗らない、ということしかないんだと思います。相手のチキンレースを受ける必要はまったくありません。メディアも、視聴率狙いでけたたましい番組や記事は作らんことです。もっとおとなになりましょうよ。だってこれは国家の安全保障にかかわることですもの。命がかかってる。ぎゃーぎゃー騒ぐやつは一番先に撃たれるんです。

表向きは騒がず、ときには無視もする。そして水面下で米韓と協調して探り合いを続ける。

でもね、最終的には北の体制を変えることしかないんだろうなあとは、みんなわかってるんだと思います。さてそれを、どうやるかですわ。知られないようにね。