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中村中という異化装置

こないだ、じつはちょっと日本に帰って、中村中のステージを2つ見てきました。1つはニッポン放送のオールナイトニッポン・コンサートで、これにはクミコだとか太田裕美だとか、中村中を含め6人が出ていて、なんと新宿厚生年金で4時間もやったんです。

ここでね、中ちゃん、「恋」を歌ったんです。松山千春の。

あれ、どういう歌だか知ってますか?
わたしね、あれ、松山千春が歌うと、ほんと、松山千春の想像する、ほんとに男にとってまっこと都合のよいオンナの歌にしか聞こえない。なんかさあ、もう二度とあんたになんかひっかからないわ、って言ってるのに、その「あんた」はそう言わざるを得ないほどのすごいいい男だった、みたいな響きなのですね。

歌詞は次のようなもんです。

愛することに疲れたみたい 
嫌いになったわけじゃない
部屋の灯はつけてゆくわ 
カギはいつものゲタ箱の中
きっと貴方はいつものことと 
笑い飛ばすにちがいない
だけど今度は本気みたい 
貴方の顔もちらつかないわ
  男はいつも待たせるだけで
  女はいつも待ちくたびれて
  それでもいいとなぐさめていた
  それでも 恋は恋

多分貴方はいつもの店で 
酒を飲んでくだをまいて
洗濯物は机の上に 
短い手紙そえておくわ
今度生まれてくるとしたなら 
やっぱり女で生れてみたい
だけど二度とヘマはしない 
貴方になんかつまづかないわ
  男はいつも待たせるだけで
  女はいつも待ちくたびれて
  それでもいいとなぐさめていた
  それでも 恋は恋

  男はいつも待たせるだけで
  女はいつも待ちくたびれて
  それでもいいとなぐさめていた
  それでも 恋は恋

  それでも 恋は恋

ね?
だいたい、最初から「嫌いになったわけじゃない」ですよ。「貴方の顔もちらつかないわ」って、ほんとにちらつかないなら「貴方の顔」のことなんか言わなくてもいいじゃないですか。それにさ、洗濯までしてるの。それを畳んで机の上にそろえて置いているのよ。で、短い手紙も書いちゃってるわけ。そんで、こうやって別れるけれど、「それでも恋は恋」だったって未練たらたらの甘いことを言っちゃって終わるわけなんですわ。

こんな男にとって都合のいい女、そうはいません。
それも、松山千春が自分でつくって自分で歌って自分でデッチ上げてるわけです。
それって、ヤラセじゃないですか。この「貴方」は松山千春なんですよ。けっきょくは自分を始めとする男たちへの讃歌の女歌なの。ああ、こういうの、長渕剛なんかの歌にも臭うよね。

でも、それを中村中が歌うと、全然違って聞こえるのです。
まあね、私の主観ですが、読み取りがまったく変わっちゃう。

中ちゃんが歌うと、「嫌いになったわけじゃない」は、いま別れていこうとする男を憐れんで、ちょっとだけ救いを与えてやってる、みたいな感じになる。「だからね、絶望したりしないでね」って感じの。

「だけど今度は本気みたい、貴方の顔もちらつかないわ」の「みたい」は、断定を避けてあげる女のやさしさ。でも、「ちらつかないわ」でやっぱり断定しちゃうんです。決意なんです。甘えていない。

机の上の洗濯物も短い手紙も、中村中の歌の中ではこの男に対する最後のやさしさで、じつはその手紙には当たり障りのないことを書いている。だって、そうでもしてやらないとあたふたして泣き出してしまいそうなダメな男なんだもん。でね、そうしてやっぱり決意として「今度生まれてくるとし」ても、「やっぱり女で生まれてみたい」と宣言するのです。「二度とヘマはしない」「貴方になんかつまづかない」という断定的な決別宣言。

そうして結論です。
「男はいつも待たせるだけで、女はいつも待ちくたびれて、それでもいいとなぐさめていた」というこれまでの恋の総括を経て、でも、そんな過去にもめげずにもういちど新しい「恋」に向けて歩き出すのです。だって、「それでも、恋は恋」なんですもの!

ふいーっ! ね? 話が変わるでしょ? って、こういう読みを可能にする歌い方をするんだよ、中村中は。松山千春の歌い方とは全然違うの。すごいよ。つまり原曲の、男による男のための未練の女歌が、中村中によって、女による女のための決意の女歌に異化するの。

中ちゃん、そういう他人の歌の異化アルバムをいつか作ってくれないかな。

で、言いたいことはって言うと、そのオールナイトニッポン・コンサートの翌日に、横浜の関内ホールで「異常気象」っていうタイトルで、新アルバム「あしたは晴れますように」のコンサートを行ったんです。これにも行ってきました。彼女の1人コンサートは初めてでした。で、確信しました。

彼女は変です。

これ、褒め言葉のつもりです。
私の経験から言うと、一流の人って、みんな、変なんです。ぜったい変。生前の白州正子に会ってインタビューしたこともあるんだけど、あの人もじつにチャーミングで変だった。彼女の話しているのを聴いてるだけで面白くて面白くて、ぼくはにこにこしてただいつまでもそこにそうやって佇んでいたくなった。

じつは中村中とも、そうやって彼女の話を聞いていたい気がします。
まだコンサートのMCは上手いとは言えないんだけれど、なんか、言いたいことがものすごくたくさんあるような、でもまだそれをしゃべり言葉としては表現し切れなくてちょっとじれてるような、でも同じことは歌では決められて、そうして1つのコンサートが出来上がっていく。

「異常気象」はそういうコンサートでした。「あしたは晴れますように」と「あしたは荒れますように」という2つのアンビヴァレンツがぶつかり合って、いやいや、不思議。そんな中心に中村中の変さが存在するのです。濃いコンサートだったなあ。

さっき、「異化」と書きました。
彼女を通して世界を映すと、世界は違って見える。

この変さは、しかしまだ未定です。未確定。
中島みゆきって変ですよね。中森明菜も変。松田聖子はちょっと違うけど。
中島みゆきなんかの変さはもう確定済みですけど、中村中の変さは、いまわたしたちが変遷を目撃できる過程にある変さです。これはいずれどこかに落ち着くんでしょうけど、わたしたちはいまのこの過渡的な変さの1つ1つを目撃できる僥倖に恵まれている。これを、見といて損はないだろうなあって思います。しかし、あの歌い出しの前の、息を吸う音の生々しさときたら!

この3枚目のアルバム、そういう意味では、なかなかすごい萌芽を感じます。

あ、日本時間のいまごろは名古屋での同じコンサートか。
明日10日は大阪厚生年金会館芸術ホール。おお、これはアルターボーイズの会場でもあったところだ。

そんで4月26日(日)には東京に戻って東京国際フォーラムで6時に開演。
空いてる人は見といたほうがよいです。

彼女のウェブサイトです。詳細はそっちに書いてるはず。どこかな。
スケジュールのところですね。

http://www.nakamura-ataru.jp/index.html

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